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古代人の感覚、感情ー鈴鹿の山々にて

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 御在所は、登山としてはあまりきつい方ではないですが、頂上まで2時間ほどかけてゆっくり登っていきました。鈴鹿は、奇形な石が多く、古代人の山岳信仰が行われていたことの説を支持する人も多いのですが、僕も登るたびに不思議な気持ちになることが多いです。

 今回、この写真には写っていないのですが、とても奇妙な山があり、友人に聞くとその山は最近まではっきりとした名称がわからなかったそうで、昭和になってからハライドという名前で呼ばれていたことがわかったそうですが、千年近くまえに建てられた寺が、何故か信長の時代に消えていたりと、調べれば、調べるほどミステリアスなことも多く出てきました。

 霊山の言われる山は、日本にもいくつもありますが、その中には未だに入山を極端に制限するものや女人禁制の山も多くあります。三輪山の入山に対して、激しく反対を唱える神道の関係者もいるようですが、最近の安易なパワースポットの流行は、日本人の感性や精神そのものの崩壊を感じます。

 僕は、子供時代から割りと都会で過ごしてきましたが、何故か山はよく登りました。山に入ると、感覚、特に嗅覚が敏感なせいか身が引き締まる気持ちにもなれたものでした。山は、恐怖というよりも畏れ多いもの、自分を鍛えさせてくれるものという印象を今でも強く思っています。

 10代のころは、何故か京都の奥深い山の山小屋に一人で泊まって夜を過ごしたりしました。山は、夜と昼とでは、その性格や雰囲気がまったく別のものになります。なるほど魔性というものがどこかに存在することがよくわかりました。

 山に登ること=感覚を研ぎ澄ますことに似ているのかもしれません。レクレーションや趣味で登るのもよいですが、それでもいろいろな危険は伴いますから、知らない間に身につくものはあると思います。

 頂上近くになると、とても奇妙な気を発していたそのハライドという山は、正確には祓戸という名称で文献には残っているようです。そして、そのハライドに向かって、四方の山の奇形な石が何故か、仏像や鳥居のように組んであるのが、ますます不可思議さを感じさせます。

 街中にあったら、さぞオカシイと思うそういう風景も何故か、こういう場所では単なる自然の造形物と見過ごしてしまうのが、今の現代人の感性の乏しいところなのかもしれません。和歌山の山中にもこういった奇形のモアイ像のような石が積んであるといいますから、一度探検してこようと思っています。

 ハライドに登った人たちのブログなどを読むと、まるで安易で楽しいハイキングでもしたかのような印象のものが多いので残念です。僕の頂上から感じたあの山の気は、空気の澄んだ自然の中からは考えられないほどの異様なもので、とてもその山に近づこうとは思えないほどのものでした。

 山や自然には、人間が想像だにできないぐらいの歴史を刻んでいるものもあります。見た目の美しさや、単なる気持ちの気休めにするには、身体に危害が及ぶだけでなく、精神や心の奥深い部分までも強く影響してしまうものもあります。

 祓戸(ハライド)は、古代人が感じるほど強い気を持った山であったのかもしれません。少なくとも僕には強すぎて異様な感じにしか受け止められません。三岳寺という寺が滅びてしまったのは、人の寄せ付けないそういった目に見えない気のようなものの強さだったのでしょうか。

 神社仏閣などは、そういった古代人が感じた破片みたいなものを集めて、わかりやすく人間に問いただしたものなのかもしれません。本当の自然、本当の山のエネルギーみたいなものは、およそ一人の人間が受け止めるものではないような気がします。

 そうやって考えると、最近の人間の心や文明の崩壊には、自然の根本的なエネルギーとの接し方に原因があるのではないかと感じています。自然=神でもよいのですが、人間が考えるほど安易なものでもなく、優しいだけもものではないのかもしれません。

 最近の温暖化に対しても、根拠はともかく、人間の漠然とした、自然に対する畏敬や恐怖心みたいなものが、背景にあるような気もします。人間だって、本来自然の一部分に過ぎないのに、大切な摂理や原理みたいなものを逸脱して、まったく異質な世界を作ろうとしているからおかしくなっているのかもしれません。

 心というとても、シンプルなものが人にとってもっとも身近な自然なのかもしれません。その接し方に間違いがなければ、自然との接し方にも間違いは起こるようなことはないように感じます。人と人のコミュニケーションにどれだけ長けたように見えても、そのあたりに間違いが起これば、自然と大きな摩擦と同様に、殺人、暴行、恨み、妬み、など負の衝突が起こるようです。

 香りをつくる感性も、このあたりからずれてくれば、人の気持ちを心地よくさせるものはできないと思います。

 人を助けることも、大きな誤解生じることことが起きます。最近の医学もセラピーと称する人たちもどうもこのあたりをしっかりとらえていないのではないでしょうか。
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by fenice2 | 2010-10-19 12:17 | アロマ 香り
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