性懲りも無く、また長い時間を掛けて玉置神社に、行ってきました。今回は、1年以上香りを勉強している方と一緒だったので、名古屋から出発して、尾鷲を回って熊野の奥地に入っていきました。 時間は結局は5時間近くはかかったと思いますが、しんどい山道が、2時間以上続いたのには、時々気が滅入りそうになりましたが、晴天で景色はこの上ないものがありました。 僕は、滅多に瞑想をしないのですが、この場所に来ると何故かそういう気持ちにそそられます。心地良い神社というのは、下界にも色々ありますが、千メートルの山々に囲まれた千メートルの場所が余計に、心の内面に向かって自分の気持ちを沈めていきます。 最近、瞑想ブームなのか、京都でもよくそれを行う場所はありますが、余程の環境が揃わないと、無下に瞑想は避けたほうがよいのではというのが、僕の持論です。瞑想は、時に心を大きく開いて周りの気を呼び込むことになるそうですが、それならば出来るだけ空気の綺麗な神々しい場所でやるのが良いと思います。 僕も、街中でも時々目を閉じて色々考えたり、夢想したりしますが、瞑想はかえって邪念が入りやすいので、そういう場所ではやりません。 それが修行不足だとか指摘する人も居ますが、果たして瞑想がそんなに苦しい思いをしてやるのがよいのかは疑問です。ヨガのように、もっと体を動かしてリラックスさせていくもののほうが、心にも体にも健全なような気がします。 瞑想は、基本的には、自分の気持ちを心の中に沈み込めていく作業で、もし自分の気持ちに荒々しいものが多くあれば、かえって心を乱してしまうことも多いです。犯罪者は、意外と瞑想癖みたいなものを持っている人が多いように思います。 瞑想は、自由に自分の心を開くことが出来る、ものですが、昔からそれをしっかりやりたいがために、茶道や香道などの文化が発達したとも言われています。 香りをつくるときは、確かに半分瞑想状態のようなときもあります。しかし、それもよほどしっかりとしたイメージが出来上がってからでないと、単なる思い込みで作り上げてしまうことにもなります。 また、瞑想は現実逃避のような状態を心に習慣づけてしまうこともあります。自分を無にしてまで、受け入れなければならないことは、実際に世の中ではそれほどあるようには思いません。 感覚を磨いて、正しい情報を受け入れるようにして、それでもわからないことがあれば瞑想するのも良いのですがその場合でも自分の周りの空気や背景が大切なことは言うまでもないです。 瞑想で文化は出来ませんし、人の幸せ心の平安もそれで得ることは難しいと思います。 また、続きを書きます。
by fenice2
| 2009-12-16 02:07
| 奈良
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