カテゴリ:京都( 11 )

大覚寺の幻影ー鏡の世界と現実

f0149554_1183467.jpg


 昨日大覚寺のライトアップが最後でしたので、香りの勉強会の後、慌てて向かいました。紅葉は落ちていましたが、池に映る幻影の世界は美しいものがありました。

 僕も特殊な世界に長い間、身をおいていますがどうも最近僕のような世界に住む人間たちが戸惑い凋落しはじめているのではないかと思っています。香りの勉強も色々な事情があるとはいえ、まっすぐに進んでいくことができる人とそうでない人に分かれてきました。

 歌舞伎の役者の事件もそうですが、いわゆる現実の鏡と言われる人たちが荒れてきているのは見るのは、とても忍びないものがあります。夢を与えることができる人間というのは、現実との正しい立ち位置や正しい見方をしていかなければ、たちまちにして何もかも失うようなことになってしまいます。

 池面に映し出された紅葉は、少しの風が吹くだけで脆くも壊れ去ってしまいます。もっとも風が止めばすぐにもその姿を取り戻しますが、その脆さは現実の紅葉よりもずっと繊細で儚いものです。

 映し出された世界が無くても、現実は成り立ちますが、そういった鏡のような世界を失うとどれほど味気なく、情緒のない世界になってしまうでしょうか。夢を与えるべき人が凋落し、生き方にさまよっている様子はとても滑稽ですが、同時にとても悲しみを感じざるにはおれません。

 鏡の世界が大きく揺れて乱れていくうちに、現実の世界はどんどん移り変わっていきます。鏡の世界の人間たちは、そういう意味では現実の決められた時間を映しているに過ぎませんから、どうしてもそこで不思議な時間のずれを感じてしまうことになります。

 鏡の世界に住む人間にとって過去の記憶に執着することはとても危険なことです。ましてそこに大きな喜びがあるとなおさらのことです。芸術家があまりに大きな賞をとってしまうと、あとには良い作品を残せなくなってしまいます。無冠こそが、よい芸術を出せるものになっています。

 実際の木々をみて、その四季の移り変わりは想像できますが、鏡に映った世界の木々からはなかなか時間の流れを想像することはできません。そういう意味ではこの世界は、よほど普段から想像性みたいなものは鍛えておかなくてはならないです。

 今回、勉強会でテーマにしましたがやはり香りにとって、”魔”という存在はとても大きなものだと思います。むしろこの魔が鏡の世界を支配していると思ってもよいかもしれません。

 魔は現実の世界では祓い清めるものですが、鏡の世界ではこれを完全に消し去ることはできません。いわば、人間の業やカルマみたいなものなのかもしれません。

 闘えば、ミイラ取りがミイラになるのに似ていますし、話し合おうとしても結論が出ることはないのかもしれません。魔はうまく操るしかないのではと僕は思っています。香りをつくるときも、その方の魔をとても強く意識します。

 魔を意識しないで、力のある香りはできません。それは、退屈な人生しか送れないことに似ているのかもしれません。

 
[PR]
by fenice2 | 2010-12-06 12:06 | 京都

嘆きの永観堂ー人の心と自然と

f0149554_2337494.jpg
f0149554_23375860.jpg


 京都は、今年は紅葉がもっと悪いと思っていたのですが、思ったよりもよくなっているようです。去年が良くなかった分、今年はそれを取り返そうとしているような気もします。

 最近、色々な意味で人間力の低下みたいなことが言われてきましたが、自然も同じように美しく感じられるところが少なくなりましたが、自然が破壊されてきたから人の心も閉ざしてしまったのかと思いましたが、その二つはどうもどちらが先がわからないように感じていました。

 僕は、子供のころから見た目は悪がきでしたが、本当に花が好きな少年でした。何が好きかといえば、多分視覚的な部分も少しはあったように思いましたが、自分では会話できたり、意思が通じるところだと思っていたようです。

 犬なども小動物も好きでしたが、植物はそれ以上にもっと自分自身を癒してくれて、根本的に自分のことをわかってくれる生き物だと思っていたように思います。小さな花に話しかけて、一生懸命に育てると、ある時に蕾をつけて見事な花を咲かせますが、その花がなぜか自分のために咲いてくれたような気が起こりました。

 そういう話は、多分大人になるまで誰にも話したことはありませんが、自分の感じた部分についてはいつまでも大事にしていこうと内心思っていたのかもしれません。この年になって、京都で自然に触れ合ううちにその頃の密かな喜びみたいなものをよく思い出します。

 この香りの仕事に就いてから、もう14年ぐらいになろうとしていますが、最初はおよそプロとは言えずほかの仕事をしながら何となくやっていただけです。まして調香という世界の中では、一体何を軸にしていけばよいのか、かなり試行錯誤しながら進んでいったように思います。

 最近では、香りをつくるという感覚ではなく、香りを育てるというつもりで触れているような気がしています。自分が育てた、自分が生み出した香りならば、なんとなく深い交流ができるように思っていますが、それが香りを依頼される方との深い意思疎通になっていくようです。

 植物と話しができることを公言する方もいますが、僕はそんなことはどうでもよいような気もします。それよりも、自分がどれだけその植物と自然と分かり合えたと感じることのほうが大切だと思うことも多いです。

 生き物には、必ず再生する能力があります。汚れたようにみえる空気の中でも、街路樹は根を張って人よりもはるかに長生きをしています。僕は、人が自然と身近な植物と触れ合わないから、自然が劣化しているのではないかと思っています。エコ運動や、浄化する社会構造も必要ですが、自然からそういった感覚をもてなくなるほうが、もっと自然にとっては良くないような気もします。一つ一つの木々にも心があり、魂があるのだと思います。

 僕がつくる香りは、僕のそういった子供の頃の記憶が元になっていますので、知らないうちに自然と人の心との架け橋になってくれたらと心のどこかで思っているのかもしれません。

 エコも良いですが、自分の身近な植物に愛情を注ぐのが大切なのではないでしょうか。それが大きな自然を生むことになるような気がしています。

 永観堂の紅葉の色は、人を感動せる匂いや色を持っていました。しかし、その背景にはその木々にかける人の思いもあったはずだと思えてなりませんでした。こんなに立派な木々を育てなくても良いですが、せめて簡単なことでは枯れない元気な木々がもっと増えてこなくては思っています。

 来年は、このあたりをもっとテーマに取り組んでいこうと思っています。




  

 
[PR]
by fenice2 | 2010-11-28 00:39 | 京都

一乗寺あたりの紅葉速報です。

f0149554_23495464.jpg
f0149554_23502143.jpg


 詩仙堂のあたり、曼寿院の近くです。この辺りは嵐山が紅葉の色が悪くても、まず間違いはないですねえ。
[PR]
by fenice2 | 2010-11-16 23:56 | 京都

明日は上賀茂神社の手作り市に出ます

f0149554_22394595.jpg


 時代祭りが先日ありましたが、半日近く回ってみてきました。なかなか面白かったです

 明日は、上賀茂の手作り市ですが、もう今回で3回目になります。場所もおかげさまでだんだん良い場所になっていくようです。明日は、あまり天気がよくないらしいので、のんびりやろうと思っています。

 遊びに来られる方は、なるべく昼ごろまでが良いようです。よろしくお願いします。
[PR]
by fenice2 | 2010-10-23 23:12 | 京都

今月26日、上賀茂手作り市に参加しますー黄泉の香り

f0149554_1704888.jpg


 事業計画など、全く無関係のままに自分の仕事を淡々とこなしています。厄香は、お蔭様で幾つか取り扱い先が決まりました。まだ正式に表に出していないのに嬉しい限りです。もっとも売れるかはどうかの保障は全くありませんが。

 厄と言うのは、日本人にとって僕は忘れてはならない精神的な財産のような気がしています。香りにしてみて、それほど嫌うものでもないと思いますし、むしろ何処かで意識していなければならないものではと思っています。

 こういう、イメージだけで嫌われていて、本当は懐かしく身近に感じているものをこれから、少しづつつくっていこうと思っています。只、忌み嫌うものと本当に避けたほうがよいのではと思うものは、何処か際どい境界線があるような気がします。

 例えば、呪うというイメージは、形にするにはとても抵抗があります。のろうという語源そのものに、破壊的で激しいものを感じます。時代の中では、一時的に必要とされることもあるかもしれませんが、基本的には触れないほうがよさそうです。

 地獄というイメージは、以前香りで表現しようと思ったことがあります。それよりも閻魔様のほうがよいかもしれません。これも検討中です。

 鬼は、次のテーマにしています。祟りは、ちょっと危ない感じがしますね。罰(ばち)のほうがよいかもしれません。ばちがあたるのばちは、西洋にはほとんどない概念のイメージなのかもしれません。罰よりも、日本人にはばちが何かほっとしたイメージがあります。

 墓、骨壷、なんかは香りのイメージから相応しくないです。黄泉とか、六道の辻なんかは香りのイメージには良いような気がします。

 厄香から始まって、鬼道香、閻魔の香、バチの香り、黄泉の香り、などがそろってくるとなんだかほっこりした感じになるのは、僕だけでしょうか。視覚で捉えている恐ろしいイメージは、香りでイメージすると実は底が深く暖かく感じられるものも多いと思います。

 こういう範疇も香りで表現してくると面白いところではないかと思っています。天使や、妖精、花などのイメージも香りにはあっているのでしょうが、厄などのイメージを無視してそれらのものは、逆に際立ってこないのではと感じています。

 今度の手作り市にもそれらのものを一部出品します。興味のある方は、香りを聞きにきてください。
[PR]
by fenice2 | 2010-09-17 17:30 | 京都

東山の勉強会のお知らせ

f0149554_1118663.jpg


 このところ、殆ど仕事らしい仕事もせずにずっと、毎日を無為に過ごしています。身の回りの掃除や、食事の支度、木々に水をあげてみたり、少しくらいは本も読みますが、考えてみれば人、一人が生きていくのにも実に雑多なことがあるように思います。

 僕は、妙なところがあってこういう毎日の何でもない出来事が好きで、洗濯をしたり炊事をしたり、時には車やパソコンなども分解して掃除したり、修理したりしますが、それよりも現代から見れば無為とみえる当たり前の日常を単に繰り返していることに喜びを感じたりします。

 京都は、そういう当たり前と言われるような生活が、今でも街のなかに生きています。夕方になると、ほんまに町やあたりから夕飯の支度をするような匂いや慌しさが漂ってきますし、市場みたいなものもかなりあって、方々で買い物がてら、立ち話が始まります。

 スペインのバルセロナは少し街でしたが、その周辺都市のカダゲスあたりにいくと、こういった夕方の喧騒感みたいなものが、感じられとても豊かな気持ちになったことを思い出します。仕事も生活も何か、町や人や歴史の中にうまく溶け込んでいて、またそれを毎日確かめることが出来る時間があります。

 観光客が中心のように思えますが、こういった昔ながらの変わらない市井の生活があってこそ魅力があったように思いますが、最近のあまり観光を中心とした動きは、よくないものを感じてます。そういう意味では、仕事というものも本来は、こういった生活からかけ離れたものではなかったのかもしれません。

 美的なもの、特別なこと、魅力とか僕自身もそういうものが香りを作るときには、テーマとしてありますが、それよりもこういった普段の生活が見えない人を相手に仕事をすることは辛いものです。

 生活臭とは違いますが、香りは所詮そういった日々のものから生まれていくものだと思っています。今のように暑い季節なら、綺麗な川の清涼感ある香りとか、今にも夕立が来そうな不安定な匂いとか、甘い果物の香りとかそういうものが、形になってこなけければ、殆どが白々しいものになって飽きてきます。

 生活そのものが、香りあるものから離れないというのが僕の今のテーマなのかもしれません。欲や怠惰な生活に身を任せていると、腐敗した雰囲気や匂いしか出てこなくなるのではないでしょうか。そういった匂いを消したり、ごまかしたりするために香りはあるのではないと思います。

 夢も大切ですし、もっとさきの目標もよいと思います。しかし、その為に、心遣いや思いやりの気持ちを忘れ、人を傷つけたり、迷惑をかけ続けているような人にどうして心の豊かさや落ち着きがくるでしょうか。

 今、どのようなものでも楽しんで生活を暮らしていない人から、良いモノを生み出していくのはとても難しいと思います。そういう意味では、仕事=お金儲けというものは、色々な意味で、そういった人の情緒や関係を壊しているのかもしれません。

 日本人は、古来よりも匂いに敏感で、特に悪臭に対しては荒神さんなどの信仰とも関係して、徹底して忌み嫌ってきました。そこには、単に鼻が敏感というだけでない、人が生きていくことのつましさや謙虚さなどの根本的な思想みたいな深いものも加わってきたように思います。

 香りの勉強会というのは、単に調香を学ぶだけでなく、そういった自分自身の心のあり方みたいなものが、映るものだけに、なかなか難しいものがありますが、今度また違った形で少し人数を集めてやりたいと思っています。とりあえず、場所は東山の八坂の塔の前のカフェです。

 また、詳しいことが分かればお知らせします。


 
 
[PR]
by fenice2 | 2010-08-19 12:53 | 京都

上賀茂神社手作り市を終えて

f0149554_0142246.jpg


 お蔭様で、日曜日に上賀茂神社手作り市を終えることが出来ました。色々、ご来店頂いたり、差し入れをして頂いた方など、ありがとうございました。当日は、何せ暑く全体の入場者は少なかったようですが、それでも少しは香りを初めての方につくることが出来たので有難く思っています。

 僕も色々なイベントに参加してきましたが、流石に世界遺産で仕事をするには初めてだったので、前の日はそわそわして眠れないものでした。香りをつくること自体は、あまり郊外では向かないのですが、あのような空気の綺麗なところでは、やってよかったと思っています。

 他の手づくり市も検討をしているのですが、当分はこの上賀茂のみで行おうと思っています。手作り市というと京都では百万篇が有名ですが、僕は最初視察したときから、どうも相容れないものを感じていましたので、あまりよい仕事は出来ないと思い、エントリーするのは止めにしました。

 仕事というよりは、僕も香りを勉強している人たちにとっても、遊びというか楽しむためにあれば良いと思っているので、これからも続けていこうと思っています。

 値段も安くつくっているので、今回来られなかった方もまたご来場ください。

 
 
[PR]
by fenice2 | 2010-07-30 00:29 | 京都

祇園祭りー幻想か夢か

f0149554_23104151.jpg
f0149554_2311155.jpg

 
 仕事の合間をぬって、鉾巡行を午前中見に行っていました。去年は、平日で天気も良くなかったので、思ったよりも人は少なかったのですが、今年は休日に加えて天気もよくなったので、四条通りには人があふれかえりました。

 考えてみたら、子供の頃から何度もみていますが、32台の山鉾をすべて見ることはあまり無かったように記憶をしています。聞くところによると、この祇園祭りは、市民というか公家などに対する町屋衆が、自分たちの意地やプライドのようなものを競って行っていたという歴史があるとのことでしたが、たった一日に情熱や財などを賭けたことで、新しい未来を掴もうとしたことではないかと想像していました。


 どれだけ地位が高くても、本当の意味で楽しさや人生の深みは自分たちのほうが知っているとでもいうようなメッセージが祭り全体から伝わってきそうですが、そういった心意気みたいなものは現代でも多くのところに通じているのかなと感じていました。

 人が幸せになるのに、それほど立派な地位も必要ないですし、財はあったほうがよいのですが、それも使って始めて喜びを見出すのであって、今は多くの企業の体質のように何処までも飽くなき資本や資産のプールを目指しているだけでは、そこに働く人に幸せを感じさせることは少ないのではと思ったりします。

 最近、もっとも嫌いなものの一つがエコブームでついにそれに反発して、アルファロメオにしましたし、もう一つはビジネスセミナーという名の集まりで、どれだけ親しい人に薦められてもそれだけは行かないようにしています。確かに、自分の本業の範囲を広げて役に立つことを模索していくことは大切ですが、それを儲けるためだけに危うい論理をつくっていくことは、まるで何でも金融工学なるものに焦点をあわせていった、欲に走った過去の色々な分野の研究者ににています。

 僕は、よく人から好きな仕事をやっているから幸せですねと言われますが、調香がすきなのと仕事がすきなのは、似ているようでかなり違う部分があります。調香は趣味の部分も沢山ありますが、仕事は義務感以上に、自分の中では何時も一体何を与えることが出来るかを模索しています。

 世の中は確かに、仕事になる=お金ですがそこにどれだけ余分なことが出来るかどうかでその方の価値が出来てくるような気がします。人の役に立つことは確かに立派なことですが、僕はそれと同等かそれ以上に心から喜ばすことが、最近の世の中では大切ではないかと感じています。

 僕にとっては、人を喜ばせたり、そういうことが第一で次に責任や義務感みたいなものが出てきます。それから暫くしてそれが、やっとお金になるかどうかになってますが、何とかセミナーのようなそんなことはすっ飛ばしたほうが、お金になるのも早いかもしれませんが、それが原因で人の魅力や心の深さみたいなものを失っていく世の中が出来上がっていくような気もしています。

 祭りなども、今の時代から見ると非効率で、不合理なことは沢山あると思います。母方のほうは神主の血筋ですが、ああいう儀式にも一体すぐにはどういう意味があるのか不明瞭なものが沢山あります。文化は、むしろこういった、経済にうまく乗れないものに価値があるのでは思ったりします。

 友人を選ぶにも奥手の人がいますが、誰かを好きになったことでも余りにも性急に結果を出そうとしている人が多いような気もします。行動しなければ、何も生まれませんが、何を目的に行動するのかはよくイメージすることがよいと思います。

 あきらめたり、暗くなることもあまり意味がないですが、そうかといって余りにも大きな期待や希望を持つことも危ういのではないでしょうか。香りの勉強も、単に技術だけに目を向けていまう人は、あまり深まらないですし、何年たってもモノになりません。自慢ではありませんが、今までにも多くの人があきらめて、道を失っていきました。

 




 

 

 






 
[PR]
by fenice2 | 2010-07-18 00:24 | 京都

京都御所の特別公開ー悠久の時間

f0149554_231321.jpg

f0149554_2372060.jpg


 随分ブログが遅れました。最近忙しいときが多く、それ以上に京都にとってよい季節になってきましたので、毎日がじっとしていることができないというのが本音でしょうか。方々から、早く書いてほしいといわれまして、恥ずかしながら書いています。

 御所での時間は、とてもゆったりしていて、正直言って皇室はこちらに帰ってこられたほうが、よほどゆっくりできるではと思ったりします。陛下の日ごろいない御所は正直って、とても広大な敷地をもてあましがちのようなきもします。

 最近、運とか宿命といったものを聞かれることが多いのですが、それは簡単にいえばその人を取り巻いている雲みたいなものともいえるのではないでしょうか。そういう意味では、人と人が心からわかりあえる距離は、数メートルも離れていれば十分ではないかと思ったりします。
 
 私たちは、毎日そういった雲のようにものにのって、生きているのかのかもしれません。人によってはそれがとても重苦しい暗雲のようなものになっている人もいますし、入道雲のように真っ白でまっすぐ空に向かってあがっている人もいます。

 香りの仕事をやるようになって、その雲みたいなものを表現しようとしているのかもしれませんが、その雲そのものが、その方がこれから進むべき運命があって、内面からのものも多くメッセージを残しています。

 また、その雲が大きく削られていたり、何か大きな矢のようなものが刺さっているのではないかと感じることもありますが、それはその人の行く手を大きく遮る役目をしているのではないかと思ったりします。

 雲に突き刺さるそれらは、ほかの人からのよくない感情、嫉妬や恨みなどではないかと想像したりします。

 何かうまくいかないことあればそれは、過去に誰かを大きく傷つけたり、知らないうちに恨みを買うようなこともしたことが原因になっているのかもしれません。人と人の心のやり取りは、その場を知らずにやり過ごしたとしても、何処かで大きな心の障害を残すことになるかも知れませんが、それがこういった形でイメージしてくるような気もします。

 黒い雲のイメージを持つ人は、とかく心が暗くなっている人が多く、内面的に悩みや苦しみを持っている人が多いように思います。人によって違いますが、ミントなどグリーン系で晴れてくる人もいますし、ローズのような愛らしい香りで、白くなっていく人もいます。

 そういえば、先日、京都で見たこともない虹を目撃したので、写真を載せておきます。あまりはっきりしていて、地面やほかの建物にも映っているほどでした。

 確実に自然も、人の心も何か新しい時代に向かって動き出しているような気がしています。社会や国に起こる大きなことよりも、個人に起こる繊細で小さな出来事の積み重ねが、やがて大きな奇跡を起こすのかもしれません。

 
f0149554_2335294.jpg


 

 

 
[PR]
by fenice2 | 2009-11-09 23:37 | 京都

シルクロード文字をたどってー日本に繋がる精神世界

 
f0149554_23492133.jpg


 今週は、ある方の紹介で中国の元官僚の方の香りをおつくりしましたが、出身は山東省の孔子の里の出身の方で、見た目にも知的な方でしたが、香りをつくっていってなるほどその内面は、日本人とは全然違うものがあると思いました。

 僕は、NYでも短期間にさまざまな人の香りをつくりましたが、正直いって見た目とそれほどギャップのある香りが出来たのは稀でした。やはりイギリス系の人は、グリーン系でも必ず選ぶものがありますし、黒人の方は多くの人が共通して好む香りというものはあるようです。

 まして、中国の人となると情報や知識でももっともわかりやすいものがあるために、僕自身でもそれほど想像力を駆使することはないだろうと思っていました。

 Kさんに流れているものは、日本人にはイメージでとらえることが出来ても、深い部分はまったく想像とは違うものが存在していました。特に母子の関係では、大きな自然や広い気持ちの中でゆっくりした愛情を感じることが出来たのは、まさに香りの恩恵だといってもよいかもしれません。

 国際交流といっても、形だけのものが多く、民族の壁みたいなものを強く感じると言っていましたが、僕も香りをつくるまでは、やはりそういった人種の偏見みたいなものに影響されていたように思います。

 国策としては、日本は中国に対してはまだ警戒感や嫌悪感をもっていなければならないのかもしれません。もしくは、日本という国家がまだ中国に対して漠然とした、戦争の債務をまだ感じているからなのかもしれません。

 中国と日本の国の歴史としては、まだまだ迎合できないところがたくさんあるのかもしれません。しかし、人と人はもっとそういう不幸な障害に影響されずに、信頼関係を築いていくべきではないかとも思っています。

 最後に、北京にきていろいろな大学などで香りの講演してほしいという依頼を受けましたが、僕は、それがどれだけ理解されものかというのには疑問でした。

 しかし、先日京都国立博物館のシルクロードの仏典の変遷を見ましたら、やはりいかに日本の精神世界が過去インドから中国を通じて日本に入ってきていたのかということを、理解しましたが、もしかしたら今度は逆に日本が中国を通じて、その精神性を広めていくべきではないかとも感じました。

 法華経を初めとして、日本は高貴な精神性をつくるべく最期の終着地点になっていたようです。もっとうがった見方をすれば、日本で何か完成されたものをつくるために、シルクロードを経てきたのではないかと思ったりしています。

 僕自身も香りの仕事を通じて、本当はどこにしっかりとした精神性があるのかは、まだまだ未開の段階です。しかし、シルクロードの逆のルートをたどっていけば、もしくは今日本でやっている以上に、いろいろな内面のみえない部分の蓄積がみえてくるかもしれません。

 世界が新しい時代に対する、精神性を希求しているような気がします。三蔵法師が多くの悩める人を救うために危険な旅を試みて天竺にいったように、日本人は何かを伝えにいかなくてはならないのかもしれません。

 手始めに北京あたりから、自分の仕事の再発見の旅に年内中に出かけていきたいと思っています。
 
[PR]
by fenice2 | 2009-08-23 02:04 | 京都