カテゴリ:天使( 4 )

フェアリーの香りー辛くて透明感のあるもの

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 10代の後半に、三島由紀夫にとりつかれて某作家の弟子になり、それから自分では気づかぬうちに美学の道に入り込んでいきましたが、毎日、毎日を自分の醜い部分を責めて、世の中の汚さを憎んでいました。

 純粋であったかどうか解りませんが、美のためなら何時でも死ぬことが出来ると思っていましたので、今よりもずっと危険な美学を持っていたのは事実だと思います。

 考えてみるとその頃から、今までそれほど大きな違いはないと思っていますが、唯一違っているのは天使や妖精について、単に美しいだけでなくて、甘美なものとは思わなくなったことだと思います。

 生きていくことにそれほど夢もなく、何もかも満たされた生活であったのですが、自ら美しいものを作り出せないことに、どうしようもないぐらいのコンプレックスを持っていました。周囲は、それでも僕が、色々な芸術的なことが出来るとみていましたが、全く自分の中では不満でした。

 何故、大人の仲間入りをする前に、あれほど美学にとりつかれてしまったのか解りませんが、佐賀藩の葉隠などを読んでは、切腹のやり方などを研究していました。

 生き方としては、偽善がもっとも嫌いで、次にエゴを軽蔑していました。太宰は、小説は女々しいのですが、思想家としてはもっとも説得力のある人間だと考えていました。

 確かに美しいものは、瞬間に命がありますが、僕は大人になりきる前に死ぬことが美しい生き方だと思っていたのかもしれません。自分で馬鹿馬鹿しいほど、自分を持ち上げるならこれから大人になっていって、身も心も汚れていきたくはないと思っていたのかもしれません。

 それから、何とか死なずに以前にも書いた通りハードな経験をしていったのですが、考えてみるとそのことで自分の魂や心が汚れていったのかどうかはわかりません。

 また、自分自身でも金融関係や感覚のど真ん中に立たされて、穢されてしまったと思っていたわけではなかったように思います。

 人がなかなか出会わない辛い経験を、色々してきてそれで自分にあった美学は、とりあえず粉々に壊れていったように思います。諸刃の剣のような感性は、次第に鈍くなって、インスピレーションや霊感みたいなものも、アバウトになっていきました。

 心や見えない世界に通じる能力は、繊細で傷つきやすいために、あまりに現実世界の中に晒されてしまうと、見る影もなく収縮していってしまいます。TVに出ている霊能者と名のつく方も、人気者になっていくうちに、純粋性が失っていって、能力が衰えていくように見えています。

 三島由紀夫の説によると、そういった不思議な能力や感性も含めて、高めていくのはより深くて強い美学を持つより他にはなさそうで、そのことはより高い理想や目標を持つことに似ています。

 ミラノに行ったときは、自分自身の美学で生計をたてることを考えましたが、モーパッサンと交流があった人を通じて、また再び日本の文学の話になると、やはり日本が持っている精神性の深さなどが懐かしく思い、結局は外見だけは、日本人離れをしていても、中身は少し違う花が自分の心に咲いているような感覚をもちました。

 結局、僕は10代の後半に美学に触れて、20年経ってからようやく、自分の精神性がそれと一致するようになりましたが、今でもあれほど美しいものに対する異常なパッションがなければ、穢れていなくても、何も作り出せない人間になっているように思います。

 そういう意味では、美しいものをつくることで必要なものは、まず精神性で次にテクニックや知識がくるのではないかと思っています。僕のもとで勉強されている方は、可愛そうに皆さんこの精神性を追求されてきますが、それがしっかり出来てくれば、まるで魔法のようにとは言いいませんが、香りが出来てくる現実をみると、やはりこの指導や方法で良かったのだと思っています。

 政治家もそうですが、美学さえ持っていれば、賞賛される職業もあります。しかし、こういった仕事は、残されていくものが全ての世界です。とても大変な世界ですが、世の中がどれほど変化し、破壊されていっても最期に残る世界ではないかと思っています。

 美学も精神性も存在しない、アメリカの金融の世界は崩壊し、力のある方向にうつろっていくのが関の山です。占いや予想も必要ないでしょう。
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by fenice2 | 2008-10-02 02:04 | 天使

鳥人間の末裔ー天使のルーツとそのメッセージ

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 何時の頃からか、よく空を飛ぶ夢をみるようになりました。実際にそこが夢なのか現実なのか解らないほど飛んでいることが最近特に多くあります。

 飛ぶ位置は、大体きまっていて、下りの階段の途中や大きな運動場のようなところから走っていって、飛んでいきます。上にあがるまでは、時々力が要るときもありますが、大概はそれほどの力を必要とせずに意識の強さのようなもので飛んでいく印象があります。

 飛ぶということは、実際は意識の中では誰でも出来て、そういう実感をもつことは可能だと思います。何か特別な感性や、感覚を身につけた人は、みな同じような話をすることも多いような気がします。

 人にとって、飛ぶことは何時しか条件や形、もしくは飛べないと信じること、飛ぶものに乗るものとの意識が強くなっていったような気がします。

 意識で飛んでいくことは、それなりの精神力が必要だと思いますが、それなりの自由な精神も必要です。

 大事なことは、今実際に空に向かって飛べることよりも、飛ぶことを意識したりそういう感性を身につけることだと思います。

 おそらく、何らかの環境や条件で人は簡単に飛ぶことが出来るのではないかと思っています。また、ナスカの地上絵ではありませんが、上のようなエジプト時代の壷の絵といい、人は実際には何らかの形で飛んでいたのではないかと思うことがあります。

 たまたま、引力という地球の意識にひきつけられて、歩くことや地面に接することばかりに目を奪われていって、それで発達して伸びてきたのが今の文明なのかもしれませんが、しかし、それだけでは、やはり人はなかなか自由な精神を持つことが出来ずに、また大きくて広い目も育つことはありませんでした。

 一部の想像の世界やアニメーションの中では、しばしば人が飛ぶことを認めていますが、まだまだ現実の世界ではそれを求めていく人は少ないようです。

 天使は、単に象徴のものでは、何時までたっても、そのメッセージをはっきりと把握していくことは出来ないのかもしれません。飛ぶ存在や、飛ぶ意識、飛ぶための思考をよく学んでいかなくては、それらの貴重なインスピレーションを受け取ることは出来ないと思います。

 小さな飛躍から何かが生まれる時代です。地に足をつけることで大切なことは沢山ありますが、飛ぶことの重要性はそれ以上なのかもしれません。

 雨が降ったあとに、小さな水溜りを飛び越えてみて下さい。自転車に乗っていて、ETの映画のように何処に飛び上がろうとしてもよいかもしれません。

 目に見えない、力がほんの数ミリでも飛び上がらせることを経験すると、飛ぶことの喜びや実感が身近なものになってくると思います。

 ヨガの姿勢でも、足裏を上に向けて瞑想することはとても飛ぶことにとって、とても重要なことだと思います。

 引力に逆らうことではなく、意識の強さが一定の方向性に向かうとき、心がとても自由になった感覚に包まれますが、このときはもう飛ぶための準備は出来ているのだと思います。

 
 飛ぶことを忘れたり、信じることが出来ない人は、これからの時代の天使のメッセージを受け取ることは出来ないだろうと思います。

 日に日に天使からのメッセージは強まっています。一人でも飛躍をしていかなくては、次の新しい時代に生き残っていくことは出来ないでしょう。
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by fenice2 | 2008-07-16 00:29 | 天使

シャガールの天使 (現代人のこれからの生き方)

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 今日は、ちょっとシリアスなことを書きますので、お疲れ方はご用心を。

 それは冗談ですが(何時も重すぎる?)、今後の社会の流れみたいなものを感じることと、将来を占いながら書いてみたいと思います。

 占星術を行っている人達が最近、よく耳にするのが、みずがめ座の時代に地球が入ったということです。エンリケバリオスという、アミという宇宙人からメッセージを受け取った人も

 「数年年続いた野蛮な時代の次にくる、新しい愛の時代で、地球よりも繊細な宇宙のエネルギーに支配され、全ての人の愛の成長を助けるようになる。」と言っています。

 我侭や、個性的な生き方とかそういうものが横行してきたのも、こういう個人の生き方や愛情みたいなものが際立ってきたからであって、それが全て悪であるとするのはどうかなと思っています。

 少し前まで、多くの世界が戦争し沢山の人を殺してきました。僕もイスラエルに20代で行った時に、あちらの社会の矛盾や武器商人などと触れて、本当に宗教家に一時なろうと思ったほど世の中の穢れの部分を多く見てきました。

 また、最近の社会の動きは、個が目立ってくることを警戒して、出来るだけ細かく統制をとろうとしています。住基ネットや個人保護法など、人を人とみなさない形で、識別番号で個人を整理していきます。

 警察の取り締まりも、何かあったら逮捕して犯罪者に仕立てようとする動きが強いのは、更生したり、人に諭していくような手間を出来るだけはぶきたいからなのかもしれません。

 経済の流れは、アメリカにみられるように、数パーセントの人が国家的な資産を持つような状態に追い込まれます。しかし、その状態も長くは続きませんが、多くの人は贅沢とか、家さえもてない人がかなりのウェートを占めるようになります。

 道徳や美徳が、常識とされていた時代は、ここ数年で完全に崩壊します。それに代わる物は、美や感動、愛や思いやりです。

 しかし、社会は出来るだけそれらを受け入れようとしません。統制したり、治安維持を目的とすれば、愛のために戦うことは避けてもらわないといけません。

 ダライラマがいうように、学校問題でも、深い愛情をその長たるものが持てばすむことですが、組織を維持するための教育を受けてきた世代は、そういう感覚や感情が理解できないのだと思います。

 どれだけ、社会がそういう流れに対抗しようとも、その大きな流れには決して逆らうことが出来ません。無理に、昔の都合の良いシステムでとめてしようと思えば、その人間の心が破綻してしまうことにもなります。

 今は、そういう意味では本来あるべき時代に向かって流れている過渡期であって、この時間はあと10年ぐらいかけて、やがて静かに落ち着く場所にいくと思っています。

 それよりも、こういう激動の過渡期では、あらゆる形あるもの、家族、国家、組織、グループなどがめまぐるしく変化し、場合によっては破壊され、消滅していきます。形にこだわるタイプや、一から何かをつくることが出来ないタイプの人は、どんどんその流れから取り残されてきます。

 今は、自分の心に映らないもの、感動的なもの以外は、どんどん捨てていかなくてはなりません。良い意味で、考え方や感性もシンプルになっていく必要があります。何が自分の心にとって大切かを何度も考えなければならない時期だと思います。

 来年は、益々その流れは加速します。世の中や政治も、さらに転がり続けます。

 本当に大切な心、何よりもそれを選び出す感性を磨く必要があるように思います。世の中の不穏な動きに惑わされないよう、心の中から湧き出るものを見つめる必要があると思います。

 
 上の絵は、ニースのシャガール美術館の入り口にある絵です。何があるのか、イメージは混沌としていますが、大きな愛があれば何とか調和がとれてまとまっているように見えるものです。

 世の中や社会も一時的には混乱しても、必ず良いほうに向かっていくと、シャガールが語りかけているような気がします。

 ニースに行く機会がありましたら、是非ご覧下さい。ブルーのステンドガラスの絵も綺麗です。
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by fenice2 | 2007-12-01 00:06 | 天使

夭折して天使になった猫

 猫と犬ではそれぞれ好きな所がありますが、考えたら猫を飼う時はいつも僕自身の転機みたいな時で、これから先をどうしようか迷っているような時が多いです。

 今回も捨てられた猫が居て、どうしても少しの間預かって欲しいとのことだったので、1ヶ月ぐらいのつもりで、飼うことになりました。とりあえずマンションですが一階なので、小さな庭はあるし、適当に飼っておけば良いと思ったのですが、餌やトイレの問題もあり、ほとんどが室内で飼うようになっていました。

 生まれて1ヶ月も経っていなかったので、食べることが出来るものが少なく、魚や豆を砕いたりして工夫しましたが、1週間もすると、市販のものが食べることが出来るようになりました。前に飼っていた時は、僕は20代で、それこそ猫かわいがりぐらいに手間をかけたのですが、ある時期ふと、行方不明になってしまい、離れるとこんなに悲しい気持ちになるのかと散々痛い目に遭わされました。

 今回は、1ヶ月ぐらいとのことだったので、なるべくドライに付合うようにしようと思っていたのですが、思いのほか人懐っこく、トイレを覚えるのも早かったので、ことのほか入れ込むようになりました。

 思えば何処かで、長くない生活だと感じていた所があって、また以前と同じように風呂を何度も入れたり食事に凝ったりして、彼女に愛着を濃く抱く生活を始めてしまいました。仕事から帰ってくると、まだ子供だというせいもあって、すぐに足に絡み付いてきてその仕草が何とも愛くるしいものでした。

 仕事で、自分の行き先について見づらい時期だけに、そういう愛描との生活は楽しいものでした。彼女(メスだったので)と遊んでいると不思議と色々なアイデアやインスピレーションみたいなものが湧いてきて、なるほど古代エジプトの時代から猫が崇拝されてきたわけがわかるような気がしていました。

 しかし、現代に至っては野良猫などは廃棄物ぐらいにしか思われていないのかもしれません。まして緑が少なくなった都会などでは、ゴミ扱いに近いのかもしれません。

 僕の住んでいる所は歴史物保存地区で、それだけにまだまだ古いお屋敷や緑も多いところなので、猫もよく見かける場所でした。しかし、最近は観光の為か随分神経質になる人も多くなって、駆除を率先して行う人も出始めていたようです。

 ネコイラズは、その場で吐かせないとほとんど生存率は無いそうで、特に家の猫のように4ヶ月ぐらいの子では駄目だそうです。一日だけ行方不明になって、次の日発見した時はもう手遅れでした。幸いなのは、僕が抱いている時に死んでしまったことぐらいでしょうか。

 彼女との生活は、わずか3ヶ月足らずでした。以前飼っていた猫よりもさらに早く手元を離れることになりました。しかし、よくわかりませんが何故か心が奇麗で白いイメージの子だったように感じます。

 焼き場に行って、辛い思いで仕事に出かけたのですが、夜遅くなってふと家に帰るのが少しだけ嫌になりましたが、左手の腕に彼女が白い姿になって抱きついているような気がしました。もっと注意していればとか、それまでは自分を責めていたのですが、そういう気持ちを癒すような瞬間でした。

 人間も子供時代に死ぬと羽がはえると言いますが、彼女も小さいながらに小さな羽があるような気がしました。僕も彼女との生活は楽しかったのですが、彼女も僕との短い生涯は喜びがあったのだ思わせるような出来事でした。

 焼き場では、彼女の体と箱に僕のつかっている香りをふりかけました。でも彼女はもう生まれ変わらないでそのまま天使になるんじゃないかなと想像したりしました。


 
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by fenice2 | 2007-10-19 10:52 | 天使