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魂の存在とくくりー感覚と意志の源

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 最近、或る神道関係者の方から、くくりという話を聞いて自分で日ごろ感じていることと似たようなものがあるのかもしれないと思っていました。香りを通じていて、人には感じる世界には限界があるのはわかりますが、その限界を決めているのは、何か他からのものもあるのではと思っていました。

 嗅覚の世界は、視覚の世界よりもずっと曖昧で言い換えれば、積み重ねることが難しい世界だといえるかもしれませんが、それがここ数年間ではそうではないのではと感じることが多くなりました。香りとか匂いが記憶と深く関係していることを、理解できる環境になっているのかもしれませんが、それ以上に世の中にもっと違った現象が起こっているのかもしれません。

 生き物が、生きていくのは共存とか共栄とか、そこには複雑なネットワークが出来上がっていて、恒常的な繁栄のシステムがあると思うのですが、どうもその自然がつくったと思うシステムそのものが、僕はここ何年かで随分破壊されてきているのではないかと思っています。

 神道という日本人の古来からの精神世界からのメッセージでは、”括りなおし”という現象が起こっていて、簡単にいえば今まで心の支えとしていたものが、根本的に作り直させようとしているとのことでしたが、鎮守の森という場所も、その役割が終えてきたものが出てきたのかもしれません。

 日本人というのも、単一民族といいながら、分かったようなわかっていないところがありますが、最近奈良の古墳を見ていても、大和と出雲の系統の大きな違いに気づかされることも多くあります。細かくは、熊襲(くまそ)とかアイヌの祖先の蝦夷とかの民族もあるようですが、もっとも今の日本人の感覚的なルーツは、その二つが大きな影響を与えているのではないでしょうか。

 香りをつくっていても、最近やたらとこの方は大和の流れを持つ人だとか、出雲の流れを持つ人だとかをイメージすることが多いです。九州とひとくくりにいっても、実際はその二つの民族の流れがあるような気がして、僕自身は、時々出雲の系統の部分が強いのでは感じることもあります。

 卑弥呼が、畿内であったのか九州であったのか色々議論がありますが、僕は同じ大和の出身であったためにもしかしたらどちらにも行き来していたかもしれませんし、似たようなものが多いのは仕方がないのではと思っています。

 明治維新の時に長州のような日本中を敵に回しても戦うという思想は、やはり出雲の系統から出ているような気がしています。出雲を大和が滅ぼそうとしたときに、日本中の神々が出雲にきて守ったとされていますから、日本にとっては大和だけでもだめで、出雲があって成り立つものがあったような気がしています。

 きしくも、第二次世界大戦で大和が沈没する前に、出雲も沈みましたが、出雲のほうが第一次大戦では活躍していたこともあって、かなり古い戦艦であったようです。

 日本人のルーツといっても、もう一度この辺りをおさえておかないと、現代ではどうも根本的なものが失われているのではと思うことも多くあります。大和の香りをイメージすると、かなり和のものが出てきますが、出雲のものをイメージするとインドや中近東のイメージが多くなるから不思議です。

 おそらく出雲は、今の山口あたりも含めて、近隣のアジア諸国よりももっと遠くの国々からの影響が多くあったのではと想像しています。一説には、紀元前のほうがもっと長距離を航海できる船もあったとのことですが、同じ海に接していながら、地域によってはかなり触れているものが違ったものがあったのではと思っています。

 このあたりのことは、また香りを通じて触れていこうと思っています。
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by fenice2 | 2010-08-04 19:38 | 調香・錬金術
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