<< Identity crisis... 東京考察ー文明が失ったもの得たもの >>

匂いの無い世界からの恐怖感

f0149554_1415451.jpg


 京都市内の二条通りのお気に入りのカフェでほっこりしています。

 僕は、ここ何年か自分の嗅覚の中で、滅びの匂いというのものを感じ取っていました。生き物や自然の世界のものには、どんなものでもそれが不快であろうとも匂いや香りがあります。確かに、人でも年配者には独特の匂いがありますし、誰もが生まれたての赤ちゃんのように乳臭い、甘く心地よい匂いをさせているわけではないです。

 という僕自身は、以前から匂いには敏感なのでこの仕事になっていたのかもしれませんが、自分の嫌いな匂いを何も根絶してしまうおうというほど執着を持っていたわけでないです。明らかに害になる悪臭ならばともかく、自分が合わないというだけで、その匂いを消し去ってしまおうとは思わないです。

 巷の、消臭騒ぎというのがどうもよく分からないところがあって、加齢臭の問題もなんだか調香の立場からみれば全く違う面で進んでいったのが、むしろ腹立たしく思っていました。誰もが、自分の匂いを忘れ、匂いを消し去ることであたかも社会人らしい姿をしていくことが不快にさえ映っていました。

 そういう中でいきなり、匂いの無い訳の分からない物質が日本中に振りまかれるようになりました。あそこから出されたものは、人間はおろか犬や小動物、魚に至るまでその物質を感知することは出来ないようです。生命や生物が認知できないということに、実はもっとも大きな危険があるわけで、何処までが危険で何処までが安全なのかわからないのもそのあたりに根拠があるような気がします。

 世の中が、匂いの無い世界を目指しているとしたらそれはどこか危険な方向に向かっていると思ってよいと思います。逆をいうと、自分の匂い、世の中の匂い、自然の匂い、花の香りそういうものに五感を研ぎ澄ましているときは、皆が皆、オカシナ方向にいくことはないように思います。

 生きているものは、悉く魂や命があって、そこにまた匂いも存在します。自分にとって何が心地よく何が心地よくないのかはありますが、合わない匂いの存在を根絶しようと思ったら、そこには戦争のような大きな争いや諍いが起こる可能性があるような気がします。

 匂いや、香りは人それぞれの好みがあるといいますが、それでもここまでなら多くの人が好ましく思う香りというものはあります。これからは、都市づくりや街づくりにもそういった特に匂いや香りを感じさせるものを目指すべきだと思います。よくあるホテルのロビーでやっつけのように単一のアロマを置くことは、そういった感性を育てることにはならないはずです。

 自分なりの心地よい世界をつくるには、そんなに単純なことではないと思います。僕がやっている調香にしても、初めての人はとても複雑だで繊細だと仰って頂けますが、まだまだ一部分を再現しているに過ぎないのではと思っています。

 嫌なものを排除するだけの世の中の方向性が、今のような社会現象を起こす不穏な時代をつくってしまいました。どれだけ酷いことになっても、もう一度良い香りのする街や故郷を目指せば、必ず再生できると信じています。日本のような狭い場所で、見捨てられる土地など何処にもないと思います。



 
[PR]
by fenice2 | 2011-04-25 15:13 | 滅びの匂い
<< Identity crisis... 東京考察ー文明が失ったもの得たもの >>