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夢と香りー予知夢について(追記)

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 京都もそろそろ桜が咲いてきましたが、ずっとこちらにいると、周りで騒いでいるほど、そんなに急に気持ちが高揚していくわけではないようです。昔から咲いている木も多く、街にもよく合っているので、もっと自然な気持ちで春を迎えいれるのかもしれません。

 先日から、夢について香りの勉強会などで色々試行錯誤していますが、その中でも過去生の記憶に関したものに触れていくことは何度も書いたと思いますが、その逆に未来に関しても何度も表現しているのではないかと感じたことがあります。

 香りが、夢に大きな影響を与えることは、次第にわかってきたのですが、或る方につくってもらってその香りをきいて眠ったところ、とても現実的で具体的な夢をみたようでした。

 実は、僕は過去にも予知夢のようなものを見たことが何度もあるのですが、普通の不可思議な夢と違って印象がその時はあまりないのか、大概忘れてしまい、それが現実に起こるようになって、初めて夢でみたということが、後になって思い出すこともありました。(NYのテロの夢は、何回もそれらしいものをみました。)

 今回も、夢の中で、何処か広い居間でテレビをみていたのですが、今実際に起こっている例のロケットの夢ですが、何故か場所が中東でも、イランになっており、少し違和感を覚えていたようでした。

 中東の突然の戦争勃発によって、日本では再び物価が上昇しはじめて、益々締め付けられるような社会になっていくものでしたが、こんな事件は聞いたことがないと思いながらずっと見続けていました。

 未来をみることが出来る香りとは言いませんが、少なくともそういう予知夢に誘うような香りを創造することは、作り手に関心や意識があれば、可能ではなかと最近とくに思うようになりました。

 今までにも、人の香りをつくる場合は、トップからラストまでの香りの流れをつくっていきますが、それがその人の過去から未来に生きていくイメージの流れの中に少しずつですが重なってくることがあります。

 これは、占いのようなものに似ているかもしれませんが、統計学のようなものを根拠にしていませんので、より本人の心情や精神性から紡いでいくことになっているようです。

 以前から、占いや予想学のような分野で果たして、人の将来をみていくときに統計学のように或る程度あてはめて未来を決めていったほうがよいのか。それとも個々の感情や意思によって決めていったほうがよいのか(やる気のある人が未来をつくるなど)議論されてきたところですが、今の時代のように、社会そのものが変質したり崩壊されている中では、後者の立場をたっていったほうがよいような気もします。

 つまりは、街の浮浪者も或る程度の成功者も、内面的な影響が強い(自ら路上生活をする人も多いようです。)ので、そちらの動きをみていったほうが、大きな社会や国の流れをみていく上でもしっかり未来をみつめることが出来るようなイメージを持っています。

 そもそも、動物でも自分の生きる先をあれこれ予想しながら生きていて、その根拠は感覚と経験によるものですが、人には、それに加えて知性や感性があるのは、もっと広い意味で予想を立てるだけの能力や義務があるはずです。

 ジョセフィーノ氏のようにかなりの精度で災害をあてることは難しとしても、これから身の回りのことがどうなっていくかということを見えない人は、余程感覚が鈍っているか、そういうことについて諦めてしまっているかだと思います。

 そういう意味では、夢は人の毎日の生活の中ではもっとも創造力を発揮する場所ですから、それをうまく利用していけば、色々な潜在的な力を発見したり、将来についてもより具体的にみえてくることが出来るのではないでしょうか。

 未来は、何も決まっていませんが、今の時点から未来につながる流れみたいなものは、強弱の差はあっても。はっきりとわかる部分があるのだと思います。

 単に、数秒先のボールの落ちていく場所などはそれほどの想像力がいりませんが、社会や世の中、もしくは地球や自然の動きをみていくには、香りは色々な面で助けてくれるような気もします。

 

 
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by fenice2 | 2009-03-31 03:26 | アロマ 香り

夢と香りー夢の作り方と香りの作り方

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 先日、自分でつくった香りで眠ってみたのですが、よく眠れたのですがあまり夢みたいなものは見なかったように思います。やはり、自分でつくったもののみで愉快な夢を引き出すことは難しいのかもしれません。

 世の中の人は、大変な時代の中で僕のように夢について色々考えていることは、相当余裕があるような人間にみられるかもしれませんが、こういう時代こそ今までどうでもよかったと思うことをしっかりみていくべきではないかと思っています。

 長年カウンセラーをやっている方と、今回の問題について少しだけ話す機会がありましたが、やはり寝ることや夢について考えていくことは、現代人の心の悩みについてもっとも多くつなかっていくものではないかということでは、意見が一致してきました。

 考えてみれば、人は睡眠の中に何故か夢という想像作品がついてきますが、これは人がもっとも安らぎや落ち着きを感じる時間には、想像することが不可欠ではないかということもいえるのかもしれません。

 よく、色々疲れたときは何もしたくないという思いや気持ちになりますが、本当に何もやらなくなると、それは休みや癒すことにはならずに、返って違う意味でのストレスを抱えてしまうのではないかとも思います。

 そういう意味では、本当の安らぎや心や癒されていくことは、何かを作り上げていくことであって、その行為そのものが、人がまるで夜寝ている時間を過ごすことと同じになるのではないかとも思いますが、反対によく眠ることが出来なかったという人は、想像することが寝ていても十分に出来ていなかったのではなかと、思います。

 想像するということは、常にある意味トレーニングや慣れが無ければ、なかなか出来るものではなくて、また現実の生活がそういう想像とは無縁の生活が多くなれば、唐突に睡眠で夢の世界をつくる段階になっても、とても精神的な苦痛を伴うのではないかとも思っています。

 心の問題も、とても大変ですが、この夢の問題も追及していけば、一生のテーマになっていくような気がしますが、少なくとも香りの勉強をされている方は、以前は寝つきの悪かった人もよく眠ることが出来るようになったという声を聞きますので、やはり香りをつくること=夢をつくることと言ってもよいのではないでしょうか。

 しかし、良い夢をみるためには、一人だけの想像力だけはだめで、最低2人、もしくはそれ以上の人の想像力が上手く交じり合っていくと、もっと大きくて深い夢が出来上がっていくのではないかとも思っています。

 生きていく事にあまり悦びを見出せない、今の時代は、個人の好き嫌いや想像力に頼りすぎてしまったからなのかもしれませんが、そうかといって、突然見ず知らずの人達が集まって何かを作り出そうとしても、なかなか良いものは生まれてこないように思っています。

 良い夢を持った人間というのは、古代人の人達の最高の褒め言葉だったそうですが、それは現代にも通じてくるような気がします。良い夢を作り出したり、育てていくのは、創造していくこと、何かを作り出していくことの内面の研磨を繰り返していくべきだと思います。

 表面的な技術も大切ですが、内面から切り離されて、経済のとりこになった技術はどれだけ進歩しても心の満足を得ることが出来ないような気がします。想像したものが、本当に人を心から喜ばすものであったり、感動されるものであったり、そういうものが何時でも生み出せる人は、良い想像力をもった人だと言えるかもしれません。

 また、良い想像力をもつためには、人との関係でも深い心のからの繋がりが不可欠です。両親や身内に最初から、そういう繋がりをもっている人は、良い想像力が子供の頃から育っている方が多いようです。仮に、そうでない人でも、そういう付き合いを大切にしながら年を重ねていけば、気づくと深い人の繋がりが出来てくると思います。

 想像力に、センスも才能もありません。僕は、生まれつき想像力は強いほうだと思いますが、それでも沢山の人と共有できることのほうがもっと大きな喜びを感じることが出来たり、世の中に大きな良い影響をさせることが出来ると思っています。

 

 
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by fenice2 | 2009-03-26 01:26 | 夢 希望

夢と香りー夢が現実や人の関係を支配する

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 前回からの続きですが、心という不思議なものは、近代の心理学で片付くことが出来るほど簡単で周りからはっきり独立したものではなくて、もっと奥のほうでは多岐に色々なものと結びついているのがわかります。

 けれども、人はどうして時に孤独を強く感じることがあるでしょうか。どんな生い立ちであっても、生まれたときの子供を見れば、決して孤独ではないと思うのですが、気づくとどんな集団のなかに居ても、ぽつんと一人になってしまう子供も出てきます。

 最近、特に色々な人の相談を聞いていて思うのですが、理想とか夢とかそういう漠然としたものでなくても、心の繋がりをもった関係を探していったり、作っていくことは生きていく上で人の使命ではないか思わされることがあります。

 しかし、現実に好みや、条件、時には欲望に混じって人の関係は出来上がってきますから、そういった心からのものとは、全く違う方向で流されていっていることがよくわかります。

 今日も、他の方が仕事上で香りをつくっている様子を聞いていましたが、香りを勉強している人はともかく、大抵の人は感覚が曖昧になっている人が多くて、そういう中でイメージにそったものを作り上げていく難しさみたいなものを強く感じました。

 しかし、そうかといってイメージばかりが先にいって、香りをつくることが単にイメージをつくって売るだけになってしまえば、今の香水業界が流れ込んだどうにもならならない、ブランドの世界をつくってしまったことと同じになってしまうような気がします。

 香りが内面のものと深く関係があるように、人の感覚、好き嫌いも心の奥へと繋がっていると思うのですが、そのあたりが、友人や恋人選びとも通じてくるものだと思います。

 心が曇ると感覚は狂ってきますし、感覚が鈍ると心は暗い感じになってきます。そういう意味では、創造することは、その両方のズレや歪みみたいなものをよく表すことになります。

 人は、何も創造していないと思っても、最低でも夜、夢をみることは夢を創造していることになると思っています。不眠症や、寝るのが億劫になっている人は、この夢の世界に触れることに、漠然とした恐怖感を持っているのかもしれません。

 香りをつくる行為も、もしかしたら寝る前に行うのがもっとも良いのではないかと先日から思っています。今日も、或る人に願いを通じたいために香りを作り始めましたが、その香りがまたどれだけ夢に関係してくるのか、今日からベッドにその香りを芳香させて、結果をみたいと思っています。

 童話の世界ではないのですが、毎晩ファンタジックな夢を見せてくれる香りがあれば、どれほどありがたいでしょうか。僕自身が目指している香りは、そういうような香りであると思っていますが、もっともっと夢と近づいて考えていかなくてはならないことも多くあるようです。

 
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by fenice2 | 2009-03-21 02:46 | アロマ 香り

香りと夢についてー睡眠の想像力

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 今週は、広島、大阪で勉強会でしたが、今回も色々発見することがあって、実の或る勉強会になったように思っています。

 香りが、精神的な面や心に深く影響してくることは何度も触れていることですが、夢に関係することは今までわかっているようで、不明なところもありましたので、今回は何かのヒントになるかもしれないと思って、或る体験を書いてみます。

 蝶人の会の会報には、さらに詳しく載せますが、或る地方で泊まったときに、朝まではっきりと夢を覚えていることがあって、それが偶然なのか、香りと関係しているのか曖昧でしたが、今回僕自身の香りを、長く勉強されている方につくってもらったこともあって、何か不思議な体験を導いたような気がしています。

 Tさんは、特に熱心に勉強会に参加されている方なんですが、今回は特に、何時もの何倍もの密度で、調香に取り組んでいきました。香りをつくることは、技術が増えればそれだけ壊れやすく、香料の種類も増えて、繊細なものへと進んでいきますが、それだけに神経も次第に研ぎ澄ましていきます。

 特に、どうしてもつくりたい香りがあるときは尚更で、出来ないければ、逆に大きな落胆や失望感も抱いてしまいます。シンプルがベストと言いながら、こういう上に上り詰める努力が無ければ、その言葉自体が意味のないものになってしまいます。

 香りにも設計図みたいなものがありまして、それをチャートなどと言いますが、かなり数をつくってくると、香料と分量をみただけでおよそどういうものが出来るのかが、わかります。

 イメージしたものが、そのまま表れてくるなら良いのですが、大抵はイメージ通りにいかずに気が重くなったりします。逆に、良いものが出来たときは天に昇るような気持ちになるから不思議です。

 心の中のことを、本当に表現したくない人などいないのだと思いますが、現実には色々な壁みたいなものを感じて、遠慮していったり場合によっては、封じ込めてしまうようにします。

 心は、そういう表現の制限みたいなものが繰り返されると、やがては表に出そうとする気力みたいなものも同時に失われてきます。香りは、こういう状態にある心を次第に表に出そうとします。

 数十種類の香料を混ぜていくことは、まるで人が寝ているときの夢の状態に近いのかもしれません。1時間、2時間はあっという間で、人によっては、勉強会で6時間ほど通してやる方もいます。

 香りを想像する世界は、殆ど制限するものがありません。むしろ何もかも自由なことが、大抵の人に戸惑いを覚えさせて、自信さえ失わせることもあります。夢の中で、どれだけ押しても動かない大きな石にいらだつように、イメージを香りで表現しようとすればそれだけそこから遠ざかってしまうこともあります。

 欲や執着の部分も、あらゆるところで香りには映ってきますが、それも夢と同じなのかもしれません。限りなく甘えたい感情を持つ人は、それが香りにあらゆるイメージで出てきます。

 それにしても、夢にもよく記憶しているものと、そうでないものがありますが、香りも同じようなことがいえます。悪夢は、まるで大きく調香を間違えたときに似ていますし、ファンタジックで心から豊かにする夢は、美しい香りが出来たときと同じ印象を持ちます。

 人が、毎晩みる夢というのは、実は自分の人生そのものを創造している基になっているのではないかと思いますが、しかし、夢の中でどれほど辛く苦しい思いをしても、現実にはなかなかそれを生かす手立てがありません。

 その日は、最後の課題として僕の香りをつくってもらうことになっていましたが、苦労をされましたがなんとか僕のような如何わしい人間のイメージにあったものになりましたが、その香りをつけて眠ったところ以前と同じようなファンタジックな夢を見たので驚きました。

 起きたときは、嬉しさと悦びで感動していました。朝から気分がよいというのはこういうことを言うのでしょうか。いや、それからもう数日経っていますが、まだ心地よさが残っています。

 夢の内容は、ファンタジーそのもので、綺麗なかんざしに化ける猫が3匹いて、何とも愛くるしかったことをよく覚えていますが、その他のことも色々変化する白い家があったりとなんとも鮮明に覚えています。

 想像とは、やはり基本的にファンタジックな世界を言うのではないでしょうか。逆に夢を見るときに、現実の夢ばかり見てしまう人は、自由な想像力を失っているときだといえるかもしれません。

 
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by fenice2 | 2009-03-20 02:01 | アロマ 香り

消耗する生き方と想像する生き方ー横浜の勉強会について

 先週は、横浜で勉強会を行っておりました。参加された方はお疲れ様でした。最近は、すっかり東京にはご無沙汰で、お会いできない方には大変ご迷惑をおかけしていますが、横浜では、出来る限りやっていこうと思っていますので、よろしくお願いします。

 東京は、僕自身の感性と言いましょうか、感覚がとても狂わされてしまうところがありまして、以前は住んでいても平気だったのですが、最近は、自分の感覚に戻るまであまりにも時間をとられてしまうので、意識的に遠ざかっていまうようになっています。

 自然と触れ合う時間が、少しでもないと感覚が狂ってしまうせいもありますが、何だか精神の大切な部分を街に吸い込まれていくような、妙な虚脱感をもってしまうのも良い気持ちがしません。単なる田舎モノのぼやきととっていただいてよいのですが、(一応、東京生まれなんですが、)同じ京都で香道の先生が、銀座の教室で教えていても、少しも上達していかないと仰っていましたが、東京は、心の文化を育てていくには、あまりにも適していないのかもしれません。

 消費者とはよく言ったもので、東京は、お金を消費するだけでなく、心や人生さえも消耗させる場所になっているのではないでしょうか。かつて僕も、渋谷の松涛に住んで、青山や表参道に行くのが楽しみであったのに、つい半年前にも、表参道でお茶をしていてふと街の気が大きく変わったのを感じて避けてしまうようになりました。

 気の流れや、風の道、芝公園あたりも海からの心地よい風が吹いていたのですが、それも殆ど失われていったような気がします。東京にいると、何故か他の地方に行くのが億劫になり、何でもここですまそうとします。

 便利で、スピーディーで無駄の無い街ですが、どんどん愛すべきものが少なくなってきました。10代や20代には刺激のある街かもしれませんが、精神性や気品を感じさせるものがどんどん失われていって、心の満足の無い、薄っぺらな街になってきました。

 これは、東京だけでなく、大阪や名古屋、神戸なんかにもそういう雰囲気を感じます。東京がつくった、都市化を真似るところは益々、歴史やルーツを感じさせない空間や時間をつくっているような気がします。

 そういう生命を消耗する中で、人間関係は希薄になっていって、想像することから大きく遠ざかっていきます。これは、何も根拠のないものではなくて、香りを勉強する方にはよく言っていますが、東京がもっとも僕自身がみていても、こういう勉強が進みににくい場所だと思っています。

 創造することは、楽しいことですが、自分のルーツや心を見つめていかなければ、なかなか上手くいくことではありません。目の前の流れに上手くのることや、如何に合理的に物事を処理していくという時間や、作業ではそんなことは、全く無意味に感じてしまうのかもしれません。

 しかし、何度も言っていますが、消耗する生活や時間の中では、心から繋がることが出来る友人や人間をつくることは不可能に近いことだと思っています。

 どんな世界であっても、創造する世界は人を深く信頼し、愛し合うことが出来る可能性を持っています。性格やイメージや、育った環境や人には、確かに相容れれない個性や歴史もあるかもしれませんが、前に向かう想像について、それらは乗り越えていくことが出来るものだと思っています。

 蝶人の会という、香りを勉強する人の会合をつくったのもそういう理由からです。一つのことで色々苦しみながら生み出していく生き方は、とても美しいものがあるように思います。美しいものをつくりだしていこうとすれば、それだけ自分の内面の醜さや陰が気になってきます。それがまた恥とか、奥ゆかしさみたいなものに繋がっていくのではないでしょうか。

 人の心は、今の高層化した街のように何時も変わりなく超然とすることは出来ません。心を表す風景がどんどん失われていくと、やがては心を表に出すことを諦めるようになります。建前と本音という、ありがたい精神構造に大部分の人が頼ろうとしますが、それも何時の間にかどちらが本音でどちらが建前かわからなくなります。

 香りの勉強とは何かといわれれば、僕は最近人生を消費した生活から抜け出せることだと言っていますが、それでもわからない人には、心を軽くするための勉強とも言っています。

 勉強会の参加など、色々お聞きになりたいことがことがあれば、メールでお問い合わせ下さい。

 co-dai@trad.ocn.ne.jp
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by fenice2 | 2009-03-16 01:59

春の京都の陰と陽ー人の価値観と繋がり

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 平安御所の梅は、まだまだ残っていましたが、今週辺りにはもう殆どのところで散ってしまって、いよいよ狂乱の桜の季節が来ます。街全体に多くの桜の木がある京都ですが、今年は特にまた人が多く来るのではないかと思います。

 月にかなりの時間こちらで過ごすようになってから、この街には至る所で、陽と陰があることがわかってきましたが、本当はそれがもっとも現代においても価値観をつくっているのではないかと思っています。

 先日、香りを勉強する人達で、”蝶人の会”を催しましたが、普段一対一で向き合って勉強している以外で自分の作り方を、他の人に見せるということは、隠れた部分を表に出すということですが、それはどうかすると心の奥深いものに触れることになるようです。

 単につくるということは、どのようなものでも同じですが、それがアートや美的感覚に優れたものになっていくのは、才能やセンスが必要になってきますが、香りの世界ではそれ以上に心や精神の技のようなものが必要になってきます。

 願いや祈りという白く真っ直ぐな力もあれば、復讐心や懐疑心といった黒く地を這うような力も香りには、不思議なほどその影響を残していきます。

 黒い感情を出来るだけ抑えて、白く美しい情緒を香りに表そうと、殆ど人が調香に挑んでいきますが、結果は黒くもなく、白くもないグレーで魂が縮こまったような香りが出来てしまうのが関の山です。

 そうやって、人はなんとか社会や人に対しても、親切で良い心になって、触れ合おうとしますが、気持ちや勢いが空回りして、最期はやけになって投げ出してしまうことになるのも多いかとおもいます。

 愛するには、その貴重な感情をあずける事が出来る受け皿が無くては、只悪戯に何処かにこぼれていくだけです。信頼関係を結ぼうにも、しっかりした結び目をつけるものが無ければ、宙に何度も結んでは、だらしなく、はらりと解けてしまうのがみえています。

 現代人の心の関心は、出発点や理想ばかりを追求していって、その経過や結果をみていこうとせず、恋することや挑戦することのみに夢中になってきましたが、そうやってみると、渡辺 淳一氏のような高齢者にまでそういった、蛇の道を行かせようとする人は、やはり人の心を惑わすだけの人間ではないかと思っています。

 人によっては、多くの人に伝えるべき能力や技量がある人もいますし、生涯で僅か数人の人に伝えるべきものを持つのがやっという人もいます。それでも、人が生きている以上、誰も愛せずに信頼関係を結べないという人はいないと思います。

 そういったことが理解できるのも、やはり想像の世界に触れるからだと思っています。想像したものや、作り出した結果にのみ、わかることがあります。人は創造し、何かを残していかなくては、愛情や信頼もなく、本当の意味で深く関わることは、不可能ではないでしょうか。

 結果がどうであれ、貴方が作り出したものだけを愛し理解できる人がいる以上、アートでなくても存在価値はあるのだと思います。
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by fenice2 | 2009-03-11 21:10 | アロマ 香り

精神世界の力ー魔道書ネクロノミコンと香り

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 京都、名古屋と連続で勉強会をしてきましたが今回も如何に闇が、我々の心の周りには影響してきていることがよくわかりました。景気が悪いとか、世界情勢がどうこうという抽象的な出来ごとはともかく、個人個人のことについても、遠い世界からの闇が差し迫っています。

 文明は、駆け足どころか目にも止まらぬ速さで色々なことを処理していって、悪い点があってもすぐに修正して、また進みだして行きましたが、それがあまりにも心や精神世界にとっては、危険な負債を残してしまったような気がします。

 最近、特に思うのは、我々の周りには目に見えない大きな船みたいな乗り物があって、それが乗り手の意志とは無関係に、色々動いてしまうのではないかということを感じます。

 多くの人から愛され、自らも愛することが出来る人はそういう船みたいなものが美しく頑丈で、何があっても沈まないものになっているのではないかと思います。しかし、一方で人から恨まれたり、憎まれたり、嫉妬もそうですが、そういう感情や心持にばかり触れている人は、大きく穴が開いてしまったり、随分変形したものに船がなっていて、何かあるとすぐにも転覆してしまうのではないかとも思います。

 中には船も既になく、ずっと深い海に沈み込んだまま、上に少し上がっては、また沈むことを繰り返している人もいるかもしれません。

 魂の海は、深遠で慈悲深い存在ですが、本当の意味で生きている悦びや使命をもった人間しか上手く生かしてはくれません。他人や周囲を含めて、ネガティブなマインドに陥った人には、深く暗い闇の部分に引きずりこもうとします。

 現代人は、本当に目の前の現象や義務感に躍起になっていって、何時の間にか心や内面を振り返る時間を失っていきましたが、中世でも、心の闇に目を向けることは邪教とされ、多くの貴重な資料や研究が破棄され反故されてきたりしましたが、一部の人の間だけにそういった書面や書物、などが引き継がれてきました。

 僕は、その中の、今世紀最大の魔術書というものを以前少しだけ触れたことがありますが、何故、それが書かれて、どうして魔術というものが創造できたのかということを、なんとなく理解しました。

 自分勝手な解釈や受け止めがあるとは思いますが、人の心の中には元々想像力があって、生態学者はやたら脳から何でも生まれるような言い方をしますが、実際には、その見えないものと向き合ううちに、生まれてくるものが深くて本当の想像ではないかと思っています。

 今でも、僕が新しい香りを生み出せるのは、人の心と向き合っているからであって、技術云々のみで執着し過ぎると、気づくと狭い世界での価値観、自己満足などにしか向かっていかないのではないかとも思っています。

 また、心尽くしや、心から物事をつくるという意味も、自らの心からのみに限定されて使われていることも多くて、それもいずれはこちらが良い気持ちさえもっていればよいということになります。幸福や笑顔の押し付けといったら良いでしょうか。

 そうった例は、心の中でもわかり易く、明るくみえる部分のところですが、何世紀に渡って残されている記憶や感性などは、その殆どの部分が闇に隠されていて、人が生きている本当の意味も、そういう転生の歴史のような存在をみていかなくてはならないのかもしれません。

 闇の時代が来たというと、恐怖する人も多いのですが、香りなどのように、目に見えないものをダイレクトに表そうとするもっとも、軽い物質は、今までの時代が鉄や石やガラスなどに変わって中心のものになるかもしれないと思っています。

 今でもそうですが、勉強会で自分の心を香りで表現すると何故か考えや気持ちに大きな変化がおきてきます。残念ながら、わたしたちの運命や人生を決めていくものが、心が大きな影響を持っている人はとても少ないように思います。

 わたしたちの考えや思想、価値観の多くが、社会や仕事、そういういった中での人間関係やモノによって影響されています。心は時々は、大きな叫び声をあげることもありますが、その影響は一過性のものも少なくないです。

 雲や風などのように、自由に変化できるものが身の回りに多くなっていくことが、次の時代の環境や街づくり意なってくるかもしれません。今からでも、少しづつ心を映すものが何かを探し出していけば、閉鎖された今の重苦しい時代から開放されてくるのではないかと思います。
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by fenice2 | 2009-03-11 02:08 | シャーマン

恋に似合う香りが消えていくー引き裂かれた男と女

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 調香の指導をしていてつくづく感じることは、どうしてこうまで男性と女性は相容れない世界をつくってしまったのかということです。このことは、まさに現代の男女のあり方のあらゆる現象を説明できる背景になっているような気がします。

 去年ですが、或る外資系ホテルに招かれて、恋人同士の香りをつくる企画に参加しましたが、僕自身とても面白味をもって参加したのですが、その結果はあまりにふがいないものになってしまって、がっかりしたことを覚えています。

 今香りの勉強をされているかたも、圧倒的に女性ですが、女性は香りで色々な世界をつくっていくのが好きなのに、対して男性は一つの世界を頑なに守って、その世界をイメージするものしか作り出そうとはしません。

 勿論、程度はあるのですが、この辺りが今の現代の男性と女性が立っている感性の世界が如何に違っているものかがよくわかります。市販では、様々な香水や香料が出ているのに対して、そういう感性はみたいなものは、益々閉じていっているのではないでしょうか。

 もっとも、男性専用の香水が出来たなどというのは、数千年の香りの歴史の中でほんの最近の数十年のことであるし、香りというものほど、性や年齢をこえて意識する世界は他にはなかったのだと思っています。

 男性香料が出来てから、男はある狭い部屋の中に押し込まれていって、花の香りを好きになることや香りそのものに華やかさを求めることさえタブーになっていきましたが、これは社会そのものがそういう閉鎖的なものになっていくことと平行に起こってきた現象なのかもしれません。

 社会や組織の中で、男性の匂いというのが段々限定されていって、そういう区別みたいなものの感覚から、今の禁煙ブームにまで繋がって言ったのではないかとも思っています。

 同じ匂いのするモノ同士を、群れにしていって、企業はその活動のスピードを早めていきましたが、出来るだけ短時間のうちに信頼し、手を結んでいかなくてはならないので、そういう浅く意味も無い、匂いや香りの世界が出来上がってきてしまったのではないでしょうか。

 僕自身は、ミラノにいたときはその場所の匂いや香りを愛していきましたが、それでも随分なれるのに時間がかかるものや場所などがあったように思います。

 飲食店の系列店しかり、ホテルでも日本の何処で泊まっても同じ様式のものがありますが、あれほど地域や風土を疎かにしたものが在るだろうかとも考えてしまいます。

 グローバルを香りで表すなら、きわめて薄く、粗悪なケミカルの香料のイメージが沸きます。そういう香りの背景の中で、果たして人は本当に幸福を感じたり、深い人間関係を築くことが出来るのでしょうか。

 単なる香料の問題でなく、愛情や恋でさえもそういった目に見えない背景に色濃く影響されてきます。幸福になるのは、幸福になるだけの匂いや香りが必要です。

 本当に心から許せる仲間や身内をつくっていったり、何か困ったことを真剣に考えてくれる人間関係をつくっていかなければ、そういう匂いや香りは出てくることはないのかもしれません。

 麗しい香りを持つことは大切なことですが、心の幸福を持っていない人は、まるでその香りが一時の夢か空想の中だけで終わってしまいます。

 
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by fenice2 | 2009-03-02 01:31 | アロマ 香り