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人を愛する気持ちー出会うべき人、出会ってはならない人

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 今日は、最近思っている愛情や愛について色々書いてみたいと思います。

 人はやはり、誰でも愛されたいし、愛したいと思っていると思いますが、それがなかなか出来ないのが人の心の常なのかもしれません。

 僕は、愛するということは何よりも理屈よりも力だと思っていますが、その力というものが何なのか、香りを一緒に勉強している人達と交わるうちになんとなくわかりかけたことがあります。

 以前に半分の魂のことを書きましたが、半分以上の愛情を持っている人は稀で、今の時代のように冷めた気持ちが多い人は半分どころか、本来の三分の一の愛情しか持っていない人も多いような気がします。

 せめて半分を持っている人は、それほど寂しい気持ちになったりしませんが、半分の半分、もしくは10分の一になった人は、とても寂しい気持ちになって、愛を奪うことや与えられることに夢中になってきます。

 愛を与えていきようとする生き方をする人は、自然に与えられる人に巡り会ってきますが、反対に愛を奪おうとする生き方をする人は、必然的に愛を奪おうとする人達に繋がっていきます。

 その結果、只でさえ少なかった愛が、さらに割愛されることになって、最期に1%ぐらいの愛情しか持てなくなって、人や社会に絶望して、ついには、もっとも会ってはならない人と出会って、自ら破滅の道を進むのかもしれません。

 人が人を陥れることで、もっとも深くて大きな罪は、絶望を与えることではないかと思ったりします。愛は、強い絶望を持つことで、あっというまに消えてしまうこともありますが、それだけ愛は繊細で儚く、壊れやすく、絶望のほうがとても強く記憶に残りやすいものなのかもしれません。

 戦争がもっともそのことを証明する不幸な出来事ですが、身近なところでも現代は、愛情や愛が壊されてしまうことはとても沢山あるような気がします。

 愛する気持ちは、目に見えにくく、また余程穏やかで静かな環境でしか、それは伝わりにくいのかもしれません。

 愛情や、愛する気持ちはテクニックでもなく、愛するという言葉に頼らなくてもよいものです。

 温かさから始まって、心に残る言葉やそういう話、尽きない思いやりのやりとりなど、実に繊細でささやかな行動の積み重ねこそに、愛情や愛を感じることがあるかもしれません。

 愛情表現は、一つ一つはたわいもなく、殆ど何も感じさせないほど軽やかなものですが、それを時間のかけて積み重ねていくうちに、深く強く感じてくるものがあるようです。

 そんな愛の強さは、何かというと人を信じることにあると思いますが、人の何処を信じることかというと、性格や人間性、人柄など色々あるかもしれませんが、やはり相手も愛する気持ちを持っているということを信じていくのではないでしょうか。

 そういう意味では、愛は忍耐強く待って、育てるものでもあるのかもしれません。


 
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by fenice2 | 2008-12-24 00:18 | 愛 愛情

博多の勉強会を無事終えてー次の時代への準備

 
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 先週は、一部香りを勉強している方だけに連絡をして、博多で勉強会をやらせて頂きましたが、熊本や佐賀など少し離れたところから参加されて頂いたり、僕自身もお陰で有意義なものになったと感じています。金曜日の最終には、ついつい勉強会が、朝まで忘年会にされてしまいましたが、日頃大人しく生活?しているせいもあって、良い刺激になりました。

 そのまま、京都で北海道の方と合流しまた勉強会をしましたが、考えてみると何時の間にか香りを勉強することを、中心として色々なことを話し合ったり、お聞きして僕が気づいたことや感じたことを、そのまま多岐にわたって話し合いをするものになっているようです。

 それだけ、香りをつくることは人の内面の部分の悩みや苦しみ、または歪みみたいなものとも深く関係してくるようなことが多いからなので、出来るだけ心の不純物のようなものを前もって、取り除いていないといけません。

 この香りの勉強会をよくどうしうものだとお聞きになる方がありますが、僕は何時も内面の勉強とか想像することの力を身につけるものだということを説明していますが、それ自体もなかなか参加して頂かないと、解りにくいのかもしれません。

 毎回、香りを作ることで如何に精神性やマインドが必要であるかを書いていますが、それには考えや思いなどに、深くて強い流れが大切であるということを、感じてもらいますが、最近特にそういうことがもっともよくわかる場所も大切であると思うようになりました。

 都会よりも、自然が多い地方のほうが、そういうことを感じていただくにはよいと思っていますが、唯一京都だけはまた全然違った結果が出せるのではないかとも思っています。

 僕自身、今は仕事の多くを京都で費やすようにしていますが、やはり日本人の感性をもっとも感じさせてくれるものがあって、今の時代のように余りにも多くの価値観や情報が多くなってくると、そういった内面の力を引き出すようなトレーニングは、東京などの大都市では向いていないのではないと思っています。

 初めて、香りを作る方にも、僕はイメージとしてその方の理想や目標としているものよりも、何処がルーツで何処が気持ちや感情が帰る場所などかに的を絞っていきます。

 僕は京都が、全ての人の日本人の故郷であるような考えはもっといませんが、少なくとも現代のようにそれを見失った人にはよいきっかけを与えてくれる貴重な場所にはなってくれるのではないかと思います。

 そうやって考えると、我々は次に進む道が見出せない今のような曖昧で不安定な時代には、より良い方向に進むことよりも、自分の帰るべき場所に向かって進んでいったほうが良いような気もします。

 自分が帰るべき場所には、未だ発見されなかった精神性の財産みたいなものが、手付かずのまま心の中に残されているような気がしますが、それも何かに生かそうとか、結び付けようとすると返って見失ってしまうような気がします。

 今週は、少しだけ東京方面にいますが、出来るだけ鎌倉とか横浜で過ごそうと思っています。まだまだ京弁は話せませんが、少しづつ思い出しているところです。谷崎潤一郎が日本橋をあとにして芦屋に移ったほど優雅ではありませんが、これからどんどん京都に入り込んでいくようです。
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by fenice2 | 2008-12-18 00:30

愛する気持ちを持つ秘術ー運命の人を探す旅に向かって

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 前回の理想の相手についてことが、よく解らない点があるようですからまた色々書いてみます。

 理想ということは、少し大袈裟で語弊がある言葉ですが、出会わなくてはならない人といえば、もっと具体的でしょうか。男と女に分かれてから、人は愛する気持ちを半分にされたというのは、ギリシアの哲学者の言葉ですが、そうであれば本来、我々は魂のパートナーを探していかなくては、本当の意味で強い愛情を持つことは出来ないのかもしれません。

 僕自身時々、今やっていることが本当は誰かの為の苦労や苦心であって、何か自分の魂の半分も他の人が預かっていて、成長させていたり扱いに苦労しているのではないかと感じることがあります。

 人間にとって、孤独がもっとも心を衰弱させる元凶だと思いますが、同時に孤独になると一人ではない貴重な繋がりを再発見することもあります。

 誰かの為に生かされていたり、誰かの為に仕事に打ち込むといことは、もっとも心や気持ちを明るく元気にさせることだと思いますが、それが実はもっと大きな意味で我々の魂に元から刷り込まれていたとしたらどうでしょうか。

 自分の為だけに生きていくよりも、他人の為に努力したり生きていくほうが、幸福だと感じるものはその辺りにも関係しているのかもしれません。

 また、不思議なことに、その魂の半分に近づいていく間にも、色々な繋がりや連絡を持っていて、それらの長く深い繋がりを感じたときに、はじめて大きな愛情に触れることが出来るというのは、アメリカのネイティブインディアンのホピ一族の言葉ですが、それによって、我々はもっと大きなもの(神や愛など)に近づいていくとのことです。

 しかし、現代人はそんな壮大な魂の物語を感じる前に、既に魂の半分の相手に出会うことすら出来ていないのかもしれません。

 恋する相手は、余りにも刹那的に様変わりしていて、昨日まで好きになっていた人も次の日には別の人を好きになっていたりします。

 また愛することは、もっと不安的で、与える愛と奪う愛の駆け引きや斟酌でその大きさや強さは大きくなったと思ったら、見る影も無く縮んでいってしまいます。

 そういう無愛想な愛の形の中で、モノや情報が細切れのように隙間を埋めていって、形だけは幸せを表していますが、なんとも美しくも無い人生が出来上がることになります。

 香りに関わらず、何か美しいものをつくろうとするときに、自分の心の中にある理想の存在を探そうとしますが、それが実はこの半分の魂の相手ではないかと思っています。

 地球が水瓶座の位置に入ってからは、益々愛に従順な環境になっていくと言いますが、強い愛情をもてない人は、これからの時代は地位や財産を持てない以上に惨めな人生を送ることになるかもしれません。

 また、魂の半分の相手は意識さえすれば実際にあえなくても、その人の愛する気持ちを強くさせることは出来ます。大切なことは、そういう相手が必ずいることとそれを強く意識するこだと思います。

 僕自身の来年のテーマは、強い愛を持つことが出来る香り、そういうものを感じさせる香りをつくることが、個々の目標になってくると思います。
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by fenice2 | 2008-12-06 01:03 | アロマ 香り

香りの中に居る理想の相手ー調香のご依頼について

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 自分にとって理想の相手とは、何でしょうか。今週は夕暮れになると特に金星が強く輝いていますが、こういう時期は、愛情よりも情念や快楽に走って、勢いあまって堕落してしまう人も多いかと思います。

 理想の人や自分が巡り会うべき人がどうなのかは、香りの世界ではもっともよくテーマにされてきたことで、素直に表現しやすい分野なのかもしれません。

 遠い夜空を見上げていると、今恋人が居る人や、既婚であっても本当は自分にとってどういう人が理想であったのか色々悩んだり、悔やんだりすることがあると思います。

 今目の前に居る人が、果たして自分の出会うべき人であったのか、それとも本当は全然違っていたのか、時に現実的な、いさかいなどが増えてくると、余計あれこれに考えてしまうかもしれません。

 どのような人でも運命的な出会いはあるのかもしれませんが、それがはっきり形になって現われる人とそうでない人はいるのだと思っています。

 人と人が本当の意味で出会うには、今の社会やシステムはとても大きな障害がありますから、運命的な出会いをして、深い恋い仲になっていくことが出来る人は、それほど多くはないと感じています。

 漠然として、生きてきて気づいたら理想の人が横にいたということは、宝くじに当たる確立よりも低いのかもしれませんが、自分にとって何が理想でどういう人と巡り会っていけばよいかということをイメージしている人は、もっと自分が想うことが出来る人と出会う機会は増えてくるのではないかと思います。

 理想のイメージに大切なことは、心の中での判断を忘れないことです。現実の中でのみ理想を積み重ねていっても、物質的な条件、(お金持ちであるとか訳なしに優しいとか)に振り回されてしまいます。

 自分の理想の相手を探すには、まず心の中にその方のイメージをしっかり持ってなくてはなりません。突然、恋におちてしまうことが理想と混同するときがありますが、恋は幻の部分も沢山ありますので、お互いの愛情が何処まであるのかの確認も大切です。

 理想の部分は、うつろい易いところもありますので、月日と共に少しづつ変わっていく部分もありますが、大体は20代前後にイメージしていた所から離れるものではないと思います。

 10代の頃は、内面の理想に逆に振り回されますが、大人になるにつれて現実の重みがのしかかってきて、やがてはその理想を人によってはしっかりと封印してしまう人もいます。

 以前からも、ご依頼があったのですが、改めて自分のイメージの香りをつくるのに加えて、自分の理想の相手の香りのご依頼をお受けすることにします。

 折角出会えたのに、その後うまく付き合うことが出来なかったお相手の方やこれから出会うべき相手の香りもイメージからおつくりします。

 詳細については、HPで詳しく今後書いていくつもりですが、ご依頼の方はメールにてご連絡下さい。

 空想や言葉の羅列だけでは、理想を維持することは難しいだろうと思います。沢山つくることは出来ませんが、理想や夢を失った人が多いのをみて、なんとか香りですることはないかと考えていました。心を動かす良い仕事になればと思っています。


E-MAIL  co-dai@trad.ocn.ne.jp
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by fenice2 | 2008-12-03 01:04 | アロマ 香り

京都勉強会の合間にー明智光秀の首塚の遺影

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永 観 堂
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銀閣寺
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哲学の道

 週末に、勉強会を兼ねたのか、観光がメインになってしまったのかわかりませんが、土曜日が特に小雨が降って紅葉を鮮やかにしてくれたので、とても綺麗でした。

 全体としては、今年は余り紅葉はばらつきがあるので、良いところと、そうでないところの差がとてもあるということでしたが、日頃から勘だけはよいのかひたすら東山近辺を狙っていたでの、良かったような気がします。

 それにしても、人が凄かったので、如何に避けることばかりを考えていましたが、それでもなんとか見たい所は見れたようでした。

 今回、知恩院の近くの明智光秀の首塚だけは行こうと思っていましたので、それに引き込まれるように東山近辺を散策しましたが、偶然にも通りかかって、買った栗もちのお店がその塚を代々管理する家であったらしく、何かの因縁か導きのような気もしました。

 また、途中で何故か歴史研究の方とも出会い、塚を前にしてあれこれ明智の談義になってきました。

 哲学者の和辻哲郎によれば、信長との戦いは、仏教徒とキリスト信者の代理戦争だったということですが、明智は延暦寺の焼き討ちがずっと心に残っていたといいますから、私恨や欲望のみで襲ったのではなかったように思います。

 それにしても、明智の首塚は地元の人でも知らない人が多く、あまりにも質素で小さな祠をみれば、何とも場違いな感じさえしてきます。

 暫くして、その塚に目をやっていますと、なんとも不可解なエネルギーが湧いてくるのが解ります。もう、流石に400年以上経って、彼の恨み節ではありませんが、その当時から彼の思惑と現実とのずれみたいなものが聞こえてくるようです。

 戦に負けこそしても、明智は自分が行ったことについては、後世の人は理解をしてくれるだろうと思っていたのかもしれません。精神世界の戦いもあって、余計に敬われる殉死の扱いにされてしかるべき人であったでしょう。

 しかるに、時代は精神世界から物質世界の欲求に推移していきました。秀吉は、モノを豊かにするために支配者になった人物ですし、その後の徳川の時代についてもキリストを断罪させたせいもあって、そういう精神性の戦いについては無関心になっていったのかもしれません。

 行き過ぎた信長の仏教徒への仕打ちが、ついにキリスト教を封じ込めることになったのですが、それも多くの僧侶の怨念であったかもしれないのですが、明智自身はそのような気持ちがあったのかどうかは、僕はどうも疑問でした。

 自宅に帰ってからも、明智自身に興味を持って、香りを組んでみようと思いましたが、古風で和風な白檀などが選ばれると思いきや、意外にスズランやミモザなどの小さくて愛らしい香りが選ばれてくるのに驚きました。

 明智自身が、もしかしたらそういう宗教戦争に巻き込まれてしまったようで、本当はもっと純粋な気持ちで信長と国づくりをやっていきたかったのかもしれません。

 その当の信長も、宣教師の記述によると熱心ではあるが信者では無かったとされていますから、自ら宗教戦争を起こしたとはいえないのでしょう。

 偶然にも、香りを勉強するにはオークラ辺りに決めていましたが、すぐ近くに本能寺があって、先日信長の墓に手を合わせたばかりでしたが、そのことが今回光秀までにいく機会をつくったのですが、なんとも深い精神世界の綾に引きづり込まれていったような気がします。

 フィギュアスケートでは、織田家の子孫が活躍していますが、明智の生まれ変わりも何処かで別の形で織田家と接すこともあるような気がしています。

 いみじくも、インドで宗教戦争のために多くの人がホテルで犠牲になりましたが、光秀のメッセージはせめて日本だけでも、そういう精神世界の争いに巻きこまれずに、それを乗り越えて平和であった欲しいと言うメッセージが聞こえてくるような気がしています。

 僕は、こういう時代になってどうも新たな宗教がまた日本内部でも力をつけているような印象を強くもっています。世界の宗教戦争を鎮めるのはとても難しいと思いますが、何処かでそれを食い止めれば、やがてはその機運が広がってくるかもしれません。

 少なくとも、一人の心の中では生きるべき存在と滅ぼすべき存在の境界線を持つべきではないように思います。まず、心の中の宗教戦争を無くすためにも、光秀の塚に手を合わす必要はあるのかもしれません。
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by fenice2 | 2008-12-01 00:14 | アロマ 香り