カテゴリ:滅びの匂い( 9 )

匂いの無い世界からの恐怖感

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 京都市内の二条通りのお気に入りのカフェでほっこりしています。

 僕は、ここ何年か自分の嗅覚の中で、滅びの匂いというのものを感じ取っていました。生き物や自然の世界のものには、どんなものでもそれが不快であろうとも匂いや香りがあります。確かに、人でも年配者には独特の匂いがありますし、誰もが生まれたての赤ちゃんのように乳臭い、甘く心地よい匂いをさせているわけではないです。

 という僕自身は、以前から匂いには敏感なのでこの仕事になっていたのかもしれませんが、自分の嫌いな匂いを何も根絶してしまうおうというほど執着を持っていたわけでないです。明らかに害になる悪臭ならばともかく、自分が合わないというだけで、その匂いを消し去ってしまおうとは思わないです。

 巷の、消臭騒ぎというのがどうもよく分からないところがあって、加齢臭の問題もなんだか調香の立場からみれば全く違う面で進んでいったのが、むしろ腹立たしく思っていました。誰もが、自分の匂いを忘れ、匂いを消し去ることであたかも社会人らしい姿をしていくことが不快にさえ映っていました。

 そういう中でいきなり、匂いの無い訳の分からない物質が日本中に振りまかれるようになりました。あそこから出されたものは、人間はおろか犬や小動物、魚に至るまでその物質を感知することは出来ないようです。生命や生物が認知できないということに、実はもっとも大きな危険があるわけで、何処までが危険で何処までが安全なのかわからないのもそのあたりに根拠があるような気がします。

 世の中が、匂いの無い世界を目指しているとしたらそれはどこか危険な方向に向かっていると思ってよいと思います。逆をいうと、自分の匂い、世の中の匂い、自然の匂い、花の香りそういうものに五感を研ぎ澄ましているときは、皆が皆、オカシナ方向にいくことはないように思います。

 生きているものは、悉く魂や命があって、そこにまた匂いも存在します。自分にとって何が心地よく何が心地よくないのかはありますが、合わない匂いの存在を根絶しようと思ったら、そこには戦争のような大きな争いや諍いが起こる可能性があるような気がします。

 匂いや、香りは人それぞれの好みがあるといいますが、それでもここまでなら多くの人が好ましく思う香りというものはあります。これからは、都市づくりや街づくりにもそういった特に匂いや香りを感じさせるものを目指すべきだと思います。よくあるホテルのロビーでやっつけのように単一のアロマを置くことは、そういった感性を育てることにはならないはずです。

 自分なりの心地よい世界をつくるには、そんなに単純なことではないと思います。僕がやっている調香にしても、初めての人はとても複雑だで繊細だと仰って頂けますが、まだまだ一部分を再現しているに過ぎないのではと思っています。

 嫌なものを排除するだけの世の中の方向性が、今のような社会現象を起こす不穏な時代をつくってしまいました。どれだけ酷いことになっても、もう一度良い香りのする街や故郷を目指せば、必ず再生できると信じています。日本のような狭い場所で、見捨てられる土地など何処にもないと思います。



 
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by fenice2 | 2011-04-25 15:13 | 滅びの匂い

欝にならない香り選びー心に忍び寄る滅びの匂い

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 NYでテロが起こってから、NYの市民の香水や香りに対する好みや嗜好ががらっと変わったように、香りと社会の出来事とは密接な関係があります。日本の経済が強くバブルのような時代には、とても刺激的な強い香水が流行ったものでした。

 しかし、僕がもっとも関心を寄せるのはそういったように香りが時代の流れとともに変化していくということは、その逆のものを封じていようとしているように考えています。

 今の時代は、癒しとか穏やかなイメージの香りが好まれていますが、なぜそういう香りが好まれるのか、香料の範囲では木々の香りや、グリーンをイメージするものが多様されるようになっていますが、そこにははっきりとした理由があるはずです。

 都会生活者が、日々の生活の中から失われてきたというのが大きな理由ですが、しかし本来自然に囲まれた地方でもそれらの香料を必要とする人たちが多いのでなんとも不思議です。人は、疲れたら確かに自然に入れば癒せますが、それだけで補えない心の暗さや深みもあるのも事実だと思います。

 逆をいえば、富士の樹海のようにいかにも自然のにおいが濃い場所でも、人は絶望を癒すどころか余計にその気持ちを高ぶらせてしまうのは何故でしょう。本来落ち着くべきはずの香りも、マイナスの効果を発揮する場合もあるように思います。

 人の心が、傷つき荒んでいった経緯は様々ですが、社会や世の中の滅びの匂いのようなものに触れたのは事実だと思います。滅びの匂いとは、何かと言われれば、精神世界では悪魔のような存在でしょうし、人の気持ちから生まれた恨みや執念、そのほかの醜い感情の集まりだといってもよいかもしれません。

 年に何回か玉藻のように、作品をつくるのは一人一人の調香をいていくうちに、こういった滅びの匂いのような共通のイメージがあることに気づかされるからです。去年から、鬼門香や厄香などもつくりましたが、自分で調香していても似ているような印象が多くありますが、それらの匂いが、まだまだ世の中の奥深い部分を流れているからだと思っています。

 よくどのような香りを聞けば、暗い気持ちから開放されるかなどと質問されますが、松やローズウッドなど木々の香りをお勧めしますが、やはりこの玉藻のように滅びの匂いをよく意識したものを使っていただくと人によって、とても喜ばれています。

 僕の香りの作品は、薬のような部分もありアートのように感動する部分もありますが、それだけ嗅覚で作り出していくのは、緻密な部分も多いのでどうしても伝えるが億劫になってしまいますが、今年は頑張って伝えていこうと思っています。

 
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by fenice2 | 2011-01-19 20:10 | 滅びの匂い

生きていくことの喜びと罪

 心地よく生きようとすることと、エコという言葉がとても深く結びついているような印象が強い世の中の風潮ですが、人が生きていく以上、多くの生き物を犠牲にして自然を破壊して生きていきます。毎日ゴミを出し、必ず何か精神的にも、肉体的にも良くないことを行っています。

 良いことはなかなか出来ませんが、自然の法則からみれば悪いことは毎日一つどころか幾つもやっているのが、今の現代人です。その上で精神や肉体が破壊されたり、心の病にかかったりすることは少しも不思議なことではなくて当然のことなのかもしれません。
 
 何故、人がこうやって生きていかなくてはならないのか、それこそ大きな疑問がありますが、今の時代は確かに今までの時代よりもそういったダーティな面を見ようとする傾向がありますが、それだけで何もかも満たされないことは誰でも心のどこかではわかっていることです。

 戦争の時代では、人を殺めても生きていかなくてはならないという地獄がありますが、明らかに何か悪いことをしていないと思う生活の中でも、多くの罪をつくりながら生きていくことを感じさせる出来事は幾つもあると思います。

 経済という概念が、この世から消えない限り人は、誰でもお金持ちになって何不自由の無い生活を目指します。経済の概念の中では、人の心や気持ち、もしかすると魂までも単なるパーツか便利なツールぐらいしか捉えられていないのかもしれません。会社で、誰か一人が死んでも本当の意味で悲しく思ってくれる人は稀です。

 僕は、誤解のないようにいえば、良い香が出来たときほど、感動とともに深い感慨みたいなものも残ります。その感慨は、時には悲しいものであったり、時には深く考えさせられる何かであるような気もします。

 しかし、人の感情にはそういった多くのものを犠牲にしないと感動を生むことが出来ないというカルマがあります。一方で愛しながら、一方で何処か憎まないと本当の人間関係が成立してこないのかもしれません。

 凝るという概念には、そういった罪深い感情が何処かで潜んでいます。そうやって考えると僕自身がつくる、複雑な調香はそういった、罪深い部分を表しているのかもしれません。感動させる芸術作品をつくる人は、みんなこの罪深い部分を時には表現に利用したり、時には競って探したりします。

 美しい作品をつくることが、不思議な魅力や怖さを感じさせるのはそういった理由があるからなのかもしれません。香りをつくることだけでなく、生きていくこと自体に疑問を感じて、自分自身を諌めていく人も多い時代ですが、どれだけ諌めても人間の大きなこのカルマの流れから逃れることは出来ません。

 精神性のないエコや省エネの生活だけでは、本当の人の罪を理解できることはないと思います。良い意味で楽しみや喜びを見つけて過ごす人のほうが、そういったカルマから逃げない人なのかもしれません。

 罪深い部分にこそ、人が人たる理由があるかもしれません。一人だけ救われようとすればかえって破滅していきます。
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by fenice2 | 2010-05-06 19:59 | 滅びの匂い

戦火の匂いーエルサレムの思い出

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 これは、20年前のエルサレムの丘から写した写真です。今見ると、何故か写真全体から負のイメージが漂ってきます。写真の下のほうにはキリストが最期の晩餐を行ったとされる建物があります。

 このとき、僕自身もイスラエルに留学のような形をとりながら、会社の経営で実社会の中で戦っていました。この聖地で、十字軍とイスラムの数え切れない血の跡を残していったのですが、僕は自分の境遇とこの場所を何度も重ねていました。

 この直前にも、ガザ地区というところで、武力の衝突があって至る所に焼け焦がれた建物がありました。今はもう外国人は渡航不可能ですが、自分自身でも何故あのような場所に惹かれていたのか不思議な思いがあります。

 しかし、多くのユダヤ人と交流して、ふと日本人にもこのユダヤ人の血が流れているのではないかと感じることが度々あったのは事実です。特に僕自身は、その血が濃いのではと今でも思うときがあります。

 あの時は、今のように自分の内面をみることが出来る余裕はありませんでした。しかし、この血の匂いが残る場所が異様な興奮状態にさせて、自分の存在価値を高めてくれたのは事実です。

 僕は、結果的に自分の身の回りに起こった経済戦争に勝ちました。毎日、何十億という決済を迫られることもありましたが、何を優先して、何を犠牲にするかを瞬時に決めていきました。

 20代で数千人の規模の会社の未来を決断していくことは、経験も知識もない毎日で、魂を削られる思いでした。自分でもどうして乗り越えることが出来たのか今でも不思議ですが、やはり何か大きな目に見えない導きがあったのは事実だと思います。

 先日もアフガンの町で、小さな子供がテロの襲撃の後、臭気に耐えかねるような苦痛の顔つきをして、呆然と立ち尽くしていました。今すぐにでも、僕は自分のもっている香りで彼を癒すことができたらと想像していました。

 その臭気の中から、確実に悪魔や魔物が出てきて、小さな子供のけなげな心を襲っているように感じてなりませんでした。この臭気の中で、この子は確実に良くない記憶を植えつけられて、そして将来それが復讐や破壊の形で出てくるのかもしれません。

 先日も、香りと記憶について色々書きましたが、そういう臭気の記憶が心の中に悪魔を作り出してしまうような気がしています。

 歪んだ信仰、自爆テロ、そういった社会現象を作り出してしまう経路に、こういった匂いの記憶とメカニズムがあるのは間違いないです。人の感情や情緒はかくも簡単にある瞬間から、嗅覚に支配されてしまいます。

 血の匂い、むせ返す様な匂い、そういう中でやがては強い感情が生まれてきます。憎しみ、悲しみ、深い絶望などです。

 僕の近い将来の夢は、そういった悲惨な地域の人たちに、出来るだけ良い香りを届けたいと思っています。香りは、実はそういった戦火や絶望した状況の中こそ、真価を発揮するものがあります。

 日本人は、豊かな社会に生まれながら、今心が病んでいる人が多いのは、それはそういった世界の状況を感覚の何処かで受けているからだと僕は思っています。

 世界は、まだまだ大きな叫びをあげている場所がいくつもあります。すぐに何も出来なくとも、その声にまず耳を傾けるべきです。神経が細かく、優しい性格の持ち主ほどそういった世界の痛みの声をきいていると思います。

 今の豊かな生活は何のためにあるでしょうか。

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by fenice2 | 2010-01-06 20:22 | 滅びの匂い

母の愛情と呪いと怒りー現代の鬼子母神の匂い

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 最近、やたらと母親の愛情が深い故に犯してしまった過ちみたいなものに気づかされることがあります。鬼子母神は自分の子供の可愛さあまりに多くの人を殺めてしまった神様ですが、熊野の神様のルーツにも、首のない母体が子供にお乳を与えて命を救ったという言い伝えがあるそうです。

 不思議なもので、母親の愛情は何時の時代も絶対視される傾向があり、父親の愛情や兄弟の愛情などの比べてもその深さや大きさなどと比べても計り知れないものがあります。やはり、子供を生むという行為やそれを慈しむ心には、体験したものでないとわからない深いものがあります。

 しかし、その深さ故に罪をつくってしまうことがないでしょうか。特にこれだけ時代が変化している中では、その母親の愛情が、とても大きく歪曲しているような印象を色々なところで感じることが多いです。

 6人ほどの男性を殺し、結婚詐欺をした女性ですが、これと似たような事件が鳥取でも起きましたが、これは僕はこの鬼子母神の愛の深さからなる過ちと同じような深層心理から出ているのでははないかと見ています。

 二人の殺人者とも、僕は母親に強いイメージを与えられながら育てられたのではないかと確信しています。つまり、その子のために罪を犯しながら育ててしまった子供は、その罪をさらに広げて育っていくような気がしています。

 最初の罪は小さいものであったのかもしれません。他の兄弟よりも少しだけおかずが多いとか、単なるえこ贔屓ぐらいであったのかもしれません。

 それが、次第にエスカレートしてきて、あまり愛が強くなればこの子さえしっかり育てば、他の子は全員死んでも構わないと何処かで思うようになるでしょう。父親や、周りの人間に本当の意味で博愛精神が無ければ、かなり愛情が偏った環境が家庭内にも出来てしまいます。

 鬼子母神が人として生きていたときも、最初から子供のために他の人間を殺しても構わないとは思っていなかったのかもしれません。お釈迦様が、子供をさらって初めて他の人の悲しみに気づいたと言いますが、それだけ母と子、そこにある深い愛情は深くなるだけに大きな罪科を背負ってしまうのではないかと感じます。

 一人の女性として、心から愛することが出来る人に出会わないのは、そういった母親の念やどうかすると心の中の憎悪に妨害されているのではないかと、ふと先日ある方の香りをつくっていて感じました。

 以前にも書きましたが、国によっては子供の生奪権(命を奪う権利)が母親にあるとする所もあり、動物の世界でもしばしば母親が子供を間引きして、生かすものと殺すものに分けて育てることもあります。

 子として母親からの愛情はもっとも尊いものですが、逆にそれが歪めばそれほど厄介なものはないように思います。親を大切にと簡単に言いますが、僕はこの母の愛情に関してはもっと多くの人が関心をもって、そういった歪みを直していくべきだと思っています。

 母性を表す香りにローズがありますが、これがやたらに増える傾向がある現代人の心理面には、そういった強い母の愛情を受けて、自分だけが救われれば良いという強いエゴイストな部分が見え隠れしています。

 戦争にもしばしば薔薇がイメージされることもあります。

 歪んだ母性を正しくするようなイメージの香りをまたつくってみたいと思っています。やはり薔薇は深い谷や奥深い森にあってこそ本当の価値があるのかもしれません。

 現代の心の闇や病の中で、この母性愛はとても大きく影響していると思っています。
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by fenice2 | 2009-12-07 20:37 | 滅びの匂い

精神世界、カルト、心に忍び寄るマイナスの力

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 先日、久しぶりに下鴨神社の糺の森に行ってきました。僕自身は、母の関係で神道ですが、信仰心云々の前に、古代から信じられているものに触れることは、とても心地よさを感じることが多いです。この糺の森も何度か焼失して多くを失っているのですが、それでも過去の道筋や小川の入れ込みを残していますが、そこに歩いて触れるだけで、なんとも清清しい気持ちになります。

 以前にも少し書きましたが、僕はカルトと呼ばれる宗教組織と長年戦ってきた経緯がありまして、先月ある出版社を通じてようやくそれも結審しました。結果としては、勝訴したのですが、短いような長いような戦いでした。

 某大手の雑誌にその記事を書いたのは、もうかれこれ5年ぐらいになりますが、その記事を書いたことによって、公安警察のカルト課に属して、カルト撲滅の運動と仕事をしばらく自分のライフワークとしていました。

 僕は、若い頃有る宗教に入ったことがきっかけでしたが、そのせいで自分自身も精神的にも経済的にも大きなマイナスをこうむりましたが、アメリカやヨーロッパのカルトをかなり調べて研究し、再び自分のいた組織と対決していきました。

 それ以来、自分の関わっていた組織だけでなく、色々なカルトの相談にものってきましたが、それに気づいたことは信者はおろか、教祖自身が、精神世界の恐ろしさを知っていなかったことが原因のような気がしています。

 先日から何度も触れている祈りもそうですが、呪いや念の起こし方など過去のあらゆる精神世界の技術やテクニックが、現代ではあまりにも表面的なことで理解されていないような気がしています。

 精神世界に関することは、自分の思い込みや間違った知識でとらえることは、大きなマイナスになって自分自身に跳ね返ってくてしまうことが多いです。

 人は愛することすら、親に教わってそれを実行しているに過ぎないのではと思うことが最近、相談を受けていて思うことが多いです。親が子供を真剣に愛することで、誰かを愛していくようになるのではないでしょうか。

 野に放たれ、野生の動物に育てられた人間は、その動物を愛することが出来ても、人を愛するようにはなれません。

 先日、伊勢国一宮 猿田彦大本宮 椿大神社の宮司さんとご祈祷や御祓い、などの儀式のルーツやその真の役割などの話を拝聴してきました。当たり前のようにみえている、そういう儀式についてもう一度、深く知って感じていく必要があるのではないかと思っています。

 私たちに流れてきた宗教は、元々何があるのか。また皇室が何故、仏教を廃絶しようとしたのか、個別の宗教の名前を書くのは避けますが、今でも多くの宗教があることと、現代の精神世界や心とはきってもきれない関係にあります。

 しかし、僕は、新しい時代に入ってそういった宗教とのあり方が随分変わってきたような印象を受けています。宗教はいわば、心の中の<闇の部分に対する防衛策>のようなものであったのようですが、その闇の部分がにわかに明るくなりだしたので、その必要性については以前ほど確立したものではなくなってくるのではないかと思っています。

 闇がきえ、心が明るんでくるうちに、再び精神世界の力や技術が見直されてくるようになってきますが、それこそが古人の教えに耳を貸さなくてはならないのではと思っています。古代人は、その力を理解し、かつその力の恐ろしさも知っていました。

 モノから心に動く時代で、新しい技術が出来上がっています。自分のことながら、僕が今おこなっている調香もそういうものの流れのはしりかもしれません。単に物質的な豊かさから満足をえる時代は、少なくとも日本では終わりに近づいているのかもしれません。

 
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by fenice2 | 2009-09-15 23:38 | 滅びの匂い

滅びの匂いー世の中を不安にさせる背景

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 ここ京都でも、随分今のウィルスで騒がれるようになりました。これほど騒がれるのは、以前にも少し書きましたが今の時代は、香りの立場の人間からみると、滅びの匂いが時々漂ってくることと関係があるような気がしています。

 人の感情や情感は、匂いや香りで影響してくることが多いのですが、その中でも無臭に近くて、なんとも嗅覚を狂わせてしまうものが時々あります。このうっすらとしたつかみ所の無い匂いは、普段はほとんど何も感じませんが、こういう何か特別なことが起こったときは、急に本領を発揮してきます。

 気が滅入っていて、色々な不幸があった人に香りをつくってもらうと、結果としてとても不快させてしまう香りをつくってしまうことがありますが、とてもよい香料をつかってもバランスが狂うと後から何を加えても直しようがないものになったりします。

 今の時代からは、そのバランスの悪さや、奇妙な組み合わせ、あまりにも早い世の中のスピードなんかで、やはり一時的ですが、そういう滅びを感じさせるような匂いが生まれてきているのではないかと思っています。

 また、この時代、香りが色々な意味で注目されていますが、自分の生活や環境を守る上でもそういった知識や訓練が必要とされてきているのではないかとも思っています。

 自然の匂いや香りが、前回書いたとおり、もっとも目指すべきであって、気持ちを落ち着けさせるものですが、文明社会に生きる現代人は、いつも自然を受けいれることができる余裕があるとは限りません。

 ストレスが極度に強い人は、逆にケミカルな香料を望むことがありますし、その香料を用いることでまた、ストレスを抱え込むことになります。

 匂いや香りは、自分のそういったマインドを守るための背景みたいなものですが、それがよき時代の日本の家屋にはそういうものが知らず知らずのうちに、庭木の種類や住まいの中の木材の材質の匂いの中にも取り入れられていたような気がします。

 以前、京都の庭師さんとお話をしたことがありますが、庭木でも相性が合わないものがあるそうですが、それは木々にも相手の匂いがわかるセンサー(感覚器官)があるとのことで、それで枯れていったり、逆に生き生きとしたものになっていくとのことです。

 ですから、長い間かけてつくられた森には、そういった匂いを通じて何か、助け合ったり、生かしたりする繊細で、すばらしい香りの環境ができているのではないかと思っています。まさにベートーベンが感じた田園みたいなものにもそういう香りが背景にあるような気がします。

 よい香り出来ると、自分が守られたような気持ちになるというお話を、お相手の方からよく聞きますが、本当は心や感性も常に世の中の色々な変化や流れから守っていかなくてはならないと思っています。世の中に起こっていることがすべてが悪いわけではないのですが、何を受け取って、何を受け取らないほうがよいかといいうことを決めるのは、実際にはその匂いや香りの背景ではないかと思います。

 ですから、我々は、その方の香りを決めるのは、単なる好き嫌いやファッション的なセンスで選んでいくことはないです。それが本当のその方のイメージであり、またもっと自分自身を伝えるのにわかりやすいものではないかとも思います。

 その香りの背景になるものは、やはり故郷や両親、もしくはその方そのものの香りのルーツであるようです。

 蝶人の会では、今のような不穏な空気が流れる時代こそ、よい香りを一人一人の個性にそったものを生み出していくべきだと思っています。少し作り手のご紹介が遅れていますが、僕だけでなくとも数人の作り手が育っていますので、メールを通じてまたご相談いただければ幸いです。


       蝶人の会  co-dai@trad.ocn.ne.jp


 
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by fenice2 | 2009-05-19 14:26 | 滅びの匂い

滅びの匂いと喜びの香りー闇と光の未来について

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 先日も、京都で勉強会をしていましたがなかなか先に進まない方がいました。

 香りをつくる世界は、とても静かで豊かな世界を見出す方が多いのですが、しかし時として逆さまのものを表現してしまう方もいます。

 誰かの為に良いだろうと思って行ったことが、何故か不快にとられてしまうこともありますし、その逆に、何気なくやったことに対して、とても深く感謝されることもあります。

 誰でも、美しい香りがするものを前にして、天使のような香りをつくってみたいと思うのですが、現実にはそこに色々な生きている灰汁が混じってしまって、うまくいかないことが多いようです。

 よく魔がさすとか、魔が入るなどと言いますが、香りにとってはそういうマインドの部分が他の創造するものに比べて、はっきり映ってしまうことがあります。

 先日、未来について少し書きましたが、未来に繋がるものは何も美しく綺麗なものばかりでなく、時には深く暗い川も澱みながら進んでいることもあります。

 詐欺にあったり、本来健全なはずのお相撲さんが、薬に心を支配されたりするなど今の時代は、美しく新しい時代の流れが見えつつ、ダークサイドの流れも大きな口を開けて待っています。

 誰でも美しく輝く未来に行きたいと思っています。しかし、その道は一人一人違っていて、花々が美しく咲き誇るほうにそれがある場合もありますし、逆に、足元がぬかるんでいて、霧がかかってよく見えないほうに、その入り口があったりします。

 香りをつくるときは、必ずイメージを抱くようにしますが、良いイメージを抱けばよい香りが出来るようになるというと、技術の問題もありますが、そうでない場合も多く在ります。

 特に、或る特定した人物をイメージする場合は、どちらかというと長所を見がちですが、人によっては悪い面を最初にイメージした方が、全体のイメージとしてもよくとらえることもありますし、香りもその方を彷彿させるようなものになっていることがあります。

 人のことを良い印象から始まろうが、悪い印象から始まろうが、最期には深く理解をしていけばよいと思いますが、この最初の一歩は人によって合う合わないがはっきりしていることがよく解りました。

 それは、もっと違った見方をすれば、現実からみていくのか夢みたいな部分から進んでいくのかの違いですが、これが実はイメージする時の実に過半数をその後占めてしまうのではないかと思っています。

 俗に言う第一印象が、その後のその方のあり方を決定するというのに似ていますが、社会や組織は、一度決まった方向性で人をイメージづけてしまうと、なかなか違う面でみてくれることはないように思います。

 今回の方は、良いイメージから入っていくのがどうしても上手くいかず、無謀にも世の中の尊敬されるべき方に対しても、悪いイメージから始めることにしました。結果としては、あれほど結果が悪かったものが、見違えるほど深く温かい香りになってきました。

 ご本人は、不思議な心地だと仰っていましたが、つくっている時やイメージしているときが、ずっと以前よりも楽になったということを聞くと、やはり最初からあまり美しいものばかりで始めるのはよくなかったいうことが解りました。


 マスコミを中心として、今こういったイメージをつくっていくことに対して、どうもコントロールされていたり、自分本来でないイメージの道筋を通ってしまう人が圧倒的に多いことがわかります。

 イメージすることは、人の想像力の範囲ですから、その部分が歪められていたり、汚されていると結果としては良くないもの(人を不快させたり、時には絶望を感じさせるもの)を作り出してしまうことになると思います。

 自分の心からの想像が、誰かを傷つけたり落胆させるものになってしまうことは、とても辛く悲しいものだと思います。仕事、家庭、友人関係や恋人同士など、常に人には想像されたもの、イメージされたものからの結果が付きまとってきます。

 私たちは、生きていることがそういった想像の連続です。ごまかそうとしたり、結果を出すことから逃げていては、使命を果たしていないことと同じです。

 

 
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by fenice2 | 2009-02-04 00:42 | 滅びの匂い

未来をみることよりも大切なことー愛に基づく時間

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 最近、よく思うのですが、未来は実は誰にでもあるわけではなくて、自分の人生についての、深くて長い川のような流れを意識していない人には、なかなか見えないものなのかもしれません。

 それでも、文明が発達して、自然と無縁な都市に生活するとそういった内面で感じる未来よりも、何となく会社にいって、帰宅して寝ていれば一日が終わっているという予定という未来があります。

 ご飯は時に餌のように感じて、仕事は拘束されている檻のような中にいるのではないかと感じることもしばしばあると思います。

 自分の感情で、判断したり物事を言うことが出来ずに、只何となく周りに気を使いながら目の前に起こったことを、手早く処理をしていきます。

 ふと、そういった今の自分に気づくと、本当は何がしたくて何に向かっていくべきであったのか解らなくなっていることがあります。当然、将来に対して漠然とした不安が出てくるので、何か特別な力に従って、自分の未来を得ることは出来ないかと考えたりします。

 毎日、やらねばならないことは沢山あっても、その先の未来へ不安を感じるということは、その人は自分が本来立っている場所に立っていないからなのかもしれません。

 恋人や知人にも、完全に信頼していくことは出来ずに、何処かで疑ったり、何処かで甘えたりしながら、単に未来へと繋いでいきます。

 自分の気持ちや愛情から、進みだした道ならば、自分から愛した人には、出来る限りのことをしますし、それはどうかすると無償の愛になることもあるかもしれません。

 そういった人は、あまり未来のことを知ろうとはしません。それよりも、今の目の前の育ちつつある木々や、人との信頼関係、そういったものに惜しみなく自分の気持ちを注いでいくのみです。

 のるかそるかで株を買って、それに対する未来はこの上なく関心が出るでしょうが、それと似たような感覚で、恋人選びや、仕事、人間関係を築きあげてくると、先ほどの自分がやるべきことが何であるのかわからない、道を進むことになっているようです。

 持っては崩れるような梯子を手に入れても、未来には繋がっていきません。未来は、本来は予想するものではなくて、”あるかないか”なのではと思います。

 先を感じて不安になったり、不穏な気持ちになるのは、既に未来を失っている証拠です。何処かで、とってつけたような未来をあてはめようとしても、必ず大きな反動を受けることになります。

 金融世界には、当分未来はないと思います。本当の愛情で結びつかなかった、男女も未来は消えてなくなっていきます。

 どんな小さなものでもよいので、愛する時間を増やしていくべきではないでしょうか。深く愛したものから、ささやかでも未来が出てきます。

 愛することは、永遠の時間を作り出し、それがやがて未来をつくることになるのかもしれません。

 
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by fenice2 | 2009-01-30 01:01 | 滅びの匂い