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嘆きの永観堂ー人の心と自然と

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 京都は、今年は紅葉がもっと悪いと思っていたのですが、思ったよりもよくなっているようです。去年が良くなかった分、今年はそれを取り返そうとしているような気もします。

 最近、色々な意味で人間力の低下みたいなことが言われてきましたが、自然も同じように美しく感じられるところが少なくなりましたが、自然が破壊されてきたから人の心も閉ざしてしまったのかと思いましたが、その二つはどうもどちらが先がわからないように感じていました。

 僕は、子供のころから見た目は悪がきでしたが、本当に花が好きな少年でした。何が好きかといえば、多分視覚的な部分も少しはあったように思いましたが、自分では会話できたり、意思が通じるところだと思っていたようです。

 犬なども小動物も好きでしたが、植物はそれ以上にもっと自分自身を癒してくれて、根本的に自分のことをわかってくれる生き物だと思っていたように思います。小さな花に話しかけて、一生懸命に育てると、ある時に蕾をつけて見事な花を咲かせますが、その花がなぜか自分のために咲いてくれたような気が起こりました。

 そういう話は、多分大人になるまで誰にも話したことはありませんが、自分の感じた部分についてはいつまでも大事にしていこうと内心思っていたのかもしれません。この年になって、京都で自然に触れ合ううちにその頃の密かな喜びみたいなものをよく思い出します。

 この香りの仕事に就いてから、もう14年ぐらいになろうとしていますが、最初はおよそプロとは言えずほかの仕事をしながら何となくやっていただけです。まして調香という世界の中では、一体何を軸にしていけばよいのか、かなり試行錯誤しながら進んでいったように思います。

 最近では、香りをつくるという感覚ではなく、香りを育てるというつもりで触れているような気がしています。自分が育てた、自分が生み出した香りならば、なんとなく深い交流ができるように思っていますが、それが香りを依頼される方との深い意思疎通になっていくようです。

 植物と話しができることを公言する方もいますが、僕はそんなことはどうでもよいような気もします。それよりも、自分がどれだけその植物と自然と分かり合えたと感じることのほうが大切だと思うことも多いです。

 生き物には、必ず再生する能力があります。汚れたようにみえる空気の中でも、街路樹は根を張って人よりもはるかに長生きをしています。僕は、人が自然と身近な植物と触れ合わないから、自然が劣化しているのではないかと思っています。エコ運動や、浄化する社会構造も必要ですが、自然からそういった感覚をもてなくなるほうが、もっと自然にとっては良くないような気もします。一つ一つの木々にも心があり、魂があるのだと思います。

 僕がつくる香りは、僕のそういった子供の頃の記憶が元になっていますので、知らないうちに自然と人の心との架け橋になってくれたらと心のどこかで思っているのかもしれません。

 エコも良いですが、自分の身近な植物に愛情を注ぐのが大切なのではないでしょうか。それが大きな自然を生むことになるような気がしています。

 永観堂の紅葉の色は、人を感動せる匂いや色を持っていました。しかし、その背景にはその木々にかける人の思いもあったはずだと思えてなりませんでした。こんなに立派な木々を育てなくても良いですが、せめて簡単なことでは枯れない元気な木々がもっと増えてこなくては思っています。

 来年は、このあたりをもっとテーマに取り組んでいこうと思っています。




  

 
by fenice2 | 2010-11-28 00:39 | 京都
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