カテゴリ:香りの小説( 25 )

第三章 記憶を管理する組織ーモサド

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_18371913.jpg


 いまや、全ての人の記憶は、国が管理しているといってもよかった。モサドは、元々イスラエルの情報機関だったが、世の中から紛争が無くなってからは、いち早く記憶と人の感情による組織工学について研究が進んでいた。

 モサドには、全人類の記憶が常に蓄積されるようになった。漠然とした世論とか国民感情などというのは、あてにならなかったことが多かったが、ここでは多くの人の感情を分類することによって、何処に不満があって、何処にもっとも快楽を感じているかが、いち早くわかるようになっている。

 大部分の国では、月に一回脳内のチップの書き換えのために市民は、役所のモサドセンターにいかなくてはならない。中にはそれを怠る人たちもいるが、巨額な税金を課せられるために割りと多くの人が参加するようになってた。おかげで、政治家の選出から、娯楽の施設の計画などすべては、そのモサドセンターに集められた記憶の蓄積より発せられることが多かったから、いまや世の中に漠然とした不満みたいなものは、あってないようなものになっていた。

 男女の関係でも、デートの約束を破ることも皆無だった。また、仮に他の女性と交際したとしてもすぐにチップにより明らかになるから、センターの時の更新のときに警告をうけることになる。

 チップの書き換えのプログラムは、色々試行錯誤されたが、結局は感情的になりそうな強くて深い記憶を少し削ることに重きがおかれていた。極端によい思い出も悪い思い出も、感情の影響で何度も記憶されることになるので、あまり重複しているものは、消去されるようになっていた。

 感情的で生きることが、あまりよく思われない風潮もあり、愛情という表現も以前と比べるとかなりかわってきたと思う。

 シスの言うとおり、人類が生きていくのはもう精神的なもの以外は何も無いし、何も必要がないのかもしれない。ヨノンにも、センターからの要請で、今月中には婚約しなくてはならない女性がいたが、もう少し気乗りしないでいた。いや、正確にいうとこのところ、二回もモサドセンターには行かないでいたから、そういったインテリジェンス計画そのものに抵抗を感じていたのかもしれない。

 人間が進化するには、徹底的に自然から切り離されることになっていた。本能、欲望、執着などという古い時代の観念が、その反対の夢や希望といったイメージを損ねることになっているといえるかもしれない。インテリジェンス計画そのものには、そういったマイナスな感情を、如何に人の精神性みたいなものから遠ざけるかにあったから、それが結論として自然から距離を置くことになったらしい。

 哲学や、思想などというものは本来、そういった悪い感情とどう立ち向かっていくかにあったように思う。人間性の深みというのは、善と悪、神とサターンとの戦いにこそその価値があるといわれたこともあったが、宗教という枠のしばりが希薄になるにつれて、過去のものになっていたかもしれない。

 大きな図書館にあるデーターが、僅か一ミクロンの結晶体に記憶が出来る技術がいきわたってから、モサドの人間の記憶に関する研究はさらに進んでいった。また、その記憶をさらに膨大なデーターにしていくものの中に人の感情や感覚が大きく影響されているのもわかってきていた。

 それら人の感情には、それなりの管理が必要だということだったが、このあたりのことは確かにそうだったのかもしれない。

 長年の紛争地区から、完全に脱却して平和な時間を取り戻せたことが何よりモノ証拠だったのかもしれない。しかし、国や世の中のシステムはそれで成熟してきたかもしれないが、人間はどうだろうか。

 ヨノンは、少し不満があった。いやそのことさえ、モサドセンターにいって記憶の書き換えをすれば、かなり楽になってしまうかもしれない。もしかしたら、現代人が進化した点といえば、徹底的に快楽人間が増えていることは事実だった。

 しかし、その快楽に食欲や性欲というものは希薄だった。学習欲や知識欲など、自分の記憶の中に他人に誇れる情報が増えていくことが、もっとも喜びになっていた。
 
[PR]
by fenice2 | 2010-06-17 12:48 | 香りの小説

第三章 感覚を殺す人たちーシス卿の計画

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_18371913.jpg


 シス卿のもとには、日に日に多くの人が集まるようになっていた。モノから離脱し、よりスピリチャルな生活にするためには、我々は多くのものを捨て去っていかなくてはならないと力説していた。家族の関係、自分の財産やルーツ、果ては名前までも改名するようになっていた。

 友人のケトンもいつの間にかアルデハイドC123と言われていた。そういったシンプルな名前を持つことがさらに、自分の精神的なものに触れていくことが出来という。彼らは、食事もほとんどシス卿が決められたものを食べていた。小さなカプセルに詰められたものを、それぞれの時間で飲むだけで食事は終わっていた。

 もっともこの頃、食事は殆どの人が簡素になっていたので、意外とそれについては多くの人が受け入れられたように思う。国も随分まえから、病気にかかるような人には罰金を課すようになっていたから、自然と多くの人が健康的な生活を送るようにはなっていた。

 合理的なスマートな生活や文化が生まれてくる中で、唯一精神世界の解明や進化みたいなものは遅れてきたようであった。シス卿自身は、何処から出現してきたのかは不明だが、彼が今の現代人の弱いところをついて、のし上がってきたのには誰も異論を唱えるものはいなかった。

 「我々の精神や心は、もっと小さくなれる。どうかすると素粒子ぐらいになれれば、もっと大きなことが悟るようになるだろう。」

 この言葉の意味がわかる人がいるだろうか。心が小さくなるということは、感覚や感情も小さくなることに違いなかった。そういう意味では、ヨノン自身はこの時代にあっては、かなり感覚的であって、感情に左右されるほうなのかもしれなかった。

 ペットなどという非効率な生き物を飼う時代もとうの昔に終わっていた。感情で動物に接すれば、結局は人間の社会とは相容れないものになったことは過去の歴史が証明されていた。人間に都合よく慣れる動物だけを生かし、それ以外は命を廃棄したせいで、一時期大量のウィルスが発生することになって、多くの人がその犠牲になった。

 動物など自然の生き物は、あるがままにすることがやっと長い間の愚かな歴史を繰り返して、わかってきた。人が住む居住区には、大きな透明なドームがあって、鳥すら入ることは出来ない。そこまではっきりしていない地域もあるが、基本的には共存することは許されていない。

 記憶についていえば、約50年も前から生まれた子供には、全て脳内に小さなチップを植え込まれることが義務付けられた。これによって、人的ミスという部分が大幅に減り、学習能力で大きな差が生まれることはなくなっていった。
 
 人間の記憶のメカニズムは、その殆どが解明されたが、はっきりわかったことは情感などというものからなるべく離して保存することが大切だということだった。良い思い出、快感が伴う記憶は、大きく記憶媒体に影響して、逆に不快な感情が伴う記憶は、意識的に消し去ろうとするから、このことが人の記憶のシステムを傷つけてしまうとのことだった。

 小さなリモコンのスイッチに月日や年月日を入れれば、大抵なことは、このチップから記憶が発信されて脳が認識されるようになる。これがあまりよいことではないことは議論されたが、結局殆どの国で採用され、すぐにも色々な意味で成果が出たようで、今では反対する人などほとんどいなくなった。

 こういう時代の背景から、やはり感覚や感情は意味があまり感じられないことが多くなったように思う。ラテン系の人がどうとか、踊りや芸術的なことなど一部では、そういった現実とは逆行する人たちもいたが、大部分の人たちは、社会を平穏に維持するためには、それらはなるべく去勢したほうがよいと思っていた。

 シス卿に集まる人たちは、そういう中でも極端に感情を捨てさる人たちであふれていたから、当然政府や国と対立しようもなかった。かつての新興宗教が既成社会と対立する図とは全く逆のものであったといえるかもしれない。

 ヨノン自身、今の世の中がとりわけ悪いとは思っていなかった。むしろとても良い方向に進んでいるのではと感じることも多かった。しかし、彼にはどうしても忘れ得ない記憶が幾つも心のどこかにあるような気がしていた。勿論、脳の記憶は、小さなチップの中に幾らでも入っていることはわかる。しかし、心の奥底でうずめく衝動はそういった、合理的で冷静なものとは、かなり違うような激しい感情が起こっていた。

 何でもない記憶と、嬉しい記憶は同じはずではないような気がしていた。誰かを愛し、一緒に過ごした時間は、何もせずに呆然と過ごした時間とは明らかに違うはずだった。感情こそが今生きている証のようなものがあったのだと思う。

  
[PR]
by fenice2 | 2010-06-05 10:25 | 香りの小説

第三章 未来と過去の間で

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_18371913.jpg



 ヨノンの生活にとって、匂いは決定的に忌み嫌うものだった。大抵の人も感覚の中でおよそ嗅覚は忘れ去られたようなものになっていたかもしれない。匂いとは、古い時代の個性を主張するものであり、公の場所では、それがあることが非常識とさえされていた。

 単に香りだけを聞きたければ、森や湖などにいくか簡単な香りの発生器を使えば良かったので、今や昔のように香水や香りを自分の身に常時つけている人など皆無といってもよかった。

 感覚よりも、常に情報や知識が優先されているせいもあるかもしれないが、その代わり人や世の中に対しても、期待や希望をあまり持つことはなくなってしまっているのかもしれない。そんな生活に少し嫌気をさして、スピリチャルな生活を志す人たちは絶えないが、ヨノンもそういった生活に惹かれないでもなかった。

 何もかも忘れて、自分の精神世界の中に没頭してしまったらどれだけ心地よいだろうか。現に、彼と同じような仕事に就いていた仲間の一人が、急にそういう集団の中に入ってしまって、今ではすっかり幹部の地位についていた。

 「人は、全て無になっていくべきだよ。何もないところで、精神生活のみを送ることが本当の人間の姿なんだよ。」

 友人のケトンは、仕事に嫌気がさして恋人に導かれるようにそういった世界に入っていったという。スピリチャルの代表のシスは、サトリという教義を実践しているそうだが、人は自分の内面にむかって一日中話しかけていれば、そこに全ての喜びや悲しみも含まれているという。

 「では、僕が今現実で味わっている、悲しさや空しさはなんだい?こっちが幻だというのかい?」

 僕は、すっかり変わってしまったケトンに単純にそういった疑問を投げかけてみた。ケトンは、何時もお線香という特殊な技法でつくった香の匂いが立ちこめていた。それだけでも、違和感を持ったが、モノの世界を精神世界と完全にきりはなしてしまう感覚にはどうも無理があるような気がしていた。

 「人はモノが自分の周りにある以上、精神が進化しないんだよ。一度、そういうものから完全に離れることで、真の自由が得られるんだ。」

 「精神や心は、形がないから幾らでも変化するだろ。それが進化したと誰がいえるんだい。形にすることで、その様子がわかるのに、その機会を失ったら、判断のしようがないだろう。危険だよ。」

 ケトンは、元々世界通貨を統合する国の機関に所属していた。通貨が統一されたといっても便宜上そうなっただけで、貧富の差や物価の高低の地域差はなんら解消されることはなかった。彼は、理想主義の経済学者を支持していたが、途中から現実のギャップに悩み続けていた。

 「精神を見るのは、精神が発達して進化した人間がみるしかないんだ。シス氏は、我々よりもずっと先の精神世界をもった人だよ。多くの人が、彼の段階までいったら、次に世の中の創造が始まるんだ。お前も暗い現実ばかりにあえいでいないで、喜びの世界を目指すべきだよ。」

 ケトンの言おうとしていることははっきりわかる。今の時代どころか、何時の時代でも通じることなのかもしれない。しかし、ヨノンは自分の父がそういう世界に走りすぎて、自分の事業を破壊してしまったことが鮮明に記憶に残っていた。

 母は、どちらというとモノの中に喜びを感じる人だったから、何時しか父とは感覚のずれみたいなものが起こることが多くなった。食事をもっと昔風に手間をかけ、住まいは木や石など自然のものを多くつかって、少しでも居心地をよくしていった。

 それに比べて、父は自分のオフィスの埃一つ立たない、白で統一された殺風景な部屋に閉じこもっていた。仕事があるときも、ないときもその中でもともかく瞑想にふけっていたらしい。久しぶりにあった父は、ともかくやつれて疲れた様子にみえていた。

 シスという代表者も、出来るだけシンプルな部屋にいるというが、どうも父と重なってみえることがヨノンにはあった。自然は、人が生きていく上でアクセサリーや飾りではないと思う。しかし、その自然さえもシスによると精神の進化にとっては、害になるという。

 時代が行き詰ると何時も、そういうことが話題になってくる。環境学も所詮、経済との兼ね合いで限界を何度も経験していた。或る学者によると、現代と比べると古代人や原始人が如何に非効率で、自然を破壊する生活だったかということを証明するには、今全人類が森に帰ってみればわかると言っていた。

 資源という中では、人は小さく生きているに過ぎない。海を自由に生きる魚や、多くの花々を渡り歩くみつばちのほうが、ずっとそういう点では贅沢に生きているのかもしれない。
 
[PR]
by fenice2 | 2010-06-01 12:00 | 香りの小説

第三章 突然の覚醒ー現代の時間

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_18371913.jpg


 携帯の文字盤には、不幸な事件が幾つも映し出されていた。多くの人が生き埋めになった事故や、破綻した国から続々と、移民のように押し寄せてくる記事だった。しかし、ネット社会も、20年近くになると完全に表の情報と裏の情報に分かれて発信されるようになる。新聞などを読んで、妙な裏読みをしていた時代も懐かしい。

 つい最近、起こった細菌テロなどの事件もそうだった。室内で栽培される水耕栽培にある菌が急遽増殖されるようになったが、犯人は意外にも10代の少年だったが、それがどうして起こったかは、別のサイトの記事をみればすぐにその真相が明らかになった。

 ずっと前には家畜に強い伝染菌が繁殖して、何百万頭という羊が殺されたが、あれも今の時代のようなしっかりした裏サイトの記事があれば、もっと多くの人は冷静に対処していたのかもしれない。政府を初めとして、大きな組織は、利益の衝突ばかりを気にしなければならず、それは今の時代でもそれほど変わっていないと思う。

 問題は、情報を発信する会社が圧倒的に小規模なものが増え、中には諜報部員と綿密に連絡を取り合っているネット発信局も少なくない。本当に貴重な情報は、高いお金を払って手にいれて、どうでもよい情報は、嫌とういうほど流れこんでくる。

 賭け事に勝つのも、株で或る程度の利益を得るのもこの貴重な情報をどれだけ手にいれるかでかかってくる時代になっている。資金が潤沢なものほど、情報ソースをその権利ごと買取り、切り売りするかそのまま生かすかは、その会社しだいだった。

 三面記事の裏情報などは、それほど高くはならないが、どうしても情報がないときは、それでも仕方がなく集めなくてはならない。一回のアクセスでおよそ子供の菓子の値段にもならないが、人々が大きな関心を持ってこれば、時に大きな利益を生むこともあった。

 小さな情報会社を建ててみたものの、毎月火の車に等しく多くの情報の中で、本当のことが知りたいということは、実は簡単なようで複雑なことがよくわかってきた。誰かにちょっとした自慢をしたいためのものなら、人はそれほど苦労して情報を得ようとはしない。反対に、もっとも利益になるような情報には、幾ら出してもきりがない。

 有名人の裏や私生活を、数百円の雑誌でカバーできていた時代ならともかく、今ではそんな誰でも想像できそうなものにお金を出す人はほとんどいなかった。

 ヨノンの一族、ガブリエル家はずっと大きな事業家が多かった。しかし、事業家といえども失敗するときは失敗するし、世の中で知られているほど裕福な暮らしがあったわけではなかった。父のネロールは苦労して財を築いた人であったが、人生の半ば武器のビジネスに手を貸してしまい、後半は一家全員が常に誰かに狙われ危うい生活を送るしか残されていなかった。

 ヨノンがこの仕事を望んだのも、もっと平和的な仕事がしかいからだった。世界は、ついにアフリカまで経済発展をしてからは、急に全体のパイが縮み始めていた。人々は、一部ではスピリチャルな生活を始めている人もいたが、それも緻密な経済活動なくては、なかなか出来るものではなかった。

 イスラム経も、キリスト経も良い意味でその過激さは失っていたが、多くの人が精神的に豊かになっているとはいえなかった。娯楽産業は、なんとか成り立っていたが、近頃では無償で行うものも多くなっていた。高いお金を払って、コンサートを聞く時代は、もうとうの昔に消えていた。

 生活そのものは、無駄がなくなり目の前からモノというものが殆ど消えていた。都市でも空気は綺麗だし、記憶媒体が発達したおかげで、紙は今はほとんどみかけなくなった。現代人にとって、大切なのは、空気と水それに出来るだけ新鮮な食料だった。

 情報産業は、もっと人を喜ばせるためにあるとヨノンは思っていた。誰かが、命がけで助けた話とか、誰かが真剣に恋をした話だとか、ずっと離れて生活していた親子が再会するとか、もっと感動秘話みたいなものを、学生のときに思いついたときにはやってみたいと思っていた。

 しかし、現実は損とか得の情報を載せるのがやっとで、何処の野菜工場の出来がどうとか、より栄養価の高い水を発見できたとかそういう、いわば企業の宣伝になるようなものが仕事になるのがせいぜいだった。スーパースターを育てるには、本当はそれなりの情報操作が必要だが、今では裏サイトで確実な情報が流されてしまう限り、そういった存在でこういった産業を作り出していくのも難しいようだった。

 今の生活を一言でいえば、無味無臭の生活だといってもよいかもしれない。色はもっぱら白か薄いグリーンが流行っていた。何処を見渡しても刺激的な色はもう都市ではどこにも残っていない。それほど不健康な人もいなければ、それほど幸せな顔をした人も少ないのかもしれない。

 絶望もない変わりに、希望もそれほどない、そういうのが今の生活だろうか。

 
[PR]
by fenice2 | 2010-05-28 10:58 | 香りの小説

第三章 香りと心の旅ー香りに酔う最初の村

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_119317.jpg


 香りの国を離れて、最初についた村はいわば香料を渡す中継地区みたいなものだった。そこには、これといった香りの作り手はいなかったが、良い香りに対する憧れや尊敬は、スサノオが考えた以上だった。村に入るとすぐに、何人かの人に声をかけられて彼の地位や存在が知られることになると、たちまち宿に多くの人が集まるようになった。

 同行していた、行商人のアプリコットは、その様子をみてさも当然というような顔つきをしていた。

 「貴方は、サラブレットな家柄でありながら実力ももっている。噂は、まだまだ遠い先の国々までひびいていますよ。今日も、村長か上役の香りでもつくらないとこの騒ぎは収まらないのかもしれませんよ。」

 アプリコットは、30を超えた男だが、生まれはまだずっと先の海の中にある小さな国の生まれらしい。香りの仕事は、父親が始めてかれこれ20年近くになるそうだが、各地の情報を色々仕入れてくることもあって、協会の間でも重宝する人間は多かった。利発で人柄も面白いのだが、それ以上に彼は自分なりの香りの価値判断をしっかりもっていたのが、そのあたりも癒着が多いで世界の中では、誰かにべったりくっついていくこともなかった。

 「別に香りをつくることは面倒ではないが、香料はこの村でそろっているでしょうか。あまりなれていない香料が多いと、ちょっと時間をかけなくては難しいかもしれません。」

 スサノオは、少しは香料は持ってきたが荷物にもなることから薔薇や君影草(きみかげそう)、百合など最低限のものしか持ってきていなかった。ピペットなどは、父の代から使っている銀製のものを持ってきたが、まさかこんなに早くこういったものを使うことになるとは思っていなかった。

 「この村には、貴方のお爺さんがつくったものが、ずっと大切に保管されているということです。私は、貴方のお父様にしかつくってもらったことしかないけれども、それは、それは感動したものです。こういう立場でいうのもなんですが、私は、調香について偏見や疑いをずっと持っていました。私の国では以前は香りの国ほど、香りについて思い入れはありませんでした。しかし、一旦調香されたものが入ってきてからは、急にそういった価値観や考え方、もしくは感じ方まで多くの人が変わってしまいました。何もなかった安全な国であったとは言いませんが、それが原因で争いごとが多くなったのも事実です。」

 アプリコットの話は、スサノオの香りの国あっては、全く反対のストーリーの話だった。そういうことがあるということは父からも少しは聞いていたけれども、こうやって旅先で改めてきくと、何故か先日の調香に対する色々疑問とともに、深く心に突き刺さってくるものがあった。

 「私も長い距離を旅をしていると、やはりほっとする場所と何故か緊張感を抱いてしまう場所があります。それは、その土地土地にある匂いや香りのせいだと思いますが、こういった技術が発達していくうちに、その感覚がどうでもよいのではと思ってしまうこともあります。その感覚の違いは、まるで小さな世界で生きるのが幸せなのか、大きな世界の幸福が本当なのかわからなくなってしまう感じに似ているのかもしれません。」

 この地方特有のレモンから作ったワインは、アプリコットの日ごろ感じたことをすっかり引き出さそうとしているのかもしれない。スサノオのように、まだ若い人間にはその内容が分かるような分からないような部分もあったが、自然の香りと調香についての話題は、興味深いものも多かった。

 「アモン家では、代々もっとも大きな背景をみたいなものを感じるように言われています。誰かが香料を一つ選んだとしても、それは単なる好き嫌いの問題を超えた謎があると思うことが重要なのかもしれないです。僕のようにまだ経験の少ない人間には、想像することしかないんですが。」

 「想像、そうそれこそがこういった香りとも人の生き方とも関係したものなのかもしれませんね。人はみんな小さな世界しか知らないうちは、その中で幸福や不幸を感じたり探したりするものです。それ自体に良いも悪いもないのかもしれません。しかし、もしこれ以上素晴らしい世界があったらとか、これ以上よい生活があったらとかそういうことが、また新たな感情をつくってしまうのも事実です。悪い香りの作り手は、人の感情や欲望みたいなものだけで、作り出してしまいます。協会でいうと、ローズウッド氏みたいな人でしょうか。」

 アプリコット氏は、普段はあまり人のことを噂しない人だったのでそういう名前が出ることも少し驚いたが、スサノオも同調してその話にのっていった。

 「あの人が協会にいるのは、七不思議だとお爺さんもよく言っていました。僕は、よくわからないけれども彼のつくった香りを少しきいて驚きました。あれならば、街の香りの作り手のほうがもう少しましな人もいるかもしれません。才能やセンスというまえに、香りそのものに対する知識もないように思います。」

 「今日は、アモン家の公式な見解も聞くことが出来て、とてもありがたい。これで先日から頼まれていたローズウッド氏からの依頼を断る決意が出来ました。彼は、この旅の様子を逐一報告するように私に言ってきたのですが、やはりやめておいたほうがよいですね。しかし、彼の元には色々な過去著名な調香師のチャートが集まっているのですが、それこそよい香りが出来ないのは、七不思議ですな。」

 アプリコット氏は、話せば話すほど教養もあり、なるほどお爺さんも面白い人間だと認めたことはあると、スサノオも感心していた。それだけに今、香りの国で起きている色々な問題もそれなりの意見が考えがあるのかもしれない。

 村長とその助役の人が、暫くしてたずねてきて、スサノオは指定した香料を依頼して、二人の調香を始めた。アプリコットは、その様子を注意深そうに見ていたが、やがて出来上がった香りを見て、素直に感嘆の声をあげた。

 「貴方は、若いですが感じる力にはやはり素晴らしいものがありますね。確かにアモン家の当主に相応しい香りをつくりましたな。」

 彼が、賞賛する以上に村長と助役は、有頂天の顔になりながら香りの談義に花開いた。大勢の観客がその様子を見にきていて、香りが出来上がったときは、全員でムエットをまわしてその香りに酔いしれた。最近、香りの国で色々な悪い噂がある以上、何らかの不安があったのかもしれない。スサノオは、まるでこうやって国を離れて、香りをつかって心の救いの旅に出ているのではないかという印象さえ持っていた。

 アプリコット氏は、彼の香りをみて益々気持ちが傾倒していくのが見てとれた。そういう意味では、アプリコット氏も、感じる世界においては澄んだ真直ぐなものを持っている人間だといえるのかもしれない。大切なことはやはり感じることなのかもしれない。二人は、村に居る間中香りのことについて話し込んでいた。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
 
 
[PR]
by fenice2 | 2010-03-28 20:57 | 香りの小説

第三章 香りと心の旅ー旅の目的と本当の敵

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_119317.jpg


 この旅立ちについては、香りが本当は何処まで人の心に影響を与えているかにあった。人が自然を愛し、そのままの生活で暮らすなら、ここまで調香という技術が必要であったのかどうかはわからなかった。

 「香りの力というのは、本来大きな空気の流れをつくるものだよ。心というのも、常に流れている中で本当はその価値があるのかもしれない。良い香りは、そういった本来の心のありかを見つけ出してくれるものでないといけないんだよ。」

 スサノオは、色々な技術は習得したけれども、その一つ一つの深い意味についてはまだ理解しているわけではなかった。父のキモンも、生前は香りでその人の人生を変えていたと言われていたが、その当の父自身は、人生は本人が決めるもので、香りはその手伝いをしているにすぎないと言っていた。

 香りの国は、殆どその調香された香りで社会が満たされているのだけど、すべての人がそれを受け入れているわけではなかった。稀に、そういった人工的にコントロールされるのが嫌いで、遠く街から離れて、山深い森の近くに、小さな集落をつくって生活をしている人々も少しは存在した。

 その中の一人と、スサノオはまだ小さいときに、野山に遊びにいくついでに触れたことがあった。彼らは、ムニ(香りを好まないとう意味)と言われていて、住まいも出来るだけ木を使い簡素なものが多かった。無職というわけではないが、公園や自然の簡単な整備の作業をするほかはこれといった仕事をするものは少なかった。当然のように、彼らは自分の香りを持っていなかったから、彼もそれらの人と話していると、印象に残ることが少なかった。

 この国では、香りは自分のことを説明する上で無くてはならないものだった。自分がどういう香りが好きで、それにどういった経緯があるとか、今は誰に香りをつくってもらっているとか、人と人があえば話題には事欠かなかった。ところが、ムニの人たちはそういったことで話し込むことも無ければ、何かに夢中になるということもなさそうだった。

 協会の中では、時々ムニのことについて話し合うことも多かった。自然の香りの中には、この国の考え方では、全てが人の心に良いものを与えてくれると考えているわけではなかった。それが証拠に、過去何度も大きな内紛や争いが多かったのは、その自然の諸々の匂いのせいだとも考えていた。

 「ムニの人たちは、何時強い感情が起こって、何か大きな行動をするとも限らない。」

 広報のローズウッド氏などは、何時も積極的にその話題については意見を出すようにしていた。彼は、外出するときは、出来るだけ大きなマスクをして、自分の香り以外のものはあまり鼻に近づけないようにしていた。協会の中ではそこまで極端な行動を起こす人は少なかったけれども、野山を歩いたあとには、必ず自分の香りを確認するのは、当然のことであった。

 ただし、この頃はその自然の香りが激変しているのも事実だった。或るものは、以前に比べるとかなり淡い香りになって、逆にバイオレットやスサノオの母が見つけたような花は、とても強い香りになっているのも事実だった。

 「植物は、香りや匂いでそのメッセージを出す。」というのは、バイオレットのラグエル家の家訓のようなものだった。

 「自然は、もっとも力をもった香りや匂いの調香師だ。」そういったのは、モスお爺さんだが、それならば人がそれを受け止めきれないのか、それとも自然が人に簡単には幸福にさせようとしていないのか、そういう議論は、長い間香りの国でも哲学者などが集まって議論にすることが多かった。現に、香りの社会を離れたムニの人たちは、必ずしも幸福に暮らしているとはいえなかった。彼らは、多くの大人に言わせると、無責任で無気力だが、それが証拠に殆ど結婚というものをしようとしなかった。子供もあまりつくろうとはせずに、生まれても結局は、国の施設にいれてしまう人が多かった。

 それは、自然の姿かもしれない、少し大人になったスサノオはそう考えたが、そうだとすると人は、今のように文明が栄え、人口を増やしていくことは、そういった摂理から離れていくことになるのかもしれない、そういった人の文明を支えている調香とは、人にとっては良いことなのかもしれないが、自然にとっては良くないことなのだろうか、この国にいて当り前のことが、離れることになって余計に何か疑問として沸いてきた。

 ムニの人たちの中には、以前では協会の中でそれなりの地位がある人もいた。スサノオは、今までそういった人たちに何の興味も抱いていなかったが、今頃になってそういう人たちが、何故そういうふうな生活になっていったのかをたずねてみたい気がしていた。

  「自然も、いろいろなものがあるような気がする。もっと、人間らしく心が澄む様なことを感じさせてくれる場所もあるのかもしれない。僕が今感じている自然は、自然の中でもほんの僅かな部分だと思う。」

 彼は、最期はそう結論づけて、旅の準備にとりかかった。人が感じる自然というのは、実はみんなほんのわずかな部分を感じているに過ぎない。もしかしたら、何もしなくても王室の庭のように芳しい香りがする木々が生える場所もあるかもしれない。

  自然の香りと簡単にいうけども、それこそが多くの人が知りたがっている何かがあるような気がする。自然の香りに色々なものがあるからこそ、人も色々な考えがあって、生きる目的も違ってくるような気がする。旅をするというのは、本当は誰でも他の匂いや香りを求めていくことなのかもしれない。

 きりがないくらいに、これからの旅のことを思いながら、自分の国について冷静なぐらいに見返している自分がいるのに不思議な感じさえしていた。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
 
 
[PR]
by fenice2 | 2010-03-27 11:50 | 香りの小説

第三章 香りと心の旅ー突然の旅立、バイオレットの愛情

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_119317.jpg


 アモン・スサノウは、母の薦めもあってバイオレットの実家をたずねることになった。彼女の家は、ツタの葉に年中包まれていたが、その庭は四季を通じてあらゆる花々が咲き誇っていた。

小さな黄色の蝶が、スサノウがその庭を通りかかると同時に、彼の肩にのってきたが、仕事上色々な香りが服に染み付いているせいもあって、そのことはあえて気にもしなかったが、何時までもそこから離れないのは不思議なことのように思えた。

 彼は、肩に蝶がのったまま、ドアをノックし中に入っていった。部屋のすぐ奥にはバイオレットが立ってこちらをまっすぐ見つめていた。彼は軽く会釈して、次に彼女も挨拶をしたが、その少しの時間の間に黄色の蝶は部屋を一周して、やがてテーブルの上にとまった。

 「この蝶は、まるで僕たちの間に入って話をしようとしているのかな。」

 スサノオはそういって少しだけ笑みをみせた。バイオレットは、その蝶をずっと眺めていたが、やがて手を差し伸べて自分の手に乗るように蝶を促した。

 「蝶は、空気の中に住んでいる生き物なのよ。私は時々、この子たちは、本当は、もっと大きくて木のような体が何処かにあって、その中のほんの一部がこうやってふらふら飛んでくるのからしらと思うことがあるの。小さくて軽い存在だけど、その意思はとても強いものを感じることがあるわ。」

 大いなる意思を持ったその生き物は、少しはばたいて彼女の手の上に静かにのった。バイオレットは、まるでその蝶と何か話をしているようにもみえた。

 「母と最近は、森に出かけているらしいね。母がともかく、君のことを気に入っていて僕が出かけるまえに是非会ってきなさいと言ったんだよ。僕も楽しみに来たのだけど、何を話したらよいのか分からなくなったよ。」

 「手を出してもらえますか。私が今感じていることを貴方に伝えたいの。いいかしら。」

 そういうとバイオレットは、自ら透けるような白い手を彼の前に差し出した。今までだって子供の頃から、バイオレットとは手をつないだりして遊んできた。正直いうと今日の日をどう受け止めてよいのか、わからないところがあった。彼女ももう18歳になるのだから、子供のころとは違う思いを色々秘めているのかもしれない。

 何気なくスサノウも彼女の前で手を出した。バイオレットは、その彼の手を少しも照れることなく、自分に近づけて両手でそれを包み込み始めた。暖かさとともに、一瞬何か痺れのようなものがきて、そして何かが彼の心に飛び込んできた。

 それは、彼女の持つ心の中の強さなのか、それとも何か違うものなのかはわからない。スサノオは、只熱く、大きなその感情に圧倒されそうになっていた。その時間は、本当に一瞬の出来事であったのに彼には、何十分もそうやって長い時間、感じていたように思った。

 目を開けると、彼女が涼しそうに彼のほうを見つめていた。しかし、彼の中には確実に何かエネルギーみたいなものが残っている。彼女と手を離してからも、熱く重い感覚が手に残っていた。

 「今のは、何だろうか。ちょっと今まで感じたことがないような感覚だが、僕自身にもよくわからなかったよ。」

 蝶はいつの間にか、彼女の手からも離れてふらふらと何処かに飛んでいった。少し開いている扉から出て行ったのかもしれない。バイオレットは、涼やかな顔に戻って、彼に微笑みかけた。

 「今のは、あの子が抱えている感情なの。わかる?あんな小さな生き物でもそれだけの感情があるんだわ。自然はみんな、自分の気持ちや感情を抑えているの。我慢しているというのは、少し違うけど、自分が感じたことを人間のようにそんなに簡単に、表に出さないものよ。」

 それにしても、彼女は何時の間にこんなに大人になっていったんだろう。僕も、アモン家に生まれた以上、感じる力は人の何倍もあると思っていたが、彼女と比べたらまるで子供のようにさえ感じた。

 「技術をもった瞬間から、人は感じる力を失ってしまうわ。画が下手な人がうまくなろうとして、技法を覚えるたびに感じる力がなくなってしまうのよ。表現する力と、感じる力は全く逆の方向を持つんだわ。」

 実は、そのことはガルバナムお爺さんからも嫌というほど聞かされていた事だった。お爺さんは、細かい技法などは僕にあまり教えなったかわりに、いくつかの基本的な調香については、あらゆる方法で試されて感覚に刷り込ましてくれた。僕は、かなりの香りの使い手になったといえるかもしれないが、それでも時々ふっと自分の力について疑問に思うことがあった。

 「では、僕たちの国は自ら、自分の首を絞めているんだろうか。母が昔、言っていたようにやはり香りそのものが変わったのではなくて、人間の感覚が鈍くなったので、今のようになったんだろうか。」

 バイオレットは、話している間にミントティーを丁寧にカップに注いでくれていた。彼女といるだけで、そのミントの香りが何時もの何倍にも広がっているように感じた。

 「お母様とも話し合ったけど、最初は確かにそうだったと思うわ。でも途中から本当に自然に異変が起きたのよ。自然も、人間と同じようにもっと自分を表現したいと思ったんだわ。今までのように自分を偲んで、回りと調和しながら生きて行くことに疑問を感じ始めたの。それで、今のような騒ぎになってしまったんだわ。」

 バイオレットが、何を言いたいのかは流石にスサノオには分かっていた。その動きを止める香料こそが必要なのだと思う。植物にもそういった、感情爆発をとめることが出来る品種が何処かにあるはずだった。

 「人の力では、どうしようもない出来事が起こっているようだね。今の感じを察すると、僕はすぐにでも出発しなくてはならないようだね。」

 バイオレットは、澄んだ目を、彼に向けてそれを聞いていたが、それでも、やがて彼が旅立つことが悲しく思えたのか、その大きな瞳から幾つか大粒の涙を流した。

 「本当に危険なことが待っているわ。でもお母様とじっと待っているしかないのね。私は、毎日お母様と森に出かけていって、木々へ説得してみるわ。この国の森の木々や草花、そして人間も本当は、とても繊細で傷つきやすい心を持っているのだと思うの。ひとつひとつに語りかけて話していけば、これ以上悪くなることはないと思うの。」

 そう言いながら、バイオレットは小さな木で出来た小瓶のようなものを彼の前に持ってきた。その中には、何か特別な樹液が入っているらしい。それは、本当は、ラグエル家の秘宝らしいのだが、彼女は惜しげもなく彼に差し出した。

 「これは、なんともいえない香りだね。なんていう香料なんだい?」

 スサノオは、思わずうなるような声でそういった。こけでもないし、もっと深いグリーンの香りもするが、自然のものではないような気もした。

 「お爺さんの代から、ずっと持っていたもので、木が弱ってどうしても駄目なときはこれを少しだけ水に混ぜて使いなさいといわれていたの。枯れかけていた大木も、これで何本も助けたらしいわ。でも、多分もうそれもかなり弱っているらしいの。お父様が、もう何年もまえから使っているけど、効果ないって。でも貴方なら、まだ何か別のものを感じると思って。」

 単なる直感のようなものでしかなかったが、それが明らかに感じる力が強い香りの作り手がつくったものだということがわかった。調香技術そのものは、それほどの深みはないようにも感じるが、何か謎めいたものを感じないわけにはいかなかった。

 「この香りの作り手は、ずっとここから南の砂漠の中の村にあるらしいわ。今もつくっているかどうかわからなかったけども、場所は地図にものっていると思うの。」

 そういって、バイオレットはお爺さんからの古い地図を持ってきて、その町を指差した。街の名前は、テンジクと書いてあった。この国の中ではおよそ聞いたことがない街であったし、モスお爺さんの古文書にも載っているとは思えなかった。新たな香料を求める旅だが、ともかくスサノウは行ってみようと決心した。

 バイオレットと別れたあとにも、彼は手に熱さを感じていたが果たしてそれが、全てあの小さな生き物のものとは思えなかった。彼女もまた自分の感情をずっと抑えて生きる人間なのかもしれないと、スサノオは考えていた。


 

 
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
 

 
[PR]
by fenice2 | 2010-03-17 15:57 | 香りの小説

第三章 香りと心の旅ー混乱する国内満たされるものとそうでないもの

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_119317.jpg


 王が玉座の間で、協会の人間と話し合ったことは、瞬く間に次の新聞で取り上げられた。街の中では、あちこちでその話題の話で持ちきりだったが、人々の反応は様々なものがあった。アモン家には、朝から多くの人が集まっていたが、数々の不幸があったものの、それらの人たちは新しい希望に燃えているようだった。

 実業家のバジルさんは、甲高く今回のことは何よりもチャンスであるということをベチバーに力説した。
 「今までアモン家は、技術でその名声を支えてきたが、これで新たな香料のルートも確保出来るということだ。これほどめでたいことはないだろう。」

 バジル氏は、朝から相当酔っているようだった。ついでにガルバナムお爺さんもかなりお酒が入っているようだった。酔った勢いというわけではないが、お爺さんは皆の前でアモン家の新しい当主の紹介と、その名前を披露した。

 「アモン・スサノウが新しい当主の名前だ。みんなでこれから覚えてください。彼は、ここ数ヶ月でアモン家の秘術のあらゆるものを学んでいきました。そんな短期間でと思われる方もいるかもしれませんが、その土台は、生まれてからずっと作り続けてきたものです。イリスさんなんかも、私の息子のキモンの変化もよく知っているでしょう。」

 祈祷師のイリスさんは、このところずっと山深い祠に入り込んで、国全体の祈りを朝晩続けていた。

 「教会の連中の悪口を言いたくはないが、あれらがどれほど祈ったところで神様なんかには届きゃしないよ。教会は、もうずっと前からこの国では権威であるし、何をしなくたってたくさんの人が教会を訪れてくれるから、それを維持するだけよいんだよ。教会のある香りが少しでも切れてしまったら、今更あんなに暗いところなんか誰もいくもんかい。」

 教会の神父は、その殆どがずっと南の国からきた人間で占められていた。それぞれが黒い帽子をかぶり、その顔つきも同じようなものが多かった。教会は、ずっと前からこの国にはあるけれども、皮肉なことに国が乱れていたときにその多くが立てられて、平和になった今はむしろそこに集められた王の良質な香りをききにくるのがほとんどだった。

 「一体、教会っていうのは何の意味があるんだい。今や悪魔祓いさえやろうとしないんだよ。人の心が本当に困るのは、鬼とか悪魔が心の中に元々すんでいるからだよ。でも彼らときたらどうだい。心の中には神がいるからそれを大切にしなさい、ばかりだろう。その元の国が今、たくさんの軍人を集めていることを知っているかい。私は、この間旅の商人に聞いたんだい。」

 イリスさんは興奮してそういったが、そこに来ている人たちは今更何を言い出すのかというふうな呆れ顔の人が多かった。

 「教会は、人の心をつくっていると言っている。それはわしも間違っていると思う。人は苦しくなり、目先がみえなくなるとどうしても神にすがる。そして、平和になると今度は、欲や願望のために彼らは神を利用しているんだよ。過去の多くの慰霊のために教会を訪れるならよいが、最近はそうでもない人間も多いようで悲しいことだな。」

 ガルバナムお爺さんも、百年前の乱れた時代のことをモスお爺さんから詳しく聞いているらしく、時々は教会に行くことがあったが、それは街中の人たちの教会もうでとはかなり意味合いが違っていたらしい。また教会のほうでも、色々な儀式をつくって、そういった人々の願望や欲を満たすことでやっきになっていた。

 「教会は、普通のお金儲けとは少し違うんだろ。やつらは、最後は人の心をコントロールすることを目的にしているとしか思えんな。でもこの国は、香りの力が王を初め、いたるところで行き届いているから、それが達成できないでくやしいのかもしれんな。」

 バジルさんは、教会が集まっている元の国を知っているらしく、何でもそこには世界中の国々からの情報や物資が集まっているらしく、しばしば僕の国についてもよく話題になっているらしい。

 「争いのない国なんて、世界のどこでもそうはないんだよ。彼らは争いがあるからこそ自分たちの意味があると思っている。人は生きている限り、欲や執着に満たされ、醜い生き方をするのは仕方がないと考えているんだな。そのあたりは、我々の国の考え方とは全く違うんじゃないかね。」

 「香りの力で、人の心は穏やかになったが、それだけではないんだ。そういった気持ちさえも抑えていったようにわしは思うんだよ。ただ、それは本当の意味でよかったのかどうかは、当事者である限りわからんな。でも香りで多くの人の心や気持ちが良いほうに向かっていけばよいと思うんだがな。」

 ガルバナムお爺さんは、母がつくった胡桃のケーキを美味しそうに食べながらそういった。母は、このところずっと忙しそうにみえて、表面上はまるで父のことを忘れているように見えているが、本当はそうではないと思う。母も懸命にこの国のために何かをやろうとしている。調香師ではないが、母にもそういった強い決意があるようにみえた。

 「教会の親玉は、この国で争いを起こさせたくて仕方がないのさ。王の小さな王子にも未だに、留学に来なさいなどと持ちかけている。幸い、王はそこまでお人よしではないから、それをやんわり断っているが、もし武力にでも出てきたらどうするんだろうか。」

 バジルさんは、何時もは冗談をいってばかりいるのに、こういう時になると冷静にもなれるものだと、僕は妙な感動をしてみたりした。

 「ベチバー、改めアモン・スサノウ、お前は残された国のことは心配しなくてもよい。教会のやつらも多くの香水をつくってもらっているせいもあって、すぐにどうしようとは思っていないだろう。勿論、これからはどうなるかわからんが、お前は新たな香料を見つけ出してこなくてはいかん。若い力を存分に発揮してくれ。」

 王から、有り余り支援を頂いたが、正直いってこの国を出て他の地にいくのは、多くの山々や砂漠に囲まれているせいもあって、並大抵のことではなかった。スサノウには、途中まで旅の商人が幾人か同行するが、それらも時々に行くことところがあって、ずっと一緒というわけではなかった。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
 

 
[PR]
by fenice2 | 2010-03-16 13:24 | 香りの小説

第二章 新たな香りを求めてー王との約束

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_17403856.jpg


 バイオレットの父のサンダルウッド氏は、王の庭園の中で予期せぬことを感じていた。春に向かって、菊や沈丁花などが、多く咲いてきたが、それらの花々の中にいて、 ふと妙な感覚に襲われていた。今年は、流石に王の庭園でも、花の咲く時期がずれていたり、そのせいで刈り込みなどを早く済まさなくてはならないものも出てきたのだが、ほとんどの花に虫がついていないのに気がついた。

 沈丁花は、それほど虫はつかなかったが、小さな菊やマーガレットなどは、何時もなら蝶などが舞い、葉を食べる小さな虫が出てくるので、朝から少し強めの柑橘系の香料などを撒くものだった。それが気付くと、かなり暖かい時期になっても何故か虫が出てこなかった。

 サンダルウッド氏は、最近庭番の友人から、森の奥でたくさんの蝶が死んでいるのを見かけたという話を聞いた。蝶は、確かに秋にはちらほらと庭の中でのその死骸が見つかることがあるが、この時期で死ぬことはまずありえない。まして、大量に死ぬということは今までにも聞いたことがなかった。

 以前、祖父から木々は自分の生命を守るために、毒のようなものを発することがあるということは聞いていた。しかし、虫のほうもそのことはずっと長い時間の中で学んできて、そういった木々には近づくことがないのだから、実際には虫が死ぬことはなく、木々が虫を殺すということはありえないはずだった。

 サンダルウッド氏は、沈丁花の葉をひとつだけ切って、その香りをかいでみた。少しは違う香りがするのだろうと思っていたが、なんとも甘い香りがして、それが何故かいつまでも鼻に残っているのに驚いた。良い香りともいえるし、そうでもないともいえる。しかし、心地よい香りとはいえないような気がした。少なくとも、葉にここまでの香りは今までの、沈丁花にはなかったはずだった。

 最近、王もあまり庭に出てくつろぐ時間が、気のせいか減ったような気もする。暖かい日も続く日もあったのに、王は少し出ただけで、以前のようにそこで何時間も過ごすことがなくなったようでもあった。

 その次の日に、玉座の間に多くの国の関係者が集められて、王との歓談の時間が設けられることになっていた。しかし、歓談とは、表上のことで誰もが、緊急会議のような内容になることはわかっていた。議事は、協会のローズウッド氏が勤め、ガルバナムやベチバーも重々しい席につかされた。王がこういった召集をかけるのは、今までにも何度かあったが、主に王のフィールドからの香りを分配される話がほとんどだった。

 「今日集まっていただいたのは、もうご存知だと思いますが、最近の国の香りについての色々な問題を話し合うためです。実は、ローズ女史から連絡があり、今年はほとんどのフィールドから香料の供給が不可能であることの報告を受けました。これは由々しき事態であり、今後の国のあり方を危うくしてしまうものでもあります。」

 ロースウッド氏の横には、息子のユーカリがさも自慢げに座っていたのが印象的だった。今回の件で、ローズウッド氏は、確実に協会の理事長の座を狙ってくるだろうと誰の目にもみえた。ローズウッド氏はその一家がどうしてここまでの地位につくことが出来たのかは、謎の部分が多かった。彼自身、街のはずれの小さな店をやっていたが、自分で調香したものよりも何時も誰かが調香した作品を数多く置いていた。未だに、彼の調香に対する知識や経験は、疑問に思うところが多いが、気付くといつの間にかローズ女史の秘書のような存在になっていて、広報の立場にたったのもつい数年前のことだった。

 王家は、あまり協会のことには触れずに、協会のほうもあまり王家に対しては適度な距離を保ってきたように思う。それにここ100年以上争いがなった国の王にとって、煩わしいことは、何よりもの忌み嫌うものになったいた。

 「さて、私のような年寄りが何をいっても仕方がないが、今日はとくに若い人の感覚を色々聞いてみたいと思っています。そこで新しい当主といってもまだ本当に駆け出しだが、ベチバー・アモンの意見を聞いたもらいたい。」

 そうガルバナム氏はいうと、ベチバーに催促するように目配せをした。議長のローズウッドは少しだけ気難しいような顔をして、その後にベチバーに発言するようにと言った。

 王の関係者も交え、総勢で100人ほどの人間がそこに集まっていた。全ての人間が、今回のことについて正確に把握しているとはいえなかった。王や王の親族でさえ、少しオカシナ騒ぎが続いているぐらいで、まさかそれほどのことではないと感じていた。

 「結論からいうと、この国を支える香りをつくっていくことは今後難しいということです。僕もまだ調香師としては未熟ですが、新しい香料をこの国以外のところから求めていかなくてはならないということです。香料が変われば、今までの技術も役に立たないかもしれません。」

 ベチバーの初々しくも透き通りような声は、室内に大きく響き渡ったが、そのあと多くの人のざわめく声であふれかえっていた。ローズウッド氏は明らかに不愉快な顔をしたが、彼のいうことも真っ向から否定できるものもなかった。

 「静粛にしてください。ベチバーさん、アモン家の発言はこの国では大きな影響を持ちます。その当主である貴方がそういうことを言うことは、何か特別な決意をなさっているということですね。」

 そうローズウッド氏がいうと、今度は一斉にベチバーのほうを殆どの人が見た。ベチバーは少しだけ緊張したが、今は、つい数ヶ月前の彼ではなかった。彼は、ガルバナム氏からアモン家に伝わるあらゆる調香法をマスターしていた。いくら血筋とはいえ、その上達ぶりには、彼の母も息子ながら何度も驚いていた。

 「僕は、明日から新たな香りを求める旅に出ていきます。どこに行きつくかわかっていません。ずっと遠い先の国かもしれませんし、すぐ近くの森の中にそれがあるかもしれません。けれども、幾つかの香料がないと、もう以前のような心の安定、国の安定は望めないと思っています。」

 続けて、ベチバーは話した。

 「この国の土地は、ずっと太古から良い香りの出る場所だといわれ続けてきました。調香の技術が伝わってからは、国中からのフィールドを利用して、私たちはその恩恵を受けてきましたが、それもそろそろ終わりに近づいているのかもしれません。不埒にも王の土地をめぐって、心無い香りの作り手が群がっているとの噂も聞きますが、結果は同じことだと思います。香料にも頼れない、今までの技術にも頼れないという時代に入ってしまったのではないでしょうか。」

 19歳になったばかりの彼に、そういうことでの迷いは殆どないように思えた。ここまで香りのルーツともいえる一家の当主が発言するからには、よほどの根拠があるのではと思わせる力強ささえ感じさせた。

 ローズウッド氏は、その発言をどうとらえていくべきか戸惑っていた。すると王のほうから次のような言葉が発せられた。

 「これから、1年のうちにその使命をアモン家は達成せよ。それがもっともアモン家の誇りを取り戻す道である。朕は、その協力には国をあげて行うであろう。」

 王の言葉の後には、室内から大きなどよめきと歓声があがった。これでもう何も話し合うことなどなかった。アモン家は大きな使命を課せられてそれを乗り越えるかどうかだけだった。

 ガルバナムは少しは心配していたのか、目頭を熱くさせてベチバーに抱きついた。ベチバーは、これから大いなる旅を覚悟していた。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
 多くの方が見れるようなクオリティに努力してまいります。 
[PR]
by fenice2 | 2010-03-14 21:18 | 香りの小説

第二章 新たな香りを求めてーヘイブン家の失脚

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
f0149554_17403856.jpg


  ヘイブン家は、いまや国中の香料をつくる仕事を一気に担っていたが、あるフィールドから採れた香料については、驚きとともにその扱いに戸惑っていた。抽出担当のゼラニウム氏自身の判断でどうにもならないこともあって、ローズ女史への意見を求めに訪れた。

 彼女の家は、代々海沿いの丘の高い場所にあって、その庭には年中様々な花々が咲き誇っていた。海の匂い、花の香り、緑の匂いとそこに居るだけで、贅沢な香りを体験できる場所で、彼女は暇があると庭に出て香りの構想を練ることが多かった。その日も、ちょうど庭に出ていると思ったのだが、あいにく外には出ていなかった。

 ゼラニウム氏は、何度か門のそばの呼び鈴を鳴らしたあとに、庭へ進んでいった。ローズ女史はその音に気付いてすぐに扉を開いたが、彼を歓待することことなく、そのまま扉が閉じられてしまった。彼は、再度玄関の扉をノックしたが、そこで思わぬことをローズ女史から聞くことになった。

 「少し相談したいことがあって、尋ねてきたのですが、今日はお忙しいかったでしょうか。」

 暫くしてから、彼女の甲高い声が聞こえてきた。何時もはもっと穏やかに話す声も今日はさらに高い声に聞こえていた。

 「私は、もう調香が出来なくなったのよ。貴方は聞いていないのかしら。新しく採れた香料の噂は、またたくまに国中に広がっているのよ。北のフィールドで出来た香料は、猛毒の成分が入っているということになっているけど、貴方はまだ聞いていないの。」

 「猛毒も何も、まだその香料の検査は終わっていません。確かに今日はそのことで相談に来たのですが、表にも出してない以上、たんなる噂に過ぎないです。」

 ゼラニウム氏は懸命にそういったが、ローズ女史はその言葉をさえぎる様にため息をついていった。

 「香りの世界は、まさに人の想像の世界だわ。それだけにそういったイメージや噂がもっとも危険で恐ろしいものだということを貴方も今までの経験でご存知でしょう。お爺さまの代では、フィールドをめぐって何度も争いも起こったわ。今でこそ、調香技術でなんとかなるものだけど、当時は少しでも甘い香りの薔薇をとろうとばら戦争が起こったものです。今、再び香料について、神経質になっていらだつ人が増えてきているのは事実だわ。もう新しい香料を何処かほかの国から持ってくるか、それによって新しい調香技術をつくっていかなくては、だめなのよ。」

 ローズ女史は立て続けに、彼にそう言った。今まであまりに聞いたことがない内容だっただけにゼラニウム氏も困惑するだけになっていた。それにしても、今回の香料はどうするのがよいだろうか、責任者としてはそればかりが心配になってきた。

 彼女に何か続けて言おうとすると同時に、何故か彼は眩暈を感じて倒れてしまっていた。少し間があって、ローズ女史が玄関の扉を開いたときは、彼はそこで青ざめた顔をしてうずくまっている状態だった。明らかに例の香料の副作用みたいなものであったのかもしれない。

 彼女は、急いで執事を呼んで彼を介抱し、医師を連れてくるように指示をした。執事は、彼を大きなソファーに寝かせ急ぎ医師の下へと山羊車を走らせていた。その様子を見送ったあとで、ローズ女史も少し眩暈を感じて、奥の部屋へ入っていった。人の感覚を狂わす何か、特別な匂いや香料が国中で出回っているようであった。

 古来、この国には肥沃な土地はなく、或る一部分の土地をめぐって争いごとが起きてきた。その土地は、花や木々など、そこに生えるもの全てが良い香りを放った。その土地の持ち主は今でもいうまでもなく、王のものだが、アモン家とヘイブン家などが、調香の技術を発達させるとともにその土地に執着する気持ちが人々から薄れていって、やがて多くの人が自分だけの香りをもつようになって、穏やかになっていった。

 王の土地からとれる花々の香料は、微量ながらもう随分もまえから、協会の方には寄贈されていた。しかし、今多くの国民は再びその土地からとれる香料について、こだわり始めた。街では、そのことを煽る調香師も多く出てきて、少しでも多くその土地の香料が入っているものを、王室御用立などの看板を掲げて、何十倍もの値段を吊り上げて販売していた。

 協会には様々な苦情や非難が集中し、そういう中で今回の強い香料が出たフィールドの問題が発覚してきた。ローズ女史には、引責を望む声が多くあがって、ついこの間のデーモンの香りの問題も、アモン家の当主の死についても、殆どの人が関心さえ失っていくようであった。

 「今まで支えてきたものが、今では仇になってきているわ。自然も変わり、人の感覚も大きく変わり始めている。もう私の技術も表には出さないほうがよいかもしれない。今のうちにやるべきことをやっておかないと。」

 そう思うが早いか、彼女は香りの何百枚渡るチャートの殆どを庭で燃やし始めた。最初は、どこかに密かに保管しようとも思ったけれども、またそれをめぐって争いごとが起こることも頭をよぎって、思い切って処分することに決めていた。元々子供のいないのだし、後はもう身綺麗にしてこの世を去ろうとも思っていた。

 執事が、医師を伴って戻っきたときに、もうそこにローズ女史の姿はなかった。ゼラニウム氏は、思ったよりも悪くはなくて、暫くすると自分で起き上がることも出来て、しきりにローズ女史によろしくとだけいって、自分の家に別の山羊車で帰っていった。

 それから、暫くして、王様から緊急会議を開くよう要請があったが、ベチバーやガルバナムなど多くの香りの関係者が呼び出されたが、何故かそこにローズ女史の名前はなかった。
 
精神世界ランキング
 
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
 多くの方が見れるようなクオリティに努力してまいります。 
[PR]
by fenice2 | 2010-03-12 19:15 | 香りの小説