カテゴリ:アロマ 香り( 95 )

今のオカマ文化と香り

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 香りの仕事をやり始めて少し経ってから、男性なんだけども中身は女性という方によく接するようになりました。海外ではゲイですが、日本ではおかまさんですね。その方たちは普通に仕事をしている方もいましたし、そういう筋の仕事をしていた人もいました。

 NYにいたときは、香水売り場が、ほとんど男性用とか女性とかに分かれていないところがあって、またいかにもそれっぽい人が香りのアドバイザーをやっていました。僕は、それらの人たちからはどうも同類に見られるようで、今でも迷惑をしますが、感性の仕事に関係している以上どこかつながっているところがあるのではと思ったりしています。

 ゲイという人たちが、積極的に香水や香りを取り入れて自分をアピールするのと対照的に、日本でのオカマさんという人たちは、むしろ普通の人よりも香りを避けたがる人が多かったようです。実際に、弟子の中にもいるのですが、香りの組み合わせやセンスはいいですが、嗅覚がよくない人たちが多かったです。

 どちらも、男性でありながら男性に性的な興味があって、また普通に男女の恋人のように付き合ったりするのですが、ゲイが強く性的なアピールをするのに対して、オカマさんたちはあまり自分のことを出したりしません。

 そういう部分だけを見ると、今はほとんどいなくなった大和撫子を見るようでもあり、男性の中に隠された女性の神秘みたいなものを見るときもあり、なるほど多くの女性から好かれるのもわかります。女性があまりにも表現豊かになって、そういった奥ゆかしさを失っていったとともに、オカマさんはその古来の女性tらしさを引き継いでいったともいえるかもしれません。

 奥深い女性らしさをもっている人は、最近香りをつくってみたいなあと思っていますが、TVで活躍しているような人たちは、あまりその中身に古風な女性らしさを感じません。彼らは、中性であって、中身が女性とはいえないのかもしれません。

 香りや花でたとえると、やはり木陰に咲く小さな雛菊のようなイメージでしょうか。直接その香りを聞くとかなり苦いイメージがあるのですが、小春日和になって、ふとどこからともなく漂ってきた甘い香りが、その雛菊の香りだったりします。香りは、時間や天候、周りの環境などによってその感じかたは様々に変化していきます。

 淫靡で奥ゆかしい女性らしさをもっている、オカマさんなら香りをつくる意欲が出てきますね。
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by fenice2 | 2011-03-07 16:19 | アロマ 香り

手でつくる香りの仕事、技、作品ー心通う香りとは

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 最近、FACEBOOKにばかり投稿していますので、色々お読みになりたいかたは、Daisuke Tujiで検索してみてください。写真と同じ人物像が出てきます。

 それにしても、仕事の合間に時々、自分の手を見るようになりました。男にしては綺麗な手だと思いますが、それほど手入れもしていないので、所々に傷や赤みなどもあります。どこかの寿司職人のような美しい手とは言えません。

 しかし、この手で10年以上香りをつくって、様々なドラマをつくってきました。少し難しそうな顔をする人も居ましたし、感動して何度も握手をする人もいました。最近はどちらかというと、香りをつくると僕から離れられなくなる人もいます。

 僕は、自分の手をみて本当によくやってくれているなと思うこともしばしばです。嗅覚は、鼻にあるのですが、最終的な香りの判断は僕はこの手に委ねます。

 イタリアに居るとき、駄目な職人がいると必ず悪魔の手がついているなどと言っていましたが、僕もこの仕事を続けていて、なるほど手は口ほどにモノをいうとはよく言ったものだと関心することもしばしばあります。

 僕は、自分の手が好きですし、本当に自分の手ながら感謝しています。どれだけ調香で困ったことがあってもこの手は、全く迷いも無く答えを出してくれることも多いです。ピペットを持ったときにそれは何か吸い寄せられるように、手早く動いていきます。頭でわかっている以上に手は、次々と香料ビンを選び出し、分量をきめていきます。

 僕は、香りをつくるのがうまいのではないと思っています。

 そうではなくて、香りをつかむのが上手いのではと思っています。それもこの手がまだ見ぬ香りをつかんでくれています。つくることは、何時も試行錯誤で完成品が出来たなどと思ったことはほとんどありません。

 僕は、そういうことから人と会うときはよく手を見ます。そしてそこから感じるものを大切にします。仕事も、愛情も人間関係も実はこの手から生み出されているんではないでしょうか。職人でないから手は関係ないと思っている人は、ちょっと認識不足です。

 日々の生活の中で、手を使わずに暮らしてくると、まるで何かベルトコンベアーに乗っているように不安になってくるはずです。不器用さから、手作業を避ける人もいますが、幾ら他人がつくった美しいものに触れても、幸福感は長続きはしないです。

 僕は、手から香りをつくり夢を作り出しているのかもしれません。しかし、本当の夢はやはり自分の手で日々作り出さないと夢が幻想になっていますのも仕方がないです。

 僕の手は、自分の心を伝えるようになっています。それだけに心が何時も問題にされます。ですから、心が大切にされます。手から生まれるものが、心につながっていくのではないでしょうか。

 心だけで、手を添えることを忘れている人がいませんか。
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by fenice2 | 2011-02-22 19:14 | アロマ 香り

北野天満宮の白梅の香りー香りが示す力

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 先日、北野天満宮に一番梅の香りを聞きにいきました。梅は一番最初に咲くものがもっとも香りが濃く、平安時代ではその香りの良し悪しによってその一年の動きを占っていたようです。今の時代でそういった古式ゆかしい行事がされることもないのですが、僕自身は香りの世界に住む人間として毎年行っています。

 この北野さんを訪れるまえに必ず寄るのは、白峰神宮ですが、どちらも人間への戒めを促す神様であることには間違いないのですが、特に僕は四国の坂出に流された白峰新宮の崇徳天皇に興味を持っていて、日本の社会が歪みをきたした時には、何故か大きな影響を与えるのではないかと勝手なながら予感してい、ます。

 白峰神宮は、鞠蹴りの行事が行われることから、いつしかサッカーなどスポーツのお守りとして有名になっているようですが、きしくも日本のサッカーが今力をつけている姿を見るとまんざらつながっていないのでもないだろうと感じたりします。

 やはり今年も足元から、色々騒がれることが多いので、さぞかし梅の香りも少し落ち着きのない香りが残っているのではないかと想像していきましたが、そうではなかったようです。季節の花の香りを聞きに行く場合、冬の花などは、なるべく日が落ちてからのほうが良いようです。椿などは、真夜中にもっとも甘い香りを漂わせてきます。

 夕方ごろを目処に境内に入りましたが、最初から甘く穏やかな香りに包まれていました。特に白梅の香りがとても心地よく心に入ってきました。少し黄色の老梅も良い香りがしましたが、なんといっても白梅の香りには素晴らしいものがありました。

 こうやって、京都を中心に日本中で良い香りのする場所を今年は、香りで再現していこうと思っていますが、とりあえず、その白梅の香りを再現しようと思っています。それが、おおげさではありますが、「地球の欝を香りで消すプロジェクト」のつなげていければと思っています。

 良い香りを聞くと、自然に心より感謝の気持ちが沸いてきます。こういった背景で我々はやはり生かされているのだということを実感しました。そういう意味では、そういった心から香りに聞き入ることが出来る場所が奪われ、失われているような気がします。

 スピブームとかいって、自分のパワーなどを拾いにいくという行為にどれだけの価値があるのでしょうか?神々しい場所には、必ず一言ではいえない深く貴重な芳香があります。我々は、それは一息すっと吸って感じるだけで汚れた記憶や思いでさせも浄化してくれるようです。

 感覚を研ぎ澄まし、なおかつ神々しい香りに触れることで次の時代の新しいステップが見つかってくるはずだと思います。良い香りと、それを感じる良い感覚がそろえば、強い想像力が生まれてくるはずです。それが日本人が古来から持っていた、エネルギーだと思っています。


 

 
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by fenice2 | 2011-02-11 19:45 | アロマ 香り

新作「玉藻(たまも)」の販売について

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 今年も始まりましたが、なんとも不安定な日々が始まったように思います。仕事としても、これほど不安定な出だしで、始まる年はあまり記憶をしていないです。今日も、京都から名古屋に向かいましたが、雪でどの高速道路も閉鎖されていて、たまたま僕が帰った時間は開通していましたが、着いても道路が凍結していてひやひやしました。

 暮れは逆に、京都に雪が降って道路が閉鎖されたので、こちらから行く術がなくなりましたが、まるでこの辺りで日本を分断する動きが出ているような気もしています。僕の周囲でも体調を壊す人も多く、なかなか香りをつくる環境には、世の中が向いてくれないような感じさえします。

 年が明けてから、何故か世の中全体が再び強いイメージを持ち始めようとしているような印象を受けます。その強いイメージを持ちすぎるために、現実そのものの動きが止まってしまったかのような感じがします。長年続けてきた、大きなカルマみたいなものからたくさんの人が抜け出ようとしているのかもしれません。

 しかし、あまりにもイメージが強すぎると足元をすくわれるといいましょうか、大きく生活のリズムのようなものを壊してしまうことにもなりかねません。初詣に行っても、多くの人が願を掛けているようですが、自分の夢を何か一気に遂げなくては気がすまないと思っている人が多いような気もします。

 僕自身そういうことで、久しぶりに気持ちがあがったり、下がったりしていましたが、そういうときにもふとこの玉藻の香りを聞くとなんとも落ち着いた感じになりました。

 玉藻は、少し強い感じもしますが、その強さが次第に心の奥に入っていく感じがわかると思います。この季節はお香もよいものは落ち着きますが、僕はこの香りも同じような印象を与えてくれるような気がします。

 今年は、新しい時代を迎えるにあたって、改めるべきところを改める年ではないかと思っています。長年、誤魔化してきたり、いい加減にしてきたことが、意図も簡単に消え去ってしまう反面、長くじっと耐えてきた人が、大きな大輪を咲かすような年になっていくのだと思います。

 白檀、松、天然スミレ、ベチバー、ネロリなどが中心に入っています。製品のところでご案内しますが、13ccで7800円でお分け致します。こちらからよろしくご検討ください。

  また、お取り扱いご希望の企業関係の方は同様のメールでお願いします。最近、香りについて新しいジャンルの仕事を考えている方からのご相談も承っております。

 



 
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by fenice2 | 2011-01-17 01:34 | アロマ 香り

今年一年の香りー命名 玉藻(たまも)



 去年もお蔭様で、のべ人数で約400人ほどの方の香りを作らさせて頂きました。今まではその半分も満たなかったので、やはり去年はイベントなども増えたせいでより多くの方に調香の良さを知って頂いたんだな思い、感謝しております。

 多くの方の香りの好みは、様々ですがそこからどういうものを好んでおられて、どういうものを避けているのかがよくわかります。そこからなんとなくですが、今後の世の中の流れみたいなものを予想できそうな気がして、今年も椿大社に遅い初詣をすましてから、作品に取り掛かりました。

 前回も書いたとおり、ローズが生かされなかったことが多かったせいか、稀なことですが、ローズのベースですら入れることはありませんでした。自分ではもっと穏やかな香りが出来ると思っていたのですが、調香してみると意外なほど少し鋭い感じがする香りになっていました。

 西洋マツやネロリが、とても深く絡み合っているような感じがして、なんともその尖ったトップが、世の中の人の心の中に突き刺さっていきそうでした。今回は、作る前から不穏な気持ちが少しありましたが、この香りをつくって聞いていくうちにとても穏やかな気持ちになりました。

 香りを聞いて、万葉集などに何度か出てくる玉藻(たまも)というイメージが浮かびました。玉藻は水コケが丸まったものらしいのですが、はっきりしたことはわからず、なんとも不思議な様子を自然が表しときにその言葉が使われたようです。

 また玉藻前(たまものまえ)という名前の平安末期の絶世の美女が居たそうですが、その正体は九尾の狐らしくて、一時期国中を騒がしたことがあったそうですが、玉藻という言葉には、なんとも意味深のものもあるのかもしれません。

 松が多く含まれる香りは、どちらかというともう少し落ち着きがあるのですが、何度も浮いたり沈んだりしながら、心をゆるがせていくようで確かになんとも不可思議な気持ちにさせますが、それも次第に落ち着いてくると、ゆったりした気持ちを起こさせるようです。

 いろいろ揺らぎながら、不安的な動きをみせながら、やがては落ち着いていく、しかしそこには幻想やミステリアスな雰囲気も時には漂いますが、どうやらそのまま時の流れに任せたほうが良いという香りのメッセージもあるような気がします。

 今年は、もしかしたらおさまるものがおさまる年なのかもしれません。幸福になる人も残念ながら不幸に陥ってしまう人も、その長いそれまでの時間の中で決められたことが粛々と変化していくだけなのでしょう。

 玉藻はそういった世の中の揺らぎを緩和させ落ち着いた心に導いてくれると思います。香りをご希望される方は、メールにしてお知らせ頂けたら思います。

 
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by fenice2 | 2011-01-06 15:39 | アロマ 香り

女性らしい香りとはー或る女性らしさの崩壊の年

 
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 今年は、香りを通じて振り返ると、妙なタイトルですがまさにそういうことを感じさせる一年だったように思います。何でも強さみたいなものが前に出るようになって、自然と繊細さやしなやかさみたいなものが失われた年ではなかったかと感じます。

 性という部分を根本的に考えてみると、僕は基本的に女性があって、それから男性というものがあるのだと思っています。社会というか、生物学的にはオスとメスと区別はありますが、人間の性の部分については、男性という部分は基本的に女性とものの中の一部分過ぎないのではないかと考えたりします。

 香りについても、男性用と女性用と便宜的に分かれてきましたが、実質的には女性が男性の香料を使うことはあっても、男性が女性の香水を使うということは滅多にないように思います。香りの世界だけでみても、そういった性の区別はいまやほとんど意味を失っていますが、それは社会全体にとっても実はそうなりつつあるのかもしれません。

 長年の男性が作った独特の社会の仕組みが壊れつつある中で、女性にとって生きやすい世の中の構造になりつつありますが、その過程で皮肉にも女性らしさとか、しなやかさみたいなものが消えつつあるのではないかと感じることが多く危惧しています。

 男性らしさとか、男性が生きていく方向性みたいなものは、実はその広く伸びやかな女性らしさがあって芽生えてくることではないかと思っています。これは、香りをつくっていても同じようなことが言えます。女性らいしさや母性愛を感じさせる香料といえば、やはりローズですが、このローズを種類はとても多いので、一言では言えない奥深さがありますが、何度も生かすことが出来ない組み合わせに遭遇して、今年はずいぶん困った思いをしました。

 男性にうまく使われる女性、もしくは社会そのものに利用されがちな女性、意味合いは少し違いますがそういった内面を感じさせる調香に何でも出会ってしまううちに、なんともローズが悲しく思えることも多かったように思います。

 女性が出産もして社会進出することは、およそ男性には経験出来ない範囲でありますから、実際には多くのことを感じ、創造できる力を持っているように思います。しかし、社会や家庭の両方で、そういった広い感性や想像力みたいなものを維持していくことが出来る人はごくわずかな人しかしないのかもしれませんが、そのごくわずかな人も、何も目立ったことはしていなくとも本当の意味で女性らしさや繊細さを持っている人にはかなわないのではないかと思います。

 この香りの仕事も、より女性らしい香りをつくることのほうが難しく、香料も多く使うので複雑でより繊細な技術が必要になると思います。フランスの調香師がわざわざ東洋の女性をイメージして香水を作ったのも、こういった理由があるのではないでしょうか。見た目がどれだけ華やかに見えようとも、奥深い創造性を持たない相手に対しては何も奮い立つところがなかったのかもしれません。

 そういう意味では、世の中がツマラなくなったのも、単に男性が弱くなったとか、女性が強くなったとかそういった単純な問題ではないような気がしています。女性らしさとか、しなやかさみたいなものがなくなると、男性は、自分のより所がなくなって無気力になってくるでしょうし、生きがいのようなものも失ってくると思います。

 女性の方の香りをつくっていると、本当の自分の女性らしさに気づいたような香りをつくると随分良い評価をしていただくことも多いです。しかし、様々なストレスで、その女性らしさがあまり貴重なものでないと思い込んでいる方の香りをつくることは、なかなか難しいものがあり、案の定心に深い傷や悩みを抱えている方も多いと思います。

 世の中という大きなものでなくとも、小さな家庭が平穏なものになるのも母親を中心とする女性らしさが大切ではないかと、つくづく思えてなりません。こだわりやプライドも時には必要でしょうが、それによってもっとも大切なものが失われてしまえば、何も残らない生き方をしてしまうような気がしています。

 漠然と書きましたが、来年はもっとこういった女性らしさをテーマにお一人、一人の香りづくりを心がけていくべきではないかと思っています。癒しや、心地よさも大切ですが、女性本来の潜在的なものをもっと引き出してあげるべきなのかもしれません。
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by fenice2 | 2010-12-31 01:57 | アロマ 香り

滋賀県のとても魅力あるブティックのオーナーさんとお仕事させて頂きました

 昨日まで久しぶりに東京で勉強会をしていましたが、その前にあまりにも個性的なブティックのオーナーとお仕事をしていましたので、なんとも目まぐるしい日々でした。やはり地方でお仕事をされている方は、とても魅力ある人も多く、今回そこで香りを作らさせて頂いたのは、有意義な仕事でした。

 何よりもここのオーナーが、お客さんとの信頼関係が強く、僕のように人の心の深い部分に好むと好まざるとにかかわらず入っていかなくてはならない仕事は、そういった環境下ではとても大きな効果を生むことになると思います。

 そもそも僕が、この仕事をやろうと思ったきっかけは、人は人間関係が疎遠になることで生きる気力を失ったり、絶望にいたることも多く、特に核家族の今のような社会は、一端身内との関係がこじれると知らないうちに社会からもはじかれてしまうことも多いと思います。

 カウンセリングや占いみたいな分野でも、僕は一時期仕事をやりましたが、人の悩みや苦しみを元に生計を立てていくことは、やはりあざとくなっていくことも多く、どうかすると人の不幸の上で自分の生活が成り立っていくことが当たり前のような感覚になっていくこがとても不快に思っていました。

 人に何かアドバイスをしたり助言をすることは、なるべく直接儲けなどとはつながっていないほうが良いはずで、昔から近所の年寄の、ふとした言葉が知らないうちに大きな助けになっていることも多いかと思います。

 京都に住むようになって、昔ながらのそういった近所の仕組みが残っているところもあって、それがすべて良いとは思いませんが、少なくとも大きく心がマイナスのほうに傾いている人などには、犯罪や自殺を起こさせない大きな予防になっているような気もします。

 オーナーの香りは、卑弥呼と名付けましたが、確かにそのオーナーが何気なく言っていることもまるで霊言のように聞こえることもあって、お客さんは何か引き込まれるような気持ちになっていくのかもしれません。

 僕自身が、香りをつくるときに生まれてくるイメージやストーリーみたいなものには、確かに何かその方にとっても大切なこともありますが、それも今回改めて認識しましたが、深い信頼関係があってこそだと思っています。

 経済をよくするのも、単に売り上げを上げるといった狭い分野にも、こういった人の信頼関係がベースになければ、何もかも空しく壊れてしまうのではないのでしょうか。僕自身も、おそらく普通の家よりも深い愛情に囲まれた家庭に育ちましたが、そういう背景から人の付き合いも決まってくるなと感じさせることも多くありました。

 未だにどこかお人好しのところを自分によく感じます。

 どんな時代になっても強い気持ちさえあれば、人と人はもっと深い気持ちになれてくるのかもしれません。これからの仕事のキーワードは、やはり人対人の気持ちにあるような気がします。それを失ってくるものはどれだけよさそうに見えても仕事、組織、家族でもいずれも崩壊してくるはずです。

 どれだけ良い香料をそろえても、そこに間違いがあれば何もならないのだと思います。モノはよくて当たり前、技術も伴わなくてはなりませんが、そこに深い人の関係がなければ、何も残らないのではないでしょうか。今回の仕事でそのことがしみじみ分かりました。

 

 
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by fenice2 | 2010-12-22 14:33 | アロマ 香り

心を動かされる香りを目指して

 人を好きになることも、香りを好きになることも、かなり似ているところがあるような気がしています。男性の方の香りをつくろうとするとよく、女性にもてる香りをつくってほしいといわれますが、実際にモテル香りをつくったことはありませんが、香りにそういった期待をしているのは解るような気もします。

 香りは、人の感情を動かすものがあると思いますが、それも一つの香りで誰でも同じ感情や気分にさせるのは、とても不確かな世界で、たとえばローズの香りを聞くことによって誰でも心が落ち着くというわけではないです。

 しかし、最近調香を通じて気づいてきたのですが、千差万別に感じる香りでも、ある法則に乗っ取ってつくっていけば、それほど悪い気分にはさせないのではないかということなのですが、これはその人が気に入った香料のみで香りをつくっても、本人以外の人も案外気に入ってくれる現象に少し似ています。

 その理由はよくわかりませんが、視覚にも色々な錯覚みたいなものがあって、落ち着いた気分とそうでない時にみた一枚の絵でも印象は大きく変わることがあります。そうやって考えると、日本の古来の香道などには、自分から香りに向かって精神を統一し判別していくことには、なるほど深い意味があるのでは最近よく思うようになってきました。

 自分の感情を解放させることは悪いことではないですが、酒に酔って前後不覚になる人などを見ると満更良いものではないなと思ったりします。以前も書きましたが、あまり多感で過ごす事は何も残さない生活を送ってしまうのではないかとも思います。

 人は、確かに根本的なところで好きな香りと嫌いというものはありますが、それも本来はそれほど千差万別ではないのではないのではと思います。海や山、自然の中に様々な匂いや香りの中にそれほどの好き嫌いがあるのか疑問です。

 香りの歴史だけみても本当に良い香りというのは、それほど数があるわけではないですし、小さな地域で喜ばれるものはありますが、それはあくまでその地域に住んでいるときに限ってそう感じるものも少なくないです。

 自分の好きな香りを求めていくのが良いのか、それとも本当に良い香りを理解するほうがよいのか、その答えは簡単なものではないのですが、少なくともその両方の動きがなければ、心が動くことはないのではと思っています。

 そういう意味では、僕の調香の仕事は香りを選んだり、そのやり取りをしているときにもっとも価値があるのではと考えています。勿論調香技術云々もありますが、その香りとのやり取りの中にこそ心と香りの接点が多くあるようです。そのあたりが、市販の香水のように決められたイメージにのみに沿ってつくるものとは違うのだと思います。

 それは与えられた人生と、自分で創造する人生の違いとも言えるかもしれません。人の関係も今は結果のみで動いている人は多いと思います。完璧に出来上がっている人を求めている人や、整形に走る人が多いのもそのせいだと感じます。

 香りも、自分の好き嫌いも良いのすが、まず良い香りが何であるのか理解していくほうが、自分にとってもよりよい香りが創造できてくるような気がします。良い香りに深い理解が出来れば、実際の自然にも、もっと深い感情が持てるような気もします。

 今の時代は、人の関係でもなかなか好きになることが出来ないのはそういった理由もあるようです。香りの世界はとくに出来上がったものに囲まれていることは、良いことは何もないような気がします。
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by fenice2 | 2010-12-17 21:37 | アロマ 香り

烏丸四条のナリス化粧品さんでイベントさせて頂きました

 東京では、ポーラさんで調香の仕事を以前、やらして頂きましたが、今回は四条烏丸店のナリスビューティースタジオでの仕事をお受けしました。

 10数人ほどの方の香りを作りましたが、前回の調香のイベントよりもゆっくり出来たのでありがたく思っています。ナリスさんは、化粧品が無香料だそうなので、お客さんも香りに対してとても敏感な方が多かったように思います。

 毎回、香りをつくるたびに思いますが、何時もどれだけのものが出来ただろうと見返ることもしばしばです。仕事としてのレベルもそうですが、自分の基準がもっと高いところにないと、沢山の人をおつくりするときにどうしても妥協する部分も出てきます。

 香りで表現する世界は、大抵が現実の世界ではなく、夢の世界です。何処から始まって、何処から終わるのかわかってるようで、わかっていないところがあります。無限の世界を有限な世界にあてはめていくのは、最初の接点が間違うと表現したいことの半分も実現できないことになります。

 場所が変わり、周りの環境によって香りはどうしても色々な制約を受けます。最近、僕は時々つくるのに慣れているのではないかと感じることがあります。慣れは悪いことばかりではないですが、馴れ合いは何も良いものを生み出さないです。

 そろそろ、また香料も新しいものも入れて、新しい技術をつくっていかなくてはならないのではと感じています。勉強会でも、だいぶ香りが出来るひとたちもいるのでまた新たな課題を出していかなくてはならないのではないでしょうか。

 巧くつくることは、仕事としては仕方がないのですが、楽しさや喜びが伝わらなくなると香りがきっと飽きのくるものになってしまうような気もします。

 香りは、気持ちや感情、心みたいなものにそっと寄り添うものでよいのではと思っています。つくる人間がどれだけ見えないものに心を尽くせるかにかかっています。

 僕にも、まだまだ課題はありますし、登るべき山もあるのでしょう。しばらくまた今のベースなどについても見直してみます。
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by fenice2 | 2010-12-09 20:06 | アロマ 香り

香りの小さな世界ー夢と香り

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 アロマの使い方が普及したのは良いのですが、香りの世界がどうも大雑把なものにされていまったような気もしています。自然の香りの中には、幾ら天然でもそれが一つだけしかないという場所はそれほど多くはないように感じます。

 仮にラベンダー畑があったとしても、やはり土の匂いはありますし、遠くからは森の木々の香りが漂ってきているかもしれません。ただ、ストレスの多い人や自然とは離れた環境に人はいると、そういった本来の自然のバランスの香りの背景みたいなものから遠ざかってしまいます。

 バラには、確かに心地よくさせる香りの力があるのかもしれませんが、それもバラ園のようなところで聞いた香りと、花やの軒先で聞いた香りは、同じようでもかなり違います。香水の構造にはトップからラストまでの分類がありますが、それさえも僕は時々面倒に感じることもあります。

 残念ながら、日本の香道はいまや形だけのものになっていますが、本来人間が深い香りを見分けるという精神的な鍛錬があるのですが、今は癒しという言葉の前に役割を果たせなくなっているのではないでしょうか。

 香りは、本来は小さな世界を作り上げるものです。誰でも感動させる香りをつくったり、大きなホールで同じ香りを芳香させることは、合っているようで間違った香りの用い方なのでしょう。最近ホテルなどで、少し強めのアロマが漂っているとちょっと憂鬱な気持ちになります。

 ふと感じる懐かしい風景の場所でも、ほんのわずかに風向きが変わるだけで様々な匂いが飛び込んできます。そこで感じる心地よい香りは、風景は広大でも香りの世界はとても繊細で小さな世界に他ありません。

 自分だけが、感動できる場所は実際にはそれほど大きな場所ではないような気がします。それは本当は嗅覚だけの問題ではないようです。多くの人が喜んで共感できる場所もよいですが、本当の意味で自分が満足できる場所は自分にしかわかりません。

 香りを作り上げるときもいつも小さな世界を認識していただくことから始まります。しかし、大抵の人は大きな世界で嗅覚を感じることに慣れています。自分が本当に望む香りよりも、誰かが良いとされるようなものを選びたがります。

 動物は逆に香りではないですが、自分の匂いについてはそれを大切にします。人は自分の匂いはなるべく消そうとします。それは良いとしても、自分が本当に望む香りを求めていかないと空しく感じるのではないでしょうか。

 香りを持つことは、夢を持つことと同じではないかと思うことがあります。夢を与えるといっても香りが無ければ、なんのことかわかりません。

 夢は、香りから感じるものです。視覚から抱くものは幻想が多いです。都会にはそういった夢しかないような気がします。香りにしか夢につながるのはないといったら言いすぎでしょうか。

 
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by fenice2 | 2010-11-25 18:56 | アロマ 香り