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匂いの無い世界からの恐怖感

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 京都市内の二条通りのお気に入りのカフェでほっこりしています。

 僕は、ここ何年か自分の嗅覚の中で、滅びの匂いというのものを感じ取っていました。生き物や自然の世界のものには、どんなものでもそれが不快であろうとも匂いや香りがあります。確かに、人でも年配者には独特の匂いがありますし、誰もが生まれたての赤ちゃんのように乳臭い、甘く心地よい匂いをさせているわけではないです。

 という僕自身は、以前から匂いには敏感なのでこの仕事になっていたのかもしれませんが、自分の嫌いな匂いを何も根絶してしまうおうというほど執着を持っていたわけでないです。明らかに害になる悪臭ならばともかく、自分が合わないというだけで、その匂いを消し去ってしまおうとは思わないです。

 巷の、消臭騒ぎというのがどうもよく分からないところがあって、加齢臭の問題もなんだか調香の立場からみれば全く違う面で進んでいったのが、むしろ腹立たしく思っていました。誰もが、自分の匂いを忘れ、匂いを消し去ることであたかも社会人らしい姿をしていくことが不快にさえ映っていました。

 そういう中でいきなり、匂いの無い訳の分からない物質が日本中に振りまかれるようになりました。あそこから出されたものは、人間はおろか犬や小動物、魚に至るまでその物質を感知することは出来ないようです。生命や生物が認知できないということに、実はもっとも大きな危険があるわけで、何処までが危険で何処までが安全なのかわからないのもそのあたりに根拠があるような気がします。

 世の中が、匂いの無い世界を目指しているとしたらそれはどこか危険な方向に向かっていると思ってよいと思います。逆をいうと、自分の匂い、世の中の匂い、自然の匂い、花の香りそういうものに五感を研ぎ澄ましているときは、皆が皆、オカシナ方向にいくことはないように思います。

 生きているものは、悉く魂や命があって、そこにまた匂いも存在します。自分にとって何が心地よく何が心地よくないのかはありますが、合わない匂いの存在を根絶しようと思ったら、そこには戦争のような大きな争いや諍いが起こる可能性があるような気がします。

 匂いや、香りは人それぞれの好みがあるといいますが、それでもここまでなら多くの人が好ましく思う香りというものはあります。これからは、都市づくりや街づくりにもそういった特に匂いや香りを感じさせるものを目指すべきだと思います。よくあるホテルのロビーでやっつけのように単一のアロマを置くことは、そういった感性を育てることにはならないはずです。

 自分なりの心地よい世界をつくるには、そんなに単純なことではないと思います。僕がやっている調香にしても、初めての人はとても複雑だで繊細だと仰って頂けますが、まだまだ一部分を再現しているに過ぎないのではと思っています。

 嫌なものを排除するだけの世の中の方向性が、今のような社会現象を起こす不穏な時代をつくってしまいました。どれだけ酷いことになっても、もう一度良い香りのする街や故郷を目指せば、必ず再生できると信じています。日本のような狭い場所で、見捨てられる土地など何処にもないと思います。



 
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by fenice2 | 2011-04-25 15:13 | 滅びの匂い

東京考察ー文明が失ったもの得たもの

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 来週は、関東に仕事で行きますが、その前に東京に勉強会を兼ねていってきました。Facebookで散々話していますし、今更色々言っても何ですが、上の二枚の写真が僕自身の心に映った京都と東京の風景です。

 時代や文明は、過去の愚かな遺物を反省し、新しい時代に向かって武器も含めて多くの廃棄物を積み上げているかのように見えました。世界平和や貧困の無い世界が、もしかしたら手の届くところまで来ていたのかのしれないと夢を政治は抱かせているところもありましたが、実際は、それは悲しいほど幻想であったように思います。

 東京は、良いも悪いも日本の大きな流れの中に中心であって、その存在に人は一喜一憂していました。過去にも地震があったり、空襲で多くの人が亡くなったりしましたが、それでも復興して日本人の心にも大きな自信を与えたのも東京でした。色々な国の長所を飲み込み、日本人の頭脳の粋を集め官僚や学者もその盤石な基盤を昭和を経て、平成に入っても維持し続けました。

 日比谷公園で、皇居の周りを歩いてから心字池の周りで少し休憩するとそこに、今の東京の人達の心が映っているような気さえしました。まだ頑張ろうという気持ちと、もう本当にだめかもしれないと思う絶望した気持ちが大きくわだかまっているようでした。

 放射能物質の飛散については、やはり微弱なながら東京には舞っているような気がします。仕事で出会う人にも何気なく尋ねても、皆さんそれなりに自覚しているようでした。余りにも多くの人が被爆している為に、一人一人の違和感を今更言っても仕方がないという、諦めにも似た気落ちもあったのだと思います。

 人が少なくなり、電気もままららない上に、静々と放射能が降る東北から東京あたりまでは自然の精緻な仕組みやシステムをかなりの可能性で破壊していくと思われます。土や水が侵されるというだけでなく、人や生き物の身体の深部にも入っていって、それが神経など人の恒常機能に悪影響を与えていくようです。

 癌になるというのは、あくまでそういった放射能物質が生き物の恒常システムを妨害していく結果として成り立つのであって、放射能物質そのものは短期的には表立った傷や障害をあたえるわけではないです。それだけに一方では、楽観論が出て学者の中でも議論が別れることがありますが、正確な治療法が確立していない以上、やはりまだまだ量に関わらず危険としたほうが良いような気がします。

 どれだけ放射能物質を除去しても、総体量として放出されたものはかなりのものになってきますので、これからは如何にそういった生命の恒常性を維持したり、刺激したりする物質や機会が必要になってくるような気もします。

 単に、震災などで精神的に暗くなっていることもありますが、自分の身体の深部がどこかギクシャクしているように感じれば、自然と気持ちは塞ぎ込み、心が暗くなってきます。東京の色々な行事が自粛されてくるのが何となくわかってきました。

 癌になるメカニズムが完全に掌握されていないことと同じように、放射能物質と癌との因果関係はあくまで統計上のものと言う人もいますが、もしかしたらこのあたりは次の時代に渡るために避けては通ることが出来ない場所と言ってもよいかもしれません。

 永久エネルギー、健康体を保持する生命システム、これらが今まで以上にはっきりみえてこれば、人類はこの問題から乗り越えていけるのかもしれません。そういう意味では、まさに何千年の歴史の転換期を迎えています。
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by fenice2 | 2011-04-15 22:53 | 調香・錬金術

御所の香りー桜と松と苔の間に

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 京都御所のなかに入るのは、何度かありますが春は久しぶりでした。何時もなら桜も散っているところもあったのですが、今年はちょうど見ごろで慌てて入ったわりには良かったような気がします。

 色々見ましたが、最期に見たこの小さな庭の松と桜のコントラストがなんとも美しく、また香りもほのかに漂ってきてとても落ち着いた時間をすごしました。

 考えてみれば、御所にはとても松の木が多く、やはり日本人は松の木によって心が支えられていることがとても多いのかもしれません。この季節の松の木は、夏に感じるものと違ってもっと優しいものがあります。

 帰ってからも、香りの勉強会でこの風景の香りを再現しましたが、なかなか面白いものが出来たので満足していました。自然の中の香りの交わりには、やはりまだまだ季節によって奥深いものがたくさんあります。この風景も景色としては、淡いものですが、香りの世界ではたくさんの発見があり、また癒しがあります。

 自然の良い香りは、実はあまりにも人の嗅覚に刺激をすることがなくて、ほとんどが意識されないものが多いです。しかし、我々は一つ一つの香りを見ていても、どうやったらこれだけ繊細に優雅に香りが交わっていくのか、驚きと感動の連続です。

 この松と桜と苔の自然の香りの交わりによって、僕自身新しい調香法をまた見出したような気がしています。新しいクマリンのベースをつくるにはとてもよいヒントでした。

 震災、原発問題、度重なる地震でかなりの人が参っていますね。今回の調香も少し前につくった麒水以上に心や精神に良い落ち着きを与えるのが出来そうです。

 
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by fenice2 | 2011-04-12 01:30 | アロマ 香り

香りと見えない世界ーシステムが心を傷つけ生命を奪う

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 少し前までは、ヒトラーとか人間そのものが悪魔のようになって、戦争を引き起こすことが多かったが、社会の構造やシステムが複雑になると、それほど悪くならなくてももっと安易に世の中を破壊できるようになった。

 僕も心を観る立場の人間として、まずここ十年ほどは社会が積極的に人間の心を破壊するような行為が増え、それで多くの人が鬱になったり、心のバランスを崩す人が多くなったのではと思っています。香りという立場からも、身体的な結びつきを強調する人はいても、心や精神との関係をいう人はほとんど居なくなりました。

 心、社会、自然がそれぞれバラバラに存在するようになり、中でも社会の異様な歪みが心や自然をどんどん傷つけていってしまった現状が最近の日本ではなかったのかと思います。信仰や神という概念も何故か一人歩きするようになって、パワーや奇跡といったような個人の狭い範囲での満足に収まるようになってしまいました。

 複雑な社会のシステムを構築していくうちに、心どころか、ついには人類の生命そのものの危険に結びつく場所までたどり着いていましたが、それも多くの人がその場所にいながら無関心になっていったのかもしれません。それほど、今の日本が作り上げてしまったシステムは、人を無感覚にさせて破滅の道を切り開こうとしていました。

 今、日本で起こっているこの惨状は実はすでに多くの人の心の中に起こっていたものではなかったかと思います。学者的な議論は色々あると思いますが、人はもっと早い段階から感覚として受け止め、不穏な将来をイメージして、心が濁っていたのではないでしょうか。

 僕も去年は、香りをつくっていても何故か透明感が失われそうになることに心を砕けそうになることもしばしばありました。それだからこそ、厄や鬼門というイメージの香りを作ったりしましたが、それもあまり世間の人に受け入れられることはありませんでした。

 一部の人には、調香することで自然の繊細な香りのつながりに気づいて頂ける人もいましたが、どこまでも出来上がった香りのみにしか感心が無い人は、単にクオリティーが良いという問題だけで終わってしまいました。香りを通じて、心をみていけばもっと広く深い問題にも関心を持つことが出来るのだと思います。

 まだまだ世の中は大変ですが、それでも自分の心、人の心をみていく姿勢が無ければ今のような悲惨な世の中を導いてしまう結果をつくってしまうようになると思います。そういう意味では、僕の仕事は多岐に渡るようになっても自分の姿勢は変えないようにと思っています。

 心を観るには、感覚を研ぎ澄ましていかなくてはだめだと思います。霊感も良いですが、五感が磨かれて居ない人が摩訶不思議なことをいっても説得力に欠けます。心を正しく見れる人が、これから先良い未来を築くことが出来るのではないでしょうか。

 
 
 
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by fenice2 | 2011-04-02 06:35 | アロマ 香り