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香りに群がる妖精ー心は闘うことでなくて、守ること

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 香りをつくっていて、最近特に天使や妖精のイメージを身近に感じています。このことは、残念ながら、嬉しいことばかりでなく、彼らは大きな警告を持って近づいているように思えてなりません。

 先日、香りを勉強している何人かの方で、故ダイアナ妃の香りをつくってもらいましたが、その中でかなり強い天使のメッセージを含んだような香りを創造するかたもいました。

 ダイアナ妃の突然の死は、転生せずに天使になって、精神世界の指導をするせいだというインスピレーションが僕の中にもありましたが、僕自身、彼女の香りをつくってみて、そういうことをさらに強く信じるようになりました。

 日本だけではありませんが、全世界的にみて、民族のアイデンティティーや精神性、文化や深い歴史的な思想が、このところ凄い勢いで破壊されていっているような気がします。

 今、世界的な規模で起こっている変化は、感受性の高い一部の人には内面の大きな変化のように映っていますが、その警告の意味もあって、天使や妖精が近寄ってきているのだと思っています。

 心を閉ざすことはよくありませんが、自分の心が何処からきて、何処に繋がっていくのかを、もう一度、個人、個人が見直す時期にきているのではないかと思っています。

 天使からのメッセージはさらに続きます。

 ”物質と心の確執が最大限に引きあがられてきているようです。心は、モノの壁によってより閉塞され、モノを扱う人間は、益々心を失っていきます。”

 ”精神世界の創造力の高まりが、やがて国や社会そのもののあり方を変えようとしているようです。心とモノ、物質の新しい関係が始まろうとしています。”

 香りや匂いは、人が最初に感じる繊細な物質であって、そのことがモノと精神性の新しい時代をつくる上で、出発点になっているような気もします。

 宝石など、石に閉じ込められた、あらゆる人の執念や感情、苦悩の記憶も新しい時代では、次第に浄化されていくようです。

 そういう時代を迎える上でも、心や精神性をしっかりと守っていくべくではないかと思っています。

 モノと心のバランスや距離感を、右往左往する時代は終わりを告げてきます。経済は、その背景で、発展をすることが出来ましたが、これからは、モノと精神の融合が色々な分野で起こってくるような気がします。

 江戸時代の付喪神(つくもがみ)の感覚にも似ていますが、モノには魂があり、精神のように創造性があるという見方が次第に増えてくるのかもしれません。

 まだ、よくまとまっていませんが、また感じることがあれば書きます。
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by fenice2 | 2008-08-27 00:36 | シャーマン

シャーマンとしての季節ーフェアリーからの囁き

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 この季節は、僕自身のインスピレーションがもっとも活動的になる時期ですが、今年は特に多くの繊細な言葉を受け取っているような気がします。

 古代からシャーマンは、神の詔や訓戒、行き過ぎたものでは、怖れや罰などを伝令してきましたが、それは正確にいえばそういう声やインスピレーションを受け止めたことで、体質や条件などもあったように思います。

 現代でも、目にみえない繊細な世界を感じることが出来る人もいますが、沢山の人は日々が忙しく雑音に悩ませたり、不穏に思わせる匂いに囲まれた生活の中で、なかなかそういう世界からの囁きを、耳に出来る人はいません。

 何となく感じるから始まって、何かが聞こえたような気がするにかわっていって、それ以上になると余程自分自身の生活や心を繊細なものにしていかないと、そこからのものは、なかなか正確に受け止めることはできないように思います。

 著名な方の中でも、そういうことに懸命になっていて、世の中の価値観や判断を蔑ろにしてきた人もいますが、そういう方の香りを表現することはとても、大きな背景を感じることもあって、時になかなか表現できないこともあります。

 一人の人に伝わった、不思議な世界からのメッセージだけでも膨大なものであるのに、その世界そのものを表現したり、内容を伝えていくことは不可能に近いことなのかもしれません。

 その大きな世界とは、やはり僕は精霊の世界というか、フェアリーの世界があって、考えてみたら僕自身でも、今まで色々な苦労があっても、ビジネス的にマイナスな要素が幾らでもあっても、平気で明るくいられるのは、やはりそういう背景との結びつきがあるのではないかと思うことが多いです。

 逆に、どれほど上手くいっていても、虚しく心が不安になってしまうことは、もっと違った世界からの影響を受けているのではないでしょうか。先日書いた幽界や、もっと酷いものでは魔界のような意識の世界もあると思います。

 意識や心が何処に繋がっているかで、その人の大きな意味での人生の創造はきまってくるようです。大きなお屋敷に住んでいるのに、虫一匹をみつけるえと、目を吊り上げて退治しようとする人もいます。逆に、貧相な家で、自分が食うか食わずでも、周りの困った人の助けをしようとする人もいます。

 また、心が不安定になってしまう人は、その両極端の世界を短い時間で同時に影響されてしまう方なのだと思います。まさに天国から地獄ではありませんが、何かがとても純粋であるのに、何かに対してはとても臆病で心を閉ざした部分があるのかもしれません。

 貧しい世界や、恐怖を感じさせる世界はどれだけ広く感じても、同じ光景の繰り返しで、何の感慨も起こってこないでしょう。

 本当の意味で、世の常識とか知識みたいなものも投げ捨てて、そういう世界をあることを信じなければ、その繊細な世界が身近に感じることはないように思います。愚かになり、痴呆のような扱いを受けて、それでも体前面でそれを受け取ろうとした幸福感は、その世界への道をみつけた人間しかわからないものがあります。

 僕が、香りを人につくったり、そういう技術を教えていくのも、そういう世界観に触れてほしいと何処かで思っているのかもしれませんが、それ以上に僕はその世界の操り人形のようになって無心にやっている部分もあります。

 仕事を通じて、そういう矛盾した純粋さはなかなか理解されにくい部分もありますが、一瞬でもそういう精霊や妖精の世界があることに触れてもらったら、嬉しいと思っています。

 感動するものが出来上がると、正直な話、自分でも驚いてどうやったかも解らなくなります。しかし、うまくいかないときは明らかに、魔がさしたという表現がぴったりくるほど、不快で不穏な印象を残すものをつくってしまいます。

 意欲や、モチベーションといった言葉に頼らず、自分の意識が何処に繋がっていて、何処へ向かっていくものかをよくたどっていくと、その大きな背景を発見できるかもしれません。
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by fenice2 | 2008-08-18 02:12 | シャーマン

進化する創造力ー妖精の世界から

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 或る占星術の方のサイトで、幽界の強い影響についての話がありましたが、とても興味深く読んでいました。実は、僕自身も、見えない世界からの影響について色々考えてくるうちに、とても良くないものからの影響も受けたことがあります。

 人生を成功するには、よくハングリーさが必要などと言いますが、さて成功してからの人生を本気で心配してくれる人など誰もいないということが、僕も若い頃からの経験でよく解りました。

 僕の父がそうであったように、僕もある成功哲学のようなものに乗っ取って、時代の背景もありましたが、20代で経済的な成功は達成したほうだと思いますが、それよりも自分の体に染み付いた欲や執着、重い念のお陰でどれだけ、体や精神を痛めつけたかしれないと今でも思っています。

 何かを創造してくうえで、人は大きなエネルギーを必要としますが、純粋なエネルギーがなければどうしても、欲望や執念といったような負のエネルギーの力に頼ってしまいます。

 一時的には、負のエネルギーでも大きな創造力をつくりあげますから、そのプロセスを否定する人は殆どいないと思います。進化や創造力は、人の精神的な分野でもっとも高貴なものであって、誰もがそのことを受け入れてしまうようです。

 しかし、負のエネルギーでつくりあげたものはその副作用というか弊害が、時間と共に次々と表に現れてくるようになります。自分自身が、精神的に進化したと思っていたことも、実際には殆ど幻で、周りに演出していただけか、もしくは周りが嘘をついて演技していたことに等しいということがわかってきてしまいます。

 僕も、そういうギャップに日々悩まされ、本当の自分が何処にいるかもわからなくなる日も多くありました。今のように、完全ではないものの、純粋にものをつくることに集中できるまでには、何年となくかかり、心や気持ちを見直してきました。

 出来るだけ純粋な気持ちで、創造することに接することが出来れば、人は色々な意味で進化していくと思っています。しかし、今の企業を始め、最初から経済活動ありき、儲けて何処が悪いというマインドから、創造に接しても、最期に残るものは儚く消えてしまうものが多いのだろうと思っています。

 儚く消えてしまう結果しか残らないために、心はまた深い執着の念を呼び寄せて、やがては暗い欲望の渦のようなふかみにはまっていってしまいます。そういう意味での、人の心や精神がつくりだした幽界という存在は、どこかにあるような気がします。

 ものをつくる中でも、香りはとくに神秘的な世界で、元々はとても麗しく高貴なものでも、調香次第では、魔界にと繋がるものにもなりますし、とても重く使いにくい癖のある香りでも、深い感動をよぶものにすることも出来ます。

 何か創造することを、避けようとする人に何時もいうことですが、それでも人は最低限は自分の人生を創造していっています。色々な影響があるにしても、毎日の行動や心の中の出来事が
一つ一つの材料になっていって、やがてははっきりとした形を作り上げていきます。

 時には、自分の手をつかって、直接自分の人生を都合よく変えようとする人もいますが、結局は、そのリバウンドがきて元に戻ってしまうか、もっと醜い形で残ってしまうかのどちらかに陥ってしまうことと思います。

 生まれつき優れたものを持ってきた人は、それを完全に使いこなすまではなかなか幸福になれないし、そう感じられない日々を暮らすことも多いようです。逆に人よりもかなり劣ったものを持った人も、ユニークさや独創性などを心得ていけば、随分早い時期に自分自身が思ってみなかった豊かな人生を暮らすようになる人もいます。

 最近、色々な意味で僕自身も10代に回帰しているような錯覚を感じることがあります。但し、本当の10代の時は、幾ら自分が純粋でも魔の誘惑からは逃れることが出来ませんでしたので、何度も創造にひびが入ったものでした。

 純粋な気持ちからの創造は、エンドレスで続いていきます。結果が成功しようが失敗しようが、アイデアや企画が枯れることはありません。大切なことは、心の中の中心から泉ような存在を発見することです。

 誰でも、心の中に貴重な泉が眠っていますが、それを見つけていくにはフェアリーの世界からの導きが必要ではないかと思います。
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by fenice2 | 2008-08-17 01:51 | シャーマン

終戦記念日とオリンピック

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 この季節になると、大体霊山の近くに行って山篭りのような真似事をします。以前は、車で何も持たずに目的地まで行って、只草の上で寝て何日も過ごしたこともあります。

 あまり、低い場所では虫も多いのですが、数百メートルの上では野生の動物は居ますが、それほど眠れなくなるような出来事に出会うことは少ないです。

 自然の触れ方は色々あると思いますが、僕はともかく山深いところで単に横たわって過ごすのが好きです。木々は、日が落ちると二酸化炭素を発するせいで、夜中になるほど重苦しい空気にまりますが、そのことが人に幻覚を起こすことがあるのかもしれません。

 学生の時に、京都の山中で一人で山小屋に何週間と泊まりましたが、地元の人の言う天狗や山の神のような存在を何度も感じ取ったことがあります。

 高野山もそうですが、霊山といわれるところは大体古代から手付かずの自然が残っていることが多く、そういう点では植林だらけになった見せ掛けの山深さとは全く違うものがあります。

 盛夏では特に木々の匂いや香りが入り混じって、独特の雰囲気を醸し出します。僕は、火も焚かなければ、必要以外はランプもつけないので、時々空を飛ぶ夜行性の動物の目がとても大きく映ることもあって、驚くこともあります。

 人間がどうして、屋根のあるものをつくるようにしたり、その延長で電気やガスが充実した都市に住むようになったのかは、基本的な自然に対する恐怖があったからだと思います。自然を愛するという人達の登山客の過ごし方も僕のような、意味のない過ごし方はしません。

 自然に対して、そうやって心を開いていくうちにどうしようもない恐怖感を感じてきます。今でこそかなり性根が座ってきましたが、若い頃などは夜通し震えて寝ることができなかったこともあります。

 山の魔性は、人が生きていくことそのものに恐怖を与えていきます。そのことは逆にいえば、我々が自然を脅かしている生活をしているからこそ、そう感じるのかもしれません。

 高原の近くででは、ロッジつくりのコテージがあって、その中では都市生活と何ら変わらない暮らしをして、それで殆ど何も感じないで、また元の生活に戻っていきます。

 自然は、実は何時もそのもっとも深い部分を開いているのに、人間のほうが何処かで都合よくそれを制限してしまって、まるで自然ととてもフレンドリーで付き合うことが出来るような感覚を抱く人も多いと思いますが、それは単なる片思いに過ぎないのかもしれません。

 人を死に追いやるのに等しい虫や動物、そういう細菌類も含めて自然は、まだまだ多くの魔性の部分も持っています。

 自然破壊をついついしてしまうのは、地球上のあらゆる部分で人が真っ裸で過ごせる地域が限られている現状をみてもよくわかると思いますが、それほど自然の恐ろしさが身にしみているからなのかもしれません。

 アマゾンから遠く離れた、都市生活者が自然の保護の運動を行い、台風が来るたびに家を流されたり、身内を失ってしまう人は、そういう自然の姿そのものを保護などという感覚ではとらえることが出来ないだろうと思います。

 しかし、占星術で地球が水瓶の時代に入り、愛に目覚め、優しくなっていくといううとおり、地球や自然も次第に進化していっているので、これから何百年後には、獰猛な動物やサメなどの海の生き物も少なくなっていくのだろうと思います。

 それぞれが、自己の生命のエゴのために、互いを滅ぼしていた時代も終わり、それぞれが生かし合うような自然も仕組みがもっと出来上がってくるのかもしれません。自然=厳しくて弱肉強食なんていわれる時代もなくなってくるときもあると思います。

 今回、オリンピック開催中でも、戦争が起こっていますが、それでも日本もかつて経験したような世界大戦のようにはなっていかないだろうと思っています。人間も社会も色々回り道をしながら、少しづつ進化はしていったように思います。

 金メダルだけが存在価値があるのではなく、金がむしろ銀や銅を生かすことになるそういう見方や判断をする人が多くなった時に、やはり内面的な進化が起こったのかもしれません。

 そういう意味では、今回の中国での多くの人の感覚をみてもまだまだでしょうが、少しづつですが、違った見方をする人も出てきているような気がします。

 どれほど、色々なことがあっても、人も地球も自然も木が生長するスピードで進化していっています。
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by fenice2 | 2008-08-16 02:40 | 愛 愛情

香りは未知の能力を高めるもの(河童の世界と嗅覚)

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 何時も写真の説明をしてほしいと言われたので、最初につけておくことにしました。

 まだあまり詳しく読んでいませんが、最近医学会でアルコールなどの研究が盛んなようで、脳や心臓の関係の研究もかなり進んでいるようです。香りもエタノールが発見されてから、かなり芸術的なものになっていきましたが、精神的な分野や心との関係は、むしろ今の時代は、中世の錬金術師などの扱いに比べると退化しているかもしれません。

 先日、芥川の河童を久しぶりに読みましたが、その存在や河童の住む世界があったということと、実は嗅覚がとても深く関係していたのではないかと思わせる部分がありました。

 今度、立ち上がる蝶人の会でそのことは何度も取り上げるつもりですが、人の創造力、直感や第六感、果たして霊感と言われるものも、この嗅覚や香りに関係しているのではないかと思われる記述が、中世の錬金術師の文章からも多用されています。

 そういう河童の世界があるかどうかではなくて、そういう存在を感じることが出来るかどうかであって、そのことが、見えない部分、先のことを読んだり人の心や気持ちを見抜いたりする部分に繋がっていくのではないかとも思っています。

 僕自身も、基本的には中東の方面の香りが好きですが、この香りはやはり第六感みたいなものを育ているにはよいようです。

 たいてい柑橘系は自分の心を開きやすくするので、現代人には向いているかもしれませんが、本当の意味でその方の生き方のイメージや将来の展望みたいなものをみていくには、ミドルノートやラストノートの香りをつないでいかなくてはなりません。

 先日も、京都で勉強会をしていましたが、僕自身慣れた香りでも全く違う組み合わせのものをつくると、今まで感じたことのない雰囲気を作り出してしまうので、不思議です。

 アロマなどは、身体的な関係については随分研究されてきますが、香りについてはこういう気の遠くなるような組み合わせの中で、深い精神的な結びつきのあるものが発見されたりします。

 そういう意味で、僕の勉強会は基本的な調香技術の訓練はしますが、僕自身がもっている技術の押し付けはしません。機会があれば、自然に僕は自分の経験したものを表に出しますが、それはあくまで一例に過ぎないと思っています。

 もって生まれたセンスや巧さみたいなものはあると思います。また、修練によってみにつくものもあるような気がします。しかし、あっと驚くような組み合わせは、何十万に一の確立で出てくるようですが、それは偶然ではありえないだろうと思っています。

 我々は、見えないものだから、不確かなものだから何処かで見たいとか、掴んでおきたいという欲求がおこります。しかるに現代人は、あまりにメディアが発達しているので、そういう未知のものへの探求や挑戦を怠ってしまっています。

 そういう怠慢や諦めみたいなものから、世の中はどんどん可能性のないものになっていって、視覚優先の世界観を作り出しています。

 受け取ったイメージやメッセージが何かわからずに、それを一心に香りで表現しようとしているうちに、その謎を解くような香りが出来上がってきます。勿論、これは簡単ではないので、僕がその仲介者のような役割をしますが、香りが出来上がると、不思議とそのイメージやメッセージの意味が、容易に把握できたりすることもあります。

 香りがその見えないものを理解できるように、まるで翻訳機が出てきたような役割を果たしているのではないかと思っています。

 体験された方でないとなかなか伝わりにくいことなのかもしれませんが、勉強されたかたは皆さん納得されているようです。

 河童は、きゅうりを好んで食べたと言いますが、その匂いには独特のものがあったようです。日本人が自然の中で感じたエネルギーの中に動物でもない、人間でもない何かがそういう表現になって現れたのでしょうが、興味深いのはかなり離れたところで何の伝達技術もない地域でも、そういう同じ創造物を感じたことでしょうか。

 我々の周りは、まさに未知の世界の存在で溢れています。飛行機で何処でもいける利便さが発達してきても、実際に生きている意味さえわからなくなってくるときもあります。

 河童の世界には社会に生奪権みたいなものがあって、人数が多くなったり必要に応じたときは多くの河童が殺され、残された河童の餌になるようです。

 毎日、最近は無差別で殺人のようなことが「起きていますが、日本でも河童を感じることができる香りも、そろそろつくってみなくてはならない時期になっているような気がします。
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by fenice2 | 2008-08-01 01:41 | 調香・錬金術