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オリジナルという幻想

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 僕は、モノ作りに関わってからは、何時でもこのオリジナルと言う言葉とかそれが持つ背景のものと向き合ってきました。デザインは確かにそれらしい雰囲気をつくってくれますが、しばらくするとそれも何を主張していたのか分からなくなります。

 オリジナルよりも、ブランドとか有名なもの、そういうもののほうが商品になりやすいし、それらしいものを目指してつくったほうが受け入れやすいのかもしれませんが、僕自身はどこかで真似をしたり、コピーをしているようで恥ずかしく思って、常に新しいものやオリジナルと言うものにこだわってきたように思います。

 今の仕事は、当然ひとつひとつがオリジナルですが、そのオリジナルということ自体が何処まで伝わっているのだろうと思うことがあります。僕たちのような感覚の世界からみると、一人一人は確かに違うものを持っていますが、何も毎日を、その個人的な感想や、感動だけで生きているわけではないように感じます。

 最近、もっと若い人に手には入りやすいものでつくっていかなくてはと思っていますが、値段云々もありますが香水とか香りが、しっかりとした基準がなくなっているのではと思っています。一応、欧米人にとって、香りは服の一部のように思っている人も多いですから、代々決められたというか好みが決まっているものがあって、NYなどでは今でも娘さんの香水を父親が買ってきたりします。

 20代や10代の人たちが、いきなり自分に合う香りを選ぼうとしても、結局は流行やそのときの好き嫌いで決めてしまうので、なかなかうまくいくことはないように思います。それに加えて、広告のサブリミナル効果でもうほとんど雰囲気で香りを選んでいる人も多いのではないでしょうか。

 最近、ある大手企業の開発の人間と会いましたが、もう今後はあまり若い子向けの商品を開発出来ないとのことでしたが、企業でさえもあまりにも移り変わる若年層の好みについていけないようです。

 僕が感じることですが、香りに関わらず、もういい加減個性とかオリジナルということにうんざりしているのではないでしょうか。個性教育とか、オリジナル性の重視と言った所で、自分に伝わっているしっかりしたルーツが無ければ、何もかも幻覚のままに終わってしまうような気がします。

 サッカーの俄かファン現象もそうですが、何かもっと共感するものを日々求めているような気もします。自分が良いと思うだけでなくて、第三者も喜んでもらえるようなものを実は日々探しているのではないでしょうか。僕自身は、こういった世代の人は余り仕事にしてこなかったのですが、ちょっとそういうものもつくってみようと言う気になっています。

 

 
 
 

 
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by fenice2 | 2010-06-30 15:09 | アロマ 香り

イリス(菖蒲)の香りー伝統を重んじ足元を見つめなおす香り

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 菖蒲と言うと、紫がメインですが白のほうが香りが強く、僕はいつもこちらに鼻を近づけます。

 暑いときに、菖蒲園などに行くとまるで蒸し返すような強い香りがするときがあるので、この香りには少し癖がありますが、気温が下がった雨季の時期などにいくととても甘く、百合などの香りとは似ていますが、もう少し控えめで上品な印象が残ります。

 菖蒲は、魔よけの意味があったり風呂などにいれて傷を治したり、殺菌の役割をするそうですが、香りにはもう少し違った意味があるような気がしています。これから、気候が暑くなるにつれて、気持ちまでも高ぶってしまいそうな時期に、最初は少しだけ清涼感をかもし出します。

 香りを聞く時間は、長ければ長いほど色々なことがわかってきます。僕は、自然の香りの中にこそ、人が色々想像できる元が幾らでもあるのでは思っていますが、現代はあまりにも時間と視覚にとらわれすぎてそういったイマジネーションの世界が疎かにされているような気がします。

 香りは、効能や効果だけではないです。それによって、今まで感じなかった自分の感性を開かせて何か不思議な世界に誘い出してきます。古人が、花々に妖精を見たのもあながち行き過ぎた感覚ではないように思います。

 イリスは、現代人に警告しています。あまにも急ぎ、あまりにも熱くなっていくことに何か大きな価値観を見失っていると言っているような気がします。僕も、最近あまりにも忙しい日を暮らしてくるうちに何か大切なものを見失っていったのかもしれません。

 人の情熱は、もっと感覚の深い部分から発するべきなのかもしれません。競争、日々の生活、経済的なものとの戦いそういう中で、自分から出たものが、どこかに流れていくことを感じてしまいます。

 イリスは、調香の中ではラストの香りです。ネロリやレモンなど強い柑橘系をトップにもってきても、ラストにイリスがあれば、何故か香り全体を引き締めて、優しい流れをつくってくれるような印象を残します。

 視覚の世界は、一つ一つが途切れてしまいがちですが、香りの世界は、何か他の香りと触れ合ったり、相対的な価値観をつくることで、本来の意味がわかるようになります。人間も、そうなのかもしれません。もしかしたら、魂とか精神とか心というのも、そういった相対的な中にこそ本当の価値があるのではないでしょうか。

 心が寂しくむなしく感じている人にも、イリスの香りは好意的に接してきます。もっと奥に流れている繋がりや結びつきを大切にするようにと、語りかけているようです。

 ハス(ロータス)の香りにもそれと似たようなものを感じます。夏になって、暑くなると花たちももっと雄弁になって語りかけてきます。一度少し時間があったら、その香りに触れてみてください。



 

 
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by fenice2 | 2010-06-25 10:43 | アロマ 香り

調香ー人工的なものと自然との闘い

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 ここ10年の調香の仕事は、そのほとんどが香料との向きいにあったように思います。その10年の大きな転機を最近迎えている気がして、暫くは自分の感覚や感性をとても抑えていたような感じがしていました。色々な香りをつくっていても、まだ自分の隠された部分は開放されるべきではないように思っていました。

 蝶人の会をつくって、勉強会が増え、一時は多くの人が参加していただけましたが、僕自身駆け引き無しで教えていたので、中にはとても辛く感じて勉強を出来なくなってしまった人も少なくないです。しかし、おかげさまで僅かですが、乗り越えていった方もいるので、そろそろ新たな方向に向かいだすべきではないかと考えていました。

 僕の勉強会も最初の方は、ベースと言われるいわゆる調香香料が多かったので、実際には混ぜるにはそれほど技術を必要とされることはありませんでした。その代わり、僕自身がその作品に映りだす精神的なものを、しっかり見るようにしました。

 それで、精神的に大きな悩みを抱えている方にも色々役に立つことがあったように思いますが、徐々に天然香料を多くしていって、うまくいけば深みがでるが、なかなかそれが難しくなる調香方法を増やしていきました。

 ついに、去年の暮れあたりから、急に天然香料ばかりをつかって調香するようになりましたから、それで多くの人がつまずきましたが、逆にそれが最初の勉強のきっかけになった人もいるので不思議なものです。香りの世界の馬鹿馬鹿しいほどの常識では、ケミカルのものを使わないことは邪道とされてきたので、そのあたりにも僕なりの反発がありました。

 天然香料の調香はほとんどといってよいぐらいうまくいきません。料理で、ジャガイモやニンジンを突っ込んで煮ることとは、雲泥の差があるのが調香の世界です。経済というか商品にするには、そんな試行錯誤をやっている暇がありませんので、ケミカルをなるべく多く使って、安易なものに仕上げていきます。

 多くの人が、自分なりの方法で香りを混ぜていったことは、それ自体が失敗だったり成功だったりしましたが、少なくとも僕の調香の経験にとっては、多くの財産を残してくれることになっています。

 最近、やっとまた少しずつケミカルをいれるようにしていますが、天然の調香を乗り越えてきた人たちにとっては、全く今までと違った武器や知恵になっているように思います。我々の生活の一部が、化学的なものの産物に支配されるのは仕方がないにしても、それを何処まで許せばよいのかは、まさにこの天然香料との調香方法の中にヒントが隠されているのでは感じています。

 日々の生活の中で、ケミカル香料はかなり多くなって知らぬ間に、感情や感覚を狂わせたりゆがめたりしています。人の生活のストレスがケミカルを近づけてしまうのか、ケミカルが多いからストレスを感じてしまうのかは、なんともいえませんが、そのあたりに見えない世界の影響があるように思います。

 人によって何処まで、天然を使い何処までケミカルを許すのかは、差があるようです。今香りの小説で書いているように、香りの勉強会でも今まで以上に、ケミカル香料と天然香料をわけてつかっていこうと思っています。そこにもっと今の時代に役に立つ調香方法が隠されているような気がします。

 人の心、もしかしたら魂さえも人工的なものなのかもっと本能的なものなのかさまよっているのかもしれません。

 新しく勉強に参加された人が数名見えますが、また蝶人の会の会報などでご報告していきます。今年は、香りが何処まで社会や組織に関係できるかをテーマとして活動していこうと思っています。

 

 
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by fenice2 | 2010-06-18 16:59 | 蝶人の会

第三章 記憶を管理する組織ーモサド

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
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 いまや、全ての人の記憶は、国が管理しているといってもよかった。モサドは、元々イスラエルの情報機関だったが、世の中から紛争が無くなってからは、いち早く記憶と人の感情による組織工学について研究が進んでいた。

 モサドには、全人類の記憶が常に蓄積されるようになった。漠然とした世論とか国民感情などというのは、あてにならなかったことが多かったが、ここでは多くの人の感情を分類することによって、何処に不満があって、何処にもっとも快楽を感じているかが、いち早くわかるようになっている。

 大部分の国では、月に一回脳内のチップの書き換えのために市民は、役所のモサドセンターにいかなくてはならない。中にはそれを怠る人たちもいるが、巨額な税金を課せられるために割りと多くの人が参加するようになってた。おかげで、政治家の選出から、娯楽の施設の計画などすべては、そのモサドセンターに集められた記憶の蓄積より発せられることが多かったから、いまや世の中に漠然とした不満みたいなものは、あってないようなものになっていた。

 男女の関係でも、デートの約束を破ることも皆無だった。また、仮に他の女性と交際したとしてもすぐにチップにより明らかになるから、センターの時の更新のときに警告をうけることになる。

 チップの書き換えのプログラムは、色々試行錯誤されたが、結局は感情的になりそうな強くて深い記憶を少し削ることに重きがおかれていた。極端によい思い出も悪い思い出も、感情の影響で何度も記憶されることになるので、あまり重複しているものは、消去されるようになっていた。

 感情的で生きることが、あまりよく思われない風潮もあり、愛情という表現も以前と比べるとかなりかわってきたと思う。

 シスの言うとおり、人類が生きていくのはもう精神的なもの以外は何も無いし、何も必要がないのかもしれない。ヨノンにも、センターからの要請で、今月中には婚約しなくてはならない女性がいたが、もう少し気乗りしないでいた。いや、正確にいうとこのところ、二回もモサドセンターには行かないでいたから、そういったインテリジェンス計画そのものに抵抗を感じていたのかもしれない。

 人間が進化するには、徹底的に自然から切り離されることになっていた。本能、欲望、執着などという古い時代の観念が、その反対の夢や希望といったイメージを損ねることになっているといえるかもしれない。インテリジェンス計画そのものには、そういったマイナスな感情を、如何に人の精神性みたいなものから遠ざけるかにあったから、それが結論として自然から距離を置くことになったらしい。

 哲学や、思想などというものは本来、そういった悪い感情とどう立ち向かっていくかにあったように思う。人間性の深みというのは、善と悪、神とサターンとの戦いにこそその価値があるといわれたこともあったが、宗教という枠のしばりが希薄になるにつれて、過去のものになっていたかもしれない。

 大きな図書館にあるデーターが、僅か一ミクロンの結晶体に記憶が出来る技術がいきわたってから、モサドの人間の記憶に関する研究はさらに進んでいった。また、その記憶をさらに膨大なデーターにしていくものの中に人の感情や感覚が大きく影響されているのもわかってきていた。

 それら人の感情には、それなりの管理が必要だということだったが、このあたりのことは確かにそうだったのかもしれない。

 長年の紛争地区から、完全に脱却して平和な時間を取り戻せたことが何よりモノ証拠だったのかもしれない。しかし、国や世の中のシステムはそれで成熟してきたかもしれないが、人間はどうだろうか。

 ヨノンは、少し不満があった。いやそのことさえ、モサドセンターにいって記憶の書き換えをすれば、かなり楽になってしまうかもしれない。もしかしたら、現代人が進化した点といえば、徹底的に快楽人間が増えていることは事実だった。

 しかし、その快楽に食欲や性欲というものは希薄だった。学習欲や知識欲など、自分の記憶の中に他人に誇れる情報が増えていくことが、もっとも喜びになっていた。
 
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by fenice2 | 2010-06-17 12:48 | 香りの小説

キトラ古墳の幻影ー途切れた精神的な財産

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  先週の土曜日、久しぶりに車を赤いイタリア車にしたので、気分が良くなって奈良までまた古墳を見に来ました。キトラは、もう五回ぐらい行っているでしょうか。明日香村は、子供のころは父の実家が近かったのでよく来ましたが、ずっと昔ながらの時間が残っていて豊かな気持ちになれました。

 たまたま、すいていたせいもあって、壁画を見た後、ずっと近くの小高い丘で、飛鳥の過去の幾つかの都を想像しながら時間を過ごしていました。この飛鳥でもわかっているだけでも三つほどの都が出来たそうですが、短いものでは20年も経たずして、火災にあったりして見捨てられたようです。

 せっかくつくった都を捨てることは、おそらく今の現代人が考えている以上に、大きな負担や遺恨があったのではないかと想像します。それを幾つも、造っては壊さなくてはならないのには、政治的なものもあったと思いますが、それ以上に精神的なものの背景が大きかったのではないかと考えます。

 天皇や支配者を敬う背景には、モノの支配だけで治めていたのではないような気がします。この時代はシャーマンも沢山いますが、それだけに偽りの無い精神世界が強く求められていたのではと思います。今の時代のように経済など、損得勘定だけで動くような民は少なかったのではないでしょうか。

 大きな石造も幾つか残っていますが、亀石などもなんとも不思議な形と雰囲気です。大きな石造の塔のような噴水をずっと眺めていましたが、これらは支配者の遊び心の部分ではなかったと感じます。これらにそれほどの意味はないような気がしています。

 しかし、都をつくることには、とても深い意味があったのだと思っています。現代の街中の都市計画などとは根本的に違う何かがあったのではないでしょうか。

 物部氏にしろ、蘇我氏にしろ僕は、それらの人は絶対的な精神世界を自分自身に持っていたような気がしています。現代人の政治家で、少し貫禄があるなんていうのは比較にならないぐらいに、何か頼り甲斐があって、神々しいものがあったのだと思います。

 山田寺という、唐の時代の技法を模倣した巨大な寺もあったそうですが、今ではほとんどその形を無くしてしまっているそうですが、その一部が最近になって発掘されて、キトラ古墳と同じように展示されていますが、なんとも不思議な雰囲気を表しています。

 飛びぬけた精神世界や感性の持ち主は、実はずっと昔から存在していて、時代によってはとても崇拝されたり、逆に迫害されたりしますが、たった数年でもとても満たされた時間がもたらされたのではないかと思っています。

 何が言いたいのかというと、人の進化みたいなものは古代人と比べると遥かに進化したように見えますが、そうではなくて、良いものはあっという間に消え、また何事もなかったように現れたりしますから、技術的にも、精神的にも後退や前進を繰り返しながら、何千年という時間が過ぎているのではないでしょうか。

 モノの技術が進んだようにみても、精神文化みたいなものは簡単に数百年をさかのぼって退化しますし、長い時間をかけて築きあげたそういった精神世界の財産も、実は多くの都が移っていったように、全てが何かの破片のように砕け散ってしまっています。

 自分の中のしっかりした精神世界とは、簡単に言うと漠然とずっと長い過去や未来がわかってくることなのかもしれません。前世や過去世、そういった形あるものだけでなくて、人は今自分の目の前のことで色々な感情が起こることにも、それなりのストーリーがあると思います。


 自分のことを知るには、感じる力を高めていくことが大切なのではないでしょうか。人は生きているだけで実は、沢山のことを感じているように思います。知識や情報は、それらに誰かの意図が入っているので、幾らそれらを積み上げていっても、結局は自分の本当の意見や考えを持つことはできないです。

 自分だけが感じられることの情報を、もっと人は積み重ねていくべきだと思います。そのことにのみオリジナリティや深い意味があることが多いと思います。どれだけ立派なことを言っても、口から出る言葉だけで感動をつくっていくことは出来ません。

 キトラに関わらず、これからは高貴な精神性を感じるものは香りとして残していこうと思っています。

 
 
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by fenice2 | 2010-06-09 18:01 | 香りの記憶療法

第三章 感覚を殺す人たちーシス卿の計画

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
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 シス卿のもとには、日に日に多くの人が集まるようになっていた。モノから離脱し、よりスピリチャルな生活にするためには、我々は多くのものを捨て去っていかなくてはならないと力説していた。家族の関係、自分の財産やルーツ、果ては名前までも改名するようになっていた。

 友人のケトンもいつの間にかアルデハイドC123と言われていた。そういったシンプルな名前を持つことがさらに、自分の精神的なものに触れていくことが出来という。彼らは、食事もほとんどシス卿が決められたものを食べていた。小さなカプセルに詰められたものを、それぞれの時間で飲むだけで食事は終わっていた。

 もっともこの頃、食事は殆どの人が簡素になっていたので、意外とそれについては多くの人が受け入れられたように思う。国も随分まえから、病気にかかるような人には罰金を課すようになっていたから、自然と多くの人が健康的な生活を送るようにはなっていた。

 合理的なスマートな生活や文化が生まれてくる中で、唯一精神世界の解明や進化みたいなものは遅れてきたようであった。シス卿自身は、何処から出現してきたのかは不明だが、彼が今の現代人の弱いところをついて、のし上がってきたのには誰も異論を唱えるものはいなかった。

 「我々の精神や心は、もっと小さくなれる。どうかすると素粒子ぐらいになれれば、もっと大きなことが悟るようになるだろう。」

 この言葉の意味がわかる人がいるだろうか。心が小さくなるということは、感覚や感情も小さくなることに違いなかった。そういう意味では、ヨノン自身はこの時代にあっては、かなり感覚的であって、感情に左右されるほうなのかもしれなかった。

 ペットなどという非効率な生き物を飼う時代もとうの昔に終わっていた。感情で動物に接すれば、結局は人間の社会とは相容れないものになったことは過去の歴史が証明されていた。人間に都合よく慣れる動物だけを生かし、それ以外は命を廃棄したせいで、一時期大量のウィルスが発生することになって、多くの人がその犠牲になった。

 動物など自然の生き物は、あるがままにすることがやっと長い間の愚かな歴史を繰り返して、わかってきた。人が住む居住区には、大きな透明なドームがあって、鳥すら入ることは出来ない。そこまではっきりしていない地域もあるが、基本的には共存することは許されていない。

 記憶についていえば、約50年も前から生まれた子供には、全て脳内に小さなチップを植え込まれることが義務付けられた。これによって、人的ミスという部分が大幅に減り、学習能力で大きな差が生まれることはなくなっていった。
 
 人間の記憶のメカニズムは、その殆どが解明されたが、はっきりわかったことは情感などというものからなるべく離して保存することが大切だということだった。良い思い出、快感が伴う記憶は、大きく記憶媒体に影響して、逆に不快な感情が伴う記憶は、意識的に消し去ろうとするから、このことが人の記憶のシステムを傷つけてしまうとのことだった。

 小さなリモコンのスイッチに月日や年月日を入れれば、大抵なことは、このチップから記憶が発信されて脳が認識されるようになる。これがあまりよいことではないことは議論されたが、結局殆どの国で採用され、すぐにも色々な意味で成果が出たようで、今では反対する人などほとんどいなくなった。

 こういう時代の背景から、やはり感覚や感情は意味があまり感じられないことが多くなったように思う。ラテン系の人がどうとか、踊りや芸術的なことなど一部では、そういった現実とは逆行する人たちもいたが、大部分の人たちは、社会を平穏に維持するためには、それらはなるべく去勢したほうがよいと思っていた。

 シス卿に集まる人たちは、そういう中でも極端に感情を捨てさる人たちであふれていたから、当然政府や国と対立しようもなかった。かつての新興宗教が既成社会と対立する図とは全く逆のものであったといえるかもしれない。

 ヨノン自身、今の世の中がとりわけ悪いとは思っていなかった。むしろとても良い方向に進んでいるのではと感じることも多かった。しかし、彼にはどうしても忘れ得ない記憶が幾つも心のどこかにあるような気がしていた。勿論、脳の記憶は、小さなチップの中に幾らでも入っていることはわかる。しかし、心の奥底でうずめく衝動はそういった、合理的で冷静なものとは、かなり違うような激しい感情が起こっていた。

 何でもない記憶と、嬉しい記憶は同じはずではないような気がしていた。誰かを愛し、一緒に過ごした時間は、何もせずに呆然と過ごした時間とは明らかに違うはずだった。感情こそが今生きている証のようなものがあったのだと思う。

  
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by fenice2 | 2010-06-05 10:25 | 香りの小説

キトラ古墳から新しい香りの想像ーKITORAの香り

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 久しく作品を出していなかったので、新しくキトラ古墳にちなんで、KITORAシリーズを出したいと思っています。以前から香りと記憶については、色々触れてきましたがキトラ古墳の壁画をみていて、なんとなく自分の仕事につながっていくものを見つけていました。

 エジプトの時代から、死者の霊魂、香り、記憶などは深いつながりを示していましたが、この古墳にもおそらくそれなりの皇族関係の人が、埋葬されたのですが同時に高貴な香りもそれに添えられていたのではないかと思っています。

 最近、調香の指導をしていて、明らかに心の内面に向かっていくことができる人とそうでない人がいます。誰でも心の奥深い部分には触れたくないものですが、何時までもふたをして蔑ろにしていくほど簡単ではないような気もします。

 闇をあまり気にする人もなんですが、過去の記憶を一切捨て去って、希望というより刺激のみに走ってしまう人は、結局自分の心の闇にかえって振り回されることになるかもしれません。闇には、確かに力がありますが、その闇との距離を間違うと、いつの間にか想像の世界のほとんどを支配されることにもなります。

 キトラの古墳の中で、死者は千年以上を暗闇のなかですごしてきたはずです。それなのに、気が遠くなるくらに時間を経てきて、朽ちもせずに壁画は何故か汚されていない高貴な精神を伝えてきたように思います。

 玄武は、亀と蛇の生き物ですがこれは、五行でいうところの土をイメージしたもので、僕が最も香りをイメージしやすく、今の時代とって重要な役割をするものが秘めているような気がしました。玄武のイメージの香りは、”過去の記憶への眼差し”みたいなものがテーマでしょうか?いたずらに追求することなく、そうかといって、どんな辛い過去でも簡単に捨て去ることなく、見守り続けることこそが重要な気がします。

 スピードで生きる現代人にとって、もっとも忘れ去られた心や記憶の接し方なのかもしれません。

 そのほか朱雀は、鳳凰ですから過去や未来の良いイメージや記憶を司どるものですから、調香しやすいのですが、まだはっきりイメージがわからないのは、青龍、白虎です。ともに東と西を司る神ですが、香りでイメージするには、こういった記憶とどう結びついているのかは、もう一度見に行って感じてこようと思っています。

 とりあえず、玄武から作品に取り掛かります。ご希望の方はメールにてご連絡ください。

 値段は、15ccで8千円程度を見込んでいます。fenice@bb-west.ne.jp

 このキトラ全ての香りが出来たら、他の学者の方とはまた違った一面がみえたらと思っています。



 
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by fenice2 | 2010-06-03 00:20 | 香りの記憶療法

第三章 未来と過去の間で

(この物語は、フィクションですが現実の調香の世界のあり方を元につくられてます。物語の中には、よく似た企業などの名称が出てきますが、あくまで想像の産物であり、現実との関係は読者の判断に委ねてあります。)
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 ヨノンの生活にとって、匂いは決定的に忌み嫌うものだった。大抵の人も感覚の中でおよそ嗅覚は忘れ去られたようなものになっていたかもしれない。匂いとは、古い時代の個性を主張するものであり、公の場所では、それがあることが非常識とさえされていた。

 単に香りだけを聞きたければ、森や湖などにいくか簡単な香りの発生器を使えば良かったので、今や昔のように香水や香りを自分の身に常時つけている人など皆無といってもよかった。

 感覚よりも、常に情報や知識が優先されているせいもあるかもしれないが、その代わり人や世の中に対しても、期待や希望をあまり持つことはなくなってしまっているのかもしれない。そんな生活に少し嫌気をさして、スピリチャルな生活を志す人たちは絶えないが、ヨノンもそういった生活に惹かれないでもなかった。

 何もかも忘れて、自分の精神世界の中に没頭してしまったらどれだけ心地よいだろうか。現に、彼と同じような仕事に就いていた仲間の一人が、急にそういう集団の中に入ってしまって、今ではすっかり幹部の地位についていた。

 「人は、全て無になっていくべきだよ。何もないところで、精神生活のみを送ることが本当の人間の姿なんだよ。」

 友人のケトンは、仕事に嫌気がさして恋人に導かれるようにそういった世界に入っていったという。スピリチャルの代表のシスは、サトリという教義を実践しているそうだが、人は自分の内面にむかって一日中話しかけていれば、そこに全ての喜びや悲しみも含まれているという。

 「では、僕が今現実で味わっている、悲しさや空しさはなんだい?こっちが幻だというのかい?」

 僕は、すっかり変わってしまったケトンに単純にそういった疑問を投げかけてみた。ケトンは、何時もお線香という特殊な技法でつくった香の匂いが立ちこめていた。それだけでも、違和感を持ったが、モノの世界を精神世界と完全にきりはなしてしまう感覚にはどうも無理があるような気がしていた。

 「人はモノが自分の周りにある以上、精神が進化しないんだよ。一度、そういうものから完全に離れることで、真の自由が得られるんだ。」

 「精神や心は、形がないから幾らでも変化するだろ。それが進化したと誰がいえるんだい。形にすることで、その様子がわかるのに、その機会を失ったら、判断のしようがないだろう。危険だよ。」

 ケトンは、元々世界通貨を統合する国の機関に所属していた。通貨が統一されたといっても便宜上そうなっただけで、貧富の差や物価の高低の地域差はなんら解消されることはなかった。彼は、理想主義の経済学者を支持していたが、途中から現実のギャップに悩み続けていた。

 「精神を見るのは、精神が発達して進化した人間がみるしかないんだ。シス氏は、我々よりもずっと先の精神世界をもった人だよ。多くの人が、彼の段階までいったら、次に世の中の創造が始まるんだ。お前も暗い現実ばかりにあえいでいないで、喜びの世界を目指すべきだよ。」

 ケトンの言おうとしていることははっきりわかる。今の時代どころか、何時の時代でも通じることなのかもしれない。しかし、ヨノンは自分の父がそういう世界に走りすぎて、自分の事業を破壊してしまったことが鮮明に記憶に残っていた。

 母は、どちらというとモノの中に喜びを感じる人だったから、何時しか父とは感覚のずれみたいなものが起こることが多くなった。食事をもっと昔風に手間をかけ、住まいは木や石など自然のものを多くつかって、少しでも居心地をよくしていった。

 それに比べて、父は自分のオフィスの埃一つ立たない、白で統一された殺風景な部屋に閉じこもっていた。仕事があるときも、ないときもその中でもともかく瞑想にふけっていたらしい。久しぶりにあった父は、ともかくやつれて疲れた様子にみえていた。

 シスという代表者も、出来るだけシンプルな部屋にいるというが、どうも父と重なってみえることがヨノンにはあった。自然は、人が生きていく上でアクセサリーや飾りではないと思う。しかし、その自然さえもシスによると精神の進化にとっては、害になるという。

 時代が行き詰ると何時も、そういうことが話題になってくる。環境学も所詮、経済との兼ね合いで限界を何度も経験していた。或る学者によると、現代と比べると古代人や原始人が如何に非効率で、自然を破壊する生活だったかということを証明するには、今全人類が森に帰ってみればわかると言っていた。

 資源という中では、人は小さく生きているに過ぎない。海を自由に生きる魚や、多くの花々を渡り歩くみつばちのほうが、ずっとそういう点では贅沢に生きているのかもしれない。
 
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by fenice2 | 2010-06-01 12:00 | 香りの小説