2010年 01月 08日 ( 1 )

心の病み(闇)と感覚の歪み

 心が先か、感覚が先かというのは簡単には決めかねることですが、少なくとも心が病み、気が滅入ってくると自然と嗅覚を中心に感覚は狂いが出てきます。食べたいものも減ってきますし、それが原因で拒食症になったり過食症になったりするようです。

 嗅覚は、動物では、元々食べ物を見極め探すという重要な役割をしていますが、もう一つには敵、味方を見分ける役割もあります。他者の縄張りにうっかり入ってしまうようなことがあれば、新たな争いを招きますし、近づいてきた天敵に対しても、予め身構えることも出来なくなってしまいます。
 
 人も誰と深く付き合い、誰と距離をもったほうがよいかというのは、実際にはこの嗅覚の役割が大きいのではと思っています。俗に言う人との距離感に惑う人は、そのあたりの自分の感覚の基準を持っていない人のように思います。

 また、都会などでは基本的に距離を大きく置く傾向がありますが、その反動で心にも無い人に急に接近してみようと思ったりします。これは、自分の意識とは関係ないところで起こってしまう人間関係なので、繋がりも早いのですが、切れてしまうのもあっという間です。

 匂いには、単に良いとか悪いの他に、自分にとって相応しいかどうかなどの、より所になるものがあるような気がしています。よく、嗅覚に自信がある人が、遠い先のもので感じることが出来ると言いますが、そういう感覚とは少し違うのかもしれません。

 人には、知性があり、また様々な経験が記憶されています。嗅覚は、それらの総合判断のような気がしています。よく刑事ドラマなどで、犯人をくさいなどどいう表現を使いますがあれに似ていると思います。

 何もかも自分の感覚の基準を失って、心が不安定になった人には、その方のルーツの香りをつくるように心がけています。その人の故郷や両親との思い出、子供の頃に暮らした環境など、それらがその人の帰るべき感覚の元になります。

 お墓参りをしたり、先祖供養などもそういった嗅覚のルーツを意識付けてくれるものなのかもしれません。

 何も考えずに、好き嫌いをした感覚の剥き出しだった子供時代にも、今の心の迷いや悩みを解き明かしてくれるヒントが沢山あります。

 何故あるものが好きで、嫌いかということは実は単純なようで深い意味合いが多いことがあります。まさに我々の個性そのものをきめているのも、そういった感覚であり、その感覚の塊が感性になっていきます。

 感性は、霊感などとも違いますし、第六感などといわれるものと似ているようで少し違うようです。確かに世の中は不思議なことが沢山あり、直には理解できないことも僕自身もあります。しかし、そういった特殊なことよりも、もっと我々が今生きていて感じなくてはならないことは無数にあります。

 大切に思う人があれば、それが身内であろうと恋人であろうと、自分のあらゆる感覚を駆使すれば、それほど争いごとになるようなことはないように思います。相手が、何を考え、何に感動したり、何に深い絶望を覚えたり、そういうものは、精一杯感じようと思えば、きっと分かるはずです。

 勿論、こちらが幾ら分かったつもりでいても、相手が良い状態でないときは、ずっと待たなくてはならないのですが、その間も何をしたらよいかは自然とわかってくるはずです。

 そういった、精一杯感じようとしないで特殊な世界からの答えを待つことは、負のスパイラルをつくってしまい、結局は誰も幸福にしないような気がします。

 これからの時代は、誰もが子供ような無垢な感覚を持ち、かつての芸術家のような感性をもつ人が世の中に増えてきます。

 摩訶不思議な世界は、この世の逃避場所ではないと思います。もし逃避場所のようなものになっているなら、その方は現実の社会を見捨てたことになると思います。

 社会を見捨てた人が、社会から見捨てられるのが道理です。

 
精神世界ランキング
 
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
 多くの方が見れるようなクオリティに努力してまいります。
[PR]
by fenice2 | 2010-01-08 13:13 | 香りの記憶療法