2010年 01月 14日 ( 1 )

人を救う事で、得るものと失うもの

 どんな人でも善意をして、人助けをしたいと思うのですが、実際には一度きりのことも多くなかなか上手くいきません。人助けという看板をあげている仕事でも、一歩間違えば単に仕事と割り切ってしまうようなこともあります。

 かなり前の話ですが、糸川先生と一緒に勉強していた時に、アフリカに救援物資を届けるということがあって、ちょうどバブル時期であることもあって、大量の良い食材が残飯として破棄されていましたが、それを送る事業を計画しました。

 慈善事業ですから、当然利益はありませんが経費分だけはなんとか、寄付で募ろうとしましたが、金額はそれなりに集まったのですが、その残飯を集める費用と、運賃がかなりかかってしまいました。それよりももっと意味がないのは、現地で購入して、物資を支援するほうが、何十分の一の費用でまかなえるので、事業自体の必要性さえ失われていきました。

 日本で余った食料を、恵まれない国へという美しいスローガンは、脆くも壊れてしまいました。それからも、色々立ち上げては、妥協的なもので実行され、説得力や、魅力が無くなってしまいやがて支援する企業も殆どなくなってしまいました。

 人を助けるということも、これに似たところがあります。仕事になれば、報酬が出るので出来るだけ難しいことをやろうとします。

 勿論、不幸に合った人や心が病んでいる人をほかっておく訳にはいかないと思います。色々な方法をつかって救い出そうとする努力は大切です。でも、結果はどうでしょうか。人の心が救われたというのは、何をもって救われたとするのでしょうか。心が病んだ人が、救えなかった人に本当の意味で、クレームをつけることが出来るでしょうか。

 カウンセリングや人生相談など、人の心を扱う仕事は、常に相手よりも有利な立場に立って仕事をしています。報酬をもらって尚且つ、感謝されます。本当にどこに問題があるのかを見つめていかないと、すぐにも間違った方向にいくような気がしています。

 色々な人の心を相手にして、救いきれなかった重さは身をもって償うことになります。その重さは、その人の人生観そのものを変えて、場合によっては新しい心の病を自分自身に持ち込みます。ミイラ取りがミイラになる例えです。

 妙な技法や、祈祷などをつかって一時期は心が軽くなりますが、また時間がくれば倍になって苦しさが戻ってきます。アドバイスや助言は大切ですが、救うというテーマには創造することが無ければ、落ちては沈む枯葉が水の中で舞っていることと同じです。

 何度も水の中できりもみにされるうちに、ズタズタになり葉も擦り切れていきます。救うという産業と、心の関係はこれに似たものがあるのではないでしょうか。

 助言やアドバイスをするのも、それを行う人に重い心の悩みがあって、果たして通じるでしょうか。それよりも何のための助言をするのでしょうか。

 僕は、人生は創造とその力の連続であるような気がします。家族や身内の関係は基より、友人関係や異性関係、単なる会社の企画から、人との何気ない会話まで、創造力は影響しています。

 まれに創造力は、悪しき心からも発することがあります。それでも結果は出ますから、自分でその責任を感じることで、またよりよい創造力を見出していきます。

 救うという言葉に踊らされ、酔っていては新しい世界をつくることは出来ないと思います。一人一人が新しい世界をつくる使命をもっているように思います。

 創造のために救いは意味があります。創造がなくて、救いは単なる気まぐれになってしまうのではないでしょうか。

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by fenice2 | 2010-01-14 17:37 | 愛 愛情