和辻哲郎は、大体目を通しましたが、風土だけは言おうとしていることは分かるのですが、やはり香りを勉強しないと無理があるかなと思っていました。精神と心、それが香りとどう関係しているのかということは、やはり調香についての知識や情報がないとわからないことがあります。 時代が行き詰ってくると、心を見つめる人が多くなり複雑な経路や言葉を使って、それが何であるかを見ようとしますが、僕はそれも暫くすると飽きてくるのではないかと思っています。心や精神は、確かに複雑でよく分からないところは多いのですが、捉えようとすると離れ、複雑にすればそれだけ気が重くなってきます。 奈良は、僕にとっては一族のルーツなのですが、そこに近づきたくもあり、離れたくもありという複雑な感情で子供の頃から接してきました。それと、個人的には何故この地を都として、離れなくてはならなかったのかということについては、ずっと関心を持っていました。 良いも悪くも奈良には、重い匂いというのがあって、それが内面を見る環境、仏教の内観や哲学的な思考や発想にはとても良かったのですが、その重さに耐えられないというか、飽きてきた人たちが多くなってきたのではないかと感じています。このことは、またゆっくり書いてみようと思っています。 奈良出身の方の香りは、考えてみたら殆どおつくりしたことがなく、今回ほぼ初めてつくりましたが、僕が良いなと思ったものを殆ど気に入ってもらったこともあって、やはり僕はこちらの土地の人間なんだと改めて気付きました。 多分、この地方の人たちは自分では気付いていないのですが、飛びぬけた落ち着きを求めるところがあり、それが人やモノの、質感やクオリティーを求める背景になっているような気がします。京都もそうですが、これだけの歴史的な建造物や無形文化財を残していくには、そこに住む人にもそれだけの精神的な負担や犠牲を強いることもあり、それがまた他県の人から見ると気難しい一面として見えるところなのかもしれません。 京都や奈良は、不思議と縁がない方は住むことはなく、仮に住まいを見つけても殆どそこにいないということもあるようです。そこに昔から、選民思想みたいなものが生まれてきましたが、今でもそういった誇りみたいなものは、こういった都市に住む人にはあると思います。 奈良を離れ、大阪に住むようになった父たちは、どうしても大阪が好きになれず、そうかといって奈良にも帰らずに、東京や名古屋で起業し、やがて全国に支店を持つまでになりましたが、奈良は何時も別の見方で見ているような気もしていました。 聖徳太子は、斑鳩の地で千年王国の構想を立てましたが、それが実現されたのは皮肉にも平安京で、その辺りがどうも僕は、日本の根源的な思想や考え方の根本があるのかなと思っています。日本人のとしての誇り、ルーツみたいなものは京都だけでは担いきれないものがあるような気がしていましたが、果たして奈良が無ければ京都は都として成り立ってこなかっただろうと感じています。 近いうちに奈良にも、住まいか事務所を設けようと思っています。今後の香りをつくる上でもとても重要な場所になるのではと思っています。夕暮れの若草山の匂いは忘れられないものがありました。 当分は、奈良、京都を往復しようと思っています。 #
by fenice2
| 2011-06-17 13:45
| 奈良
この仕事をやってきて、香りに対して、特に新しく香りをつくることに関しては、圧倒的に女性のほうが好奇心や関心があって、男性はそれほでもないことがよく分かりました。これは、考えてみると、男性は何か新しいものを生み出すと言うよりも、自分に慣れ親しんだ匂いみたいなものを追い続ける傾向があるので、それは母体との関係に基があるのかなと思っています。 女性も暫くは、自分の母親の匂いを追い求めて行きますが、やがて自分が母になるために、自分自身のオリジナルの匂いに敏感になりますし、またその匂いを子供だけでなく、場合によって夫でさえも大きく影響してきます。母親と子供との関係で夫と微妙な関係になってしまうのはこのあたりに原因があるような気もします。 男は、ずっと母親に似た匂いを追い求めていますから、将来結婚しようとする女性もそれに似たような匂いを感じる女性を好きになると思います。しかし、女性は子供が生まれてから好みが変わると言いますが、子供に合わせて様々に匂いに変化していきます。 特に、子供さんが個性のある方が生まれると、それまでの食べ物とか生活習慣の傾向も変わりますから、当然、匂いも変わってくるようです。問題は、どれが本当というか基の匂いかということですが、多分本人自身も分からなくなっているのが現状です。 あまりにも極端に匂いが変わった場合などは、女性はともかく男性のほうでは耐えられなくなって、やがて別の女性の匂いに魅力を感じるようになります。それが匂いと言うか調香学からみた浮気のメカニズムのような気がします。 また、同居した場合などは、そうやって最初と違って、匂いが変わっていく奥さんをやたら自分の母親の匂いと比べたがりますから厄介です。最期は、お嫁さんが追い出される羽目になることも多いかもしれません。 変わったといっても、基の匂いはあるわけですから、自分の子供を愛し、多く接触すれば奥さんの変化した匂いにも理解できていくのですが、それには許容範囲があるのは現実の問題なのかもしれません。場合によっては、母体の匂いをかなり変えてしまう個性のある子供さんも誕生するので、その方のせいで家族が崩壊状態になるとも限りません。 匂いの世界は見えないものだけに、大変なことが感覚の中では起こっていることがあります。僕は、あまり小さなお子さんがいる女性の香りはつくったことがないのですが、少ない経験からいえば、全く作るたびに定まっていないなという印象を持っています。 男性は、その点生まれてから思春期で大きく匂いは変わりますが、それからはほとんど変わることはないですから、そういった女性の母体としての匂いの変化には、多くの人が戸惑うことになると思います。仕事で、その方の香りをつくるつもりが、若いころの奥さんのイメージの香りをつくって欲しいと言われたことがりますが、意外など気にいって頂いて、今でも時々同じものをご依頼されます。 何時からが、境界線とはわかりませんが、そういう女性も色々な匂いに変化していくことにストレスを感じて、基の匂いに戻ろうとしますがそれがわからなくなっている方がほとんどのようです。女性から母親になったせいですが、それでも女性の部分を完全に見失うことは良いことではないと思います。 男性の香りの依頼が、そういった母親を中心とした母性の香りを求めていくのに対して、女性は自分自身のルーツともいえる匂いを模索していきます。10代の頃の同級生と会うのもそうでしょうし、そういった時代の初恋を思い出すのも、同じような理由です。 子供を生んで再婚される場合は、そういう匂いが変化したあとですから、基の香りに戻った時にはちょっと両者に戸惑いが生まれてくるような気がします。これは統計的にもみても、お互いの連れ子で一緒になった場合は、離婚が多いことで証明していると思います。虐待などの事件が起こりやすいのも、この場合で再婚したものですね。 新しい人を好きになったり、新しい仕事についた時も、女性はすぐに匂いが変化してきます。男性は女性ほど変化しませんから、そのあたりが女性のほうが匂いや香りに敏感になり、いつも自分の匂いを追い求めていくことになっているのではと思っています。 でも男性も、あまり母体の匂いばかりを追い求めるのもよくありませんねえ。 #
by fenice2
| 2011-06-07 11:25
| アロマ 香り
まだ新しいHTCのカメラなので慣れていません。なかなかうまく撮れませんね。今日も朝から観葉植物の手入れをしていました。土が少し腐敗していたのか葉の色が悪くなっていました。丁寧に泥を取った後に土をよく干してからまた入れなおしました。 僕は、母の影響もあって子供のころから花々を育てていますが、今までこれといって枯らしたことはないです。先日、あるオフィスで観葉植物を業者に換えてもらっていましたが、自分で枯らしておきながらその原因を突き止めずにまた新たな植物を飼うという心境がよくわかりません。 植物が枯れるということは、その環境に何か問題があるとは考えないのでしょうか。たった1つの命ですが、そうやって疎かにすることが自分に回ってくるとは考えないのでしょうか。その会社の仕事が省エネやエコに関係する場所だったので益々考えこんでしまいました。 昨日の醍醐山の神社に行ったのも、その土に関係しているのですが、僕は山の匂いの中でもどうやら最近は土の匂いにもっとも興味を覚えているような気がします。随分まえからそうだったとは言えないのですが、特にもっとも感じにくい匂いの調香に取り込んでいます。 去年は、厄香(厄年に匂うものを表現しました)、鬼門香(鬼門に匂うとされる香り)などおよそ香りになり難いものを調香しましたが、意外に好評だったので自分でも驚きました。それらは、今考えても土の匂いによく似たものになっていたのではと思っています。 そうやって考えると、日本人のアイデンティティ、いやその民族のアイデンティティは色々な人を調香していて、土の匂いにそのルーツがあるのではと思っています。ヨーロッパ人は石の建物にこだわりますが、そこにもそういった土の匂いが関係しているような気がしています。日本でも昔から土塀でしたね。 花や木々の香りや匂い、それらにも故郷を感じ、癒されることは沢山あると思います。しかし、それらを支え、作り出してきたのは何といってもその土に違いありません。土の匂いをしっかり表現することがこれから香りをつくる上でも重要なウェイトを占めてくるのではと感じています。 皮肉にも、放射能物質が土に降り、再び土が見直されるようになっています。土はそれだけその場所の様々なものを取り入れ、そして吸収していっています。僕も、先日ようやく京都の匂いに辿り着いたような気がして、怖いような嬉しいような気持ちになりました。 調香学でいうと、土の匂いはラストノートですが、それが最近の市販の香水では全く軽んじてものだと言ってもよいです。ラストノートは、それが表に出るまで数時間かかるものもあるために、わかり難く、また白檀や伽羅など高価なものも多いために、香料会社は全くそれに手抜きをしてきました。それがまた僕は、今の時代によく言われるアイデンティティクライシスになったと思っています。 好きな香りから、心地よい香り、それが最近では癒される香りにやっと移行してきました。それが行き着く先は、心から落ち着く香りなっていきます。自分の土の匂いを本気で探していない方は、幾ら僕らが良い調香をしても、いずれは飽きる香りになってしまうかもしれません。 #
by fenice2
| 2011-05-17 19:16
| アロマ 香り
京都市内の二条通りのお気に入りのカフェでほっこりしています。 僕は、ここ何年か自分の嗅覚の中で、滅びの匂いというのものを感じ取っていました。生き物や自然の世界のものには、どんなものでもそれが不快であろうとも匂いや香りがあります。確かに、人でも年配者には独特の匂いがありますし、誰もが生まれたての赤ちゃんのように乳臭い、甘く心地よい匂いをさせているわけではないです。 という僕自身は、以前から匂いには敏感なのでこの仕事になっていたのかもしれませんが、自分の嫌いな匂いを何も根絶してしまうおうというほど執着を持っていたわけでないです。明らかに害になる悪臭ならばともかく、自分が合わないというだけで、その匂いを消し去ってしまおうとは思わないです。 巷の、消臭騒ぎというのがどうもよく分からないところがあって、加齢臭の問題もなんだか調香の立場からみれば全く違う面で進んでいったのが、むしろ腹立たしく思っていました。誰もが、自分の匂いを忘れ、匂いを消し去ることであたかも社会人らしい姿をしていくことが不快にさえ映っていました。 そういう中でいきなり、匂いの無い訳の分からない物質が日本中に振りまかれるようになりました。あそこから出されたものは、人間はおろか犬や小動物、魚に至るまでその物質を感知することは出来ないようです。生命や生物が認知できないということに、実はもっとも大きな危険があるわけで、何処までが危険で何処までが安全なのかわからないのもそのあたりに根拠があるような気がします。 世の中が、匂いの無い世界を目指しているとしたらそれはどこか危険な方向に向かっていると思ってよいと思います。逆をいうと、自分の匂い、世の中の匂い、自然の匂い、花の香りそういうものに五感を研ぎ澄ましているときは、皆が皆、オカシナ方向にいくことはないように思います。 生きているものは、悉く魂や命があって、そこにまた匂いも存在します。自分にとって何が心地よく何が心地よくないのかはありますが、合わない匂いの存在を根絶しようと思ったら、そこには戦争のような大きな争いや諍いが起こる可能性があるような気がします。 匂いや、香りは人それぞれの好みがあるといいますが、それでもここまでなら多くの人が好ましく思う香りというものはあります。これからは、都市づくりや街づくりにもそういった特に匂いや香りを感じさせるものを目指すべきだと思います。よくあるホテルのロビーでやっつけのように単一のアロマを置くことは、そういった感性を育てることにはならないはずです。 自分なりの心地よい世界をつくるには、そんなに単純なことではないと思います。僕がやっている調香にしても、初めての人はとても複雑だで繊細だと仰って頂けますが、まだまだ一部分を再現しているに過ぎないのではと思っています。 嫌なものを排除するだけの世の中の方向性が、今のような社会現象を起こす不穏な時代をつくってしまいました。どれだけ酷いことになっても、もう一度良い香りのする街や故郷を目指せば、必ず再生できると信じています。日本のような狭い場所で、見捨てられる土地など何処にもないと思います。 #
by fenice2
| 2011-04-25 15:13
| 滅びの匂い
来週は、関東に仕事で行きますが、その前に東京に勉強会を兼ねていってきました。Facebookで散々話していますし、今更色々言っても何ですが、上の二枚の写真が僕自身の心に映った京都と東京の風景です。 時代や文明は、過去の愚かな遺物を反省し、新しい時代に向かって武器も含めて多くの廃棄物を積み上げているかのように見えました。世界平和や貧困の無い世界が、もしかしたら手の届くところまで来ていたのかのしれないと夢を政治は抱かせているところもありましたが、実際は、それは悲しいほど幻想であったように思います。 東京は、良いも悪いも日本の大きな流れの中に中心であって、その存在に人は一喜一憂していました。過去にも地震があったり、空襲で多くの人が亡くなったりしましたが、それでも復興して日本人の心にも大きな自信を与えたのも東京でした。色々な国の長所を飲み込み、日本人の頭脳の粋を集め官僚や学者もその盤石な基盤を昭和を経て、平成に入っても維持し続けました。 日比谷公園で、皇居の周りを歩いてから心字池の周りで少し休憩するとそこに、今の東京の人達の心が映っているような気さえしました。まだ頑張ろうという気持ちと、もう本当にだめかもしれないと思う絶望した気持ちが大きくわだかまっているようでした。 放射能物質の飛散については、やはり微弱なながら東京には舞っているような気がします。仕事で出会う人にも何気なく尋ねても、皆さんそれなりに自覚しているようでした。余りにも多くの人が被爆している為に、一人一人の違和感を今更言っても仕方がないという、諦めにも似た気落ちもあったのだと思います。 人が少なくなり、電気もままららない上に、静々と放射能が降る東北から東京あたりまでは自然の精緻な仕組みやシステムをかなりの可能性で破壊していくと思われます。土や水が侵されるというだけでなく、人や生き物の身体の深部にも入っていって、それが神経など人の恒常機能に悪影響を与えていくようです。 癌になるというのは、あくまでそういった放射能物質が生き物の恒常システムを妨害していく結果として成り立つのであって、放射能物質そのものは短期的には表立った傷や障害をあたえるわけではないです。それだけに一方では、楽観論が出て学者の中でも議論が別れることがありますが、正確な治療法が確立していない以上、やはりまだまだ量に関わらず危険としたほうが良いような気がします。 どれだけ放射能物質を除去しても、総体量として放出されたものはかなりのものになってきますので、これからは如何にそういった生命の恒常性を維持したり、刺激したりする物質や機会が必要になってくるような気もします。 単に、震災などで精神的に暗くなっていることもありますが、自分の身体の深部がどこかギクシャクしているように感じれば、自然と気持ちは塞ぎ込み、心が暗くなってきます。東京の色々な行事が自粛されてくるのが何となくわかってきました。 癌になるメカニズムが完全に掌握されていないことと同じように、放射能物質と癌との因果関係はあくまで統計上のものと言う人もいますが、もしかしたらこのあたりは次の時代に渡るために避けては通ることが出来ない場所と言ってもよいかもしれません。 永久エネルギー、健康体を保持する生命システム、これらが今まで以上にはっきりみえてこれば、人類はこの問題から乗り越えていけるのかもしれません。そういう意味では、まさに何千年の歴史の転換期を迎えています。 #
by fenice2
| 2011-04-15 22:53
| 調香・錬金術
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