カテゴリ:糸川英夫( 3 )

世界の頭脳労働者 a brainworker

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 糸川英夫という人を、忘れる世代が多くなってきました。僕自身が、先生と接したときはもうかれこれ80を過ぎていた頃ですから、言い方を悪いのですが研究者としても、人としても完全にピークは過ぎていたのですが、それでも過去の色々の話を聞くと、この人は単に頭脳明晰でない何かを持っている人だということがよく分かりました。

 今、いとかわと言われている小惑星は、糸川先生からとったものですし、探査機はやぶさは、戦時中の先生が設計した戦闘機はやぶさからとったものです。先生の遺骨は、種子島の宇宙センターから幾つか探査機に乗せて飛ばしたそうですが、今回の探査機にもほんの少しだけでも入っているのかもしれません。

 今思い出すと、先生はよく人の戦いは頭脳戦争のようなものだということを言いましたが、大きな戦争や争いも実際には小さなテーブルのうえで行われているのに等しいと言っていましたが、チャーチルなどはヒトラーと仮想チェスをやって何度も打ち負かしたといいますから、満更関係ないわけではないのかもしれません。

 今でもそれらしいものは、ゲームなどにもあるかもしれませんが、バーチャルのみで終わってしまいそうで、およそ現実には結びついていかないのかもしれません。

 久しぶりに大学のランキングをみれば、随分前に知ったいたものと、あまりに変動かあったので少しカルチャーショックを受けています。僕の頃は、留学といってももっと自由でラフなものがりましたが、今は多くの人が経験しているので、かなりシステム化されているのではないでしょうか。

 日本が戦争に負けたのは、今の官僚機構に通じたものがあるとも先生は言っていましたが、それ以上に感性やセンシティブなものがなかったとも言っていました。そのときはあまり意味がよくわかっていなかったのですが、先生の名前を今でもNASAの殆どの研究者は知っていますし、アメリカの航空機関係の年配の技術者も、憧れのように覚えているのは、よほど飛びぬけた先見性があったのだと思っています。

 あいにく、僕はあまりよい弟子とは言えませんでしたが、それでもイスラエルの大学の軍事研究所に入れたことは今でも、色々な意味で自分の人生を変える大きな原因になっているような気がします。ユダヤ人の武器のバイヤーにも会いましたが、自分が余りにも知らなかった世界観を持っていることに驚きと諦めみたいなものも感じました。

 その頃、僕は父の会社の100億近い負債を背負わされ、どうすれば会社が再建出来るかを模索していました。イスラエルの留学もそういう中でのことでした。世の中は、バブルでしたが、金融の仕組みみたいなものがなんとなくユダヤ人と接するうちにその終末がはっきり見えてきました。

 経済というもっともらしいものには、実は哲学も理論も人間工学も加わっていません。江戸時代、商人はもっとも身分が低くされていましたがあれは満更悪い制度ではなかったように思います。ヨーロッパの貴族やマリーアントワネットまでも陥れたのは、商人そのものであったように思います。

 先生は、1929年の世界恐慌も経験され、世界経済の仕組みが如何にあやふやで、場渡り的なものであるかもよく話していました。別のデーターを見ますと、その世界のトップランキングされた大学の学生の半数近くは、まだ懲りずに金融関係に従事するとのことでしたが、これが意味するところは明るくないものです。

 戦争で一儲けした資金がだぶついて、その暗黒の資金が再び金融界の中に流れ込んでいって、色々な思惑や欲望が蠢き、今回の金融危機を招いたのだという人もいます。日本でも、最近とくに素人同然の人が為替に手を出したり、中途半端なアイデアの持ち主が、経済セミナーのようなものをつくって、よからぬ儲け話しに手を貸しています。

 B29は、高射砲でも落とせないほど高い空域を飛んでいたのですが、その頃日本の戦闘機はそれほど高い空域には飛ぶことは出来ませんでした。しかし、糸川先生によると、小さなリモコンできる飛行機ならば、その頃の技術でも、届いただろうとのことでした。

 技術、感性、センスがこれからの時代のキーワードのような気がします。僕のいる香水界も再び巨大な資金を投じて、まがまがしい香水をつくろうとしています。香りそのものの良さがわからない若い人などは、そういった商品に容易に乗ってしまうでしょう。

 感性の仕事の人は、今の日本がそういった世界の頭脳労働者から狙われていることによく気付くことです。日本の企業は英語化して、益々海外の優秀なブレーンを集めていきます。日本人の元々の感性は、とても繊細で豊かなものがあります。それらで独自の文化や経済圏をつくっていけば、そういったまがまがしいものから逃れることが出来ると思います。

 感性を身に付けるには、何よりも感覚を磨くことですが、その中でもやはり嗅覚は大事です。坂本竜馬も香りには、こだわりがあって初めてヨーロッパの香水を身に付けた人だとも言われています。

 香りや匂いは、色々な物を運んできます。それを受け止める人があやふやならばせっかくのメッセージも台無しになってしまいます。


 
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by fenice2 | 2010-08-20 16:08 | 糸川英夫

ピンチの時ほど逆転の発想ー糸川先生の教え

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 この写真は、初めて糸川先生とイスラエルに行き、方々の大学の研究施設をおとずれた後でした。(手前が先生で、僕は奥に座っています。)

 考えてみれば、中東には濃い宗教的な背景はとても強く残っていましたが、未だ高度な研究施設が無かったので、そこに何百という近代施設が出来ることは、砂漠の文明については、悪いことばかりではなかったような気もします。

 イスラエルは、確かに問題が多い国ですが、イラクなどをみてもわかるとおり、日本人が考えているほど科学的な考えや知識をもとうとはしないエリアであることも事実です。

 ユダヤ人というはっきりとした人種に、初めて触れたのもこの時でしたが、不思議と違和感なく話せたのをよく覚えています。彼らは方々の国で順応した生活を行い、コミュニケーション能力を鍛えてきたので、日本人には真似の出来ないものが多くあるようです。

 この88年の時期、日本はバブルの真っ最中でしたが、糸川先生はこの後、徹底した経済危機がくると予言していました。僕は、周りの大企業の役員の方や、名士の方をよそに自分の会社をなんとか再建しなければならないと思っていたので、こういう視察や留学も必死でした。

 やがて、株は、3万8千円台になって、経済評論家の中には、10万円近く上がるだろうと予想をする人もいました。結局、僕も会社は最悪な状態であったのに、世の中の背景が良いことで、大手の企業と合併の話までに持ち込みました。会社の再建が終わると共に、バブルもはじけていきました。

 本当の意味で、先生のいう逆転の発想が実現できたとは思っていません。また、先生もこの後はご高齢のために、活躍の場を次第に限られるようになっていまいました。

 先生は、ご年配の方は、戦闘隼を設計したのでご存知の方も多いと思いますが、ご本人から何度も松岡洋右にB29を撃墜できるものをつくって欲しいといわれていたことも聞かされました。

 その後、先生がペンシルロケットをつくったのも、戦時中に手のひらサイズの飛行機をつくっていれば、もしかしたらB29を落すことも出来たかもしれないし、原爆も防ぐことが出来たかもしれないという話をされたこともよく覚えています。日本人は、戦艦大和をつくるよりも、小さな大和魂の飛行機に力をいれるべきだったようです。

 糸川先生が始めて、コンピュータにホロスコープのデーターをいれてプログラムを組んだ方ですが、僕たちもその当時百万近いお金を払ってそれを買わされたものです。今のように占星術が一般化されたのは、やはり先生のそういう功績ではなかったかと思います。

 先生は、宗教や霊という存在を科学者の立場もあって、あまり話題にされることはなかったのですが、魂のことについて色々話されました。その中で、エントロピーの法則に例えて、人が死んでエネルギーがゼロになることはないと言っていました。

 転生輪廻とは言いませんでしたが、そこで消えた魂(エネルギー)も何か他のものに変わっているのだということを教えてもらいました。

 どれだけ、悲しいことや嫌なことがあって、何か大きなものを失ったように思っても、違った形になっただけで、やがて時期がくればそれらは甦ってくるという話をきくと何故だか、大いに関心させられ、元気付けられたものでした。

 (また、その失ったものや表面的にはみえないものの動きをみていくことそのものが、未来をみることになっていたのかもしれません。)

 世の中を大きく変えていくなら、政治や経済の桧舞台にたって振舞う方が余程派手で効果的でしょう。また、同じアーティストのような存在でも、音楽関係のほうが大きな人の渦をつくりだせることが出来ます。

 それに比べて、香りは小さな世界の出来事でとても控えめな存在です。しかし、この小さな存在が、見えなくなったり失っていたものに対して想像できる力は、とても大きなものがあります。

 希望を失った人は、それを見つけに、愛を失った人も香りというイメージの世界では、嗅覚を通じてそれを取り戻すことができます。
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by fenice2 | 2008-05-22 00:33 | 糸川英夫

はじめましてCO-DAIです。

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 exciteで占い師で紹介されているCO-DAIです。自分の仕事について、前々から不思議な分野であると思っていましたが、気が付くとカウンセリングや未来を予測する立場にたっていました。

 20代の時に、初めて大きな壁にあたってそれを越えるために色々苦労をしました。2千人を超える企業の代表だった為に、常に先を先を見なくてはなりませんでした。経験も無く、自分の人脈も皆無の中で、責任だけが重くのしかかってくる生活は、苦痛そのものでした。

 そんな時に、日本のホロスコープの父と言われるロケット工学博士の糸川英夫先生と出会いました。当時、先生は組織工学研究所というものをやっておられ、僕も早速それに入れてもらったのですが、その頃は占いとか占星術などというものよりも、世界の情勢などを詳しく見つめ勉強するというものでした。

 ”世界を見渡せば未来がみえる”が糸川先生の口癖でしたが、その中でも特にイスラエルに注目されていて、何度か先生に同行し大学施設などを中心に回りましたから、自然と半ば留学みたいな形になっていました。

 イスラエルというよりも、エルサレムに着いた時に何故過去ここが多くの権力者がこぞって取り合いになるかを解るような気がしました。イスラム、ユダヤ、キリストの聖地であることもそうですが、多くの人がそこに集まるエネルギーと言いますか、祈りといいますかともかく立っているだけでもピリピリしたほどです。

 多くの祈りが、宗派を超えて存在しているということは、そこにあらゆる人間の心の姿みたいなものがあるような気がしました。枠にとらわれない何か、逆をいうと、殆ど人はそれだけ生活や心までも枠にはめられて生きているのかもしれません。

 長い歴史もあって、そこにいる人に触れ話しているうちに、知らずしらず、彼らは未来を予測し、また毎日の生活そのものが先をみていくものがあるような感じを強くうけました。

 親が神主の系統だったせいもあって、元々信仰深いところはありましたが、イスラエルに行ってからは余計に占星術などに熱心になり、毎日誰かのホロスコープを書いては人事などの役に立てるようにしました。

 それが、僕自身がこういう世界に踏み入れた第一歩でしたが、ようやく会社も落ち着いて大手と合併の話が決まってからは自然と関心が無くなっていったような気がします。しばらくは、ヨーロッパを回るなどして、画商などをしながら過ごしていました。


  CO-DAI HP
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by fenice2 | 2007-10-02 16:15 | 糸川英夫