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第三章 突然の覚醒ー現代の時間

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
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 携帯の文字盤には、不幸な事件が幾つも映し出されていた。多くの人が生き埋めになった事故や、破綻した国から続々と、移民のように押し寄せてくる記事だった。しかし、ネット社会も、20年近くになると完全に表の情報と裏の情報に分かれて発信されるようになる。新聞などを読んで、妙な裏読みをしていた時代も懐かしい。

 つい最近、起こった細菌テロなどの事件もそうだった。室内で栽培される水耕栽培にある菌が急遽増殖されるようになったが、犯人は意外にも10代の少年だったが、それがどうして起こったかは、別のサイトの記事をみればすぐにその真相が明らかになった。

 ずっと前には家畜に強い伝染菌が繁殖して、何百万頭という羊が殺されたが、あれも今の時代のようなしっかりした裏サイトの記事があれば、もっと多くの人は冷静に対処していたのかもしれない。政府を初めとして、大きな組織は、利益の衝突ばかりを気にしなければならず、それは今の時代でもそれほど変わっていないと思う。

 問題は、情報を発信する会社が圧倒的に小規模なものが増え、中には諜報部員と綿密に連絡を取り合っているネット発信局も少なくない。本当に貴重な情報は、高いお金を払って手にいれて、どうでもよい情報は、嫌とういうほど流れこんでくる。

 賭け事に勝つのも、株で或る程度の利益を得るのもこの貴重な情報をどれだけ手にいれるかでかかってくる時代になっている。資金が潤沢なものほど、情報ソースをその権利ごと買取り、切り売りするかそのまま生かすかは、その会社しだいだった。

 三面記事の裏情報などは、それほど高くはならないが、どうしても情報がないときは、それでも仕方がなく集めなくてはならない。一回のアクセスでおよそ子供の菓子の値段にもならないが、人々が大きな関心を持ってこれば、時に大きな利益を生むこともあった。

 小さな情報会社を建ててみたものの、毎月火の車に等しく多くの情報の中で、本当のことが知りたいということは、実は簡単なようで複雑なことがよくわかってきた。誰かにちょっとした自慢をしたいためのものなら、人はそれほど苦労して情報を得ようとはしない。反対に、もっとも利益になるような情報には、幾ら出してもきりがない。

 有名人の裏や私生活を、数百円の雑誌でカバーできていた時代ならともかく、今ではそんな誰でも想像できそうなものにお金を出す人はほとんどいなかった。

 ヨノンの一族、ガブリエル家はずっと大きな事業家が多かった。しかし、事業家といえども失敗するときは失敗するし、世の中で知られているほど裕福な暮らしがあったわけではなかった。父のネロールは苦労して財を築いた人であったが、人生の半ば武器のビジネスに手を貸してしまい、後半は一家全員が常に誰かに狙われ危うい生活を送るしか残されていなかった。

 ヨノンがこの仕事を望んだのも、もっと平和的な仕事がしかいからだった。世界は、ついにアフリカまで経済発展をしてからは、急に全体のパイが縮み始めていた。人々は、一部ではスピリチャルな生活を始めている人もいたが、それも緻密な経済活動なくては、なかなか出来るものではなかった。

 イスラム経も、キリスト経も良い意味でその過激さは失っていたが、多くの人が精神的に豊かになっているとはいえなかった。娯楽産業は、なんとか成り立っていたが、近頃では無償で行うものも多くなっていた。高いお金を払って、コンサートを聞く時代は、もうとうの昔に消えていた。

 生活そのものは、無駄がなくなり目の前からモノというものが殆ど消えていた。都市でも空気は綺麗だし、記憶媒体が発達したおかげで、紙は今はほとんどみかけなくなった。現代人にとって、大切なのは、空気と水それに出来るだけ新鮮な食料だった。

 情報産業は、もっと人を喜ばせるためにあるとヨノンは思っていた。誰かが、命がけで助けた話とか、誰かが真剣に恋をした話だとか、ずっと離れて生活していた親子が再会するとか、もっと感動秘話みたいなものを、学生のときに思いついたときにはやってみたいと思っていた。

 しかし、現実は損とか得の情報を載せるのがやっとで、何処の野菜工場の出来がどうとか、より栄養価の高い水を発見できたとかそういう、いわば企業の宣伝になるようなものが仕事になるのがせいぜいだった。スーパースターを育てるには、本当はそれなりの情報操作が必要だが、今では裏サイトで確実な情報が流されてしまう限り、そういった存在でこういった産業を作り出していくのも難しいようだった。

 今の生活を一言でいえば、無味無臭の生活だといってもよいかもしれない。色はもっぱら白か薄いグリーンが流行っていた。何処を見渡しても刺激的な色はもう都市ではどこにも残っていない。それほど不健康な人もいなければ、それほど幸せな顔をした人も少ないのかもしれない。

 絶望もない変わりに、希望もそれほどない、そういうのが今の生活だろうか。

 
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by fenice2 | 2010-05-28 10:58 | 香りの小説

動と静、陰と陽ー想像する世界

 最近、香りをつくっていると何故か、以前よりも深い集中力があることがわかります。イメージするほうが、強くなっていることを想うと、良い意味でも悪い意味でも、現実を想像の世界が超えていることがわかります。

 香りをつくるには、イメージから先につくっていくやり方と、香りからつくっていくやり方がありますが、最近ではもっぱら香りからつくるやり方をすすめていますが、それだけモノがマインドに影響されやすくなっているような気がしています。

 こういう時代は、気力や精神力みたいなものが世の中や社会を変える力をもつ時なのかもしれません。バブルの時期のような、経済が勢いのあるときはモノが力がありますし、多くの人がモノに関心を持っていました。今の時代は、モノが売れないといいますが、モノそのものの力や影響力が薄れ、本来の人の希望や夢が少しは優先されてきたといるかもしれません。

 モノに関心はなくとも、お金には関心があるときは、やはりデフレ現象がおこるのも仕方がないようです。しかし、それ以上に精神や心に関心が集まれば、お金に対する執着も薄れてきますから、極端な経済破綻はなくなるのでは感じています。

 僕は、来月からは、自分の仕事も色々な形で動き出すだろうと感じています。香りのようにモノですが、もっとも軽く、人の内面を映し出すものはその働きが、今まで以上に大きくなってくると感じています。ウィルスではないですが、小さくて目に見えないものが大きな力を発揮してきますが、それらは大きな意味で、目に見えないものからの影響も強いのではと思っています。

 人が、人の食べモノにするために生き物を、遺伝子操作など根本から動かし続けてきたことは、やはり大きな意味ではその真価や罪が問われているのではないかと思います。僕自身は、あまり肉は食べませんが、より高品質な肉というのものが、どういった基準で選ばれてきたのかは、果たして疑問に感じることもあります。

 クリエーターや芸術家と言われてきた人も、今の時代は、果たしてそういった経済の流れの中だけで生み出してきたのか、もっとも心の内面から出してきたのかその違いがはっきりわかってくると思います。残念ながら、過去の西洋の芸術家などは、殆どがそういったお金のため、欲望のために生み出されたものも多かったのではと感じています。

 心や精神の感動は、ビジネスモデルと反対の方向性を持ちますが、芸術や表現者が食べていけない世界かというと、僕はかつてこれほど表現者にとって今の時代ほど良い時代はないのではと思っています。

 心から感動するものを伝えていくには悪い時代ではないです。

 
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by fenice2 | 2010-05-26 19:18 | アロマ 香り

香りからくる感動ー過去を調香する技術

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 人に感動を与える香りというのが、どうして出来て何故そうなるのか、自問自答しながら勉強会をしてきましたが、最近もっとも長く勉強をやっている方がそれらしい香りを作ることが出来て、それで自分なりの答えをやっと一つだけ出せたような気がします。

 自分でいうのもなんですが、僕は人に感動を与えることが出来る香りが出来ていると思いますが、それが実際にどうして出来て、何故そうなるのかわからないような、わかるような気持ちでいました。もっとも万人の人に同じような感動を与えることは不可能なのかもしれませんが、人の心を動かすものが香りでどうしたらよいのかということは、調香を通じて分かりかけては消えていきました。

 スピリチャルという意味のわからないブームの中で、精神的なものとの繋がりを模索してきましたが、それは成功したような失敗したような気がしていました。精神や心という移ろいやすく、摩訶不思議なものは、確かに香りに映っていきますが、それだけではない何かが香りにはあるのではと思い始めたのは、そういった仕事に疑問を感じ初めてからでした。

 僕は、自分の技術は惜しみなく表に出していきますが、決して自分の技術のコピーの指導をしなかったのは、単に香りがそういった単純な働きをする以上の何かがあるのではと感じていたからなのかもしれません。

 人の心を揺さぶるような香りが出来たかどうかは、自分の感覚の中にあるわだかまりや凝り、それらは過去の軌跡や記憶から起こってくるものでしょうが、問題は調香がそれらにどういう影響を与えてくることにあると思っていましたが、響きのある香りがつくることが出来るにつれて、感覚が澄んできたのは不思議なことでした。

 誰でも、過去に蓋をしたくなるような過去やその思い出があると思いますが、それらに匂いや香りが関係していることは、何度も触れてきましたが、自分の調香技術が生み出されてくるには、むしろそういったマイナスの面がとても不可欠でるということも今回のことでよくわかってきました。人はやはり自分の人生の糧からしか、新しいものを生み出せないのかもしれません。

 失敗したり、悲しかった思い出や記憶は、嫌というほどその人の感覚に強く意識させてきます。それは、何故でしょうか。動物は、むしろ成功した思い出や記憶だけを脳内で繰り返すといいますが、人間はそういう部分もありますが、こういった恐怖や怖れみたいな記憶も繰り返しイメージさせる仕組みが、心の働きにあるような気もします。

 過去の失敗や恐怖にこそ、自分なりの創造のヒントがあるというのはわかっているつもりでもこれからの大変なヒントがあるように感じています。成功した過去からは、何も生まれませんが、失敗した過去からのみ新しいものが生まれてくると思うと、これからの香りのテーマはやはりこのあたりにあるようです。

 今まで香りの勉強会は、出来るだけ参加希望する人を受け入れてきましたが、今後は少ししぼって慎重にやっていきたいと思っています。自分の過去に対して、あまりにも恐怖したり逆に無関心であるような人は、どうもどれほど時間をかけてもだめだと思うようになりました。

 過去の記憶や思いでは、単なる時間の通過点に過ぎないのですが、感覚の世界では大きな溝やゆがみをつくることもあります。嫌なことを思い出さなくなっただけで、それらのものは解決されたわけではないです。新しく創造できることで、それらの辛い過去の役割は終えて、自由になってきます。

 香りのカウンセリングの形も大きく変えていこうと思っています。今までは、僕が与えられた夢みたいなものをつくることで、癒す香りをつくってきましたが、これからは素人の方でも調香に参加してもらって香りをつくっていこうと思っています。

 香りをつかって、調香技術をつかって結局は自分で自分を救い出す道を見つけ出すのが、もっとも良い香りとの接し方なのかもしれません。色々な方が、この勉強会に参加していただいた上で、出てきた結論のようです。とてもありがたく感じています。この結果を元に、また勉強会にフィードバックしていきたく思っています。
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by fenice2 | 2010-05-09 20:03 | 調香・錬金術

生きていくことの喜びと罪

 心地よく生きようとすることと、エコという言葉がとても深く結びついているような印象が強い世の中の風潮ですが、人が生きていく以上、多くの生き物を犠牲にして自然を破壊して生きていきます。毎日ゴミを出し、必ず何か精神的にも、肉体的にも良くないことを行っています。

 良いことはなかなか出来ませんが、自然の法則からみれば悪いことは毎日一つどころか幾つもやっているのが、今の現代人です。その上で精神や肉体が破壊されたり、心の病にかかったりすることは少しも不思議なことではなくて当然のことなのかもしれません。
 
 何故、人がこうやって生きていかなくてはならないのか、それこそ大きな疑問がありますが、今の時代は確かに今までの時代よりもそういったダーティな面を見ようとする傾向がありますが、それだけで何もかも満たされないことは誰でも心のどこかではわかっていることです。

 戦争の時代では、人を殺めても生きていかなくてはならないという地獄がありますが、明らかに何か悪いことをしていないと思う生活の中でも、多くの罪をつくりながら生きていくことを感じさせる出来事は幾つもあると思います。

 経済という概念が、この世から消えない限り人は、誰でもお金持ちになって何不自由の無い生活を目指します。経済の概念の中では、人の心や気持ち、もしかすると魂までも単なるパーツか便利なツールぐらいしか捉えられていないのかもしれません。会社で、誰か一人が死んでも本当の意味で悲しく思ってくれる人は稀です。

 僕は、誤解のないようにいえば、良い香が出来たときほど、感動とともに深い感慨みたいなものも残ります。その感慨は、時には悲しいものであったり、時には深く考えさせられる何かであるような気もします。

 しかし、人の感情にはそういった多くのものを犠牲にしないと感動を生むことが出来ないというカルマがあります。一方で愛しながら、一方で何処か憎まないと本当の人間関係が成立してこないのかもしれません。

 凝るという概念には、そういった罪深い感情が何処かで潜んでいます。そうやって考えると僕自身がつくる、複雑な調香はそういった、罪深い部分を表しているのかもしれません。感動させる芸術作品をつくる人は、みんなこの罪深い部分を時には表現に利用したり、時には競って探したりします。

 美しい作品をつくることが、不思議な魅力や怖さを感じさせるのはそういった理由があるからなのかもしれません。香りをつくることだけでなく、生きていくこと自体に疑問を感じて、自分自身を諌めていく人も多い時代ですが、どれだけ諌めても人間の大きなこのカルマの流れから逃れることは出来ません。

 精神性のないエコや省エネの生活だけでは、本当の人の罪を理解できることはないと思います。良い意味で楽しみや喜びを見つけて過ごす人のほうが、そういったカルマから逃げない人なのかもしれません。

 罪深い部分にこそ、人が人たる理由があるかもしれません。一人だけ救われようとすればかえって破滅していきます。
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by fenice2 | 2010-05-06 19:59 | 滅びの匂い