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香りでみる不思議な心の時間と世界

 前回からの続きですが、調香にはまだまだ素晴らしい可能性があって、今回新たに香料を変えたことによって、また新しい世界が広がりつつあるのを感じます。

 これだけ垢にまみれた社会で、自分の心を澄ましていくには、単に座禅したり言葉を重ねただけでは満たされることはないと思います。同じ瞑想するのも、心地よい自然の中でするのと、喧騒の都会の真ん中でするのは全く違う効果が出てしまうのではないでしょうか。

 貴重ですが、良い香料を使うようになって、今までに見えにくかった心の世界や背景が見えてきたような気がしています。それは、今までにも感じていたのですが、やはり我々の心や魂は、先ほどの妖精ではないですが、常に救いの世界に生かされているということを感じます。

 現実の世界の延長では、心の世界にも何時しか悪魔や堕天使、そのほかの魔物を入れ込んでしまっています。それらは、人によって形を変え、中東のシリアには何千もの悪魔の名前があるのですが、それぐらい多くの悪鬼を心から産物しています。

 それら偽者の世界を作り出すことで、本来の心の周りの背景やつながりを見えにくくさせているのかもしれません。妖精を単なる人の空想の産物というなら、悪魔も空想の産物を断言しなければなりませんが、そういいきれる人がどれくらいいるでしょうか。

 古代人や、鋭い感性を持っていた過去の人が、空想としか思えない生き物を、後世に残すように時には、壁画に描いてみたり、時には文献で、時には口述で伝えてきたのはどういう真意があったのでしょうか。

 生まれたことを喜び、生きていることに喜びを感じ、死してもなお天国を目指す、そういう一生が人の本来の生き方ではないかと、随分前から感じていましたが、最近心が荒んだ人や落ち込んだ人を相手にお話をしていても、特に強く感じます。

 社会の仕組みは、競争で誰かを蹴落とし、誰かを不幸にすることで幸福になっていますが、認めたくありませんが、僕自身もその中で生きている以上、それらの幾つかの部分は受け入れざるえません。しかし、心の世界はそれらとは、全く関係の無い価値や仕組みで存在していることを、常に感じていなくてはならないと思います。

 単に人の気まぐれと欲望で作り出した世界と、心という途方もない時代の流れから作り出した世界では、その深さや意味合いも全く比べようもないものがあるような気がしています。

 心を取り戻すというのは、そういった本来あるべき世界のほんのわずかな部分に触れるだけでもよいような気もします。心はどこかにずっとつながっていて、そして自分もはっきり感じることが出来るし、感じさせてくれる何か大きなものがあります。

 そういう意味では、心は本体個人の所有物ではなくて、預かっているものではないでしょうか。魂も同じことだと思います。

 心を過小評価して、些細なものとした人は、そういった人生を描くことになるかもしれません。心を広大に描くことによって、王様のような生活が出来るとは思いませんが、少なくとも本来の心の世界からは遠ざかることはないように思います。

 来年は、世の仕組みが益々崩壊し、心のより所を見失ってしまう人が多くなると思います。本来の心の在り方や、そういった世界に様々な方法で、触れていくことが大切になってきます。

 

 



 
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by fenice2 | 2009-12-27 12:28 | 妖精と香り

妖精の世界ー香りで解く隠された秘密

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 妖精と香りとは、昔からとても深い関係があるらしく、調香師などの中では良い香りが出来ると妖精が飛んできているのがみえると言った人もいます。

 香りに触れていますと、僕自身もふと今そういう世界に触れているのではないかと感じることがあります。蝶が芳しく花に群れるように、良い香りには何故かそういう世界に通じる道が出来てくるのかもしれません。

 香りのレッスンをしている間にも、たびたびそういう不思議な世界の話題になります。妖精の世界は、なかなか目に見えない世界ですが、感じる世界では確かにあるものだと思っています。

 先日もある香りをつくっていて、ふと迷いが生じた時があります。ある方の香りをつくっていて、急に闇に誘われたようなイメージになっていきました。苦労を重ね、自分の人生の中でなかなか楽しみを見出せなかった人の香りをつくるのは、よい香りの記憶が乏しい分、香りを選んでいくのは難しいものです。

 感覚の世界は、心が明るい人生を過ごしてきた人と、心を暗くして暮らしてきた人のものでは、自ずと違うものです。心を閉ざし、大きな壁を人の間に作ってきた人の感覚は、やはり何処か歪んでいて、感じる世界も小さく縮こまっています。

 自分で頑固に、思い込み何でも自分で決定しようとしますが、その割にはその結果については何時も自信をもてないようです。

 そして、次第に孤独になり心から話を出来る人も居なくなってきます。そのままいけば、最悪の結末になることも多いかもしれません。

 香りは希望の世界の産物であって、本来絶望や闇を表すものではないです。アロマが流行るようになって、癒しの世界では、心の闇に触れるものが多くなりましたが、元々チープな香料で大きな精神的な成果を期待させるような一部の産業が生んだ弊害です。

 心が折れて、大きな絶望を感じてしまった人に、野草の匂いを放香させても何もなりません。魔術師が、毒のあるものを組み合わせて、悪魔祓いの薬をつくったように、調香で良い香料を組み合わせて心を救う香りを目指していくしかないのかもしれません。

 尚も、カウンセリングは続き、一通り苦労を話を聞いた後で僕は、幾つかの香料を選び、香りを聞いてもらいました。僕自身、何か困ったときに何時も組み合わせるもので、自分の中ではフェアリーの組み合わせとか、天使の調香とか呼んでいます。

 何時も思うのですが、人が本当に絶望した時は、その心の様子をみて近づいた存在がいます。目には見えませんし、およそこの世のものではないかもしれません。その感じ方は人によって違いますし、例え感じてもそのまま悪い方にむかって進んでいってしまうこともあるようです。

 フェアリーの調香は、その方の頑なな心を同時に和らげていったように思います。本当に誰も助けてくれないと絶望していたときでも、感じる世界、感性の世界では実はなんとか救おうと働きかけていたものがあります。それが妖精なのかもしれませんし、そうでないのかもしれません。

 しかし、”絶望してはいけないよ”と話しかけている不思議な存在は、香りによって記憶から蘇ってくるのは事実でした。これは、僕が、今までに多くの人の香りを作って感じることです。

 人によって、その妖精の佇まいは違います。小さな蝶のような感じのものもありますし、実際に小さな小人のようなイメージを残している人もいます。

 妖精は、小さく囁き、心配そうに何度もその人の周りを飛び続けます。時には悪魔のようなものもいて、その妖精を振り払おうとするかもしれません。それでも確かに、小さな体ながら一心に囁き続けている美しい存在がいます。

 どれだけ時間が経ってもよいと思います。ある時ふとそのことに気づくと、今まで傷ついたり暗く思っていた心が急に軽くなってくるときがあると思います。そういう意味からも、香りで表現する妖精は、とても大切なことではないかと思っています。

 

 
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by fenice2 | 2009-12-27 00:56 | 妖精と香り

香りの勉強会のご案内ー横浜、京都

 
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 お蔭様で、多くの方が香りの勉強会に参加して頂いているので僕自身の予定も殆ど詰まっていますが、最近でも香りの勉強の問い合わせがあるので、ご説明しておきます。

 香りをつくるレッスンは、今はすべてプライベートレッスンになっています。ご一緒に香りをつくっていきながら、普段あまり気にもしなかった繊細な部分に、触れていきます。そういう意味では、技術を習うだけではなくて、自分の心の中の古い記憶や、眠っていた深い感情を呼び戻していきます。

 このブログでも、何度もお書きしていますが香りと記憶は深いつながりがあって、たったそれだけのことなのに毎日の感情はそれに大きく左右されていることがわかってくると思います。

 以前は、ケミカルな香料も多かったのですが、今は天然でもかなり高価な香料を使うようにしてきています。

 また、今HP自体もすべて変更していっていますが、香り=心の治療という部分をもっと色濃くあるような活動にしていきたいと思っています。今延べ人数で100人ほどの方が、勉強に参加していただいていますが、多くの人が心的な悩みや病を抱えていましたが、そういう方にも調香の勉強が如何に良い治療になるかを、僕自身のデータとして増やしてきました。

 占いのように先がどうなっていくかも大切ですが、僕はそれ以上に今生きている人間が悔いの無い生活を過ごして、生きていることを実感することが大切ではないかと思っています。

 感情は実は、その殆どを感覚に頼っていますし、その感覚の大部分は嗅覚が影響をしています。

 私たちは、感じることが大切なのだと思います。泣いて、笑って、感動するという単純な行為の中に素晴らしい、人生の教訓や深みがあるような気がします。

 心の病は、その殆どがそういうものを見失ったときに起こってくるものだと思っています。僕自身も深い精神疾患に陥ったことがありますが、自分の感情や感覚を取り戻していったのには、自分自身に長いストーリーが必要でした。

 香りの勉強は、そういった心の歪みや感覚のずれを少しずつ修正していく勉強でもあると思います。心を守ることを忘れて生きている現代人は、自分の感覚や感情がどこにあって、どこから出てくるのかもわからなくなっています。

 人を好きになることも、本当はシンプルで美しい感情です。付き合うことが出来るとか出来ないとか、そういう二次的な問題で、その美しい感情がくすむわけではないと思います。

 遠方の方で対面の勉強が出来ない方は、メールの添削による勉強方法も行っています。色々お聞きになりたい方は、このブログの横のHPのからご連絡ください。

 明日もまた横浜で勉強会です。主に、京都が中心ですが月に何度かは横浜で行っています。ご参加されたい方もメールにてお願いします。
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by fenice2 | 2009-12-25 00:46 | アロマ 香り

瞑想についてー闇の世界の匂い

 熊野の玉置山の中の闇は、かつて高野山で過ごした山の闇よりももっと恐ろしいものがありました。もし、自分の中に神というものを見出せることが無ければ、僕は恐怖のあまり多くの魔物に魂や心を奪われていたのかもしれません。

 人は絶望し、多くの悩みを抱えたまま瞑想にふけるようなことになれば、僕が体験した山深い闇での一夜の状態に似ているのではないでしょうか。闇の中から得るものなど、殆どないと言ってもよいかもしれません。しいていえば、現実から逃れて一時的に気持ちが楽になるだけです。

 悩みや苦悩は、逃げればそれだけ大きく感じてしまうものだと思います。真正面から向き合うことが出来なくとも、完全にそこから離れてしまったら、かえって負担は大きくなるのだと思います。

 闇を直視するのと、闇に逃げ込んでしまうの全く違います。闇を恐れる人は、闇そのものに入ってしまうような恐怖感があるのだと思います。闇は決して、心に入れてはならず、また本来入っていくものでもありません。

 インカのチャカナのイメージにそって香りをつくってからは、暫く闇からは遠ざかっていましたが、今の時代を見る上でこの闇はやはり無視できない存在になっているのではないかと思っています。つまりは、心の中にも外にも闇や地獄のようなイメージを持っている人は、世の中には沢山いるということです。

 本来、闇は、静かで心の安寧を与えてくれるものでもあったように思います。平和な時代の中での瞑想は、人の精神世界の中で大きくな成果を与えてくれたでしょう。しかし、今の時代の闇は、惑いと悩みと苦悩しか与えてくれそうにありません。

 苦しみを感じたら、苦しみと抱き合って苦しみの真意を聞くしかないです。悩みだしたら、悩むことの意味を問いただすほうがよいです。

 生きてる意味を感じられなくなったら、何かに役に立つように行動し生きるべきです。

 目をつぶっても闇を意識することはよくないです。真っ暗な中にも光を感じ、人よりももっと大きな存在があることを知るべきだと思います。

 闇の中で答えを出そうとしないでください。どれだけ眩しくとも、光り輝く場所で、色々な答えを探すようにしてください。

 目をつぶると何が見えますか?恐ろしいものしか見えない人は、それ以上闇の想像力を進めないことです。そこから、なかなか下がることも出来ませんが、じっと我慢強く待っていれば、必ず光は見えてくるはずです。

 
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by fenice2 | 2009-12-20 01:08 | 悪魔

瞑想についてー時間と背景、再び玉置神社にて

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 性懲りも無く、また長い時間を掛けて玉置神社に、行ってきました。今回は、1年以上香りを勉強している方と一緒だったので、名古屋から出発して、尾鷲を回って熊野の奥地に入っていきました。

 時間は結局は5時間近くはかかったと思いますが、しんどい山道が、2時間以上続いたのには、時々気が滅入りそうになりましたが、晴天で景色はこの上ないものがありました。

 僕は、滅多に瞑想をしないのですが、この場所に来ると何故かそういう気持ちにそそられます。心地良い神社というのは、下界にも色々ありますが、千メートルの山々に囲まれた千メートルの場所が余計に、心の内面に向かって自分の気持ちを沈めていきます。

 最近、瞑想ブームなのか、京都でもよくそれを行う場所はありますが、余程の環境が揃わないと、無下に瞑想は避けたほうがよいのではというのが、僕の持論です。瞑想は、時に心を大きく開いて周りの気を呼び込むことになるそうですが、それならば出来るだけ空気の綺麗な神々しい場所でやるのが良いと思います。

 僕も、街中でも時々目を閉じて色々考えたり、夢想したりしますが、瞑想はかえって邪念が入りやすいので、そういう場所ではやりません。

 それが修行不足だとか指摘する人も居ますが、果たして瞑想がそんなに苦しい思いをしてやるのがよいのかは疑問です。ヨガのように、もっと体を動かしてリラックスさせていくもののほうが、心にも体にも健全なような気がします。

 瞑想は、基本的には、自分の気持ちを心の中に沈み込めていく作業で、もし自分の気持ちに荒々しいものが多くあれば、かえって心を乱してしまうことも多いです。犯罪者は、意外と瞑想癖みたいなものを持っている人が多いように思います。

 瞑想は、自由に自分の心を開くことが出来る、ものですが、昔からそれをしっかりやりたいがために、茶道や香道などの文化が発達したとも言われています。

 香りをつくるときは、確かに半分瞑想状態のようなときもあります。しかし、それもよほどしっかりとしたイメージが出来上がってからでないと、単なる思い込みで作り上げてしまうことにもなります。

 また、瞑想は現実逃避のような状態を心に習慣づけてしまうこともあります。自分を無にしてまで、受け入れなければならないことは、実際に世の中ではそれほどあるようには思いません。

 感覚を磨いて、正しい情報を受け入れるようにして、それでもわからないことがあれば瞑想するのも良いのですがその場合でも自分の周りの空気や背景が大切なことは言うまでもないです。

 瞑想で文化は出来ませんし、人の幸せ心の平安もそれで得ることは難しいと思います。

 また、続きを書きます。


 

 

 

 
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by fenice2 | 2009-12-16 02:07 | 奈良

悪魔祓いという玉置神社を尋ねてー現代の悪魔とは

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 先日、思い立ったように熊野ほうに車を走らせて、熊野神社の奥の院でもある玉置神社に参拝に行ってきました。日本の数多い神社の中でも、悪霊ではなく、悪魔祓いという神事があるのもここだけで、創設も紀元前30年から40年とされてしますが、もっと古代に遡るという人もいます。

 後で知ったのですが、最近ではパワースポットなどととも言われているらしいのですが、僕は境内の写真を見た瞬間に何故か魅力を感じ、その日に行く事にしました。

 時間は少々かかると思っていましたが、京都から5時間近くかかることになりました。元々父の在所は奈良ですが、先祖の墓は未だに吉野の下市にあって、僕は考えたら母方は、霧島神社の末裔で、父のほうは修験者の里が郷里なので、なるほどの僕自身も怪しい方向に行きそうになってしまうのはよく分かりました。

 変な趣味がありまして、大体山に行くときは真夜中か夕方以降が多いのですが、流石に熊野は山深いこともあって、夕方には着くようにしていたのですが、都市生活者にとってそこはあまりにも常識はずれでした。

 千メートルの山の上まで車で行くことも、なかなか無いことですが、真っ暗な山道を登っていて果たしてこの上に本当にそんな立派な神殿があること自体が不安になってきました。

 山深い、道を運転してきて僕自身は、一体何から守ってここまでの場所につくったのかを想像したり考えたりしていました。また逆に考えれば、現代人は一体何を守っているのかと考えたりしました。

 昔は、まだ男や長が家庭や組織を守る意味や、遣り甲斐を見つけてきたように思います。生活という面だけみれば、今はお金が占める割合が多くなって、男性よりも女性が収入が多ければ、セキュリティーでさえお金で買えることになります。

 しかし、精神や心はどうでしょうか。それを守るのに男性も女性もあるのでしょうか。

 熊野修験者に女性は、まず居ません。女人禁制だといういう修行場も幾つかあるようです。相撲の土俵も元々女人禁止ですし、そこに本来心や精神世界の中でも、男性でしか出来ないことと、女性でしかできないことがあるような気がしています。

 千メートルの神社に着いたときは、あたりは真っ暗で一人もいませんでした。かすかに地平線がみえて、熊野の山々の中にいて、果たしてここがどういう意味があるのか感じ取ろうとしていました。

 僕は、以前少し書きましたが、悪魔儀式なるものを中東で少し触れましたが、悪魔というものが人の中に居ることがどういうものかといえば、実感としては中から起こったものではなくて、外から受け入れてしまったというものが正確な表現ではないかと思っています。

 不思議なことに位の高い悪魔ほど、相手の心を読むといいますが、僕が接した若者も何故か僕しかしらない事実を沢山知っていて、話したりしました。

 玉置神社の全く明かりのない暗闇の中でしばらく瞑想していると、僕は身震いするほどの恐ろしい何かを感じました。熊野の山々が、まるで僕の心の中の世界と一緒になって、正面からくる何か大きなものが、そこに入ってくるような感じでした。

 幸い、何故かその大きな存在は僕を大きく通り越して、もっと後ろのほうに、都会へと流れていったような気がします。あくまで、ほんの数分のことでしたが、この世には心を襲う何か大きな存在が、あることを感じることが出来ました。

 現代では、個性や才能を伸ばすための機会が色々あるようですが、果たして僕は心も含めてそういうものは、もっと静かに見守ってあげることが必要ではないかとも感じています。特に小さなお子さんに、英才教育といって、あまりにも自分自身の時間を失わせてしまうことは、良いとは思いません。

 景気対策や、国としての政策もそうだと思います。一度弱った体にあまりあれこれ手を出し続けることはどうでしょうか。苦しむとも内面(国内)から出てくるものを、じっと待つことも大切です。

 何もかも不出来の子も、ただ成長を見守り、虐めなどから守り続ければ、何かが個性や才能として芽生え続けるようなことがあると思います。僕自身の香りの勉強も、才能を引き出すというよりも、外から如何に自分の心や精神が危うくされているかを知ることに、本質があるのではないかと感じることが多くなりました。

 守らなければならない心や精神のためにも、蝶人の会の活動ももう少し、カウンセリングの部分も必要ではないかと思っています。

 現代の悪魔は、人の心に力や技術で入ってくるものです。仮に自分自身がそれに加担すれば、大きなしっぺ返しを経験することになります。

 入っていけないもの、守るべきもの、こういうものに無頓着な人は、どんな良い面があっても最期には、良くない結果を招き入れてしまうのではないでしょうか。


 
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by fenice2 | 2009-12-11 16:48 | 悪魔

母の愛情と呪いと怒りー現代の鬼子母神の匂い

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 最近、やたらと母親の愛情が深い故に犯してしまった過ちみたいなものに気づかされることがあります。鬼子母神は自分の子供の可愛さあまりに多くの人を殺めてしまった神様ですが、熊野の神様のルーツにも、首のない母体が子供にお乳を与えて命を救ったという言い伝えがあるそうです。

 不思議なもので、母親の愛情は何時の時代も絶対視される傾向があり、父親の愛情や兄弟の愛情などの比べてもその深さや大きさなどと比べても計り知れないものがあります。やはり、子供を生むという行為やそれを慈しむ心には、体験したものでないとわからない深いものがあります。

 しかし、その深さ故に罪をつくってしまうことがないでしょうか。特にこれだけ時代が変化している中では、その母親の愛情が、とても大きく歪曲しているような印象を色々なところで感じることが多いです。

 6人ほどの男性を殺し、結婚詐欺をした女性ですが、これと似たような事件が鳥取でも起きましたが、これは僕はこの鬼子母神の愛の深さからなる過ちと同じような深層心理から出ているのでははないかと見ています。

 二人の殺人者とも、僕は母親に強いイメージを与えられながら育てられたのではないかと確信しています。つまり、その子のために罪を犯しながら育ててしまった子供は、その罪をさらに広げて育っていくような気がしています。

 最初の罪は小さいものであったのかもしれません。他の兄弟よりも少しだけおかずが多いとか、単なるえこ贔屓ぐらいであったのかもしれません。

 それが、次第にエスカレートしてきて、あまり愛が強くなればこの子さえしっかり育てば、他の子は全員死んでも構わないと何処かで思うようになるでしょう。父親や、周りの人間に本当の意味で博愛精神が無ければ、かなり愛情が偏った環境が家庭内にも出来てしまいます。

 鬼子母神が人として生きていたときも、最初から子供のために他の人間を殺しても構わないとは思っていなかったのかもしれません。お釈迦様が、子供をさらって初めて他の人の悲しみに気づいたと言いますが、それだけ母と子、そこにある深い愛情は深くなるだけに大きな罪科を背負ってしまうのではないかと感じます。

 一人の女性として、心から愛することが出来る人に出会わないのは、そういった母親の念やどうかすると心の中の憎悪に妨害されているのではないかと、ふと先日ある方の香りをつくっていて感じました。

 以前にも書きましたが、国によっては子供の生奪権(命を奪う権利)が母親にあるとする所もあり、動物の世界でもしばしば母親が子供を間引きして、生かすものと殺すものに分けて育てることもあります。

 子として母親からの愛情はもっとも尊いものですが、逆にそれが歪めばそれほど厄介なものはないように思います。親を大切にと簡単に言いますが、僕はこの母の愛情に関してはもっと多くの人が関心をもって、そういった歪みを直していくべきだと思っています。

 母性を表す香りにローズがありますが、これがやたらに増える傾向がある現代人の心理面には、そういった強い母の愛情を受けて、自分だけが救われれば良いという強いエゴイストな部分が見え隠れしています。

 戦争にもしばしば薔薇がイメージされることもあります。

 歪んだ母性を正しくするようなイメージの香りをまたつくってみたいと思っています。やはり薔薇は深い谷や奥深い森にあってこそ本当の価値があるのかもしれません。

 現代の心の闇や病の中で、この母性愛はとても大きく影響していると思っています。
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by fenice2 | 2009-12-07 20:37 | 滅びの匂い