カテゴリ:アロマ 香り( 95 )

詩仙堂の香りー動乱した世の中に出来ること

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 昨日の夕方から、異様な大地が燃える映像が流れましたが、それがすぐに戦争だと分かるには時間はかかりませんでした。嗅覚の人間の僕は、ここからとても異様な匂いが立ち込めていることがよく分かりました。単なる山火事とは違い、戦争がもたらした大地の響きは、人の心を歪めてしまう何か強い力を持っています。

 NYのテロのあと、もう数ヶ月してから崩壊跡地を訪ねましたが、そこの漂うなんとも異様な匂いにめまいがしそうだったのをよく覚えています。実際に、匂いは殆どないはずなのに何故かいたたまれなくなるほどでした。

 僕自身、調香をやっていて未だによくわからないところがありますが、混ぜ合わせていくうちに何が不思議な恍惚感にあたるときもありますし、逆に弟子の指導をしていて、とんでもない不快感をもつこともあります。同じ香料をつかって、似たような分量でつくっても良いものが出来るときと、そうでないものが出来ることがあります。

 レシピとかチャートとか、組み合わせについては色々いわれていますが、そういう数字にはっきり出来る部分とそうでない部分が人の気持ちや心から、揺らぎのようなものが出ていてそれがモノをつくることに深く関係しているのかもしれません。

 生活の中では、そういった揺らぎを感じるものが少なくなって、機械がつくる食べ物や衣服に触れていくうちに大事な感覚を失っていくような気もします。慌てて、なんとかスピリチャルみたいなところにいって、鍛えようとしても難しいのではと思います。

 そういった、揺らぎみたいなものを感じられなくなると人は、繊細な喜びや楽しさが分からなくなりますから、何か大きな衝撃や出来事に好奇心をもっていくことになると思います。
 
 今の時代は、危ない面もありますが、日本人はとくにそういった揺らぎに敏感になっている民族だと思います。大きな負の誘惑があっても、そういった揺らぎに敏感であれば、もっと繊細で豊かな文化を生み出していくように思います。

 益々、世の中には香りが必要です。無臭だけの生活では何も生み出さないです。愛し合い、慈しむ、それらの世界に香りは欠かせないです。

 

 
 
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by fenice2 | 2010-11-24 13:43 | アロマ 香り

色と香りー紅葉に潜む香り

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 大文字あたりの山もやっと色づき始めました。先日、紅葉した木々の前でずっとたたずんでいたのですが、もみじに香りはあるのだろうかと思っていました。昔の人は紅葉狩りと言ったそうですが、本当に木々を採ってきたそうですが、狩るという以上は、花や木の実を摘んでくる感覚とはずいぶん違うような気がします。

 僕は嗅覚は人よりも普段から鍛えているので、普通の人ではなかなか気づかない匂いでもわかると思っていますが、それでも淡く、薄いものはそれなりにしか届いてきません。そういう意味では、紅葉の香りというのも、本当に微かなものだと思うのですが、心理的にはかなり高揚させるものがあるような気がします。

 自然の中では、色と香りは必ず何らかの関連があるように思いますが、残念ながらそれは都会に住んでいるとあまりにも色に惑わされているせいか、そのつながりについては断絶されたものになっています。これから実をつける南天などの赤い実も、何か強い芳香をしているような気もします。

 僕は、カラーの勉強されている方に今まで色々お会いしましたが、結局そのあたりを勘違いされているままに仕事をされている方が多いように思います。視覚だけで、人の心理的な動きを説明するのには無理があります。

 人だけでなく、生き物はまず五感の中では嗅覚から情報の伝達が始まります。そして聴覚から触覚に移り、視覚は最後だと言われています。勿論、鷹など視覚が特化している動物もいますが、それでも風の流れによって嗅覚をフルに使っているようです。

 現代社会は、匂いや香りなどをいちいち感じなくても生活をしていく術を身につけてしまっています。しかし、恋愛や初々しい経験などについてはそういった匂いや香りをとても大切にします。やはり、なかなか婚活でもうまくいかない人は、嗅覚が劣っているか、逆に鋭い人が多いように思います。

 また強い香りが、人の心に大きく影響させるとは限りません。あまり気づかない微かなものでも結果として気持ちを極端に落ち込ませるものや、逆に高揚させてくるものもあります。色はその香りのヒントになるものがありますが、それ以上の役割があるようには思いません。

 最近の3Dではないですが、視覚のみで伝達させていくことは、とても歪んだものを心や感情に残していくのではと思っています。美しい女性も、良い香りがあってこそ、その存在がリアルに感じてきます。絵的につくられた美しさは、情報不足によって与える人に誤解や妄想を与えかねません。

 造花は、僕のような香りの仕事の人間はもっとも憎むべき存在ですが、お互いの香りを殺しあっているような花屋さんの見た目だけ綺麗なブーケも好きにはなれません。

 人の五感は、元々自然を的確に捉えるようにできているような気がします。しかし、一度歪まされた感覚は、自然の中に入ってもそれがうまく機能せずに、心地よいものでさえも心地よく感じなくなってしまっているのかもしれません。

 感覚が歪むと、本来あるべきものが間違って伝わってしまうので、それがストレスや場合によっては精神的な病みにつながっていくのではないでしょうか。僕自身は、現代人は嗅覚を中心に視覚や触覚、聴覚などが機微な連携をとっていく生活に戻していくべきだと思っています。

 いくらビジネス的にまくいきそうになっても、カラーなどで心理操作するような活動を行えば、結果として病んだ人を増やしていくのでは感じています。

 心が明るく前向きになるには、感覚を整えていくことが、急務だと思っています。感受性の強い人は結果として、嗅覚が発達した人が多いです。感性も、優れた感覚があってこそです。

 今日あたり紅葉した紅葉の香りをつくってみたいと思っています。ネロリなども使うと良いかもしれません。
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by fenice2 | 2010-11-18 12:33 | アロマ 香り

京都グランビアホテルで㈱アリカさんの宝石ショーに参加しました

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 先日は、宝石のショーに参加させて頂きましたが、一度に沢山の方の香りを作るということもたまには良いかもしれません。しかし、作り出すともっと簡単につくろうと思っていたのに、だんだんと手が抜けなくなり、結局いつもとあまり変わらないぐらいの香料を使うことになりました。

 作っていて、いろいろ感じたのですがやはり皆さん、日ごろから親しんでいる香りがほとんどないということがよくわかりました。確かにアロマをつかっていらっしゃる方は多いのですが、どちらかというとあまり好きではないのに使っているという方も多かったように思います。

 調香という仕事は本来、地味なものだと思うのですが、その地味な作業にお客さんが参加して頂くと、それなりに喜んでいただいたような印象を持ちました。占いなども、見えない世界の道しるべにはなるかもしれませんが、それほど深みはあるものではないと思います。

 調香には、人の好みを知っていく不思議な綾みたいなものがあるような気がしています。人の好き嫌いというのは、単純なようで実際にはいろいろなところとつながっています。その中でも記憶や思い出は特に深いものなのかもしれません。

 以前にも書きましたが、記憶には感情が結びついていて、その感情に五感が関係しているのだと思います。今回は、特に年配の方を中心に香りをつくりましたが、年をとるほどに記憶が薄れていくというのは、どうかなと思うようなことがいろいろありました。

 忘れるふりが上手くなるのと、本当に忘れてしまうのは似ているようでまったく違うものではないかと感じました。年齢を重ねても、香りを通じてよくわかりましたが感情や感動は、劣っているわけではなく、むしろ普段抑えているぶん、強い感情を持っている方も多く見られました。

 人はそういう意味では、死ぬまで何かに感動したり、感じていたい生き物なのかもしれません。その力を抑えることは、=生きている意味さえも失ってしまうことになるような気がします。

 今回、多くの方の香りをつくってみてやはり何歳になっても、感じる力は大切だということがよくわかりました。まだまだ、僕自身やらなくてはいけないことが沢山ありそうです。



 
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by fenice2 | 2010-11-16 17:38 | アロマ 香り

古代人の感覚、感情ー鈴鹿の山々にて

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 御在所は、登山としてはあまりきつい方ではないですが、頂上まで2時間ほどかけてゆっくり登っていきました。鈴鹿は、奇形な石が多く、古代人の山岳信仰が行われていたことの説を支持する人も多いのですが、僕も登るたびに不思議な気持ちになることが多いです。

 今回、この写真には写っていないのですが、とても奇妙な山があり、友人に聞くとその山は最近まではっきりとした名称がわからなかったそうで、昭和になってからハライドという名前で呼ばれていたことがわかったそうですが、千年近くまえに建てられた寺が、何故か信長の時代に消えていたりと、調べれば、調べるほどミステリアスなことも多く出てきました。

 霊山の言われる山は、日本にもいくつもありますが、その中には未だに入山を極端に制限するものや女人禁制の山も多くあります。三輪山の入山に対して、激しく反対を唱える神道の関係者もいるようですが、最近の安易なパワースポットの流行は、日本人の感性や精神そのものの崩壊を感じます。

 僕は、子供時代から割りと都会で過ごしてきましたが、何故か山はよく登りました。山に入ると、感覚、特に嗅覚が敏感なせいか身が引き締まる気持ちにもなれたものでした。山は、恐怖というよりも畏れ多いもの、自分を鍛えさせてくれるものという印象を今でも強く思っています。

 10代のころは、何故か京都の奥深い山の山小屋に一人で泊まって夜を過ごしたりしました。山は、夜と昼とでは、その性格や雰囲気がまったく別のものになります。なるほど魔性というものがどこかに存在することがよくわかりました。

 山に登ること=感覚を研ぎ澄ますことに似ているのかもしれません。レクレーションや趣味で登るのもよいですが、それでもいろいろな危険は伴いますから、知らない間に身につくものはあると思います。

 頂上近くになると、とても奇妙な気を発していたそのハライドという山は、正確には祓戸という名称で文献には残っているようです。そして、そのハライドに向かって、四方の山の奇形な石が何故か、仏像や鳥居のように組んであるのが、ますます不可思議さを感じさせます。

 街中にあったら、さぞオカシイと思うそういう風景も何故か、こういう場所では単なる自然の造形物と見過ごしてしまうのが、今の現代人の感性の乏しいところなのかもしれません。和歌山の山中にもこういった奇形のモアイ像のような石が積んであるといいますから、一度探検してこようと思っています。

 ハライドに登った人たちのブログなどを読むと、まるで安易で楽しいハイキングでもしたかのような印象のものが多いので残念です。僕の頂上から感じたあの山の気は、空気の澄んだ自然の中からは考えられないほどの異様なもので、とてもその山に近づこうとは思えないほどのものでした。

 山や自然には、人間が想像だにできないぐらいの歴史を刻んでいるものもあります。見た目の美しさや、単なる気持ちの気休めにするには、身体に危害が及ぶだけでなく、精神や心の奥深い部分までも強く影響してしまうものもあります。

 祓戸(ハライド)は、古代人が感じるほど強い気を持った山であったのかもしれません。少なくとも僕には強すぎて異様な感じにしか受け止められません。三岳寺という寺が滅びてしまったのは、人の寄せ付けないそういった目に見えない気のようなものの強さだったのでしょうか。

 神社仏閣などは、そういった古代人が感じた破片みたいなものを集めて、わかりやすく人間に問いただしたものなのかもしれません。本当の自然、本当の山のエネルギーみたいなものは、およそ一人の人間が受け止めるものではないような気がします。

 そうやって考えると、最近の人間の心や文明の崩壊には、自然の根本的なエネルギーとの接し方に原因があるのではないかと感じています。自然=神でもよいのですが、人間が考えるほど安易なものでもなく、優しいだけもものではないのかもしれません。

 最近の温暖化に対しても、根拠はともかく、人間の漠然とした、自然に対する畏敬や恐怖心みたいなものが、背景にあるような気もします。人間だって、本来自然の一部分に過ぎないのに、大切な摂理や原理みたいなものを逸脱して、まったく異質な世界を作ろうとしているからおかしくなっているのかもしれません。

 心というとても、シンプルなものが人にとってもっとも身近な自然なのかもしれません。その接し方に間違いがなければ、自然との接し方にも間違いは起こるようなことはないように感じます。人と人のコミュニケーションにどれだけ長けたように見えても、そのあたりに間違いが起これば、自然と大きな摩擦と同様に、殺人、暴行、恨み、妬み、など負の衝突が起こるようです。

 香りをつくる感性も、このあたりからずれてくれば、人の気持ちを心地よくさせるものはできないと思います。

 人を助けることも、大きな誤解生じることことが起きます。最近の医学もセラピーと称する人たちもどうもこのあたりをしっかりとらえていないのではないでしょうか。
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by fenice2 | 2010-10-19 12:17 | アロマ 香り

新しい香りー鬼門香

 お蔭様で、上賀茂神社の手作り市は多くの方が参加して頂き、ありがとうございます。少し前につくった厄香のほかに、今回鬼門香というものもつくったので、もっと戸惑いの反応が多いのかと思っていましたが、意外なほどすんなり受け入れられたようで、生み出した甲斐があったかなと思っています。

 これら不可思議な香りをつくっていて思ったのですが、今の時代やたらと未来と言う言葉を使うことに、何か抵抗を感じていました。言語学の本によると、未来という言葉は、元々日本にあったわけではなく、兆しなどという言葉は古くからあったようですが、どうも明治ごろではないかという説もあります。

 日本人というか、アジア人にもそういった感覚はあまり無いように思いますし、未来という言葉には何か目に見えたようなはっきりしたものでないとよくないという意味合いもあるような気がしています。

 また、別の言い方をすればそういった未来観が、元々あった精神世界みたいなものを破壊していって、こうでなければならないとイメージしていったのかもしれませんが、それ以外の未来は捨てていってしまったのかなと思っています。

 その点、日本人の元々の精神世界には、今の時間という中にも過去から、未来に繋がる時の流れみたいなものを感じさせるものが多くあるような気がします。厄もそうですが、今回テーマにした鬼門もそうですし、祟りやバチというものもありますが、やんわりと先の時間を映し出す感性を持っている人が過去には多かったのかもしれません。

 時の流れの観察者といってもよいです。

 このままいくと、こうなるのではという漠然とした予測は、実は意外なほどあたっていて、よほどのことがない限りそのまま未来が出来上がってしまうことも多いように思います。そういう意味では、日本人の精神世界の中には、元々未来を予兆させるものが多くあって、京都でいうところのあかんものはあかんに似ているような気がしています。

 鬼門という概念も、なんとなくその場所が不快だという感覚から出来上がってきたように思いますが、大切なことはその感覚を蘇らすことではないかと思っています。歩いていても何と無く行きたくない場所には、その鬼門のような存在があるのかもしれません。

 厄というのも、香りをつくってわかったのですが、一言でいうとなんとなく嫌だけれども、時には触れなくてはならないもの、薬草なんだけれどもあまり多く飲むと体が負けてしまいそうなとか、そういう感覚ではないかと思っています。

 しかし、先ほどの未来という言葉のイメージの中ではそういった繊細で、微妙な感覚をどうも打ち消してしまうような印象があります。ポジティブという言葉の背景にも、そういったはっきりした未来を持つことがあるような気がしますが、常に明るい未来をイメージすることは、本当は僕はとてもしんどいことではないかと思っています。

 兆し(きざし)、予兆でもよいですがそういうものは、それほど未来のイメージを固定化しません。このままいくとあかんよ、ぐらいのものです。しかし、最近のスピリチャルや占いブームといい、本来精神世界の紹介をするべき人間だちが、未来という可能性があるものを僕はどうももてあそんでいるのではないかと思うときがあります。

 バチという言葉の中には、確かに未来に対する警告はありますが、元々それほど時間の流れを縛り付けるものではないのではと思っています。しかし、現代人は未来というイメージに対する、恐怖や依存からそういう世界にも何故か強い結果や、答えを求めたがります。

 企業も、売り上げ目標からついには予算という言葉にも変わっています。数字の力を利用して、さらに未来を固定させようとしているようです。未来に強いイメージを持つことは、沢山の感覚や感情を打ち消すことになるので、やはり大きなストレスを感じるようになっているのではないでしょうか。

 僕は、未来に対してはこういうぼんやりしてなんとなくあるようなないようなものでよいような気がしています。結果的に成果を挙げなくてはならないことでも、未来をあまり固定化すると、それなりに出来上がってくるものでも、だめになってしまうことも多いように思います。

 人間負けたり、不幸になってくると余計に人よりもはっきりした未来をイメージに持ちたがるようです。たまに良いことがあっても、当り前のように感じてしまうことも多いかもしれません。あまり固まった未来をもたないためにもこういったイメージでつくった香りは必要だと思っています。

 値段は、厄香と同じなので、また詳しいことを載せます。
 

 

 
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by fenice2 | 2010-10-01 13:39 | アロマ 香り

感覚という感情の武器ー香りの小劇場という勉強会

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 好きなものが、必ずしも幸福にしてくれないことと同じで、好きになった人が必ず幸福にしてくれるとは限らないような気がします。好きなものばかりを食べていると、身体を壊すことにも似ていますが、良薬は口に苦しとも言いますね。

 最近、好きになったけれども不幸な付き合いになった人を、よく見かけます。好きと言う感情は、香りをみていてもわかりますがなんとも気まぐれで、あまりあてにする部分が多くありません。世の中は、好きな人と結婚できれば思う人も多いのですが、好きになった人と幸せになるのは、いろいろな意味で合う人と幸せになる可能性よりもかなり低いのではと思います。

 子供のころは、純粋と言いながら、こういう感情に対してはあまり良いものはないはずです。友情ならまだ美しいものもありますが、恋愛などはどうも若いときでもいい加減なものが多いような気がします。今の世の中、システムティックになりすぎて、こういう感情が後手に回って表れるように思いますが、それがまた感情との良くない付き合いになっているような気がします。

 以前にも書きましたが、僕は感情と理性は別々に存在していると思っていますので、本当の意味で快楽を求めているときは、理性などはどこにも働くことはないと思っています。人間とて、感情のままに行動すれば獣となんら変わらない行動をします。

 好きと言う感情さえ持っていれば、何とかなるような言い方をする人もいますが、むしろ冷静に判断したものと比べれば、はるかに危険な要素が多くなってくるように思います。しかし、感情を押さえつければ、今度は逆に妙なストレスがたまってしまいます。人間は、もともとは感情の生き物ですから、それを隠したり抑えたりするのは、本当はあまり理にかなっていないことなのかもしれません。

 僕は、基本的には感情的な人間で、今まで色々経験したきたこともその感情の高まりから起こったことだと言ってもよいと思います。冷静に判断すれば簡単にわかるようなことでも、前後不覚のなるほど打ち込んで愚かなことも多くやりました。

 反省や後悔は一時的な、感情に対する反動であって、決して感情そのもの質みたいなものが変わったわけではないと思います。感情的に行った行動は、誰かを傷つけたり、陥れるようなことになることも少なくないです。僕の場合は、自分自身を傷つける、自虐的なことが多かったように思います。

 感情に対しては、最近とくに思うことは出来るだけ慣れ親しむことではないかと思っています。日ごろから、ある程度出し続けていれば、それほど暴走することも質が劣化することはないと思います。芸術や創造は、そういった感情を実にうまく淘汰していきます。

 最近、香りの勉強会については消極的な考えもあったのですが、やはり理屈ではいえませんが良い状態になることが多いように思います。また、以前はプライベートレッスンにこだわっていたのですが、良い組み合わせのメンバーなら、数人で行ってもよいのではと思っています。

 先日から、希望者を募っているのですが、今まで香りの勉強に触れていなかった方でも、参加出来るようにしようと思っています。人数は少人数で3人か4人で行います。材料費込みで5千円程度で行いますので、ご希望の方は、日にちの希望などを書いて、メールいただくと助かります。

 fenice@bb-west.ne.jp

 今、勉強会は主に京都で、あとは名古屋、横浜でも行っています。平日、休日関係なく人数が集まり次第行うことにします。詳しくは、またメールでご説明します。感覚に馴れ合う、親しむがテーマです。日ごろなかなか出せない感情を、調香でうまく引き出せるようになれば、幸いです。技術を学ぶ部分は、少ないかもしれませんが、ストレスを感じている人などには良い機会ではないでしょうか。

 香りをつかってうまく表現できるようになれば、自然と感情が表に出ているようになると思います。メンバーは、お互いを引き出せそうな方を選出していきます。調香の技術を特に習っている方もいるので、わからないところは聞き合って下さっても結構です。

 調香は、いわば小さな舞台に似ています。人前でつくることは、なかなか勇気がいることですが、慣れてくるとどうすれば感動が生まれるかもわかってきます。スピリチャルも良いですが、精神や心を変えていくのは、感情や感覚がもっとも重要ではと思っています。心を変えようとして、感覚や感情を押さえつけたり、歪ませるのは本末転倒です。

 「香りの小劇場」というような名前にしようと思っています。

 また、以前の厄香の作品が販売することになりました。こちらをご覧ください。割と低価格で出せたと思っていますので、商品ご希望の方や、販売頂ける方はご連絡ください。



 


 

 
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by fenice2 | 2010-09-21 22:53 | アロマ 香り

感性という名の感覚の畑ー新しい作品をつくってみて

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 僕は、最近のこの異様な天候もあって自分の感覚の中ではいったい何を生み出そうとしているのか、それなりに疑問で不安でした。僕の周囲の人も、大体感覚が狂わされている人も多くて、香りをつくることも出来ないようになっている人も多いです。

 最初に選んだものは、木の根のものや濃いグリーン系のものばかりでした。何故か、花や柑橘系を選ぶことはなかったようです。自分でもやはり、かなり感覚がおかしくなってしまったのかもしれないと思ったりしました。

 香りは、トップからラストまで静かな流れをつくることをよしとします。幾ら、柑橘系が好きといっても、そればかり入れてしまうとこの流れが悪くなってしまいます。流れが悪くなると、心地よさを感じられなくなるので、その香りに対して気持ちにむらが出来てしまいます。

 市販の香水は、人の感覚でも、如何にそれに強く刺激するのかという調香ですから、何処か偏ったところが多く、美しい流れを作り出しているものは少ないように思います。香りが、どんどんそういった商品化されていることは悲しいことです。

 焼け付くような太陽からのがれるように、人の感覚も土深く暗いところに向かっていって、実は、そちらのほうの感覚がむしろ鋭くなっているような気がします。葉や、花や果物に匂いや香りにさえも意識を向けていられなくなった嗅覚は、もっと深い部分で目覚めていったのかもしれません。

 これほど、ディープな香りばかりを組み合わせることは普段は、まず無いように思います。せめてローズぐらいは入れようと思いましたが、それさえも新しい作品は拒んだように思います。

 ガルバナム、松、苔、バイオレットリーフ、ビャクダン、パチョリなどどれでも重い香りで、本来ならば僅かにしか入れないものですが、とても分量を多く加えていきました。流石にトップには、レモン、ゼラニウムなどの柑橘も加えましたが、それら個性の強い香料を受け止めるものにはなりません。

 強い日差しに晒され、干からびて何も育つことが出来ないと思っていた感性の中の畑にも、実は驚くほどの新しい感覚が自分にも身についているのを発見して驚きました。

 また、今まで不可能だと思っていた組み合わせでも、そこに新しいものが出来上がったので、なんとも不思議な感覚でした。新しい感覚は、間違いなくこういう気候の中でも育っていて、それらを注意深く集めれば、新しい感性が生まれてきています。

 この重く、暗いものに対して鋭敏になった感覚は、やがて新しい文化や文明を生み出すようになると思います。この猛暑が終わってから、世の中の仕組みは劇的に変わっていくような気がしています。古くて単におぞましいものは、徹底的に嫌われ、過去や歴史に対して今でにない深い眼差しが注がれるだろうと思います。

 歴史的な新たな発見が多くなり、そこから新しいものが生まれる大きな力がわいてくるような気がします。単にはったりであったのか、本当に価値があったのかなんだったのかわかってくるような気がします。

 この厄というものをテーマにして、実に多くのことを理解出来たような気がします。この作品に対して、益々自信がついていきました。これは、世の中に出していく価値があるものだと、自負しています。小さな瓶に分けて、出来るだけ低価格で出したいと思っています。


 

 
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by fenice2 | 2010-09-08 11:30 | アロマ 香り

新しい作品の試みー厄香(やっこう)

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 京都には、パワースポットがたくさんありますので、その幾つかの人の動きをみていますと何かよりよりイメージを追い続けてこういう行為をしているのかと思ったりします。僕自身は、完全には理解できないのですが、最近暗いとか先が見えない世の中と言われ続けているせいか、やたら何か明るいものやイメージが神々しいものを求める傾向がありますね。

 暗いものや、先が見えないものをどうして忌み嫌ってしまうのか、僕はよくわからないのですが、その中でも厄というイメージについては、かなり偏ったイメージが行き渡っているのではないかと思っています。悪魔や精霊などというと日本以外のところから伝来されてきているイメージが強いのですが、厄というと厄年、厄難などといって日本古来の感覚から出たものではないかと思います。

 厄年という知識も、正確には起源がよくわからないそうですが、平安時代から存在したそうですから、何分長い歴史の中で日本の精神世界で深い根を下ろしたものではないかとも思っています。

 近くの八坂神社も厄落としでは有名な神社ですが、どうも古来から日本人が持っている厄のイメージと、最近の人が抱いているものはかなり違うのではないかと感じています。どちらも漠然とした怖れみたいなものはあるように思いますが、もっと心の何処かでは受け入れていたようなところがあったのではと思っています。

 それが、流石に敏感になる年齢の時には、特別に意識して厄落としなどというものを行ったのかもしれませんが、現代は少しうまくいかないことがあると、厄落としとか、お祓いなどといって少しもで厄というイメージから離れようとしますが、どうもそれは少し違うのではないかと思うようになりました。

 僕は、過去の人が精神世界の中で暗い部分をよくイメージしたのは、そこに人のどうしようもない執着や欲望を見出していたからであって、何か不幸なことが起こっても仕方がないと諦めるようないわば、心のよりどころのようなものが、この厄にもあったように思います。

 菌などもそうですが、簡単に善玉菌と悪玉菌に分けられて、何でも消毒しようとしますが善玉菌だけを増やしていくことが、果たして可能なのか疑問に思っていました。結局、前日も医学会でコレストロール値が多い人のほうが癌になりにくいという、今までの定説の逆の根拠が出されるようになったりと、今の時代は何処か偏った発達をしていっているのではと感じることもしばしばです。

 イメージは、あくまでイメージであって、人が生きていく上での深く長い部分とは実際には相容れないものが多いのではと思っています。香りも、皆さん良いイメージばかりを追い求めすぎて、それに疲れて枯渇してしまっているような気さえします。

 鞍馬寺には、これと同じ名前の匂い袋のようなものがあるそうですが、僕自身はこれを作ってから逆に知りました。決して良い香りではないけれども、人が生きていく上でどうしもなくてはならない香り、そういうようなイメージでつくっています。

 まだ完成ではないのですが、やはり松やガルバナムなど木の根っこ、苔やヨモギのような草の香りも多くいれようと思っています。小さな瓶に入れてできるだけ買いやすい値段と考えています。販売などお仕事として興味ある方は、一度ご連絡ください。販売先とか、開発エピソードとかまだまだ未熟なとこも多いのですが、コンセプトなども含めて面白い仕事ではと思っています。

 また、最近香りのご依頼の問い合わせが多いのですが、京都や名古屋の方でなくともイメージだけでも香りをおつくりすることは出来ます。試してみたい方はメールにてご連絡ください。数千円ほどから試作を承ります。

 こちらでもブログを書いています。見やすいほうをごらんください。

 http://ameblo.jp/hanakagami/
 
 
 
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by fenice2 | 2010-09-06 07:01 | アロマ 香り

職人でもなく、芸術家でもなく、単に混ぜるのが上手いだけの仕事

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 この仕事を10年以上やってきて、それなりの試行錯誤がありました。何も最初から、調香師などという不確かなものを目指していたわけで無く、夢のあるような香水を売ることが出来たらと思っていました。今でもこの仕事が面白いと思うのは、さきほどやったばかりの調香を繰り返してみても、何か新しい発見をすることも多いからなのでしょう。

 もしかしたら、調香が面白いのではなくて、想像することが面白いのではと考えたこともありますが、おそらくそのどちらもあるのではと思っています。香りは、良いものが出来たと思っても、それをはっきりととらえることは出来ません。

 芸術と呼ばれるものも、殆どが視覚から来るもので、確かに五感で捕らえるといっていますが、人間は弱い生き物なので、やはり最後は視覚で記憶を残そうとします。しかし、人の記憶の仕組みと視覚は実際には、曖昧なことが多くて、よく子供の頃歩いた道などを大人になってから歩くとよくわかると思いますが、案外間違ったものも多いと思います。

 僕が、香りと記憶の関係を繰り返し話すのは、それが記憶の中ではもっとも確かなものを残すからだと思っていますが、それでもその瞬間、瞬間はどうもはっきり掴めていないものを感じて、頼りなさを覚えてしまうのですが、人が本当に感動したり、誰かを本気で好きになったりすることもそれに似ているのかもしれません。

 香りを通じて、感じる力みたいなものに可能性を感じてから、僕は一気に創作のほうに向かいだしました。良い香りをつくることが出来る手ごたえみたいなものは、日増しに実感していきましたが、それでもどれほどお客さんが喜んでくれても、僕の中ではそれがどういう価値になっていくのかわからないままでいました。

 人間の幸福や充実感みたいなものも、こういうものに似ているのかもしれません。そうだとしたら、やたら視覚でとらえようとする現代人は、何か大きなものを失っていきながら、毎日を過ごしているのではないかと思うようにもなりました。

 僕にとって、香りを通じて二つの夢が浮かんでは消えましたが、まず一つは誰が聞いても素晴らしいと思える香りで、もうひとつはオリジナルの香りをつくった本人が喜んでくれることです。しかし、しばらく作り出していて、最初の夢ははかなくも消えていきました。そこには、大手の香水メーカーの圧倒的な影響力があるので、良いという判断そのものを、支配されているような気もしました。

 残念ながら、香りの好みに関わらず、自分の本当の感情で生きていくことが出来る人は、社会の中では少数です。殆どの人は自分の感情や感覚が、どういった仕組みでなっているのかを探ろうとはしません。香りをつくるときもこのあたりが、とても厄介なものになります。

 人間関係、友人や恋人、ついては結婚の相手までも自分の感覚ではないことで選んで、流されてしまっていることは実に世の中には多いのだと思っています。香りについていえば、本来その方が選ぶべき香りを選ばないで、どうでも良い香りばかり選んでしまうことにも似ています。

 職人ならば、それでも選んだもので精一杯の仕事をしようと思うでしょうし、また芸術家なら相手がどうであれ自分の作品をつくることで一心になるかもしれません。しかし、そのズレが見える僕のような仕事は、ずっと相応しいものを選ぶのを待つのか、そういうものを選んでもらうよう導いていくしかないです。

 僕が、作品つくりをする傍らで、勉強会を始めたのもそのあたりの理由になります。調香の技術はともかく、何度か勉強をしていくうちに、自分の相応しい香りが何かをわかってくれる人は多いです。逆に、調香の技術ばかりに夢中になって、そういった感覚の世界の出来事を軽く見る人もいますが、まもなく香りをつくることにも壁を感じるようになります。

 先日、神道のくくりの話をしましたが、一度崩壊したものが再び新しいものに生まれ変わっていくことですが、人の感覚にもそういう部分がとても大切なのではと思っています。過去の思い出や成功、哀しいことや辛い思い出でさえも、日に日にその本来の形をかえていっているような気がします。

 貴方の思い出は、視覚だけのものになっていませんか?辛いと思っていた記憶でも、香りでつくってみるともっと別の面があることがわかると思います。このあたりも、僕の今の仕事のテーマになっているような気がします。
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by fenice2 | 2010-08-22 01:11 | アロマ 香り

青の中からのメッセージー何処までも純粋に

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 祇園祭りも終わって、京都も夏真っ盛りです。何年か前にやはり水害が多く起こって、それぞれ大変でしたが、水そのものものの恐怖を感じていました。香りも、水のようなものですが、調香しているだけでも大きな力を感じていました。

 古代の人は水神さんなどと呼んで、水そのもの動きや力みたいなものを恐れていましたが、僕は個人的には雨に直接あたって、時々何かをメッセージがないかを感じるようにしています。海や川など一度地に落ちてしまった水は、ネガティブなものや泥臭さを拾ってしまうために、あまり僕は触れないようにしています。

 最近までよく降った雨は、それが大きな濁流となって一気に地上をすり抜けていきました。あまり勢いが強かったために、大きな災害を起こしたところも多かったように思いますが、やがてその水が海や、池や川の一部になって、何かを訴えるようになってきます。

 川の上流や、山から染み出た岩清水には、その大きな動きの中では聞き取れなかった囁くような小さなメッセージを携えています。父親に激しく叱られて、只何がなんだかわからず泣きじゃくっている後に、母親が静かに諭していくのに似ています。

 その水を少しすくおうとしたときに、強い太陽はその清水を勢いよく、また空に向かって引き上げようとしています。それは、純粋なメッセージをもった水たちを、色々なことで汚されないうちにまた、自分たちの世界に引き返そうとしているようにも思います。

 私たち、人間はもっと純粋に、もっと深く澄んでいくように諭されているような気がしています。色々なことがあって、心が折れそうになったり砕けそうになっても、心は汚されたりけがしたりしてはいけないのかもしれません。時々、僕もふっと思うことがありますが、結局自分の心を駄目にするのは、自分自身ではないかと思うようになりました。

 社会で起こった色々な不幸や、良くない人からの虐めや戒めも本当は、それほど心を傷つけることになっていないのではと考えます。心を生かすも殺すも実は、自分自身がもっともそのことに関わっているのではないかと思います。

 経済は、またもっと複雑怪奇なことで人の幸せを左右させますが、それも単なるまやかしに過ぎないと思います。経済セミナーに出れば、成功すると思っている人もいますし、経済の流れを知れば何か得することがでてくると思い込んでいる人もいます。

 今の日本の経済は、以前に比べると僕は、ずっと成熟したものになっているのではないかと思っています。小手先の技術や、だましの手口の営業はもう大きく繁栄していくことはないでしょう。もっと、直接経済と結びつかないだろうという場所で、しっかり成り立つようなものが出来てきつつあるような気がします。

 京都は、その点そういう可能性が、人にも街にも大きく感じているところです。人の幸せをつくることが出来る技術をもった人や産業が増えてこれば、世の中はもっと良い社会になっていくのではないでしょうか。僕の調香もそのあたりからぶれないようにしようと思っています。


 
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by fenice2 | 2010-07-21 23:02 | アロマ 香り