クリスマスも近づいて、華やかな季節になりましたので、たまにはそういう話題も良いのかと思って書いてみます。 恋心というのは、何歳になっても忘れてはならないものだと思います。恋心というのは、恋をしていると、自然にわいてくる気持ちが、それなのかもしれませんが、恋をしていてもそういう気持ちとは違う感情もあります。 僕は、毎回香りをつくる時に、何時も胸がつまされた気持ちになりますが、あれも恋心なのだと思っています。目に見えないイメージの世界の中で、何十種類も混ぜてくると、一方で冷酷に分量を計算しながら、一方で不安や期待で感覚や感情は、揺れ動いてきます。 誰かを好きになったり、どうしてだがわからないが、大切な人だと思うようになっている時は、その恋心が、ふっと自分の心に舞い降りてきます。 単なる、感情で、好き嫌いで人を分けたり、条件や損得の勘定だけで選んでいくとそういう恋心は芽生えにくいのかもしれません。 男性の恋心と女性の恋心は、少し違いますが、お互いが同じような気持ちにあると、それが良い意味で混ざり合おうとしますが、そういう男女を見るのはなんとも情緒があって、昔から好きでした。 私の祖父は、遊び人でよく祇園あたりにも連れていってくれましたが、子供ながらにして、大人の情緒ある世界を目のあたりにしました。 「別れて泣くときは何時も男やなあ。女はあんまり泣かへんで。」 「恋に生きる女は強いし、魅力的やな。夢を持たん男は太刀打ち出けへんな。」 紅葉も終わった山に、人影はなく、ひっそり薄い赤朽葉(あかくちば)色になった葉が、目の前に現れました。 静かで、穏やかなその色彩に目をこらすものは、誰も居ないのですが、カメラを向けたファインダーの中には、淡い恋心を感じました。もうすっかり見る影も無いと思って登った山の風景の中にも、捨てがたい景色が残っています。 単なる薄ぼけた葉の色合いと見るのか、淡い恋心のように映るのか、それをきめるのは人の心の繊細や優しさにかかっていると思っていますが、いかがでしょうか。 #
by fenice2
| 2007-12-19 23:28
| アロマ 香り
物質の中心の都市、東京にはミッドタウンがありますが、残念ながら精神性は益々遠ざかっています。モノと人が溢れる中で、思考は単純化されて、人の気持ちや思いは益々薄く、薄くなっているような気がします。 僕は、自分自身でもとんでもない精神世界に飛び込んだことがあるので、物質的な社会を完全に否定することは、良くないと思っていますが、そうかといって、心が貧しく荒んでくることについては、もっと敏感に感じてしまうほうです。 元々、資本主義でも会社の株主形式でも、利潤を追求する目的以外には殆ど方向性を持たないものであって、まだそういうシステムや仕組みが未熟のうちは、情緒や精神性が入り込む余地がありますが、今の時代のようにいよいよ社会体制が煮詰まってくると、友達感覚や、社会貢献していたかのように見える会社や組織も、その正体を明らかにしてきます。 政治も、精神性よりも、民衆の関心や人気度、視聴率や投票率に振り回されながら、ビジョンやマインドを維持してくことが出来ずに、世渡り上手なお笑いモノがトップに立つのに、相応しいような体制になっているような気がします。 地方でも古い町並みも壊され、僅かに残った文化的な財産も観光のために磨耗し、本当の意味で精神性と呼べる風土や、人間関係がどんどん崩壊していっています。そういう意味ではまさに今は、日本の精神性の崩壊が始まっています。 日本人の日本人たるルーツや考え方、そういう根深いものが未だに残っている場所は、僕は個人的には、西日本、それも中国地方を中心としての場所がもっとも強く感じています。 そういう意味では、日本の、もっとも注目すべき精神性はその辺りにあるのではないかと思っています。広島の厳島神社、島根の出雲大社、尾道などは、島国である日本が如何に、周囲の国と上手くやってきたかの歴史やルーツに満たされています。 元寇があったり、ペリーの来航があったりと日本の一大事があったときにも、その辺りの地方の人間や地域は何時も、日本を守るだけでなく、その精神性を支えるのにとても深い役割をしめしてきました。 今は、物質の発展の裏で、目に見えない精神を破壊するウィルスみたいなものが、世界からどんどん心や気持ちを侵し始めているので、それらとどう向き合っていくかのスピリットを個人、個人が、維持していかなければ、脆くも砕けてしまうことになりそうです。 僕自身も、生き方が行き詰まった時は、城崎の桂小五郎がよく泊まった温泉宿に行ったりしましたが、やはりそれなりに得たものがあったような気がしました。 四方八方から迫られた時に、どう対処していったらよいのか、受け止めたり、流していったりするなど、その辺りの知恵や精神性は、我々日本人の中にも脈々と流れているはずです。 繊細で、優しく語り掛けてくるような存在、そんなものを大事にしていけば、日本全体もきっと今の悪い流れをたちきって、本来の流れに戻ってくるような気がします。 全体の流れが良くなるのは、まだまだ先の話です。それまでなんとか、個人個人が心の安定や平安を目指して頑張っていきていかなくてはならないと思います。 ご自分の中に、しっかりしたミッドスピリットを持つようにすべきだと思っています。 #
by fenice2
| 2007-12-16 23:53
| シャーマン
最近、或る人に言われて、数字の研究をしています。例えば、8というのはやはり永遠の記号と重なっていることもあって、末広がりとか言いますが、やはり今の良い状態を長く続けたい場合などは、よく使われる数字なのかもしれません。 僕は、昔から9に支配されることが多く、何かから脱出したり、危機や改革の意味があるそうですから、思えばそんなような人生を歩んできたような気もします。 1はやはり矢のように進む感じがしますから、好きな方はこの勢いが好きなのかもしれません。5と2は少し似ている形状があって、曲がって落ち着くか、落ち着いてから曲がるかの違いですが、いずれにしても、なんとなくほっとさせる感じもあります。 4はやはり、尖った部分が多いのか、不吉に感じたり強いものを感じますが、西洋では意外と嫌う数字ではありません。漢字にすると四ですから、またちょっと意味合いが変わってくるようです。 7も角はありますが、それなりの勢いを感じさせて割りと好感を持たれている数字です。これが三つ並ぶのを見ると喜び人もいますが、何故か顔文字のように笑っている姿に見えるような気もします。 僕は個人的には0が嫌いで、何もかも無にしてしまう恐ろしさを感じます。まだ4や13の方がましな気持ちになることもあります。 何が言いたいのかというと、香りや星占いでも何度も数字は表れます。何の星が幾つとか、幾つの香りがあるとか、占いと数字はきってもきれない関係にあるような気がします。 表面に現れた数字から、どれだけのものが読み取り、イマジネーションが沸くかがこういうような仕事の目標であって、終着点のようなものではないかなと思っています。 医師によっては、検査の数値をみて判断する方もいますが、例え正常値の範囲であっても不吉なものを感じて、やり直すなどという方もいるようですが、やはりそれも数字から来る何か隠された暗号みたいなものを、感じとるのかもしれません。 また、毎日生活していて、同じ数字が並んだり、偶然と思えるほど誕生日が同じ人に出くわしたりしますが、数学者の中では、”偶然という必然”と、言っている方もいますが、やはり、何か兆候がある時は、数字が我々の前に現れるのだと思っています。 不確かだと思える自然現象も、かなりの確立で解明され分析されてきましたが、人の運命や未来も実は膨大な数字のデーターと公式があって、毎日何かの答えが出されているとしたら、我々の行くべき先も見えてくるのではないかと、考えていたりします。 現代人は、お金の計算だけは速くなりましたが、自分自身が幸福になる計算というものは、速くもうまくもなっていないような気がします。 僕が、香り(調香)と占星をフュージョン(fusion)させるのは、出来るだけ早く正確に未来をみるためでしたが、今はもうきってもきれない関係になってきています。 その二つを足すと、僕の場合、何故か映画のマトリックスのように色々な数字が流れてくるようなイメージを抱きます。二つを足さない場合は、情報量が10分の1になったかのようになります。 今度から、電話の方の占いもやらせて頂きますので、またよろしくお願い致します。また、その際にメールの料金も変更になりますので、ご了承下さい。 #
by fenice2
| 2007-12-10 20:38
| アロマ 香り
カメラマンの友人と嵯峨野の撮影会に行きました。去年よりも紅葉は綺麗だったそうですが、何しろ人は多かったです。 色々考えていたことを、ようやくこの時期に整理しています。妙な性格があって、みんなが忙しそうにしていると急にゆっくりしたくなってきます。 考えたら、こんなような生活や仕事を選び出したのは、10年以上前に或るホテルの上から人の流れをみてからでした。 或る仕事をやるために、1週間ほどホテルに閉じこもりましたが、駅から出る人の様子を毎日みながら目を覚ましました。 毎日、毎日同じ時刻になると、都内のとある駅から人が出てきて、それも電車のせいもあるでしょうが、1分と違わず人の波が現れては、街の中に消えていきます。 たまたまその時やっていた仕事にも疑問を感じていた時期だったので、僕にとってはその人の規則正しい流れが、かえって異様に見えました。 当たり前、常識、そういうものが本当に毎日の記憶の中からは、実は消えていっている。そして、またそういう流れの中に入って、そういう常識的なことを身に附けて社会の中に入っていく。 忘れていくものを、毎日身近にして、忘れても良い人と毎日会わなくてはならない。本当に会いたい人や、ずっと記憶に残っている人は、毎日、毎日会えずに、それでも記憶の何処かに残っていて、或るときに突然それを思い出したりする。 この世に見えている、色々なものが実は仮の姿で、何処かにもっとはっきり見えたり掴めたりするものがあるのかもしれない。信じるとか信じないとか、そういう態々火をおこして、見なくてはならないものでないものではなくて、虚と現実といえるようなもの。 しかし、そんなことは昔の人もずっとやっていたような気がします。歴史に刻まれると、虚と現実ははっきり見えるようになったりしますが、今流れてきている現実をそういうふうに見ていくことは、今も昔もきっと簡単なことではなかったのだと思っています。 本当に失ってはいけないものは、もっと深い記憶や内面にやはりあるのではないでしょうか。 #
by fenice2
| 2007-12-06 22:25
今日は、ちょっとシリアスなことを書きますので、お疲れ方はご用心を。 それは冗談ですが(何時も重すぎる?)、今後の社会の流れみたいなものを感じることと、将来を占いながら書いてみたいと思います。 占星術を行っている人達が最近、よく耳にするのが、みずがめ座の時代に地球が入ったということです。エンリケバリオスという、アミという宇宙人からメッセージを受け取った人も 「数年年続いた野蛮な時代の次にくる、新しい愛の時代で、地球よりも繊細な宇宙のエネルギーに支配され、全ての人の愛の成長を助けるようになる。」と言っています。 我侭や、個性的な生き方とかそういうものが横行してきたのも、こういう個人の生き方や愛情みたいなものが際立ってきたからであって、それが全て悪であるとするのはどうかなと思っています。 少し前まで、多くの世界が戦争し沢山の人を殺してきました。僕もイスラエルに20代で行った時に、あちらの社会の矛盾や武器商人などと触れて、本当に宗教家に一時なろうと思ったほど世の中の穢れの部分を多く見てきました。 また、最近の社会の動きは、個が目立ってくることを警戒して、出来るだけ細かく統制をとろうとしています。住基ネットや個人保護法など、人を人とみなさない形で、識別番号で個人を整理していきます。 警察の取り締まりも、何かあったら逮捕して犯罪者に仕立てようとする動きが強いのは、更生したり、人に諭していくような手間を出来るだけはぶきたいからなのかもしれません。 経済の流れは、アメリカにみられるように、数パーセントの人が国家的な資産を持つような状態に追い込まれます。しかし、その状態も長くは続きませんが、多くの人は贅沢とか、家さえもてない人がかなりのウェートを占めるようになります。 道徳や美徳が、常識とされていた時代は、ここ数年で完全に崩壊します。それに代わる物は、美や感動、愛や思いやりです。 しかし、社会は出来るだけそれらを受け入れようとしません。統制したり、治安維持を目的とすれば、愛のために戦うことは避けてもらわないといけません。 ダライラマがいうように、学校問題でも、深い愛情をその長たるものが持てばすむことですが、組織を維持するための教育を受けてきた世代は、そういう感覚や感情が理解できないのだと思います。 どれだけ、社会がそういう流れに対抗しようとも、その大きな流れには決して逆らうことが出来ません。無理に、昔の都合の良いシステムでとめてしようと思えば、その人間の心が破綻してしまうことにもなります。 今は、そういう意味では本来あるべき時代に向かって流れている過渡期であって、この時間はあと10年ぐらいかけて、やがて静かに落ち着く場所にいくと思っています。 それよりも、こういう激動の過渡期では、あらゆる形あるもの、家族、国家、組織、グループなどがめまぐるしく変化し、場合によっては破壊され、消滅していきます。形にこだわるタイプや、一から何かをつくることが出来ないタイプの人は、どんどんその流れから取り残されてきます。 今は、自分の心に映らないもの、感動的なもの以外は、どんどん捨てていかなくてはなりません。良い意味で、考え方や感性もシンプルになっていく必要があります。何が自分の心にとって大切かを何度も考えなければならない時期だと思います。 来年は、益々その流れは加速します。世の中や政治も、さらに転がり続けます。 本当に大切な心、何よりもそれを選び出す感性を磨く必要があるように思います。世の中の不穏な動きに惑わされないよう、心の中から湧き出るものを見つめる必要があると思います。 上の絵は、ニースのシャガール美術館の入り口にある絵です。何があるのか、イメージは混沌としていますが、大きな愛があれば何とか調和がとれてまとまっているように見えるものです。 世の中や社会も一時的には混乱しても、必ず良いほうに向かっていくと、シャガールが語りかけているような気がします。 ニースに行く機会がありましたら、是非ご覧下さい。ブルーのステンドガラスの絵も綺麗です。 #
by fenice2
| 2007-12-01 00:06
| 天使
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