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女性らしい香りとはー或る女性らしさの崩壊の年

 
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 今年は、香りを通じて振り返ると、妙なタイトルですがまさにそういうことを感じさせる一年だったように思います。何でも強さみたいなものが前に出るようになって、自然と繊細さやしなやかさみたいなものが失われた年ではなかったかと感じます。

 性という部分を根本的に考えてみると、僕は基本的に女性があって、それから男性というものがあるのだと思っています。社会というか、生物学的にはオスとメスと区別はありますが、人間の性の部分については、男性という部分は基本的に女性とものの中の一部分過ぎないのではないかと考えたりします。

 香りについても、男性用と女性用と便宜的に分かれてきましたが、実質的には女性が男性の香料を使うことはあっても、男性が女性の香水を使うということは滅多にないように思います。香りの世界だけでみても、そういった性の区別はいまやほとんど意味を失っていますが、それは社会全体にとっても実はそうなりつつあるのかもしれません。

 長年の男性が作った独特の社会の仕組みが壊れつつある中で、女性にとって生きやすい世の中の構造になりつつありますが、その過程で皮肉にも女性らしさとか、しなやかさみたいなものが消えつつあるのではないかと感じることが多く危惧しています。

 男性らしさとか、男性が生きていく方向性みたいなものは、実はその広く伸びやかな女性らしさがあって芽生えてくることではないかと思っています。これは、香りをつくっていても同じようなことが言えます。女性らいしさや母性愛を感じさせる香料といえば、やはりローズですが、このローズを種類はとても多いので、一言では言えない奥深さがありますが、何度も生かすことが出来ない組み合わせに遭遇して、今年はずいぶん困った思いをしました。

 男性にうまく使われる女性、もしくは社会そのものに利用されがちな女性、意味合いは少し違いますがそういった内面を感じさせる調香に何でも出会ってしまううちに、なんともローズが悲しく思えることも多かったように思います。

 女性が出産もして社会進出することは、およそ男性には経験出来ない範囲でありますから、実際には多くのことを感じ、創造できる力を持っているように思います。しかし、社会や家庭の両方で、そういった広い感性や想像力みたいなものを維持していくことが出来る人はごくわずかな人しかしないのかもしれませんが、そのごくわずかな人も、何も目立ったことはしていなくとも本当の意味で女性らしさや繊細さを持っている人にはかなわないのではないかと思います。

 この香りの仕事も、より女性らしい香りをつくることのほうが難しく、香料も多く使うので複雑でより繊細な技術が必要になると思います。フランスの調香師がわざわざ東洋の女性をイメージして香水を作ったのも、こういった理由があるのではないでしょうか。見た目がどれだけ華やかに見えようとも、奥深い創造性を持たない相手に対しては何も奮い立つところがなかったのかもしれません。

 そういう意味では、世の中がツマラなくなったのも、単に男性が弱くなったとか、女性が強くなったとかそういった単純な問題ではないような気がしています。女性らしさとか、しなやかさみたいなものがなくなると、男性は、自分のより所がなくなって無気力になってくるでしょうし、生きがいのようなものも失ってくると思います。

 女性の方の香りをつくっていると、本当の自分の女性らしさに気づいたような香りをつくると随分良い評価をしていただくことも多いです。しかし、様々なストレスで、その女性らしさがあまり貴重なものでないと思い込んでいる方の香りをつくることは、なかなか難しいものがあり、案の定心に深い傷や悩みを抱えている方も多いと思います。

 世の中という大きなものでなくとも、小さな家庭が平穏なものになるのも母親を中心とする女性らしさが大切ではないかと、つくづく思えてなりません。こだわりやプライドも時には必要でしょうが、それによってもっとも大切なものが失われてしまえば、何も残らない生き方をしてしまうような気がしています。

 漠然と書きましたが、来年はもっとこういった女性らしさをテーマにお一人、一人の香りづくりを心がけていくべきではないかと思っています。癒しや、心地よさも大切ですが、女性本来の潜在的なものをもっと引き出してあげるべきなのかもしれません。
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by fenice2 | 2010-12-31 01:57 | アロマ 香り

心に関係する技術とそうでないもの

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 以前も少し書きましたが、僕がこの仕事に就いたのは世の中には、人の心を無視した仕組みと言いましょうか、システムが多すぎるような気がして、自分自身もそのことで苦労をして、一時期は山にでも篭った生活をすようとも考えるほど、気持ちも縮こまっていました。

 心を壊してしまう社会の仕組みとは、まずは戦争のようなものがありますが、経済戦争みたいなものも僕は十分心を破壊するに等しいものが多くあるような気がします。多額の債務を負わされたり、あまりにも過酷な競争をしていくと、徐々に心が破壊されていくのではないでしょうか。

 確かに過酷な練習を終えた後にしか出来得ない技術などもありますが、それが幼年期にあまりにも短時間に行えば、果たして何処まで得るものがあって、失うものがあるのか疑問です。最近の加熱するスポーツなどにもそういったものが見え隠れして、どれだけ素晴らしい演技をしても痛々しいものを感じます。

 本当は、もっと毎日の生活の中で小さくとも喜びや感動があれば、そういった特別な感情や感覚はあまり必要ないのではと考えたりします。かくいう僕のような仕事もそういった、人の心のささくれ立った部分を癒すようなことになっているのかもしれませんが、カリスマや達人などと呼ばれて、感動するなんとかなどと持て囃されたくはないです。

 香りも今の時代は、確かにそういった心の激しい動きを求める傾向が強いのですが、多分僕のつくる香りは、むしろ反対のものを目指していると思いますし、そういう香りが出来上がっているのだと思っています。自分でいうのも何ですが、どれほど香りが強そうに思える香料の組み合わせでも、大抵は深く落ち着きがあるものになっているような気がします。

 世の中の人の求める心や感情の動きに、そのまま合わせて成功をおさめる技術や人もいると思います。別段、それが悪いことだとは思いませんが、求めるほうも求められるほうも単に莫大な心の消費を行っているだけで、後に残るのは何もないのではないでしょうか。

 強い感情や激しい情緒を求める人たちは、心の中にある空しさを一気に埋めてしまおうと思っているのですが、そういった日々の生活から失った大切な情感は、僕はそう簡単には埋まらないのではないかとも思っています。

 毎日の生活の中で、良い香りに包まれることは、そういった無意味な空しさや落ち込みから開放されていくことになると思います。元来日本には、こういった香料を使わずとも、身の回りで心地よい香りに満たされていた香り立つ国であったように思います。ここ、京都はまだ季節によってそういった自然の香りが残されていますが、東京などの大都市などでは多くの部分でなんとも悲しいものがあります。

 料理の面取りのように、香りも香料によっては角張った部分を除き柔らかいものにしていく技術があります。本来強く主張していくはずの香りが、大人しくなると人によっては物足りなく思う人もいますが、結果はその香りが持つもっと深い部分を理解することになります。

 中身のないものが、単に角が取れても仕方がないですが、今の時代はどうもその逆の現象が多くの人の心に起こっているような気がします。うわべだけの優しさや柔らかさに惑わされがちですが、人の心には時には少しぐらいは角張ったものがあるのが自然なのかもしれません。





 香りのご依頼は、年末も受け付けておりますので、ご希望の方はメールにてご連絡ください。

 
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by fenice2 | 2010-12-28 18:04 | 調香・錬金術

滋賀県のとても魅力あるブティックのオーナーさんとお仕事させて頂きました

 昨日まで久しぶりに東京で勉強会をしていましたが、その前にあまりにも個性的なブティックのオーナーとお仕事をしていましたので、なんとも目まぐるしい日々でした。やはり地方でお仕事をされている方は、とても魅力ある人も多く、今回そこで香りを作らさせて頂いたのは、有意義な仕事でした。

 何よりもここのオーナーが、お客さんとの信頼関係が強く、僕のように人の心の深い部分に好むと好まざるとにかかわらず入っていかなくてはならない仕事は、そういった環境下ではとても大きな効果を生むことになると思います。

 そもそも僕が、この仕事をやろうと思ったきっかけは、人は人間関係が疎遠になることで生きる気力を失ったり、絶望にいたることも多く、特に核家族の今のような社会は、一端身内との関係がこじれると知らないうちに社会からもはじかれてしまうことも多いと思います。

 カウンセリングや占いみたいな分野でも、僕は一時期仕事をやりましたが、人の悩みや苦しみを元に生計を立てていくことは、やはりあざとくなっていくことも多く、どうかすると人の不幸の上で自分の生活が成り立っていくことが当たり前のような感覚になっていくこがとても不快に思っていました。

 人に何かアドバイスをしたり助言をすることは、なるべく直接儲けなどとはつながっていないほうが良いはずで、昔から近所の年寄の、ふとした言葉が知らないうちに大きな助けになっていることも多いかと思います。

 京都に住むようになって、昔ながらのそういった近所の仕組みが残っているところもあって、それがすべて良いとは思いませんが、少なくとも大きく心がマイナスのほうに傾いている人などには、犯罪や自殺を起こさせない大きな予防になっているような気もします。

 オーナーの香りは、卑弥呼と名付けましたが、確かにそのオーナーが何気なく言っていることもまるで霊言のように聞こえることもあって、お客さんは何か引き込まれるような気持ちになっていくのかもしれません。

 僕自身が、香りをつくるときに生まれてくるイメージやストーリーみたいなものには、確かに何かその方にとっても大切なこともありますが、それも今回改めて認識しましたが、深い信頼関係があってこそだと思っています。

 経済をよくするのも、単に売り上げを上げるといった狭い分野にも、こういった人の信頼関係がベースになければ、何もかも空しく壊れてしまうのではないのでしょうか。僕自身も、おそらく普通の家よりも深い愛情に囲まれた家庭に育ちましたが、そういう背景から人の付き合いも決まってくるなと感じさせることも多くありました。

 未だにどこかお人好しのところを自分によく感じます。

 どんな時代になっても強い気持ちさえあれば、人と人はもっと深い気持ちになれてくるのかもしれません。これからの仕事のキーワードは、やはり人対人の気持ちにあるような気がします。それを失ってくるものはどれだけよさそうに見えても仕事、組織、家族でもいずれも崩壊してくるはずです。

 どれだけ良い香料をそろえても、そこに間違いがあれば何もならないのだと思います。モノはよくて当たり前、技術も伴わなくてはなりませんが、そこに深い人の関係がなければ、何も残らないのではないでしょうか。今回の仕事でそのことがしみじみ分かりました。

 

 
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by fenice2 | 2010-12-22 14:33 | アロマ 香り

心を動かされる香りを目指して

 人を好きになることも、香りを好きになることも、かなり似ているところがあるような気がしています。男性の方の香りをつくろうとするとよく、女性にもてる香りをつくってほしいといわれますが、実際にモテル香りをつくったことはありませんが、香りにそういった期待をしているのは解るような気もします。

 香りは、人の感情を動かすものがあると思いますが、それも一つの香りで誰でも同じ感情や気分にさせるのは、とても不確かな世界で、たとえばローズの香りを聞くことによって誰でも心が落ち着くというわけではないです。

 しかし、最近調香を通じて気づいてきたのですが、千差万別に感じる香りでも、ある法則に乗っ取ってつくっていけば、それほど悪い気分にはさせないのではないかということなのですが、これはその人が気に入った香料のみで香りをつくっても、本人以外の人も案外気に入ってくれる現象に少し似ています。

 その理由はよくわかりませんが、視覚にも色々な錯覚みたいなものがあって、落ち着いた気分とそうでない時にみた一枚の絵でも印象は大きく変わることがあります。そうやって考えると、日本の古来の香道などには、自分から香りに向かって精神を統一し判別していくことには、なるほど深い意味があるのでは最近よく思うようになってきました。

 自分の感情を解放させることは悪いことではないですが、酒に酔って前後不覚になる人などを見ると満更良いものではないなと思ったりします。以前も書きましたが、あまり多感で過ごす事は何も残さない生活を送ってしまうのではないかとも思います。

 人は、確かに根本的なところで好きな香りと嫌いというものはありますが、それも本来はそれほど千差万別ではないのではないのではと思います。海や山、自然の中に様々な匂いや香りの中にそれほどの好き嫌いがあるのか疑問です。

 香りの歴史だけみても本当に良い香りというのは、それほど数があるわけではないですし、小さな地域で喜ばれるものはありますが、それはあくまでその地域に住んでいるときに限ってそう感じるものも少なくないです。

 自分の好きな香りを求めていくのが良いのか、それとも本当に良い香りを理解するほうがよいのか、その答えは簡単なものではないのですが、少なくともその両方の動きがなければ、心が動くことはないのではと思っています。

 そういう意味では、僕の調香の仕事は香りを選んだり、そのやり取りをしているときにもっとも価値があるのではと考えています。勿論調香技術云々もありますが、その香りとのやり取りの中にこそ心と香りの接点が多くあるようです。そのあたりが、市販の香水のように決められたイメージにのみに沿ってつくるものとは違うのだと思います。

 それは与えられた人生と、自分で創造する人生の違いとも言えるかもしれません。人の関係も今は結果のみで動いている人は多いと思います。完璧に出来上がっている人を求めている人や、整形に走る人が多いのもそのせいだと感じます。

 香りも、自分の好き嫌いも良いのすが、まず良い香りが何であるのか理解していくほうが、自分にとってもよりよい香りが創造できてくるような気がします。良い香りに深い理解が出来れば、実際の自然にも、もっと深い感情が持てるような気もします。

 今の時代は、人の関係でもなかなか好きになることが出来ないのはそういった理由もあるようです。香りの世界はとくに出来上がったものに囲まれていることは、良いことは何もないような気がします。
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by fenice2 | 2010-12-17 21:37 | アロマ 香り

烏丸四条のナリス化粧品さんでイベントさせて頂きました

 東京では、ポーラさんで調香の仕事を以前、やらして頂きましたが、今回は四条烏丸店のナリスビューティースタジオでの仕事をお受けしました。

 10数人ほどの方の香りを作りましたが、前回の調香のイベントよりもゆっくり出来たのでありがたく思っています。ナリスさんは、化粧品が無香料だそうなので、お客さんも香りに対してとても敏感な方が多かったように思います。

 毎回、香りをつくるたびに思いますが、何時もどれだけのものが出来ただろうと見返ることもしばしばです。仕事としてのレベルもそうですが、自分の基準がもっと高いところにないと、沢山の人をおつくりするときにどうしても妥協する部分も出てきます。

 香りで表現する世界は、大抵が現実の世界ではなく、夢の世界です。何処から始まって、何処から終わるのかわかってるようで、わかっていないところがあります。無限の世界を有限な世界にあてはめていくのは、最初の接点が間違うと表現したいことの半分も実現できないことになります。

 場所が変わり、周りの環境によって香りはどうしても色々な制約を受けます。最近、僕は時々つくるのに慣れているのではないかと感じることがあります。慣れは悪いことばかりではないですが、馴れ合いは何も良いものを生み出さないです。

 そろそろ、また香料も新しいものも入れて、新しい技術をつくっていかなくてはならないのではと感じています。勉強会でも、だいぶ香りが出来るひとたちもいるのでまた新たな課題を出していかなくてはならないのではないでしょうか。

 巧くつくることは、仕事としては仕方がないのですが、楽しさや喜びが伝わらなくなると香りがきっと飽きのくるものになってしまうような気もします。

 香りは、気持ちや感情、心みたいなものにそっと寄り添うものでよいのではと思っています。つくる人間がどれだけ見えないものに心を尽くせるかにかかっています。

 僕にも、まだまだ課題はありますし、登るべき山もあるのでしょう。しばらくまた今のベースなどについても見直してみます。
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by fenice2 | 2010-12-09 20:06 | アロマ 香り

大覚寺の幻影ー鏡の世界と現実

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 昨日大覚寺のライトアップが最後でしたので、香りの勉強会の後、慌てて向かいました。紅葉は落ちていましたが、池に映る幻影の世界は美しいものがありました。

 僕も特殊な世界に長い間、身をおいていますがどうも最近僕のような世界に住む人間たちが戸惑い凋落しはじめているのではないかと思っています。香りの勉強も色々な事情があるとはいえ、まっすぐに進んでいくことができる人とそうでない人に分かれてきました。

 歌舞伎の役者の事件もそうですが、いわゆる現実の鏡と言われる人たちが荒れてきているのは見るのは、とても忍びないものがあります。夢を与えることができる人間というのは、現実との正しい立ち位置や正しい見方をしていかなければ、たちまちにして何もかも失うようなことになってしまいます。

 池面に映し出された紅葉は、少しの風が吹くだけで脆くも壊れ去ってしまいます。もっとも風が止めばすぐにもその姿を取り戻しますが、その脆さは現実の紅葉よりもずっと繊細で儚いものです。

 映し出された世界が無くても、現実は成り立ちますが、そういった鏡のような世界を失うとどれほど味気なく、情緒のない世界になってしまうでしょうか。夢を与えるべき人が凋落し、生き方にさまよっている様子はとても滑稽ですが、同時にとても悲しみを感じざるにはおれません。

 鏡の世界が大きく揺れて乱れていくうちに、現実の世界はどんどん移り変わっていきます。鏡の世界の人間たちは、そういう意味では現実の決められた時間を映しているに過ぎませんから、どうしてもそこで不思議な時間のずれを感じてしまうことになります。

 鏡の世界に住む人間にとって過去の記憶に執着することはとても危険なことです。ましてそこに大きな喜びがあるとなおさらのことです。芸術家があまりに大きな賞をとってしまうと、あとには良い作品を残せなくなってしまいます。無冠こそが、よい芸術を出せるものになっています。

 実際の木々をみて、その四季の移り変わりは想像できますが、鏡に映った世界の木々からはなかなか時間の流れを想像することはできません。そういう意味ではこの世界は、よほど普段から想像性みたいなものは鍛えておかなくてはならないです。

 今回、勉強会でテーマにしましたがやはり香りにとって、”魔”という存在はとても大きなものだと思います。むしろこの魔が鏡の世界を支配していると思ってもよいかもしれません。

 魔は現実の世界では祓い清めるものですが、鏡の世界ではこれを完全に消し去ることはできません。いわば、人間の業やカルマみたいなものなのかもしれません。

 闘えば、ミイラ取りがミイラになるのに似ていますし、話し合おうとしても結論が出ることはないのかもしれません。魔はうまく操るしかないのではと僕は思っています。香りをつくるときも、その方の魔をとても強く意識します。

 魔を意識しないで、力のある香りはできません。それは、退屈な人生しか送れないことに似ているのかもしれません。

 
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by fenice2 | 2010-12-06 12:06 | 京都