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縦と横の見えない世界ー調香の十字の方法

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 これだけ暑いと、開き直って昼間から鴨川をマラソンする習慣が身に付きましたが、そのまま川を遡っていってかなり上流までいって、水浴びをしてから、帰るというコースを繰り返していますと、自分でもなんだかだんだん浮世離れしていく感じがしていました。

 足を水につかっていて、ふと見上げると山が近くに感じられますが、暑さのせいもあり自分の心がふっとその川に沿ってどこかに流されていくような心地よさが沸いてきます。自分自身がここまで生きていて、これほど正直にすっと感じられる瞬間というのは、なかなか少なかったのではと思っています。

 親の教えや、その家々に流れてくる謂(いわ)れがあることや良い意味での伝統や、時々感じていた因縁や因習みたいなもの、そういうものが自分に流れていることを感じさせてくれる瞬間というのは、現実の中では少ないのですが、それを感じた瞬間から、それと全く違った方向から流れてくるもう一つ別の長い時間の流れも感じることがあります。

 転生輪廻という、途切れながらもひとつの魂の物語をつくってるようなものが、個人の感覚や感動の中にはあって、そういう遺伝子的なものの流れとは別に、自分自身の才能や生き方を左右させようとしているようです。現代では、こちらの感覚を掘り下げようとする動きが強いような気がしますが、それがこだわりとか、個性の育成みたいなものとも関係しているようです。

 前世というものが、あるかどうかわかりませんが、少なくとも感覚の世界の中には、そういった途切れ途切れになりながら、何か深いものを感じさせてくれるものは、どんな人にもあるように思います。その逆に、好みや目の前の選択の中に、親やその一族の影響を大きく受けているのではと思う方もいます。

 僕自身でいえば、自分の才能のようなものに溺れていたときは、そういったもうひとつの遺伝子的な感覚については、どちらかというと蔑視していたような気がします。親族そのものの集まりにいくのも避けていましたし、全く交わらないタイプの人間だとも思っていました。

 しかし、周りに身内の子供が多くなって好むと好まないとの関わらず、自分自身がそういう血筋の流れの中にいると思うと、諦めというか仕方がないという気持ちになって、自分の身を任せてきたように思います。これからどんどん若くない年齢に入っていきますし、そういった際立った個性だけでは成り立たない何かを感じ始めたのかもしれません。

 そういった、遺伝子的な流れと、感覚や感性の中に流れているものは、実際にはゆっくり淘汰されたり、緩和されていって、自分の中に流していかなくてはならないのかもしれませんが、現実にはそのどちらかがどうしても強くなって、本来の流れになっていないのかもしれません。

 特別な感性や才能があると信じている人に限って、何処かでそれを諦めていくことによって、開かれていく道筋もあるような気がしています。

 自分自身が花開くことばかりを考えている間は、なかなか第三者を楽しい気持ちにさせたり、心から感じ入るようなことを与えられないのかもしれません。もっと色々なことが出来る、もっと活躍する機会がある、それでもそれを諦めたり、少しずつ夢を削ることによって、生まれてくるものの方がもっと価値があるのではないかと思うようになっています。

 香りの勉強もそういう意味では、僕のものは才能を伸ばしたり、個人の心の中足りないものをを満たすだけのものではないので、難しいのでは思っています。しかし、この方針はこれからもずっと変えることはないように思います。

 世の中にとっても、天才が増えていくよりも、どれだけ見えないものや背景みたいなものに関心がある人が増えていくほうが本当は豊かになっていくのではないでしょうか。
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by fenice2 | 2010-08-30 16:06 | シャーマン

職人でもなく、芸術家でもなく、単に混ぜるのが上手いだけの仕事

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 この仕事を10年以上やってきて、それなりの試行錯誤がありました。何も最初から、調香師などという不確かなものを目指していたわけで無く、夢のあるような香水を売ることが出来たらと思っていました。今でもこの仕事が面白いと思うのは、さきほどやったばかりの調香を繰り返してみても、何か新しい発見をすることも多いからなのでしょう。

 もしかしたら、調香が面白いのではなくて、想像することが面白いのではと考えたこともありますが、おそらくそのどちらもあるのではと思っています。香りは、良いものが出来たと思っても、それをはっきりととらえることは出来ません。

 芸術と呼ばれるものも、殆どが視覚から来るもので、確かに五感で捕らえるといっていますが、人間は弱い生き物なので、やはり最後は視覚で記憶を残そうとします。しかし、人の記憶の仕組みと視覚は実際には、曖昧なことが多くて、よく子供の頃歩いた道などを大人になってから歩くとよくわかると思いますが、案外間違ったものも多いと思います。

 僕が、香りと記憶の関係を繰り返し話すのは、それが記憶の中ではもっとも確かなものを残すからだと思っていますが、それでもその瞬間、瞬間はどうもはっきり掴めていないものを感じて、頼りなさを覚えてしまうのですが、人が本当に感動したり、誰かを本気で好きになったりすることもそれに似ているのかもしれません。

 香りを通じて、感じる力みたいなものに可能性を感じてから、僕は一気に創作のほうに向かいだしました。良い香りをつくることが出来る手ごたえみたいなものは、日増しに実感していきましたが、それでもどれほどお客さんが喜んでくれても、僕の中ではそれがどういう価値になっていくのかわからないままでいました。

 人間の幸福や充実感みたいなものも、こういうものに似ているのかもしれません。そうだとしたら、やたら視覚でとらえようとする現代人は、何か大きなものを失っていきながら、毎日を過ごしているのではないかと思うようにもなりました。

 僕にとって、香りを通じて二つの夢が浮かんでは消えましたが、まず一つは誰が聞いても素晴らしいと思える香りで、もうひとつはオリジナルの香りをつくった本人が喜んでくれることです。しかし、しばらく作り出していて、最初の夢ははかなくも消えていきました。そこには、大手の香水メーカーの圧倒的な影響力があるので、良いという判断そのものを、支配されているような気もしました。

 残念ながら、香りの好みに関わらず、自分の本当の感情で生きていくことが出来る人は、社会の中では少数です。殆どの人は自分の感情や感覚が、どういった仕組みでなっているのかを探ろうとはしません。香りをつくるときもこのあたりが、とても厄介なものになります。

 人間関係、友人や恋人、ついては結婚の相手までも自分の感覚ではないことで選んで、流されてしまっていることは実に世の中には多いのだと思っています。香りについていえば、本来その方が選ぶべき香りを選ばないで、どうでも良い香りばかり選んでしまうことにも似ています。

 職人ならば、それでも選んだもので精一杯の仕事をしようと思うでしょうし、また芸術家なら相手がどうであれ自分の作品をつくることで一心になるかもしれません。しかし、そのズレが見える僕のような仕事は、ずっと相応しいものを選ぶのを待つのか、そういうものを選んでもらうよう導いていくしかないです。

 僕が、作品つくりをする傍らで、勉強会を始めたのもそのあたりの理由になります。調香の技術はともかく、何度か勉強をしていくうちに、自分の相応しい香りが何かをわかってくれる人は多いです。逆に、調香の技術ばかりに夢中になって、そういった感覚の世界の出来事を軽く見る人もいますが、まもなく香りをつくることにも壁を感じるようになります。

 先日、神道のくくりの話をしましたが、一度崩壊したものが再び新しいものに生まれ変わっていくことですが、人の感覚にもそういう部分がとても大切なのではと思っています。過去の思い出や成功、哀しいことや辛い思い出でさえも、日に日にその本来の形をかえていっているような気がします。

 貴方の思い出は、視覚だけのものになっていませんか?辛いと思っていた記憶でも、香りでつくってみるともっと別の面があることがわかると思います。このあたりも、僕の今の仕事のテーマになっているような気がします。
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by fenice2 | 2010-08-22 01:11 | アロマ 香り

世界の頭脳労働者 a brainworker

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 糸川英夫という人を、忘れる世代が多くなってきました。僕自身が、先生と接したときはもうかれこれ80を過ぎていた頃ですから、言い方を悪いのですが研究者としても、人としても完全にピークは過ぎていたのですが、それでも過去の色々の話を聞くと、この人は単に頭脳明晰でない何かを持っている人だということがよく分かりました。

 今、いとかわと言われている小惑星は、糸川先生からとったものですし、探査機はやぶさは、戦時中の先生が設計した戦闘機はやぶさからとったものです。先生の遺骨は、種子島の宇宙センターから幾つか探査機に乗せて飛ばしたそうですが、今回の探査機にもほんの少しだけでも入っているのかもしれません。

 今思い出すと、先生はよく人の戦いは頭脳戦争のようなものだということを言いましたが、大きな戦争や争いも実際には小さなテーブルのうえで行われているのに等しいと言っていましたが、チャーチルなどはヒトラーと仮想チェスをやって何度も打ち負かしたといいますから、満更関係ないわけではないのかもしれません。

 今でもそれらしいものは、ゲームなどにもあるかもしれませんが、バーチャルのみで終わってしまいそうで、およそ現実には結びついていかないのかもしれません。

 久しぶりに大学のランキングをみれば、随分前に知ったいたものと、あまりに変動かあったので少しカルチャーショックを受けています。僕の頃は、留学といってももっと自由でラフなものがりましたが、今は多くの人が経験しているので、かなりシステム化されているのではないでしょうか。

 日本が戦争に負けたのは、今の官僚機構に通じたものがあるとも先生は言っていましたが、それ以上に感性やセンシティブなものがなかったとも言っていました。そのときはあまり意味がよくわかっていなかったのですが、先生の名前を今でもNASAの殆どの研究者は知っていますし、アメリカの航空機関係の年配の技術者も、憧れのように覚えているのは、よほど飛びぬけた先見性があったのだと思っています。

 あいにく、僕はあまりよい弟子とは言えませんでしたが、それでもイスラエルの大学の軍事研究所に入れたことは今でも、色々な意味で自分の人生を変える大きな原因になっているような気がします。ユダヤ人の武器のバイヤーにも会いましたが、自分が余りにも知らなかった世界観を持っていることに驚きと諦めみたいなものも感じました。

 その頃、僕は父の会社の100億近い負債を背負わされ、どうすれば会社が再建出来るかを模索していました。イスラエルの留学もそういう中でのことでした。世の中は、バブルでしたが、金融の仕組みみたいなものがなんとなくユダヤ人と接するうちにその終末がはっきり見えてきました。

 経済というもっともらしいものには、実は哲学も理論も人間工学も加わっていません。江戸時代、商人はもっとも身分が低くされていましたがあれは満更悪い制度ではなかったように思います。ヨーロッパの貴族やマリーアントワネットまでも陥れたのは、商人そのものであったように思います。

 先生は、1929年の世界恐慌も経験され、世界経済の仕組みが如何にあやふやで、場渡り的なものであるかもよく話していました。別のデーターを見ますと、その世界のトップランキングされた大学の学生の半数近くは、まだ懲りずに金融関係に従事するとのことでしたが、これが意味するところは明るくないものです。

 戦争で一儲けした資金がだぶついて、その暗黒の資金が再び金融界の中に流れ込んでいって、色々な思惑や欲望が蠢き、今回の金融危機を招いたのだという人もいます。日本でも、最近とくに素人同然の人が為替に手を出したり、中途半端なアイデアの持ち主が、経済セミナーのようなものをつくって、よからぬ儲け話しに手を貸しています。

 B29は、高射砲でも落とせないほど高い空域を飛んでいたのですが、その頃日本の戦闘機はそれほど高い空域には飛ぶことは出来ませんでした。しかし、糸川先生によると、小さなリモコンできる飛行機ならば、その頃の技術でも、届いただろうとのことでした。

 技術、感性、センスがこれからの時代のキーワードのような気がします。僕のいる香水界も再び巨大な資金を投じて、まがまがしい香水をつくろうとしています。香りそのものの良さがわからない若い人などは、そういった商品に容易に乗ってしまうでしょう。

 感性の仕事の人は、今の日本がそういった世界の頭脳労働者から狙われていることによく気付くことです。日本の企業は英語化して、益々海外の優秀なブレーンを集めていきます。日本人の元々の感性は、とても繊細で豊かなものがあります。それらで独自の文化や経済圏をつくっていけば、そういったまがまがしいものから逃れることが出来ると思います。

 感性を身に付けるには、何よりも感覚を磨くことですが、その中でもやはり嗅覚は大事です。坂本竜馬も香りには、こだわりがあって初めてヨーロッパの香水を身に付けた人だとも言われています。

 香りや匂いは、色々な物を運んできます。それを受け止める人があやふやならばせっかくのメッセージも台無しになってしまいます。


 
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by fenice2 | 2010-08-20 16:08 | 糸川英夫

東山の勉強会のお知らせ

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 このところ、殆ど仕事らしい仕事もせずにずっと、毎日を無為に過ごしています。身の回りの掃除や、食事の支度、木々に水をあげてみたり、少しくらいは本も読みますが、考えてみれば人、一人が生きていくのにも実に雑多なことがあるように思います。

 僕は、妙なところがあってこういう毎日の何でもない出来事が好きで、洗濯をしたり炊事をしたり、時には車やパソコンなども分解して掃除したり、修理したりしますが、それよりも現代から見れば無為とみえる当たり前の日常を単に繰り返していることに喜びを感じたりします。

 京都は、そういう当たり前と言われるような生活が、今でも街のなかに生きています。夕方になると、ほんまに町やあたりから夕飯の支度をするような匂いや慌しさが漂ってきますし、市場みたいなものもかなりあって、方々で買い物がてら、立ち話が始まります。

 スペインのバルセロナは少し街でしたが、その周辺都市のカダゲスあたりにいくと、こういった夕方の喧騒感みたいなものが、感じられとても豊かな気持ちになったことを思い出します。仕事も生活も何か、町や人や歴史の中にうまく溶け込んでいて、またそれを毎日確かめることが出来る時間があります。

 観光客が中心のように思えますが、こういった昔ながらの変わらない市井の生活があってこそ魅力があったように思いますが、最近のあまり観光を中心とした動きは、よくないものを感じてます。そういう意味では、仕事というものも本来は、こういった生活からかけ離れたものではなかったのかもしれません。

 美的なもの、特別なこと、魅力とか僕自身もそういうものが香りを作るときには、テーマとしてありますが、それよりもこういった普段の生活が見えない人を相手に仕事をすることは辛いものです。

 生活臭とは違いますが、香りは所詮そういった日々のものから生まれていくものだと思っています。今のように暑い季節なら、綺麗な川の清涼感ある香りとか、今にも夕立が来そうな不安定な匂いとか、甘い果物の香りとかそういうものが、形になってこなけければ、殆どが白々しいものになって飽きてきます。

 生活そのものが、香りあるものから離れないというのが僕の今のテーマなのかもしれません。欲や怠惰な生活に身を任せていると、腐敗した雰囲気や匂いしか出てこなくなるのではないでしょうか。そういった匂いを消したり、ごまかしたりするために香りはあるのではないと思います。

 夢も大切ですし、もっとさきの目標もよいと思います。しかし、その為に、心遣いや思いやりの気持ちを忘れ、人を傷つけたり、迷惑をかけ続けているような人にどうして心の豊かさや落ち着きがくるでしょうか。

 今、どのようなものでも楽しんで生活を暮らしていない人から、良いモノを生み出していくのはとても難しいと思います。そういう意味では、仕事=お金儲けというものは、色々な意味で、そういった人の情緒や関係を壊しているのかもしれません。

 日本人は、古来よりも匂いに敏感で、特に悪臭に対しては荒神さんなどの信仰とも関係して、徹底して忌み嫌ってきました。そこには、単に鼻が敏感というだけでない、人が生きていくことのつましさや謙虚さなどの根本的な思想みたいな深いものも加わってきたように思います。

 香りの勉強会というのは、単に調香を学ぶだけでなく、そういった自分自身の心のあり方みたいなものが、映るものだけに、なかなか難しいものがありますが、今度また違った形で少し人数を集めてやりたいと思っています。とりあえず、場所は東山の八坂の塔の前のカフェです。

 また、詳しいことが分かればお知らせします。


 
 
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by fenice2 | 2010-08-19 12:53 | 京都

魂の存在とくくりー感覚と意志の源

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 最近、或る神道関係者の方から、くくりという話を聞いて自分で日ごろ感じていることと似たようなものがあるのかもしれないと思っていました。香りを通じていて、人には感じる世界には限界があるのはわかりますが、その限界を決めているのは、何か他からのものもあるのではと思っていました。

 嗅覚の世界は、視覚の世界よりもずっと曖昧で言い換えれば、積み重ねることが難しい世界だといえるかもしれませんが、それがここ数年間ではそうではないのではと感じることが多くなりました。香りとか匂いが記憶と深く関係していることを、理解できる環境になっているのかもしれませんが、それ以上に世の中にもっと違った現象が起こっているのかもしれません。

 生き物が、生きていくのは共存とか共栄とか、そこには複雑なネットワークが出来上がっていて、恒常的な繁栄のシステムがあると思うのですが、どうもその自然がつくったと思うシステムそのものが、僕はここ何年かで随分破壊されてきているのではないかと思っています。

 神道という日本人の古来からの精神世界からのメッセージでは、”括りなおし”という現象が起こっていて、簡単にいえば今まで心の支えとしていたものが、根本的に作り直させようとしているとのことでしたが、鎮守の森という場所も、その役割が終えてきたものが出てきたのかもしれません。

 日本人というのも、単一民族といいながら、分かったようなわかっていないところがありますが、最近奈良の古墳を見ていても、大和と出雲の系統の大きな違いに気づかされることも多くあります。細かくは、熊襲(くまそ)とかアイヌの祖先の蝦夷とかの民族もあるようですが、もっとも今の日本人の感覚的なルーツは、その二つが大きな影響を与えているのではないでしょうか。

 香りをつくっていても、最近やたらとこの方は大和の流れを持つ人だとか、出雲の流れを持つ人だとかをイメージすることが多いです。九州とひとくくりにいっても、実際はその二つの民族の流れがあるような気がして、僕自身は、時々出雲の系統の部分が強いのでは感じることもあります。

 卑弥呼が、畿内であったのか九州であったのか色々議論がありますが、僕は同じ大和の出身であったためにもしかしたらどちらにも行き来していたかもしれませんし、似たようなものが多いのは仕方がないのではと思っています。

 明治維新の時に長州のような日本中を敵に回しても戦うという思想は、やはり出雲の系統から出ているような気がしています。出雲を大和が滅ぼそうとしたときに、日本中の神々が出雲にきて守ったとされていますから、日本にとっては大和だけでもだめで、出雲があって成り立つものがあったような気がしています。

 きしくも、第二次世界大戦で大和が沈没する前に、出雲も沈みましたが、出雲のほうが第一次大戦では活躍していたこともあって、かなり古い戦艦であったようです。

 日本人のルーツといっても、もう一度この辺りをおさえておかないと、現代ではどうも根本的なものが失われているのではと思うことも多くあります。大和の香りをイメージすると、かなり和のものが出てきますが、出雲のものをイメージするとインドや中近東のイメージが多くなるから不思議です。

 おそらく出雲は、今の山口あたりも含めて、近隣のアジア諸国よりももっと遠くの国々からの影響が多くあったのではと想像しています。一説には、紀元前のほうがもっと長距離を航海できる船もあったとのことですが、同じ海に接していながら、地域によってはかなり触れているものが違ったものがあったのではと思っています。

 このあたりのことは、また香りを通じて触れていこうと思っています。
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by fenice2 | 2010-08-04 19:38 | 調香・錬金術