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新しい作品の試みー厄香(やっこう)

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 京都には、パワースポットがたくさんありますので、その幾つかの人の動きをみていますと何かよりよりイメージを追い続けてこういう行為をしているのかと思ったりします。僕自身は、完全には理解できないのですが、最近暗いとか先が見えない世の中と言われ続けているせいか、やたら何か明るいものやイメージが神々しいものを求める傾向がありますね。

 暗いものや、先が見えないものをどうして忌み嫌ってしまうのか、僕はよくわからないのですが、その中でも厄というイメージについては、かなり偏ったイメージが行き渡っているのではないかと思っています。悪魔や精霊などというと日本以外のところから伝来されてきているイメージが強いのですが、厄というと厄年、厄難などといって日本古来の感覚から出たものではないかと思います。

 厄年という知識も、正確には起源がよくわからないそうですが、平安時代から存在したそうですから、何分長い歴史の中で日本の精神世界で深い根を下ろしたものではないかとも思っています。

 近くの八坂神社も厄落としでは有名な神社ですが、どうも古来から日本人が持っている厄のイメージと、最近の人が抱いているものはかなり違うのではないかと感じています。どちらも漠然とした怖れみたいなものはあるように思いますが、もっと心の何処かでは受け入れていたようなところがあったのではと思っています。

 それが、流石に敏感になる年齢の時には、特別に意識して厄落としなどというものを行ったのかもしれませんが、現代は少しうまくいかないことがあると、厄落としとか、お祓いなどといって少しもで厄というイメージから離れようとしますが、どうもそれは少し違うのではないかと思うようになりました。

 僕は、過去の人が精神世界の中で暗い部分をよくイメージしたのは、そこに人のどうしようもない執着や欲望を見出していたからであって、何か不幸なことが起こっても仕方がないと諦めるようないわば、心のよりどころのようなものが、この厄にもあったように思います。

 菌などもそうですが、簡単に善玉菌と悪玉菌に分けられて、何でも消毒しようとしますが善玉菌だけを増やしていくことが、果たして可能なのか疑問に思っていました。結局、前日も医学会でコレストロール値が多い人のほうが癌になりにくいという、今までの定説の逆の根拠が出されるようになったりと、今の時代は何処か偏った発達をしていっているのではと感じることもしばしばです。

 イメージは、あくまでイメージであって、人が生きていく上での深く長い部分とは実際には相容れないものが多いのではと思っています。香りも、皆さん良いイメージばかりを追い求めすぎて、それに疲れて枯渇してしまっているような気さえします。

 鞍馬寺には、これと同じ名前の匂い袋のようなものがあるそうですが、僕自身はこれを作ってから逆に知りました。決して良い香りではないけれども、人が生きていく上でどうしもなくてはならない香り、そういうようなイメージでつくっています。

 まだ完成ではないのですが、やはり松やガルバナムなど木の根っこ、苔やヨモギのような草の香りも多くいれようと思っています。小さな瓶に入れてできるだけ買いやすい値段と考えています。販売などお仕事として興味ある方は、一度ご連絡ください。販売先とか、開発エピソードとかまだまだ未熟なとこも多いのですが、コンセプトなども含めて面白い仕事ではと思っています。

 また、最近香りのご依頼の問い合わせが多いのですが、京都や名古屋の方でなくともイメージだけでも香りをおつくりすることは出来ます。試してみたい方はメールにてご連絡ください。数千円ほどから試作を承ります。

 こちらでもブログを書いています。見やすいほうをごらんください。

 http://ameblo.jp/hanakagami/
 
 
 
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by fenice2 | 2010-09-06 07:01 | アロマ 香り
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