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愛と憎しみと自己犠牲ー親子の本当の理解

 
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 先日、雅楽を見に行きましたが、ふと愛や憎しみについて考えさせることもありました。僕自身、母親に対しては長い間、父の関係のことで憎しみを抱いたことがありましたが、それが今となっては、お互いを理解するうえでは何故か避けては通ることが出来なかった道だなと思うようになりました。

 愛するという長い道のりは、特に親子では、愛していくことの基本になってきますが、ただ絵に描いたような美しい関係を続けるものがよいとはいえないのかもしれません。

 大抵の親は、子供に愛されることを見返りに愛情を与えているのではないと思います。時には憎まれるようなことがあっても、どうしてもそれをしなければ親子の関係を継続していくことが出来ないという状況が幾つもあるような気がしています。
 
 それは、単に感情的な発散なのかもしれませんし、自分自身が抱えたカルマを子供にぶつけているだけなのかもしれません。

 本当意味での愛情ならば、時間がたてば納得することもあるかもしれませんが、実際には親の都合のよい自己保身やエゴからきた感情も幾つもあると思います。

 親のくせに、親でありながら許せない行為だと、マスコミなどは何かそういう事件が起こるたびに、声をそろえて非難し、理想の母親像や親子関係を力説していきます。しかし、僕は、今の時代親子の関係こそ過去の悪しき風習によって形と中身の伴わないものになっているような気がしています。

 親には孝行しなくてはいけない、親子の関係は美しいものでなくてはならないなどと言いながら、果たして周りを見回してもそのようなことを本気で思っている人がどれぐらいいるでしょうか。

 憎む気持ちは決してよいものではないのですが、ちょっとしたきっかけでそれは愛情に変わることはあると思います。それに元々親子なのですから、それぐらいの壁は乗り越えることが出来るのではないでしょうか。

 しかし、諦めたり、無視していくことはもっともよくない心の働きだと思っています。親子の関係で距離を置くようなら、僕は、これから将来起こってくるあらゆる人間関係にも何かあれば、冷たく接してしまうかもしれないと予感します。

 親子の関係は美しいものでなくてはならない、親には常に尊敬の念で接しなければならない、そういうあまりにも硬い固定観念が今のような親子の事件を起こしているのではないかと思うことがあります。もちろん、その考えや思想はとても崇高なものだと思いますが、親子の前に人と人の関係を忘れては、本末転倒ではないかとも感じます。
 
 親子の関係は、どうであれこれから自分が社会に接して行く上で大前提であり、もっとも基本になっていくこだと思います。時には衝突し、憎しみあうようなことがあろうとも最期は理解していくべきものではないでしょうか。

 憎くみ憎まれることで、お互い傷つき人生そのものもだめにしてしまうこともあるかもしれません。しかし、それだけの犠牲を払っても親子の関係を本当の意味で理解していくには、賭けていくだけの価値があるものだと思います。

 将来それだけのことが起こっても、乗り越えることが出来そうな相手なら本当の愛や理解を得ることが出来るかもしれません。しかし、少しでも怒り、悲しみ、憎しみなどマイナスの感情を出すことを厭う関係なら、深く理解していくことが出来ないかもしれません。

 
 






 
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by fenice2 | 2009-10-16 11:51 | 愛 愛情
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