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夢を与えること、与えられること

 夢を与えてくれるものは、人によって違いますが、僕個人の意見としては、与えられた夢をそのままにしておくことはよくないのではと思っています。

 生きていると色々辛いものがありますから、何か生きがいや夢みたいなものを求めていきます。時には、それが行き過ぎると、お酒や賭け事にも走ってしまうこともあると思います。

 僕も、もっとも大変だった時期に、生きがいとか、夢というものを与えてくれる人がいました。何故あれほど、心や気持ちが追い求めていったのかわかりません。それほど、心が乾いていたような気もします。

 やはり自分には持ってない部分を多く持っていたのからなのかもしれません。そうかといって、恋人のような存在でもなかったですし、親のような愛情を与え続ける立場でもありませんでした。

 時には、とても身近に感じたり、時にはとても遠い存在になったりしましたが、気づくと20年近くもの付き合いになりました。途中は、僕が夢を少しは与える立場にはなっていたように思いますが、少なくとも10年近くは、色々な意味で与えられることが多かったようです。

 最近になって、自分の夢らしきものや生き方の目標みたいなものがぼんやりわかってくると、なぜかその与えられていた夢というものが気になりはじめました。

 いつの間にか、香りを通じて自分自身が夢をつくりだす立場に立たされるようになっていましたが、反対にその方は夢を生み出すことに苦労されているようでした。別の言い方をすれば、世の中を変えていくだけの創造力を失っていたのかもしれません。

 先日、僕は心をこめてつくった香りをその方に送りました。少し特殊な立場の方ですから、すぐにお礼がくるようなことはないと思いますが、僕自身の中ではもっとも遣り残したことをやったような満足感もありました。

 社会や世の中は、意外とそういうもののやり取りで出来上がっていくのかもしれません。それが、TVなどに出ている一タレントであっても、もっと古典的な能のような世界からのものであっても、与えられた夢をそのままにしておくのは自分の夢をしっかり見るためにもよくないことです。

 香りの勉強会でも憧れの人の香りをイメージしてつくってくると自分の心の問題にあたってくることも少なくないです。人は生きていくためには、時には夢も希望も無い環境の中で生きていかなくてはなりません。

 時に、与えられた夢は生きるための糧になることもありますが、上手く利用されるだけで終わってしまうことも少なくありません。

 本当の意味で自分の夢が見つかった人間は、そういった与えられる夢を必要としませんが、過去に助けられたという事実や記憶だけは、魂のどこかに刻み込まれています。

 親の愛情も大切ですが、社会や世の中から与えられた夢も僕は大切なものではないかなと思っています。

 正しく澄んだ夢は、さらに新しい夢を生み出すことがあります。人は、自然や大きな存在のために生かされていますが、人が人を生かし、救う世界も失われてはならないと思います。

 森ガールや、自然の回帰も良いですが人が人を育て、夢をつくる世界を見失ってはならないです。

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by fenice2 | 2010-01-31 02:16 | 夢 希望

夢をつくる仕事

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 以前、或る特殊な仕事をしていた時に、東京の赤坂の高層ホテル缶詰状態になりましたが、半月ほど泊まって、ずっと外の光景をみていたことがあります。

 朝起きると、ベッドで朝食を取りますから、まさに出勤もありませんし外の喧騒も感じません。雨が降ろうが、曇りになろうが、室温は一定を保っていますから、まるで無菌室にいれられたような状況です。

 僕の仕事は想像することが仕事でした。如何に新しい夢のような世界を表現できるかにありましたが、一日中夢とはなんだろうと考えていると、気づくと空ばかり眺めるようになっていました。

 僕は、若い頃に色々苦労が続いたとき、ふと今自分にある夢というのは、何処からか与えられたものではないかと気づいたことがあります。僕には、不思議と次々に新しいアイデアや技法みたいなものが浮かんできましたが、それらは自分で生み出したものとはいえなかったようです。

 与えられた夢やそのイメージが果たしてよいものか、どうか色々考えてみました。しかし、結論としては与えられた夢は、自分には相応しくないだろうと感じるようになりました。

 何故僕がそんなに与えられることになったのかわかりません。世の中の人はこれを運が良いとか、幸運とか呼ぶのでしょうが、僕にとってはなんとも苦痛でした。

 ふと下をみると、今度は人が蟻のようになって、スクランブル交差点を渡っています。毎日、毎日それをまるで鳥のような気分になって眺めていると、同じ時間に同じような人の波が出来て、そしてそれが繰り返し、繰り返し浮かんでは消え、消えては浮かんできました。

 人は、みんな与えられたもののために、生きて、与えられたものをずっと大切にして生きているのかなと漠然と感じましたが、それならば一体誰が生み出すのだろうと心配になってきました。

 今までの社会や世の中は、僅か数人の人間の想像力で動かされた時期があると思います。想像した人たちは素晴らしいと思いますが、それでも所詮人が生んだ世界です。

 少しぐらい歪んでいても、不細工な形をしていても自分で生み出すことが本当はもっと大切なことではないでしょうか。創造力や、想像そのものが選ばれた人にしかあたえられた権限とは思いません。

 深い絶望や心に傷があると、想像したものがやがて社会と対立するものを生み出すこともあります。

 テロや、アフリカの紛争はまさに悲劇です。僕も含めて日本人の多くは、その人たちの苦しみを理解することは難しいと思います。

 しかし、僕たちは自然に生活していても、そういう人たちの叫びや苦しみは、体の感覚の中のどこかに受けているのだと思います。僕は、香りをつくると何時も苦痛の叫びを感じます。人によってはそれを大きく受けている人もいますし、そうでもない人もいますが、受けていることには違いないです。

 不景気で不安定な世の中ですが、そういった叫びや苦しみを感じるのは良い時代だと思っています。一人一人がそれを自覚することによって、理屈まみれの生活から抜け出すことが出来るように思います。

 優しくなるには、心の強さも大切だと思います。意味不明でも、心の辛さを感じることができた人は実は幸せなのかもしれません。

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by fenice2 | 2010-01-28 19:31 | 愛 愛情

何故愛するのか、何故助けるのか

 僕自身、ここ何ヶ月かは仕事以外でも、どうして愛してどうして助けなければならないかということに、自問自答していました。国連の組織とか、国境無き医師団とか頭が下がる思いの活動をされている方は今の時代は沢山いますが、そういった特別な救いと、単に身の回りの人を助けるということが、どう違うか考えさせられたりしました。

 アンドレジッドの”一粒の麦、もし死なずば”にもありましたが、自己犠牲は尊いものですが、それを何時、どういった時にやればよいのかというのは、実はわかっているようでわかっていないところがあります。

 大抵の人は、悲惨で生きるか死ぬかになれば自分のことはほかって置いても誰かを助けたいという気持ちになると思います。しかし、ハイチなどをみても実際は、食べ物に困るとそのために誰かを傷つけてしまうという矛盾も起こってしまいます。

 僕が、思うに現代は人を助けるということがとても難しいものになっているような気がしています。仮に目の前の人を助けても、果たしてそうすることが良かったのかどうかなどとその後、自問自答してしまうことも多いです。

 以前も書いたとおり、重い荷物をもった年配者が道を渡るのも困っていたら、それは手助けしてあげるべきです。しかし、事業を失敗した人を助けようとして、さらに多額のお金を貸してしまうことは、なんともいえないことです。

 人を救うというときに愛は欠かせませんが、しばしばそれらを一緒にすると混乱してしまうこともあります。自分の子と他の子が同じように危ない目にあうと、大抵の人は自分の子供を救うものです。

 それを、自分には博愛の精神が無かったと責めても仕方がないのですが、現代はこの辺りをなんとも複雑にしてしまっています。スピリチャルブームもこのあたりのからみに、うまくのっているのではと感じます。

 人を助けることは、スポーツに似ているところもあって、瞬発力も要求されてきますから、実際には考える間もないことが多く、またそのときはとてもすっきりして心地よいと思います。

 しかし、その後裏切るようなことがあれば、その心地よい感情と逆のものが湧き上がって助けたことを後悔してしまうことも起こります。

 現代人は、愛情と救いについてあまり考えなくなっています。そして、やがて数々の裏切りにあうと救うという気持ちも、愛する気持ちも失っていきます。

 僕自身も愛しても、裏切られたことは何度もあります。何日も悔しい思いがしたり、時には恨みのような感情も出ることはあります。

 不思議なことに、愛することは何も求めていなかったはずなのに、救いだすと何か結果を求めていくのかもしれません。助けることは、一歩間違えば自分の立場を有利にして、いつの間にかそのことで満足してしまっていることもあります。

 以前、フィリピンのワニ園をつくるときにODAと、僕たちがやるほうのどちらがより効率的で結果がでるかを比べたことがあります。政府の方の投資金額のほうが、我々のプロジェクトよりも遥かに大きかったのですが、結果は殆どのワニを殺してしまっていました。ひどいときなどは、ワニの餌になるべき鶏を現地の人が食べていたようです。

 愛するから救うのであって、救ったからには後まで愛情をもって見守る必要があるのかもしれません。そういう意味では、救うというのは愛するという気持ちがある中でのみ価値があるのかもしれません。

 助けるという仕事は、時に権威になりお金が動くだけにややこしくなります。もしかしたら、偽善で助けるものに職業的なものは、劣るときがあるかもしれません。

 無償で助ける部分をもっと自分自身に増やしていくことが大切なのかもしれません。今年は、蝶人の会で無償で人生相談をする枠を増やしていこうと思っています。

 今生きていることで、何もしないことは罪をつくっていくだけかもしれません。

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by fenice2 | 2010-01-27 20:47 | 愛 愛情

愛することと誰かを救うこと

 
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 北野天満宮の梅も、今年はかなり早いのか、もう2分咲きのような感じです。京都に来て、もう直ぐ一年になりますが、こちらで仕事をやらせていただいて、本当に色々な方向性を見つけることが出来たので、有難いと思っています。

 季節を感じながら生きていくことの大切さを、特に香りに関しては深いつながりを感じています。同じ山や木々でさえも、ずっと一年を通じてみていかなくては分らないことも多いと思います。

 人の心もそうだと最近特に思うようになりました。調香を通じて、見えない世界の色々な部分を表現したりするうちに、その延長でカウンセリングや占いの分野まで活動を広げるようになりましたが、そろそろ自分の中で納得できるものと、そうでないものを分けていくべきだと考えるようになりました。

 誰かにアドバイスや助言をするにも、その場だけのものはどうも僕には合わないのではないかと去年あたりから強く思うようになりました。もっと正直にいえば言動に責任を持つことが難しくなってきてしまいます。

 今は、お蔭様で多くの方が香りの勉強に参加して頂いているので、それを通じて心の中のことや将来について、深く色々な方向で見ることができます。

 見えない世界のものを形にすることで、誰もがわかるモノになり、そこからまた新たなことを発見したり学んだりしていきます。以前にも書いたとおり、人が人を観るということは、とてもリスクのあることが多く、曖昧で矛盾を帯びてくることも少なくありません。

 僕自身、人間ですから間違いを起こすことはあります。特にそういった特殊な世界や能力の中では、感情や体調などによって、アドバイスする結果も大きく変わってくることもあるのかもしれません。

 魂や心は、はっきり見えない世界ですが、それだからこそ古代の先人たちが、それを形に現そうと努力してきたのだと思います。残念ながら、今のスピリチャルのブームは、それを先祖帰りさせて、形あるものをまた摩訶不思議な世界に引き戻そうとしているように感じます。

 占いは、その中でどのような位置を占めることになるのでしょうか。ちょっと僕は、危うい場所に来ているのだと思いますので、その分野での仕事は極力控えておこうと思っています。このエキサイトの仕事も、今月一杯で終える予定です。

 今後は、香りをつくったり、指導していく部分、もしくは文筆していくほうに集中しようと思っています。

 人を助けるとか、愛するということももっと自然で出来る時代が近づいているような気がします。

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by fenice2 | 2010-01-26 13:49 | 愛 愛情

人を幸せにする技術ー調香の可能性

 最近、新しいパソコンや携帯をつかっていても本当に、技術というものと人の幸福感みたいなものがズレてきていると感じることが多いです。まして、それが少し壊れたら自分で治せる人はどれぐらいいるのでしょうか。

 僕は、機械おたくで今でも機械類は、車をはじめ腕時計でも素人なりに治して使いますが、流石にここ数年の車などは、ボンネットを開けても手をつけることが出来なくなりました。

 何もかもが、製造者任せで果たして、どこまで信頼できる生活が出来るだろうと疑問に思ってしまいます。

 落語家や噺家などを漠然と聞いていますと、やはり名のある人は耳に心地よい響きを残しますが、まだ駆け出しの噺家などは、幾ら話し方が上手くとも少し苦痛に感じる瞬間があります。

 人が人を幸せにしていくのは、やはりその部分の技術を磨いてくるべきではと思っています。

 香りの技術なども、名作と呼ばれるものを分析して、忠実に再現すればよい香りが出来るはずですが、現実には何かまっ平らな感じのものしか出来てこないから不思議です。

 自分で感じて、人に香りをきいてもらってそれでどういうものが、どういう風に心地よいのかということは、偶然に出来たものも含めて、その感覚を一つ一つ覚えていくしかないような気がしています。

 たった数本だけで傑作を作ろうとしたり、誰もが名作だと思えるような香りをつくる夢を抱いている人が、こういう仕事に携わった人は多いのですが、僕は本末転倒であるような気がしています。

 共感は大切ですが、自分だけが納得する部分をしっかり確認することが感性の世界であると思っています。それを持っていない人は、色々な価値感に流され、結局何も心から満足を得ることが出来ないのではないでしょうか。

 調香の技術にしても、結局僕自身も人が人を幸せにする色々な部分の結晶ではないかと思っています。どれだけセンスや感覚の良い人でも、そういった人と人が接して、本当の部分で幸せを感じたり、感じさせたり、愛情を与えたり、愛されたりそういった時間を過ごしてきていない人は、何処かで詰まってしまいます。

 社会全体が、今の時代、何処か閉塞感があり、圧迫された感じがあるのは、そういった本来かなうべきはずの技術、人を幸せにするものから大きくはずれてしまっているからだと思います。

 香りで心の救いのようなものを求めていている方に、調香師の技術をこれでもかと見せ付けても何もならないように、今のテクノロジーの進み方は、どうも人の心や気持ちから離れたものになっているのではないでしょうか。

 その間違った方向性の技術を、過信した人たちがオタクのような文化をつくり、それが今密かに広がっていることは、あまり喜ぶべきことではないのかもしれません。

 僕は、人と触れることが好きですし、人と会話することも好きです。そういう中で喜びや、楽しさを沢山みつけてそれがまた、調香の技術になっていきます。

 傍目には、100種類近くは使い、とても複雑な技術に見えますが、その方が心から感動するものを一つ一つ積み重ねていくことは、とてもシンプルで分りやすいものを足していくことに他ありません。

 見過ごしそうな小さなものの中に、深い感動や喜びになるものが埋まっています。僕は、生活の中が、まるで何時も調香しているような錯覚を感じることもあります。

 どんな所からでも、創造できますし喜びは生まれてくるはずです。特別な愛や、稀有な関係に追い求めているのは、単にそういった結果を夢見ているに過ぎないです。何時まで経っても、夢は夢のままで実感するものがありません。

 夢を得ることは、まず小さな喜びを見出し、感じることではないでしょうか。

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by fenice2 | 2010-01-25 23:31 | 調香・錬金術

夢と人の感情ー新しい香りの提案

 香りは、社会や世の中の動きと面白いぐらいリンクして進んでいます。NYは、テロのあとに香りの好みが大きく変わっていきましたし、日本でも香水からアロマに変わるようになって、木や土をイメージする香料が増えていきました。

 いわゆる癒しや安らぎを与えてくれるものは、葉の匂いや土の香りなどですがこのところあまりにもその香料に偏りすぎていて、もっと人の気持ちを華やかにしたり、豊かにしてくれる香りは遠ざけられてきました。

 僕自身も、相手の方の香りをつくっていてそういった世の中の傾向とか流れみたいなものからは避けられませんから、去年までは、グリーンのイメージに色々な意味で翻弄されていたような気もします。

 香りをすぐに運気という曖昧なイメージのものと結びつけることは僕はしないのですが、臭い匂いの中に囲まれていて、周囲の人に良い印象を与えないのですから、良い感情が生まれることはないのですから、自然と運は悪くなってくると思います。

 感情が、記憶をつくりそれが思い出になりますから、やはり意味もなく悪感情をつくることは避けたほうが良いと思います。

 今回、僕の元で香りを勉強している方で新しい香りの提案をしましたので、それをご紹介します。

 現代は、小さなマンションの部屋の中で、空気が同じところを対流し自分でも気付かないうちに、良い香りのものも悪い匂いの中に混じって、悪臭に近いものになっていることもあります。

 基本的には、消臭がよいと思いますが、臭いものに消臭の繰り返しでは、殆ど良い香りの環境が保たれるときがない時間を過ごしていることになります。

 夢を生むのは、豊かな感情や感性です。そしてそれは、現実から生まれてくるものに他ありません。今をよくしていくことの中で、生活に香りをうまく取り入れていくことは、単に心で願ったり祈ったりする以上に、現実を変える力を持つと思います。

 去年まで、敬遠されてきた香りをあえて組み合わせて、部屋で使う香りを作りました。”蜜の森”というテーマです。ご関心のある方は、サイトを覗いてみてください。

無花果の精



 
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 今後、夢の基(ゆめのもと)30ml 本来の人間関係を取り戻す サンダルウッド、ガルバナム、バイオレットリー、光の玉座(ひかりのぎょくざ)30ml 目標達成ミモザ、グレープフルーツ、レモン、カモミール、妖精の囁き(ようせいのささやき)30ml 発見、直感 モス、ネロリ、グローブ、クラリセージなどを予定しています。

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by fenice2 | 2010-01-23 18:18 | アロマ 香り

夢よりも希薄な現実ー横浜での勉強会を終えて

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 横浜で今週は勉強会でしたが、初めて参加された方もいたので、僕自身もいろいろ気付いたり感じたりすることが多いものでした。

 僕が、こういう形で一人一人の方と接すようになって、早くも4年近くが経とうとしていますが、一人でも増えて頂けるおかげで、色々な調香方法を見たり試したりすることが出来るので、本当にありがたく思っています。

 また、新たな香料が加わっても、一人であれこれ作って試していくよりも、全く個性や感性も違う方が調香に参加して頂くことで、色々な技法を生み出していきますが、それをまた一人一人に還元できることは、良い意味でその仕組みがうまく回っているのではないかと感じています。

 そうやって考えると、やはり一人一人の個性や創造性は、単なる出来る不出来というよりも、誰かの生み出した技法が誰かを助けたり、ヒントになることもあって、創造してくことが如何に大切で、価値があることだということをひしひし感じています。

 今の社会ではなかなかそういうことを感じさせことが少なくなっているのだと思いますが、そのことは実際には、人助けを看板にあげて仕事をしていることよりも、もっと根本的な意味で人助けをしているのではないかと考えます。

 心や精神を救うという目標や方向性は、素晴らしいと思いますが、以前にも書いたとおり結果は簡単によいとか悪いとはいえないところがあります。たとえ、お互いの話し合いやカウンセリングの中で喜ばしい結果が出たようにみえても、それがずっと後になるまでよいといえるかは、甚だ疑問です。

 その場さえ乗り切ればよいという人もいますが、それを乗り越えるためにやりすぎたことが、その方の将来の財産みたいなものまで浪費してしまっていることもあります。

 そんな最期まで責任など持てるものではないのですが、良かれと思ってやったことが後になってよい結果にはなっていないことが、世の中の常です。

 しかし、創造の世界だけは、純粋にその願いや祈りのものからのものならば、誰も傷つけることもないですし、逆に多くの人に良い影響を与えることも多いと思います。

 真剣に誰かを愛し、結果としてその相手と結ばれなかったとしても、その愛したことで誰かの傷を癒し、救っていることもある思います。そういう意味では、人の気持ちもそうですが、愛情は特に無駄なものは何もないように感じます。

 男女の付き合いに縁が遠い方でも、愛することを忘れてはいけないように思います。社会から疎まれて、何度も不幸なことに巻き込まれたり、絶望するようなことが続いても、最期は世の中に対して深い思いやりをもつことが出来れば、素晴らしい人生を歩むことが出来るような気がします。

 結果が出ることで、心や気持ちを乱されていては、何時まで経っても深い愛情は育つことはないです。

 やはり、人は生かされて今があるのかもしれません。一日、一日の思いや感情が、次第に形になっていきます。今年も、僕も出来るだけ誰かのために一心にできる日が続けることができたらと思って、勉強会を終えました。

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by fenice2 | 2010-01-21 08:25 | 調香・錬金術

偏った記憶のシステムが感覚を歪めます

 匂いや香りと記憶について何度も書いていますが、正確には匂いや香りがあって、記憶が蘇り、感情が湧き出てくるというのが、その流れなのではないでしょうか。

 今、香りをつかったビジネスなどで少し勘違いしていると思うことは、そのあたりにあるのではないかと思います。鰻の焼く匂いをかぐと、唾液が出てきますがそれは感情ではなくて、条件反射ですが、或る匂いをかぐことで嫌な気分になってしまうのは、そこにはっきりとした記憶が関係しています。

 記憶といっても、大抵の人はそれを映像として再現してきますから、匂いや香りが切り離されたものが多いようです。人が夜夢を見ると、白黒だとかカラーだとか言う人もいますが、それは匂いや香りとの関係よりも感情的なものや体調などが、原因しているような気がします。

 故人の方の香りや、自分の過去の思い出を香りにつくる場合でも、それをイメージにあわせて再現してみると、意外なほど自分の記憶とかけ離れている部分が多くあるのがわかると思います。

 要するに、記憶の基本的な仕組みは、匂いや香りが基になっているのですが、表現する部分で映像化されてしまうために、そこに少し勘違いというか、ズレみたいなものが起こってくるのではないかと考えます。

 現代人は、特に映像に対して頼り過ぎているのか、その部分だけで多くの情報を取ろうとしています。分かりやすくいえば、一目惚れしてしまうような状況が、男女の関係だけでなくてもあらゆる場所で蔓延していると言ってもよいかもしれません。詐欺や心を扱った悪いビジネスが流行る背景もそこにあります。

 また、その映像や画像に関しても、写真や絵のような媒体でもデジタル化してしまっているために、何時までたってもクリアーなものを再現できるということは、人は老化してくのに、喜劇のようでもあり、悲劇のようでもあります。

 また、調香にとって大切なことは、その香りが表現していくことの時間の流れです。基本的には、トップからラストまで香料を選んで、分量を決めていきますが、まるで人の出会いから別れまでのようなストーリーを感じさせるものもあります。

 僕自身が心がけていることは、それがゆったりした時間の流れをつくることです。出会いから別れがあまりにも早い付き合いには、愛情が不足が原因ですが、香りに関しても如何にそれぞれの香りに対して、思いやりや気遣いをもって、接するかに尽きます。

 嫌な思い出や記憶にも、それが起こったそれなりの理由や原因があります。そこをしっかり把握しないで、しっかりした記憶ととどめておくことは、むしろ心にずっと棘や剣を残したままにしているのと同じです。

 時間が経てば、知らないうちに心の中から傷つけ、痛みつけてきます。

 先日のカルマもそうですが、嫌な記憶や思い出も、もっと深く違った一面からみてくると、逆に愛しく思えてくるときもあるから不思議です。

 幸運や不幸という定義もそうですが、僕は、本当の意味で言えるのは、少々大変でしんどいことが起こってもそれを苦もせずに受け入れることが出来る考えや思考を持つことではないかと思っています。
 
 たまたま幸運が続いたことを喜ぶことが、意味の深い人生を作り出せるのかどうかは疑問です。人は、生きていれば、何かしら大変なことを経験します。それこそが、実は心にとって薬のようなものであり、もっと自分の人生も人の人生も愛することができる基となるものなのかもしれません。

 しかし、苦労をしている人ほど自分の人生から逃げようとします。気持ちは分かりますが、人を深く愛することができるチャンスを失ってしまっているように感じます。

 たががl香りからでも、こういった人生の一面を垣間見ることができるのですから、どのような人の人生でも満更捨てたものではないと思います。


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by fenice2 | 2010-01-19 10:34 | アロマ 香り

自分が背負うべきカルマについて

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 重い荷物を持っていると、親切心からついそれを抱えてあげようとします。これは、悪いとかよいとか言うことの前に習慣もあるような気がします。価値判断よりも、習慣がそういう人助けの方向性を作り出していくのではないかと、最近考えるようになりました。

 香りを調香しながら、色々な内面の重い話を聞くと、次第に相手の方は軽い気持ちになっていきますが、僕は知らずにその重みを背負っているのではないかと感じることがあります。特に勉強会などのように、毎回決まった方の相手をしていると、知らずに僕の背中には色々な方の、心の重みを担いでいるようです。

 勿論、しかるべき時期が来たら、僕はその重みをそれぞれの方にお返しします。それは本来その方が背負うべきものですから、幾ら荷物が重いと言っても、一生涯背負うわけにはいきません。

 そうやって考えると、僕の仕事は背負い業のような部分もあるのだろうかと考えますが、新たな香りをつくることで、その重みの受け止め方が変わってくるのではないかと考えたりします。

 カルマやその方の業みたいなものは、理不尽なものも沢山あって、何故自分がその荷を背負う義務があるのだろうと悩んだりすることも多いだろうと思います。

 自分の親の業の見返りや、もっとずっと意識できないぐらいずっと前の因縁じみたものまで、毎日の生活の中での大きな負担に感じることもあります。

 時には、荷物を降ろして、一度自由な身でいろいろ考えてみることは必要なことなのかもしれません。自分の本当の目標や夢や希望などは、そういった罪深いものと同じに考えていては、なかなか見つけることは出来ないです。

 しかし、長時間に渡って他人のカルマを背負うことは、間違った夢や希望を与えてしまうこともあります。理不尽な身内の付き合いや、心の負担ばかりを強いてくる仕事の仲間など、一時は親切心で持ってしまうことが、返って相手を勘違いさせ時には妄想に近い夢を抱かせます。

 心に関係した仕事ならば、安易に心が軽くなることを唄わないほうが良いような気がします。それよりも、何故その重みを背負っているのかの意味を、一緒に見出していくほうが正論なのかもしれません。

 苦しみがあるからこそ、嬉しさをより感じることもあります。自分の罪やカルマなど本来、背負うべきものを除くことが、すべて良いことのように思い込まされているような風潮があるのではないでしょうか。

 僕は、時には人のものを背負うことで、心が強くなっていったのかもしれません。しかし、その親切心の満足で、果たしてその人の人生を良い方向に向けたとはいえないのではないでしょうか。

 その重きものも、何時かは少しずつ軽くなることもあります。しかし、人に預けっぱなしのカルマは、時々自分のもとに返ってきて、それに耐えかねてまた何処かに捨て去るようになります。

 それでは、何時までたっても、カルマは軽くなりませんし、背負うべき精神力も身に着けることはないでしょう。重みに耐え偲んで、初めて他人の重みも感じることが出来ると思います。

 この最低限度の生きていく意味合いを勘違いすると、人助けも、未来への希望も何処か虚しいものになってしまいます。

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by fenice2 | 2010-01-17 00:57 | アロマ 香り

現代人の心を表すー悲しき人形のにほい

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 今日は沖縄辺りが、日没前で部分日食があったようです。最近の天気の大きな変動とも何か関係しているのかもしれません。

 最近、幾人もの香りをつくっていて、何かそのイメージに共通があるように感じていました。見てくれの美しさや表面的な薄い出来事で右往左往している人が多いのかもしれませんが、どうも自分の意思や気持ちがなく動いている人が多いような気がします。

 新年になって、気持ちが心に在らずというような人も、祇園辺りでも結構見かけるようになりました。神社を回っているうちに何か呆然としてしまう人も多いようです。

 空っぽになった体に、突然感情が入ると、制御も利かずに暴走してしまいます。今年に入って、あちこちで感情爆発が多くおこっているのではないでしょうか。いわゆる突発的な事件や事故が多いようです。

 感情と理性について、以前も書きましたが、僕はその二つのものは実際の生活の中では関係ありそうで、別々に働いているというのが持論です。感情は、理性では制御できませんし、理性もまた感情の影響をあまり受けません。

 僕は、感情よりも感性に重きをおいて考えるほうです。感性は、感じる所を頼りにしてきますから、自然と心とも結びついてきます。

 企業などのシステムの動向をみていても、その根拠とするものが、この感情を如何にコントロールするかに重きを置いているような気もします。

 社員を如何にやる気をおこさせるかとか、上司と部下があまり衝突しない環境づくりとか、何処か人を今まで以上にロボットか人形のように扱うような意図があることを感じます。

 感覚から始まって、いわゆる自分の感性の世界を持たなければ、急に泣いたり笑ったりしてもかえって虚しさをつのらせてしまうこともあると思います。

 誰かを好きになることで、何もかも現実を忘れようとする恋とか、ゲームなどに集中して夜も昼も分らなくなってしまう人たちとか、自分の魂を消費させることで生きていていると言ってもよいのかもしれません。

 そういった感情の積み重ねから得るものなど何があるのでしょうか。

 日本人には、元々恋愛などという感情は持ちあせていなかったように思います。平安まで遡る気はありませんが、江戸でも惚れた腫れたですから、もっと情緒があって奥ゆかしい部分が多かったように思います。そういう意味では、感情をコントロールできるものは心のみなのでしょう。

 誰かを好きになってしまって、自己を失っている人は、好きになっているのではなく、好きにさせられているというのが本当の所なのかもしれません。

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by fenice2 | 2010-01-15 21:00 | アロマ 香り