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心が動く時間

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 広島、京都の勉強会の合間に祇園祭りがあり、多くの人がこちらに尋ねてくださいました。街の半分近くを使って、宵祭りや引き回しの行事がありますが、準備には何週間もかかるのに、山や鉾という大きな車の出し物を片付けるのは、あっという間なので、初めて見た人にはその忽然と姿を消すことについては、残念と思ったり、あっけにとられたりと様々です。

 余りにも壮麗で華やかな祭りであるために、魔が入ることを恐れてそういう潔い行動に出るとのことですが、32台もの何十トンの山や鉾が練り歩くのは、まるでたくさんの神社や仏閣が移動していくようで、見る以上に不思議な感じを受けるようです。

 子供の時には、何度か見たはずなのですが、聞けば年々規模が大きくなっているところがあるらしく、最近になって100年ぶりに復興した山や鉾もあります。

 祇園祭りは余りにも有名になりすぎて、ほとんどの人が先入観やアバウトな情報でその本質をとらえていないような気がします。山や鉾の中には、ペルシア絨毯をまとまったものもあり、ゲキという中国の空想上の鳥を載せたものや、ライオンの姿の段通、挙句には蟷螂をのせた山まであります。

 京都はその長い歴史の中で、今でも異文化や伝統にこだわらない動きがあるのは、そういう背景が街自体にもともとあったのかもしれません。和文化や、和風という枠だけでは捉えることができない日本人のルーツがあるような気がします。

 香りの立場から見ていても、毎日の生活の中でここまで多くの匂いや香りに囲まれたことはなかったのではないかと思っています。ひとつひとつは、それほど深い意味をなさない香りたちも、組み合わせによっては、とても感情を混乱させたり、深く落ちこませてしまうものにもなってしまいます。

 これは、我々の文明や食事、言葉など、いろいろなものにあてはまっていくことではないかと思っています。どれだけやさしい言葉があっても、えもしない麗しい香りがそこにあったとしても、その前後で、少しだけ違和感のあるものがあれば、その価値はほとんど失われてしまうこともあります。

 モノがよいとか価値があるということは、本当はもっと長い歴史や時間があって、そういう流れの中で初めてわかってくるものではないかと思ったりします。

 そういう意味では、今の時代で、国はもっとも大きなグランドデザインが必要ですし、仕事や人のつながりでも、とりあえず暮らしていくという希薄な感覚の連続では、幸福を感じることなく一生を終えてしまうのではないかと思っています。

 コンカツも結構ですが、自分がどこで暮らしていくのが幸せで、何をしていけばよいのかという根本的な問題が解決されていないと、人の関係も自分自身が生きていく意味も見失っていくと思います。

 いよいよ皆既日食も近づき、精神世界にとって、大きな転換期を迎えようとしています。モノに魂が入り込み、静かに物言わぬ存在が大きな役割を担っていくと思います。

 暗闇に光が入り込み、光だった世界に深い闇が近づいています。南半球の精神的な役割が、今後は人の心や精神世界に大きく影響してきます。

 インカの王をはじめ、様々な高貴な魂の持ち主が目覚めはじめています。心を開き、純粋性の高い意思を持っている人がもっとも大きなエネルギーを受ける時間が近づいてきました。ノアの箱舟のようにこの動きに乗れるのは残念ながらごくわずかな人ですが、それでもそれらの人が世の中に大きな影響を与えていくのは間違いないです。

 経済で人種や国の壁は乗り越えていきましたが、今後はジョンレノンのイマジンのように想像の世界が平和や愛情を結びつける世界ができてくると思っています。経済が壊れていくことは、決して悪いことばかりではないです。貧富の差を生み、戦争によって境界線をつくる原因も経済がつくっていました。

 一人でよい生活をしても、それ以上に苦しんで多くのひとが死んでいくのを、人の心は無視できません。高級な料理を食べる喜び以上に、沢山の人で会話をしながら、シンプルでも美味しいものをべることに心は喜んでいます。

 美しさや醜さ以上に、気持ちの優しさや思いやりに心は感動を覚えます。

 記憶に残るよい香りは、誰でも聞くことが出来ませんが、良い魂をもっている人は、それを作り出すことが出来ると思っています。



 
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by fenice2 | 2009-07-18 21:28 | 京都

祇園祭りー月と太陽が逆転し京都に隠されていた役割が現われる


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家康が、二条城の建設と名古屋城の建設を同時に行うことによって、皇室の権威を封じることだけでなく、皇室が持つ大きな霊的な背景をも、神仙苑を分断することで、失わせていきました。

 聖徳太子は、千年大国をグランドデザインして確かに、平城京から平安京に移った推移は、政治的なものもありましたが、結局その両方で、国の力のバランスを取るだけでなく、人々の心のよりどころのようなものを、その二つの都が存在していたことで示していたのかもしれません。

 そういう意味では、平安京(京都)は太陽のような役割を示して、政治的にも表舞台の存在でありましたが、平城京(奈良)は月のように、華やかな舞台の裏側で、仏教などの精神的な支柱を作り出していったのではないかと思っています。

 一時、政権の中心が鎌倉に移ったときもありますが、結局はその二つの都の存在が日本の文化や民族の精神性みたいなものを作り出していったことの影響は大きかったと思います。

 しかし、家康によって京都と皇室の影響力を封じ込めることで、江戸はさらに大きな建設的なパワーを見出していきましたが、その力をさらに高めるために、江戸の街を徹底した風水師や陰陽師にデザインさせていったのは有名な話ですが、そのせっかくの過去の偉大な遺産も、今や無節操なビル郡のおかげで、ほとんどが意味がないものにされているような気がします。

 江戸は、その後東京になって、まだ繁栄していきましたが約400年の間の中でほとんどが江戸時代であって、果たしてこれから先、その倍の500年以上も中心であり続けたり、繁栄することがあるだろうかと思うと、どうも疑問に思えてきます。

 少なくとも、僕は香りをつくっていて、最近の東京の異常なほどのエネルギーのレベルダウンは今まで感じたこともなく、そういう中で今度の皆既日食の日によって、東京の日本の中での太陽の役割は失ってしまうのではないかと感じています。

 世界的には、アメリカもその中心的な役割を終えてきますが、少なくとも日本の中でも輝く場所というものが、ゆっくりと時間をかけてこの22日の皆既日食を境に変わって行くような気がします。

 京都がそれに変わっていくとはいいませんが、今年の祇園祭りをみているとかつてないほどのパワーを感じています。四条通りの長刀鉾も、僕の住んでいるところからは、目の前ですが、それが上の写真ですが、その他にも、32ほどの山鉾があります。詳しくはこちらをどうぞ。http://www.gionmatsuri.jp/

 名古屋城は、かつての栄華を蘇らせようとして、本丸御殿の復元に力をいれていましたが、この所の不景気でその動きは、どうもフェイドアウトしていっているような気もします。それと前後して、何故か二条城の壁が崩れたりして、家康が築いてきた京都封じの仕掛けも少しずつ、壊れかけているのかもしれません。

 再び、京都が太陽の役割に戻り、日本の中心的な役割になれば、また長い都の歴史が始まるでしょう。地元の人は皇族が御所などに帰ってこられることを心待ちにしています。

 経済でなく、人の気持ちやマインドがもっと大切な時代になれば、悲しいほど東京にはそれが残せる場所は少なくなっています。人がそこで育ち、多くの思い出を残していくことができるのは、故郷のような深い郷愁を感じられるからなのだと思います。

 京都は、僕はかなり経ってから住んでいますが、それでも至る所で懐かしさを感じているようです。やはり10年や20年の年月ではほとんど変わらない風景がいくつも街に残っています。そしてこの祇園祭りもそうです。

 最近、元気を感じられない人は、一度騙されたと思って祇園祭に足を運んでみてください。ただ、京都市内は100%宿泊は困難なので、近隣の街や県に確保しておいたほうがよいと思います。

 







 
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by fenice2 | 2009-07-15 00:31 | 奈良

七夕と満月に起こることー人は三度過去を振りかえる

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 七夕はあいにくの雨模様でしたが、時折満月がのぞいてなんとも幻想的な時間が過ぎていました。しかし、一昨日ほど、人の心を表した雲はないだろうと思い、何時間も深夜にかかわらず、夜空を眺めていました。

 鬼のような顔をした雲が通り過ぎると思うと、急に猫の形をした雲が出てきて、次には黒い雲と白い雲が交じり合って、やがておぼろげな満月が出てくるようになりました。

 僕は、子供のころから雲を見るのが好きで、三重県の多気町というところに、村に伝統的に雲を消し去る人がいると聞いて、一人で出かけていったことがありますが、今でもその場所には時々いって、なるほど気を感じることが多いので、そういう名前がついているのかなと考えてみたりします。

 七夕は、出会いや歴史的な発見を示唆する星回りだそうですが、だとしたら今年の七夕は、とてもミステリアスな意味があるのではと、考えていました。さながら、魔女や天使が飛び交うような雲の動きをみて、なるほど過去と未来、行くものと残されるもの、などが大きくぶつかりあっているのではないかと思えてきました。

 金融世界も再び、息を引き返しているといいますが、それは明らかに世の中の人の心の動きとは逆行するものですが、先に行こうにもまだ道はなく、未来を求めてきた人が、立ち往生してしまって、あわてて引き返すというのが、今の世の中の現状ではないでしょうか。

 七夕のおぼろ月夜は、そんな人の流れや気持ちの浅はかさに少し嫌気がさして、月の女神そのものが滅びの呪文を投げかけたような気もします。

 道がなくとも、私たちはその方向に進んでいかくてはなりません。多くの人が引き戻してしまったら、それだけで私たちの未来の流れを汚してしまうような気もします。

 何故か、過去の栄光に目がくらみ権力の道に逆上りする県知事とか、民族運動を国の力で押しつぶそうとする政府とか、今更、年十年ぶりの同窓会を開いて、ぞんざいな口をきく無作法な年配者とか、そういう人たちがこの月の呪文によって、もう二度と引き戻すことができない、闇の世界に引きずりこまれてしまうような気がしていました。

 闇や影は、常に前を進む人たちにとっては、優しく、奥深い存在ですが、後退していく人たち、時代に逆行していく人たちにとっては、恐ろしい魔族のような存在になっていくのかもしれません。

 どれだけ愛し合ったもの同士でも、影に睨まれた相手とはともに歩いていくことはできないです。そういう意味では今回の七夕は、前進と決別の意味を含めてものになっていたのではないかと思っています。本来の、出会いや喜びの時間とはかなりかけ離れたものになっていたのではないでしょうか。

 

 
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by fenice2 | 2009-07-09 09:45 | 愛 愛情

愛せなかった自分を探してー二条城の神泉苑にて

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 二条城の南に神泉苑という、とても小さく一見見る価値もないような庭園がありますが、以前はもっと広大で元々皇族にだけ入ることを許された、由緒正しい庭園だったのですが、二条城の建設と共に大きく削がれてしまって、現在に至っているようです。

 しかし、祇園祭りでは、この池の水を組み込んで厄払いをするなど、空海がインドから善女龍王を呼んで、全国の厳しい乾期を雨で潤したように、水に関する神話が幾つもあるようで、元々平安京の力の源といえるような庭園であったようで、この場所がまた皇室の力の源となっていたといえるかもしれません。

 しかし、その真意や歴史はともかく、今ではすっかり観光化されて、なんともひなびた感じがするのが残念です。観光バスが、その横に何台も止まると、まるで二条城のおまけのようにされて、ここまで家康の意図が続いているのかなと思ったりします。

 しかし、ここに住むアヒルですが暫く向き合っていると、、何故か境内に上がりこんで、後ろに隠れてしまいましたが、その様子がまるで本当に人が歩いていって、境内をお参りしたように感じて、なんとも不思議な感じでした。

 招き猫というのはありますが、招きアヒルなんていうのは居るんでしょうか。聞けば、このアヒルはこの境内で成長したらしく、今でも住職が大事に飼われているそうですが、大袈裟のようですがまるで境内を歩く仕草が、昔の皇族が歩いていたように優雅に感じられました。

 吸い寄せられるように、僕も幾つかの境内を参拝しましたが、手をあわせてみて初めて、この場所には何か不思議な力があるのではないかと感じ始めました。まして、僕のように水に関係する仕事では、無縁ではないだろうとも思ったりしました。

 私たちは、今を生きていますが、前回のブログではないですが、必ず平行して過去と未来と共に生きています。今を楽しみ、今を悲しんでいるだけでなく、そのことがもう過ぎ去ったと思っている過去にも影響しています。そういう意味では、過去はもう既に終わった単なる記憶ではなく、今でも生きていて、時間が流れていると思います。

 過去の或る一点に絶望したり、また逆に歓喜したりするのは、やはりあまりあっていることではないです。そこまでの時間の流れがあって、そのことによって、結果が出ています。戦争があって、多くの人が死んで、やっと平和が訪れるようになっても、その時間の流れは生きていて、再びそのことを引き起こそうとする感覚や意識が現代にも時々飛び込んで、混乱させてきます。

 過去の歴史や時間は、狭い空間の中に閉じ込められて、あるものは何度も同じところをリピートいています。僕自身も、自分を愛することが出来なかった時間があります。今、色々なことで満たされているようにみえても、そういう過去をもう一度見つめていかなくては、あっという間に、今度は誰も愛せない人間になってしまうような気がします。

 アヒルが、歩いて境内を周っている間に、僕は不幸な時代の自分と重なり合ってきました。自分では、もう忘れ去ったようにみえた何十年もの出来事も、少しも変わらず時間が流れていて、存在しています。

 その過去の自分に何が出来るかが常に、テーマになっているような気もします。

 父も戦争を恨み、何よりもそれによって人が飢えて醜く生きていくことを自分自身も含めて憎んでいました。事業を成功させ、物質的に満足していくことで、そのおぞましい時間を癒していこうと思っていたのかもしれませんが、結果的にはやりすぎてしまったようなところがあるようです。事業を拡大していくことで、多くの恨みや妬みを招いてしまったことがそれなのかもしれません。

 生きていくためなら、人を押しのけ、欺き、蔑んでも仕方がないという生き方が戦後の日本でも当たり前でしたが、今の時代再びその怨念が浮かび上がっています。インフルエンザ騒ぎ、政治経済の破綻など、まるで今まで過去の歴史が繰り返したことを通過しているだけに過ぎないのですが、その意識や生き方から少しでも離れた人は、全く違った未来がみえてくると思います。

 未来をつくっていくなら、そういう過去の不幸な時間から目をそむけるわけにはいかないと思います。幾ら不幸で大変な時間はあっても、それでも過去は魂にとっては厳しくとも優しい先生のような存在です。
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by fenice2 | 2009-07-04 12:26 | 愛 愛情

愛情は厳しくとも美しいものー生かすものと生かされるもの

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 マイケルジャクソンさんが他界したのは、僕の世代にとってもショックなことでしたが、その同じ時期に、イギリスのミステリーサークルの表現するものが大きく変わったということです。そのことを結びつける記事などは全くありませんが、僕の中ではなんとなく合わさっていくから不思議でした。

 彼のような存在が出てくる自体が、今までの時代からすると不思議な感じがするのですが、要するに彼は常に未来から降りてきているような印象を持っていましたが、実際に先の時代に行き来していたのかもしれません。

 しかし、人間とは勝手なもので、或る時期は未来ばかりに向かって進むことがあって、或る時期には過去ばかり関心が向いてしまうことがありますが、今の時代はそのどちらでもでもない、油断すると、すぐに空虚な方向にむかって気持ちや意識が向いている時代ではないかと思っています。

 先日、鴨川を散歩していて、ふと僕自身心のつながりばかりに目がいっていたのですが、その広い横の世界以外にも縦の繋がりがあるのではないかということ感じました。

 心に繋がっている縦のものは、何かチューブのようなもので、すぐ上からくるものと、すぐ下に繋がっているものがあるようですが、それらはどれも一方通行で上からの世界からのものは、与えられるばかりで、下に流すものは、僕の意識から流れていくものばかりであるような気がします。

 上からのものが未来で、下につながっているものが過去なのかもしれませんが、それらはいずれにしても僕の意識や心の中で一端止まっていくので、決してそのまま上から下へと繋がっている中に心があるのではないようです。

 未来や、将来を感じることが出来なくなった人は、この上からのチューブが詰まっているのか、流れなくなっているために、そういう意識や気分が出てこなくなっているのかもしれません。

 逆に考えると、上も下も詰まっているという人は少なくて、詰まっている人はどちらも詰まっていて、流れている人は、少し時間差はあるようですが、うまく流れているような気がします。

 そうやって、考えると私たちは常に、未来から何かを与えられ続けているかわりに、過去にむかって何かを与え続けなくてはならないのかもしれません。子供の世話をしたり、また年配者の意見を聞いたりするのもこの意識の流れにそったものなのかもしれません。

 すぐ近くから流れてくるものは、身近な未来であるためにそれほどありがたく感じるものでも、驚くようなものでもないかもしれません。しかし、その希薄で見えにくいものほど、将来に繋がる未来があるような気がしています。

 はっきりくっきりして、一気に今の自分の夢をかなえてくれそうな未来は、なかなかそのチューブがつなげてくれそうにもありません。そして、自分とつながっているもう一つの世界にもそのチューブを通じて、未来の意識を与えていくことが大切です。

 それは、何処かでまだ残っている過去の自分かもしれませんし、この広い宇宙の中で似ているけれども、少し退化している魂に向けてのものなのかもしれません。

 いずれにせよ、今の自分が一体何を与えることが出来て、何を学んでいったかをそのチューブを通じて流していくことが大切です。それをすることによって、再び、上からのチューブで私たちは、未来の意識を与えられることになります。

 京都には、様々な歴史的な遺産がありますが、観光客の多くの人がそれらを理解して帰っていっているような気はしません。大体の人は、逃避的な意味合いや、過去の時代にトリップできるタイムマシーンのようなイメージで味わっている人も多いと思います。

 過去があって、未来があるということは単に否定したり、懐かしむことで終えるものではないのではと思います。反省は、すぐ近くの過去に対する行為ですが、悔恨はもっと昔に遡る感情の表れです。

 過去生やもっと先の未来、これからは今の自分の感覚や感情からも繋がっているものがあります。実は、今現在、何かに感動したことがその縦の世界に大きく影響していることもあり、逆に大きく落ち込んだことが、過去や未来に影響してくることが多いと思います。

 大きな感情の壁、大きな出来事に向かったときほど、この縦の世界があることを意識してみて下さい。必ず大きな力として、自分に跳ね返ってくるときがあるはずです。また、ここ暫くは、こういう感情の上下が起こりやすい時代に入ってきています。

 未来は、必ずしも形あるものが決めるわけではないと思います。大きな船も何時かは朽ちて壊れてしまいます。大きな湖も、時代とともに移動をすることもあります。

 しかし、感じたことや意識は、常に過去と未来に繋がっています。それを大切にしていけば、どれだけ真っ暗にみえる場所でも、何処かで抜け道があるはずです。

 感じたことや、意識したことを封印しないで下さい。それによって、未来からのチューブも過去からのチューブも閉じることになってしまいます。
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by fenice2 | 2009-07-01 12:07 | 愛 愛情