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自分が背負うべきカルマについて

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 重い荷物を持っていると、親切心からついそれを抱えてあげようとします。これは、悪いとかよいとか言うことの前に習慣もあるような気がします。価値判断よりも、習慣がそういう人助けの方向性を作り出していくのではないかと、最近考えるようになりました。

 香りを調香しながら、色々な内面の重い話を聞くと、次第に相手の方は軽い気持ちになっていきますが、僕は知らずにその重みを背負っているのではないかと感じることがあります。特に勉強会などのように、毎回決まった方の相手をしていると、知らずに僕の背中には色々な方の、心の重みを担いでいるようです。

 勿論、しかるべき時期が来たら、僕はその重みをそれぞれの方にお返しします。それは本来その方が背負うべきものですから、幾ら荷物が重いと言っても、一生涯背負うわけにはいきません。

 そうやって考えると、僕の仕事は背負い業のような部分もあるのだろうかと考えますが、新たな香りをつくることで、その重みの受け止め方が変わってくるのではないかと考えたりします。

 カルマやその方の業みたいなものは、理不尽なものも沢山あって、何故自分がその荷を背負う義務があるのだろうと悩んだりすることも多いだろうと思います。

 自分の親の業の見返りや、もっとずっと意識できないぐらいずっと前の因縁じみたものまで、毎日の生活の中での大きな負担に感じることもあります。

 時には、荷物を降ろして、一度自由な身でいろいろ考えてみることは必要なことなのかもしれません。自分の本当の目標や夢や希望などは、そういった罪深いものと同じに考えていては、なかなか見つけることは出来ないです。

 しかし、長時間に渡って他人のカルマを背負うことは、間違った夢や希望を与えてしまうこともあります。理不尽な身内の付き合いや、心の負担ばかりを強いてくる仕事の仲間など、一時は親切心で持ってしまうことが、返って相手を勘違いさせ時には妄想に近い夢を抱かせます。

 心に関係した仕事ならば、安易に心が軽くなることを唄わないほうが良いような気がします。それよりも、何故その重みを背負っているのかの意味を、一緒に見出していくほうが正論なのかもしれません。

 苦しみがあるからこそ、嬉しさをより感じることもあります。自分の罪やカルマなど本来、背負うべきものを除くことが、すべて良いことのように思い込まされているような風潮があるのではないでしょうか。

 僕は、時には人のものを背負うことで、心が強くなっていったのかもしれません。しかし、その親切心の満足で、果たしてその人の人生を良い方向に向けたとはいえないのではないでしょうか。

 その重きものも、何時かは少しずつ軽くなることもあります。しかし、人に預けっぱなしのカルマは、時々自分のもとに返ってきて、それに耐えかねてまた何処かに捨て去るようになります。

 それでは、何時までたっても、カルマは軽くなりませんし、背負うべき精神力も身に着けることはないでしょう。重みに耐え偲んで、初めて他人の重みも感じることが出来ると思います。

 この最低限度の生きていく意味合いを勘違いすると、人助けも、未来への希望も何処か虚しいものになってしまいます。

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by fenice2 | 2010-01-17 00:57 | アロマ 香り
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