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香りの記憶療法


 最近、料理を男性もつくる方が増えているのは、とてもよいと思いますが、流石に香りを勉強している方は殆どが女性です。それが良いのか悪いのか解りませんが、殆どの男性は香りに対して強い先入観があるのかもしれません。そういう点からも、今の男性は年齢にかかわらず、保守的な人が多いのではないかと思います。

 今、色々な人に幕末の志士、坂本竜馬などの人のイメージをつくってもらっていますが、女性はともかく男性は、およそ革命を起こすような人は、現代では少ないような気がします。

 感覚的で、理屈の無い世界になればそれだけ女性のほうが有利だという人もいますが、それは過去も同じで、男性でも僕もそうですが、女性以上に感性が強い人もいます。(むしろ最近は、女性が男性のように、理論的な考えの人が多くなったので感覚でも弱まっているのかもしれません。)

 話が、大分それましたが、今回は香りと人のイメージや心がどう関係しているのかわかり易く書きたいと思っているのですが、誰かが悪いことをすると、どうしてそうしたのかを理解しようとしますが、それはどうかすると全体のイメージやその人の人生観をみようとするからなのかもしれません。

 しかし、最近の色々な事件にしてもその数が多いこともあるかもしれませんが、一つ一つ顧みる暇もなく、マスコミもまるで垂れ流しのように放送していることは、とてもよくない傾向だと思ったりします。

 人の心や気持ちも複雑で、誰でも簡単にわかることが出来ないかわりに、絶対という価値観も存在していないのが現実です。誰もが、自分の心は自分が管理者だと思っていますし、誰よりも解っているような気がしています。

 気持ちは、そういう心から発した一部分ですが、それが独りでに何処かにいってしまって、他の人の心に入りこんで、良い意味でも悪い意味でも影響を与えることがあります。

 人の心に入り込んだ、自分の気持ちまで責任をとることは難しいことですが、相手がどういう人かわからないままに、深い気持ちで交流をすることは、とても勇気もいることですし、殆ど良い思い出を残しません。

 一つ一つの感情や受け答えが、何かはっきり結びついていかずに、それでいて強い感情などがあれば、時には傷ついてしまうか、最悪の場合は相手を恨んだりしてしまいます。

 香りにたとえると、一つ一つの香りは好き嫌いがあるはずなのに、それがしっかりしたイメージでまとめられたものであれば、そこで単品できいたものでない一面をみるからなのかもしれませんが、性格の悪さや逆に才能とみている面でさえも、全体のイメージによっては、それが上にも下にもいってしまう価値観を作り出していきます。

 香りがよいというよりも、香りを作り出す世界が目にみえない、とても不確かなものであるためによく心や精神と対比されますが、心もその全体のイメージや、核みたいなのを失うと、一つ一つを、品評されたり、指摘されたりしてきますので、それ自体を治していったり、変質させていくうちに、バラバラになったような気がしてくるのではないかと思っています。

 少しひねくれた部分も、シャイな所もその人の生きていく全体のイメージ、生きていく意味の上では重要なところです。逆に、今どれだけ社会でもてはやされていようと、自分の全体の全体のイメージから遠ざかったものは、その人の心から離れて、根拠の無い虚無の世界に飲み込まれていきます。

 恋愛関係でも、自分から愛しているというよりも、よく好きにさせられている人がいますが、その気持ちも何処にも落ち着く場所はなく、現実世界をさ迷ってしまうだけです。

 核と全体は、とても密接なもので、全体がみえない人は中心が何処にあるかわかりませんし、核がみえる人は、全体の広がりがなんとなくわかってくると思います。これは、香りをつくるうえの極意のようですが、現実の社会や心も同じではないでしょうか。

 香りを組み立てていると、時々色々なことを思い出したりしますが、それも何処かで記憶の整理をしていることに似ているのかもしれません。心地よい香りをつくるように苦心していると、何故か良い思い出や楽しかったことが強くなって、嫌なことを殆ど忘れてしまっていることもあります。

 あまり論理的はありませんが、同じように記憶をしていて単に機械のように羅列していくことは良いことではないように思います。楽しいことをより楽しく、嫌なことをより綺麗に取り除くことも
生きていく上で大切なことなのかもしれません。


 
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by fenice2 | 2008-10-31 20:46 | 香りの記憶療法

心に残る香りとはー深くて美しい愛情しか最期は残らない

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 連日とてもよい天気が続いています。余りに天気がよいのと、それ以上に月の力が驚くほど大きくなっているような気がします。

 色々なものが崩壊していく中で、本当の意味での愛情や精神性の深さなどが求められて、また表に出てきているのではないかと思っています。

 強いシステムで、世の中が単なる消耗生活の連続の中では、心の中の本当の部分はなかなか見出せないし、見出す必要がないことが多いのかもしれません。

 本来、強くて深い愛情を持った人は、表面上は穏やかで簡単に自分の感情を表現したりしません。積極的に自分の気持ちを、誰にでもあけらかす人は、本当はその気持ちにあまり根拠や自信の無い人なのかもしれません。

 以前のようなシステムマチックで、スピードや結論をばかりを重視される背景の中では、なるべく軽く表面的な気持ちを持っている人が優先されて、大きくて深い気持ちを持っている人は、むしろ厄介者にされてきただろうと思います。

 金融システムに働く人達に、お互いの愛情や思いやりがあったでしょうか。僕自身も何百億というお金に以前触れていたときに、感じられることは常に食うか食われるかしかなく、しかし、それも圧倒的に強者が存在している中で、弱者同士がぶつかっているような気がしていました。

 富者が益々富み、貧者は益々貧する、これは今金融システムが破壊されていても相変わらずに続いていて、結果を出しているものです。

 今回のことでローマ法王は、マルクスの資本論に触れて、共産主義は間違っていなかったという声明を出されたそうですが、僕から言わせればもっと精神性や愛情の問題に触れて欲しかったと思っています。

 皮肉なことに、パニックが起こって被害が直接に蒙ってくるのは最貧国への支援だということですが、そういう一面をみてもこれほどの恐慌が起こっていても、社会や世界は以前として何も変わっていないのがわかります。

 しかし、多くの人の心はどうでしょうか。香りに映る色々な人の心の中には、深くて強い愛情を求めるイメージがとても強くあらわされてきます。

 阿修羅のような強い気持ちや、社会的な地位や権力も結局は、人の心に残らずやがては忘れられていきます。

 自分自身を思う強い愛情、身内を含めて第三者を強く深く思える愛情、もっと大きな世の中や社会を思う気持ちや愛情、今まで眠っていたこれら大きな力が、やがては表に出てくるのではないかと思っています。

 強い気持ちや、深い愛情は、元々自然が持っていたものではないでしょうか。自然の流れと簡単に言いますが、それぞれの人にもその自然な流れが存在しています。

 心や、魂は本来はとても軽やかで、自然に高みに上がっていくものだと言います。心や魂を重くしたり、汚してしまうのは、むしろ人の業なのではないでしょうか。

 誰のせいでもなく、多くの人は自分で自分の心を陥れて、壊していってしまいます。それは、大袈裟にいえば、大きな森を破壊したり、綺麗な湖や海を汚染させているのに似ています。

 心や気持ち、魂を自然の状態にさせていくことは、それぞれの人の使命ではないかと、香りを指導していてもよく触れていくところです。軽やかな心を見出した人は、香りもそういうものを表現出来るようになるようです。

 軽くても、汚れていては心は迷走し、多くの障害や摩擦を経験することになるでしょう。

 世の中のモノは、心が重く汚れた人達でつくってしまったものに溢れています。モノが悪いわけでもなく、単に物質主義といってもこのあたりのマインドの問題にも関係しているのではないでしょうか。

 近代国家は、必ずしも心や健全な精神から出発したとはいえませんが、その国家ももう終焉に近づいています。今度は、もっと心の内面や精神的なものから出発していくのかもしれません。

 小さな家族や、友人などの人間関係、男女の愛情の問題もまだまだ、そういう過去からの負の遺産で引きづられることもありますが、勇気をもって内面からのものにつくりかえていく必要があると思います。
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by fenice2 | 2008-10-21 20:14 | 愛 愛情

法隆寺夢殿ー封印された香り

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 聖徳太子は、日本で始めて香木を皇室に伝えたので有名ですが、ちょうど同じ頃仏教が本格的に伝来し、全国に仏像崇拝が始まると共に、国や今の都市の基礎的なものが始まっていきました。

 同時に、陰陽道なるものも確立されてきて、表の政治体制や社会らしきものが出来上がっていきましたが、精神世界では、執着や執念、もしくは怨念などから、多くの魔物や魔性が姿を現すようになってきて、祈祷やお祓い、なども行われるようになったようです。

 この世に、神以外の存在が物質を動かし、形づくっていこうとすると多くの障害や対立、矛盾を抱えていかなくてはならないのですが、それは即ち飛躍すると今の金融世界にまで続いているものではなかったのかなと思っています。

 陰陽道では、心や精神世界を先人の心眼の技のようなもので、追い払ったり、清めたり、逆に式神といわれるものを利用して、心の世界を滅ぼす、所謂、呪術などを駆使したといいますが、近代社会はそういう伝統技術を放棄して、法律や規則、もしくは教育を通じて表面的には完全に制覇したような顔をしてきました。

 しかし、それも大きな世界大戦などで化けの皮がはがれ、基本的に人の心から鬼や悪魔、もしくは魔性を排除出来たものではなかったのかもしれません。欧米のカトリック協会の中枢においても、何度も悪魔祓いの儀式を封印しようとして、また解禁することを繰り返してきたと言います。

 心の中の穢れや、悪魔の存在を素直に感じることは、そうやって考えても社会や国を破壊させないための安全弁みたいなもので、それがモラルになったり法律になったりしましたが、昨今の社会では、それさえも脆くも壊れてきたような感じがします。

 長々と、何が書きたいのかというと、今の多くの人の心に残っている負のエネルギーは、そういった諸々の安全弁では紛らわすことが出来ないほど大きくて強いものになっていて、そのほんの一部のエネルギーが今回の金融世界の大混乱を引き起こしているのではないかと思ったりします。

 明治の初めに、廃仏毀釈が起こって人によっては、近年もっとも日本人が精神世界に近づいていったという人もいますが、それによって出口 王仁三郎という巨人も現われて、ご存知の方もいると思いますが、現代のあらゆる宗教の基礎を築いた人だといわれています。

 日本は、世界の縮図を表しているとも言い、日本で起こることは世界で必ず起こることの序章であると言っていたそうですが、それだけ日本人の精神性や、飛鳥時代から続く陰陽道など心の世界のコントロール技術などの蓄積があったから、それが根拠になっているのかもしれません。

 僕が、香りの世界を通じて、和の心や日本人の精神性を表現していこうとする意味も、このあたりにあるような気がしています。古代から、神が唯一人に動かすことを許された物質は、香りだとされていますが、それを扱う神官は時には、王以上の権限を持ったこともあったようです。

 そういう意味では、香りのみが音楽や絵画よりも先に、この精神性を表現できるのではないかとも思っています。そして、それが次の時代や社会の、アンダーグラウンド、つまりは精神性や中身になっていくような気もします。

 新しい時代、新しい社会を築いていくことが出来なければ、今の社会に負のエネルギーをぶつけていって、破壊や崩壊を招くことになります。それほど大きな問題でなくても、今の時代は、その心の中の穢れのせいで、自分自身の心を痛めたり滅ぼしてしまう人も多いようです。

 今は新しい時代のとの大きな裂け目に入ってきている時期です。心から信じる人やモノが見出せない人は、とても辛い時代ですが、深い愛情や心の中の純粋さに目覚めていった人には束縛の無い自由な道が開かれてくるのかもしれません。



 
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by fenice2 | 2008-10-18 01:11 | アロマ 香り

秋も少しずつー第一回蝶人の会を終えて

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 紅葉の時期になると、嫌というほど京都の人が増えますが、今の時期はまだまだ少ないほうです。

 先日、お陰様で香りを勉強されている方で蝶人の会を行いました。会員の方には詳しいご説明などの連絡をしていますが、このブログでは別の一面で触れていきたいと思います。

 香りを勉強されている方は、殆ど僕のマンツーマンでほかにどのような人が居るのか、今まで殆ど明らかにしてきませんでした。

 僕自身が教えていくことが、そういう大人数のものとは合いませんし、単に妙な競争意識で出会っても、心を向き合う一面からは外れてしまうことがよくないと思っていました。

 僕が思う厳しさとは、如何に自分自身と向き合うかにありまして、そういう意味では僕自身も少しでもそれに怠ってくれば、香りをつくることでマイナスな一面が表に出てきてしまうと思います。

 我々はイメージで香りをつくると言っても、単になんとなく浮かんだもので香りをつくっているわけではありません。何度も何度もその方の見えない部分を香りで見つけ出していっては、全体像をつくっていきます。

 そうやっていくと、ここでも何度も触れているように、心に流れる本当の物語のようなものがでてきますが、それを忠実に香りにあてはめていくことで、相応しい香りが出来てきます。

 しかし、今回共同で香りのイメージをつくりましたが、一人の人がつくったイメージに、別の人がつくったイメージがとても上手く重なっていくことが解ってきました。このことがとても、強い力を生んだような気がしています。

 蝶人という香りをつくることが出来る人達は、香りを通じてより深く内面をみていことが出来ていく人達ですが、その人間が集まると、何故かその力が一つになっていくのは不思議でなりませんでした。

 もしかすると、良い香りのつく手とは、より多くの人と香りを通じて共有できることなのかもしれません。我々は、普段から数十種類を超える香料の組み合わせに対峙していますが、殆どが初めての組み合わせも多く、もっとも難しく苦労するところです。

 しかし、そういう面を何百、何千と超えていくうちに、自分の性格だけでなく、他の人の性格や感情までも上手く取り入れてしまっていることも少なくないようです。

 そういう意味では、香りの勉強は競争よりも共感できる人が深く強いものを生むことが出来るのではないかと思ったりします。

 香りの世界の中には生かすものこそあれ、殺す存在のものは何もありません。影になったり、立役者になる香りがあっても、そこで生かすことが出来れば、香りは喜んでその役割を全うします。

 調香の世界は、まさにファンタジーでそういう勉強を越えてきた人同士は、やはり強い影響を与え合うということもよく解りました。

 只、これまでやってきて誰でも出来るものではないということもよく解ります。能力やセンスなどもあるでしょうが、それ以上に先ほど自分に向かう厳しさや香りに向かう我慢強さなども必要です。

 金融世界は、大変ですがこういう仕事はこれからより世の中に影響力をもってくるような気がします。蝶人の会は、香りを通じて具体的に世の中を動かしていく機関にしていこうと思っています。

 その中では、やがて流派も出てくるかもしれません。世の中は、優しい言葉や会話も必要です。しかし、何かを作り出せる力を持っていなければ、その言葉も力を持ってくることはありません。

 我々にとって、カウンセリングや占い、未来を考察することもほんの入り口に過ぎないと思っています。

 時代は、大きく変わっていきます。香りを勉強される方も、かなりの人数になってきました。一人一人の想像力で、大きな力をつくっていこうと思っています。

 香りや、社会や世の中にとって大きな背景になっていきます。目立つことはなくても、目にみえるものではありませんが、少しずつ人の心や社会のマインドを変えていけたらよいのではと思っています。
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by fenice2 | 2008-10-15 02:25 | アロマ 香り

苔に噎ぶ三千院 ー 心の中の美しい流れ

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 大原の三千院は、紅葉はまだまだですが境内の苔は、まるで迫りくるようにその姿を現していました。香料にもモスという天然の苔の香りがありますが、三千院のこの時期の苔は、雨季の時期ほど強くなく、なんとも心を静かにしてくれるものがありました。

 世の中は、本当に色々なことが起きつつありますが、このような時期に香りの仕事をやっていて、本当に良かったと思うことが最近多いので、嬉しく思いますがその中で特に感じたことを書いてみたいと思います。

 香りは、ここで何度も書いている通りイメージに沿ってつくっていきますが、そのイメージというものを追求してくると、果たして人はこのイメージのために生きているのか、生きていることがイメージを作り出しているのかが疑問に思うことがあります。

 多分、その両方があって、イメージ=魂ではありませんが、毎日の忙しい動きの中ではどうかするとそのイメージは魂をも越えた存在になっているような気もします。

 本当の意味でイメージというのは何でしょうか?第三者の目を気にすることもありますし、自分の中でこうありたいと思う願望もあると思いますが、瞬間、瞬間の中ではやはりそのイメージが大きく影響しているような気がします。

 また、現代人は忙しいせいもあって、本当の意味でモノや人をじっくりみる習性を失っていますので、自然と内面を深く見る能力が劣ってきているのかもしれません。

 そういう軽薄な気質の環境の中で、イメージという便利な情報源はその人の人生を大きく変えていくことになっています。

 今回の世界の金融破壊もそういうイメージから出来上がっているような気がします。それだからこそ、噂や根拠の無い情報源にあれこれ動かされることになって、つい半年前までイメージの良かった会社が、地の底まで株価が落ちてしまうのを見ると、まさにそういう世界でもそのイメージが徘徊しているのが解ります。

 今の社会も、崩壊していく金融の世界も我々が本当に求めた世の中とは大きくかけ離れたものであったに違いありません。世の中が混乱していくことを肯定していくわけではありませんが、少なくとも今のままでは、悪かったことは事実だと思います。

 そういう意味でも、その人の本当のイメージをみていくことは、最初の数秒の直感だけでは不十分のところがあります。

 子供の成長のように魂にも、その成長の過程があります。香りの勉強をみていても、その深さが身についていく過程は人によって様々な個性があります。

 直感で、輪切りのように心をみていっても、もっと大切なものを見逃していることも多くあります。

 誰の心の中にも、以前書いたように美しい物語が流れています。運に見放され、すること全てがマイナスな方向に向かっている時も、それは長い物語の途中であるかもしれません。

 魂は、何度も生まれ変わるうちに高みに上がろうとしています。次の時代でどのようなことがおころうとも、死んだ瞬間には、今まで生きてきた強い悔恨や来世の希望を抱いています。

 僕の父が他界したときもそうでした。社会的には成功者と言われながらも、その死には自分の人生に対する強い悔恨を感じられ、それをしっかり受け止めることが自分の使命のように感じて、僕は少しも泣くことが出来ませんでした。

 生きているには、色々なイメージが浮かんでは消えますが、やはりこの魂の底に流れるものをしっかりつかまえてこないと、その人の本当の意味でのイメージ、もしくは生き方をみることは出来ないのはないかと思っています。

 心をみることは、実はそれほど難しいことではありません。少し訓練をしたり、修練を積めば見えてくるものがあるでしょう。しかし、その人の本当のイメージを引き出してあげることは、簡単なことではないように思います。

 混乱した世の中にとって、再び心の中の流れを見つけ出すことが大切です。その流れの両端を静かに遡っていけば、未来や過去がみえてくるように思います。
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by fenice2 | 2008-10-09 01:42 | アロマ 香り

フェアリーの香りー辛くて透明感のあるもの

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 10代の後半に、三島由紀夫にとりつかれて某作家の弟子になり、それから自分では気づかぬうちに美学の道に入り込んでいきましたが、毎日、毎日を自分の醜い部分を責めて、世の中の汚さを憎んでいました。

 純粋であったかどうか解りませんが、美のためなら何時でも死ぬことが出来ると思っていましたので、今よりもずっと危険な美学を持っていたのは事実だと思います。

 考えてみるとその頃から、今までそれほど大きな違いはないと思っていますが、唯一違っているのは天使や妖精について、単に美しいだけでなくて、甘美なものとは思わなくなったことだと思います。

 生きていくことにそれほど夢もなく、何もかも満たされた生活であったのですが、自ら美しいものを作り出せないことに、どうしようもないぐらいのコンプレックスを持っていました。周囲は、それでも僕が、色々な芸術的なことが出来るとみていましたが、全く自分の中では不満でした。

 何故、大人の仲間入りをする前に、あれほど美学にとりつかれてしまったのか解りませんが、佐賀藩の葉隠などを読んでは、切腹のやり方などを研究していました。

 生き方としては、偽善がもっとも嫌いで、次にエゴを軽蔑していました。太宰は、小説は女々しいのですが、思想家としてはもっとも説得力のある人間だと考えていました。

 確かに美しいものは、瞬間に命がありますが、僕は大人になりきる前に死ぬことが美しい生き方だと思っていたのかもしれません。自分で馬鹿馬鹿しいほど、自分を持ち上げるならこれから大人になっていって、身も心も汚れていきたくはないと思っていたのかもしれません。

 それから、何とか死なずに以前にも書いた通りハードな経験をしていったのですが、考えてみるとそのことで自分の魂や心が汚れていったのかどうかはわかりません。

 また、自分自身でも金融関係や感覚のど真ん中に立たされて、穢されてしまったと思っていたわけではなかったように思います。

 人がなかなか出会わない辛い経験を、色々してきてそれで自分にあった美学は、とりあえず粉々に壊れていったように思います。諸刃の剣のような感性は、次第に鈍くなって、インスピレーションや霊感みたいなものも、アバウトになっていきました。

 心や見えない世界に通じる能力は、繊細で傷つきやすいために、あまりに現実世界の中に晒されてしまうと、見る影もなく収縮していってしまいます。TVに出ている霊能者と名のつく方も、人気者になっていくうちに、純粋性が失っていって、能力が衰えていくように見えています。

 三島由紀夫の説によると、そういった不思議な能力や感性も含めて、高めていくのはより深くて強い美学を持つより他にはなさそうで、そのことはより高い理想や目標を持つことに似ています。

 ミラノに行ったときは、自分自身の美学で生計をたてることを考えましたが、モーパッサンと交流があった人を通じて、また再び日本の文学の話になると、やはり日本が持っている精神性の深さなどが懐かしく思い、結局は外見だけは、日本人離れをしていても、中身は少し違う花が自分の心に咲いているような感覚をもちました。

 結局、僕は10代の後半に美学に触れて、20年経ってからようやく、自分の精神性がそれと一致するようになりましたが、今でもあれほど美しいものに対する異常なパッションがなければ、穢れていなくても、何も作り出せない人間になっているように思います。

 そういう意味では、美しいものをつくることで必要なものは、まず精神性で次にテクニックや知識がくるのではないかと思っています。僕のもとで勉強されている方は、可愛そうに皆さんこの精神性を追求されてきますが、それがしっかり出来てくれば、まるで魔法のようにとは言いいませんが、香りが出来てくる現実をみると、やはりこの指導や方法で良かったのだと思っています。

 政治家もそうですが、美学さえ持っていれば、賞賛される職業もあります。しかし、こういった仕事は、残されていくものが全ての世界です。とても大変な世界ですが、世の中がどれほど変化し、破壊されていっても最期に残る世界ではないかと思っています。

 美学も精神性も存在しない、アメリカの金融の世界は崩壊し、力のある方向にうつろっていくのが関の山です。占いや予想も必要ないでしょう。
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by fenice2 | 2008-10-02 02:04 | 天使